オスマン帝国


メフメット2世(1432〜1481)


 オスマン朝7代目のスルタン・メフメット2世は、1000年以上に渡って続いたビザンティン帝国(東ローマ帝国)を滅ぼし、ファーティフ(征服者)と呼ばれました。
 
メフメット2世
メフメット2世
 1453年、メフメット2世は10万を超える軍勢でビザンティン帝国の首都コンスタンティノープルを包囲します。
 
 対するビザンティン帝国はわずか7,000の軍勢でした。しかし、この都は過去に幾度も敵を撃退した三重の城壁に守られていました。また、守りの薄い金角湾にはトルコの艦隊が入れないように鉄の鎖が張られました。
 
 トルコ軍は、ウルバンの巨砲と呼ばれる大砲や地雷を用いて幾度も城壁への攻撃を繰り返しますが、城壁はびくともしませんでした。
 
山越えするトルコ艦隊
山越えするトルコ艦隊
 城壁の破壊は不可能と考えたメフメット2世は、トルコ艦隊を山越えで迂回させて金角湾に侵入するという奇策を用います。
 
 ビザンティン帝国の人々はいよいよ追い詰められましたが、それでもコンスタンティノープルの守りは固く、何度もトルコ軍の攻撃を跳ね返します。
 
 2ヶ月間におよぶ攻防の末、トルコ軍はついに城壁を越えて市内に乱入します。こうして、1000年以上にわたって続いたビザンティン帝国は姿を消しました。
 
 コンスタンティノープルは、オスマン帝国の新たな首都となり、やがてイスタンブールと呼ばれることになります。
 

1421年 ムラト2世、オスマン帝国のスルタンに即位
1432年 メフメット2世、誕生
1444年 ムラト2世、ヴァルナの戦いでポーランド・ハンガリー連合軍に大勝利
ムラト2世が退位し、メフメット2世がスルタンに即位
1446年 ムラト2世、スルタンに復位。メフメット2世はマニサに蟄居
1451年 ムラト2世、死去。メフメット2世が再びスルタンに即位
1452年 ボスポラス海峡に建つルメリ・ヒサルの跡メフメット2世、ボスポラス海峡沿いにルメリ・ヒサルを建設
(写真はボスポラス海峡に建つルメリ・ヒサルの跡
1453年 かつてコンスタンティノープルを守るために築かれていた城壁の跡メフメット2世の率いるオスマン軍がビザンティン帝国の首都コンスタンティノープルを攻略
(写真はかつてコンスタンティノープルを守るために築かれていた城壁の跡
1455年 メフメット2世、セルビアを攻略
1456年 メフメット2世、ボスニアを攻略
1462年 オスマン帝国のスルタンの居城トプカプ宮殿トプカプ宮殿の建設開始
(写真はオスマン帝国のスルタンの居城トプカプ宮殿
1479年 メフメット2世、アルバニアを攻略
1481年 メフメット2世、死去。バヤズィット2世がスルタンに即位