関東大地震は相模湾を震源とするマグニチュードM=7.9の海溝型の地震であり、被害は神奈川県、東京府を始めとして、千葉県、埼玉県、山梨県、静岡県などに及びました。日本史上、最も大きな被害が発生した地震です。
全体で死・不明10万5千余名、住家全潰10万9千余、半潰10万2千余、焼失21万2千余(全半潰後の焼失含む)。(理科年表平成18年度版より)
図1は、過去400年間の人的被害を大きい順に並べたグラフです。関東大地震の死者・行方不明者は他の地震のそれと比較して際立って多く、特異な地震であったことを示しています。死者などが多くなったのは火災が原因であり、当時の東京市内で約130ヶ所から発生した火事は三日二夜燃え続け、東京全市街の三分の二が完全に焼失しました。死者などの多くは地震そのものではなく地震によって発生した火災によるものであり、地震発生から何時間も後に命を落とすことになりました。
一般に、大地震には火災を伴いますが、図1の棒グラフによると、関東大地震を除いた地震の犠牲者は2万人強以下です。関東大地震だけが統計上は考えられない(過去の地震では経験のない)ような死者を出していますが、何が原因だったのでしょうか?
死者10万人以上といわれる惨事は1657年(明暦三年)の江戸大火(振袖火事)、関東大地震および1945年(昭和20年)3月の東京大空襲の3度あります。
東京大空襲は戦災であることから除いたとしても大都市が火災に襲われると普通では考えられないような災害に発展することがあるようです。