シリーズ日本の歴史災害 第一巻

昭和二年 北丹後地震
家屋の倒壊と火災の連鎖
 本書は震災直後に著された書物や新聞記事あるいは小学生の作文などから北丹後地震の被災状況や救助活動を示し、震災の碑や震災記念館および地震学的立場から実施された調査研究成果などを通して北丹後地震とはどんな地震でどんな震災であったかを描こうとしたものです。

 震災記念館はもとより震災の碑や震災当時の資料などには多かれ少なかれ「震災がここにあったことを未来の子孫に伝えたいという被災者の強い願い」が込められています。
 この願いは被災者が経験したような震災に子孫が二度と再び遭遇することがないようにという願いと等しく現在の私たちへのメッセージにほかなりません。
 過去の震災を振り返り、当時のメッセージに耳を傾けることに防災の原点があるのではないでしょうか。

 当時の被災者からのメッセージを伝えたい。 その後の地震研究の成果は?防災は? …著者より…
北丹後地震 表紙 著者 蒲田文雄(技術士)

平成18年3月刊行
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当時の写真は「丹後但馬震災画報」「丹後地震誌」「奥丹後震災誌」より
本文 「はじめに」より
 

 北丹後地震は今から約80年前の3月初旬という寒い時期の夕食時に発生した。風呂や台所のかまどでは薪が燃え、火鉢やコタツには炭火があった。倒壊家屋は火種を抱えたまま倒壊し、倒壊家屋の中から脱出できずに生きたまま焼死するという悲惨な出来事がいたるところで発生した。とくに峰山町では全壊+全焼97%に及び、町民の24%(1,103名)が死亡するという事態が生じている。
 震災後の山田村を対象とした詳しい被災調査によると圧死者と焼死者を合わせて141名全員が全壊あるいは全焼家屋の住民であった。この調査結果を峰山町に当てはめると死者の10人のうち7人までが倒壊した住家に閉じ込められて脱出できずに焼け死んだ人々であろうと推定できる。一般に震災の根源に建物の倒壊があるといわれるが、北丹後地震は建物の倒壊と火災の連鎖が震災そのものを生み出したことを示している。

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