災 害

災害と防災

 異常な自然現象および社会的現象によって人や社会が受ける被害を災害といい、災害を防止する行為を防災といいます。 
 自然的要因が契機となった災害を自然災害と呼ぶのに対し、人為的要因が契機となった災害を社会災害といいます。
 昭和36年(1961年)に公布された災害基本法では、災害は「暴風、豪雨、豪雪、洪水、高潮、地震、津波、噴火その他の異常な自然現象または大規模な火事若しくは爆発その他その及ぼす被害の程度においてこれらに類する政令で定める原因により生ずる被害をいう。」と規定しています。

 人為的要因によって発生した大火でも強風や乾燥(フエーン現象)などの気象条件が影響しているように、また、地震が災害の原因であっても建物の倒壊や延焼によって災害が拡大するように一般には社会的要因と自然的要因が交錯しています。

 「地震と震災」を考えてみると、地震は自然現象ですが震災は自然現象が引き金となって社会的現象として発生します。大地震があっても人が住むことも利用することもない土地に震災は発生しないことからもわかります。このような視点に立てば災害のほとんどは社会現象から発生した社会災害であり、自然災害といっても限定的な意味合いで使用されていることが分かります。
 一方、災害を個人の立場でみると大災害でさえ、家屋が倒壊しなかったら、あるいは火災が発生しなかったら、延焼が止まっていたらというように <この場所> で、 <この倒壊> でといった極めて局所的・個別的な要素が大きいという特徴があります。災害だけではなく傷害・疾病・事故・盗難など身に降りかかる災いはすべて局所的・個別的です。
 どんなに医療技術が進歩しても疾病がなくなるわけではなく、道路が整備されどんなに車の安全性能が上がろうと交通事故がなくなるとは思えません。それゆえ、個人の健康管理や事故防止が意味を持っています。
 「疾病と健康管理」あるいは「交通事故と事故防止」の関係は「災害と防災」の関係と似ており、防災が他人任せでなく個人で実践することによって大きな意味を獲得することになります。

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  液状化

 地震の発生によって砂地盤が揺さぶられると地盤のせん断強度が失われて地盤が液体状になり、地盤によって支持されていた重いものは沈み軽いものは浮き上がり、砂や水が噴出します。この現象を液状化といいます。

 新潟地震では液状化により顕著な被害が発生しました。昭和大橋の落橋や川岸町の県営アパート八棟のうち三棟が破壊を受けることなく傾いたり倒れたりしたのは液状化のためでした。大地震の際に液状化が発生することは古くから知られていましたが、新潟地震では砂質地盤の液状化による被害が大きかったことから、液状化現象が地震災害として注目されるようになりました。最近の地震での液状化による被害では、日本海中部地震でのライフラインの破壊、兵庫県南部地震での側方流動による護岸堤や構造物の杭基礎の破壊が注目されました。旧相模川橋脚
 右の写真は、関東大地震(1923年)の際、地盤が液状化することによって浮上出現した「相模川橋脚」です。(「茅ヶ崎市教育委員会  国指定史跡 旧相模川橋脚 史跡整備に伴う確認調査概要報告書 2002」より)

 液状化による被害の形態としては建物の沈下や傾斜、地中構造物の浮上、岸壁や擁壁の移動や転倒、堤防や堰堤および道路などの盛土材料自体の流動、地盤の側方流動が知られています。

 液状化がしやすい地盤は、@砂の粒経が0.1mm前後で粒経が揃っており、A緩い状態で堆積して、B地下水で飽和されているC地下20mより浅い範囲の地盤です。液状化しやすい条件が揃った箇所としては、河川の下流部、デルタ地帯、旧河道、自然堤防の周辺部などの沖積地帯や埋立地が挙げられます。
 なお、遺跡調査によると、礫層が液状化した例も数多く発見されており、また、兵庫県南部地震でも粒径が不揃いのマサ土(花崗岩が風化してできた土砂)の埋立地が液状化しており、激しい震動に襲われると砂質地盤ばかりでなく砂礫地盤でも液状化することがあります。

 大都市が発達する以前は水はけの良好な自然堤防や高台に集落が発達し街道も同様に沖積低地を避けて通っていたため、地震に伴って液状化が発生しても目立った被害がありませんでしたが、都市化に伴い住宅や工場が沖積低地に進出していることから、液状化による地震被害が拡大しています。なお、自然堤防地帯は沖積低地のなかでは比較的地震被害が少ないことが認められています。

 砂地盤を考えると、N値が大きいほど地盤は密で液状化しにくいので、N値を指標にして液状化しやすいかどうかを判定することができます。深さにもよりますが、N値が10よりも小さい砂は最も液状化しやすく、10〜20の砂は他の条件が揃うと液状化する可能性があり、40以上の砂はほとんど液状化することはないといわれています。
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  地すべり

 山地や丘陵などの斜面で地塊が下方あるいは側方に移動する現象を崩壊といいますが、ある種の崩壊を一般の崩壊と区別して地すべりと呼んでいます。

 地すべりは一般に徐々に移動を生じ、その速度は比較的緩慢であり、1回の滑動で安定することなく再発する特徴があります。また、地すべり土塊は原形を保ったまま滑動する場合が多く、共通の地質状況下で多発しています。
 地すべりは粘土と深く関わっており、粘土が地下水の作用を受けるとその強度が低下するとともに間隙水圧が増大することになり、粘土中でセン断破壊が生じることによって地すべりが発生します。

 地すべりが発生して地塊が移動・堆積することによって、元の地形より急な斜面や緩斜面など特徴的な地形が形成されます。山間地での緩斜面は地すべりが繰り返し発生することによって生まれた場合が多く、緩斜面上部に池を伴う場合もまれではありません。このような場所は狭いながらも米が作れること、宅地として利用しやすいことから集落が形成されることがあります。従って、地すべりが再発した場合、そこには集落が存在する可能性が大きく、結局のところ、地すべりは住宅・宅地、耕作地などを損壊させるために、人の生活基盤と大きな関わりを持つことになります。また、地すべりにより土砂が渓流に流れ込むと土石流の原因となり下流域の災害に結びつので、広域的な視野での対策が必要になります。
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  土石流(どせきりゅう)

 豪雨などによって斜面が崩壊して渓流に落ち込むと、土砂や渓流の堆積物が流水とともに急速度で流れ下る現象が生じることがあります。これを土石流といい、道路や橋梁、人家を押し流すことによって土砂災害が発生することがあります。
 土砂の移動形態として、固体(土砂)と気体(空気やガスなど)との混相流や、固体(土砂)と液体(水)との混相流があります。土石流は、固・液混相流であり、通常の流水で運搬される土砂量より遥かに大量の土砂が流出します。土石流の流れの特性や堆積の特性によって、砂礫型土石流、泥流型土石流、土砂流に別けられます。土石流(絵)

 砂礫型土石流の場合は先端部に巨礫が集まっており、直進性が強く、先端部の巨礫による衝撃により大きな破壊力を伴います。先端流速は数m/sであり、しばしば直径2〜5m程度の巨石が含まれています。
 右の絵(「十津川水害と北海道移住」より)土石流は急速度で渓流を下る砂礫型土石流を描いています。先端部に巨礫が集中し、先端部の後には液状の土砂(泥流や土砂流)が後続流として伴います。

 土石流の流下速度が低下して堆積を開始する場所は、谷の出口、扇状地の頂部、支流の合流点、狭窄部の出口、地形勾配が10度以下のところなどになります。
 活火山地域で発生する泥流型土石流は、より勾配の緩やかな場所まで流下するので、危険区域は下流側に拡大します。

 人家五戸以上あるいは学校、病院などの重要建物があるという条件の土石流危険渓流は全国で約8万渓流に及んでいます。土石流災害を回避するためには、砂防ダムのような対策工の他に、危険地域の住宅の移転や住宅の増加防止対策が必要であり、第一には、危険であるとの認識が重要です。

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  岩屑流(がんせつりゅう)
御岳 岩屑流
 岩屑流は空気などの低温のガスと岩屑(岩片)が一団となって斜面を流下する現象です。岩屑流に似たような現象に土石流火砕流がありますが、これらは固体(土砂や岩屑)が何と混合しているかによって区別されています。
 大量の岩屑と空気などのガスが混合するとガスが滑材として作用し、粘性の極めて低い流体のようになって斜面を高速で流下することがあります。岩屑流の発生は大規模な崩壊が発生することが必要な条件であり、地震や噴火が引き金になります。

 明治以降の例としては、1888年の磐梯山の噴火に伴う岩屑流、1923年の関東地震の際の根府川の山津波、1984年の長野県西部地震の際の御岳崩れが知られています。
 文献1によると、「第四紀火山の山麓にしばしば見られる流れ山地形は岩屑流による堆積物に特徴的なもので地質学的に見ると岩屑流の発生する頻度は決して低くないようである。」とあります。

 絵は長野県西部地震で発生した岩屑流の想像図です。当時は雨が降っていたうえに先行雨量もありました。また、堆積状況の調査から岩屑流の下部は土石流に似たような状況であったろうと推定されています。

文献1 栗田ほか 「1984年長野県西部地震の緊急調査報告」 地質ニュース364号 1984

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  火砕流(かさいりゅう)

 火砕流は、火山の噴火によって生じた高温のガスと火山灰や軽石などの火山砕屑物が混ざり合って火山の斜面を急速に流下する現象であり、火山砕屑流ともいいます。また、高温の本質火山物質からなる熱雲も火砕流に含まれます。
 火砕流は火山砕屑物をほとんど含まない熱風の部分(火砕サージ)が先端にあり、地形にあまり影響されずに移動するため、流下速度は時速100kmを越え、到達距離も数十kmに達する例もあります。

 火砕流の発生原因には次のようなものがあります。
@ 中心火口から火山灰などが上方に放出され、その一部が落下して斜面を走流するもの。
A 成長しつつある熔岩円頂丘の一部が崩壊して側方に噴出されるもの。
B 熱い熔岩流の先端などが崩壊して発生するもの。

 西インド諸島のペレー火山で生じた火砕流は、サン・ペール市を全滅させ、約3万人の犠牲者を出しています。

 日本では天明三年(1783)浅間火山の噴火に伴い発生した火砕流が北側の山麓の村落を襲いました。
さらに、この火砕流は吾妻川を一時せき止め、決壊して吾妻川沿岸の村々に大被害を与えました。この災害による死者は死者13,000人以上といわれています。 雲仙 平成新山当時、吾妻川の下流である利根川は東京湾に流れ込んでいましたが、多くの死体が漂着したそうです。東京都葛飾区の柴又帝釈天には流れ着いた人々の墓があり、墨田区の回向院や江戸川区の善養寺には慰霊碑があります。

 雲仙火山では1990年から1995年までの噴火活動により、たびたび火砕流が発生しました。1991年6月3日の火砕流では、死者40名、行方不明者3名の犠牲者が出ました。普賢岳の東肩に噴出した溶岩ドームは普賢岳山頂よりも130m近く高くなり、右の絵のように平成新山に成長しました(絵は仁田峠より平成新山を望む)。山体斜面には多量の噴出物が堆積しているしているため、山麓にはダムや導流堤の設置および緑化工事などの大規模な防災施設が設けられています。

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  斜面の崩壊

 日本は国土の76%が山地または丘陵地であるという地形条件、梅雨や台風などの時として豪雨をもたらす気象条件、脆弱な地質条件など斜面が崩壊する条件が揃っており宿命的とさえいえます。
 いつどこの斜面が崩壊するかは人智を超えた領域を含んでいますが、これまでの多くの斜面崩壊の事例から大まかには危険な斜面と安全な斜面を区分することはできます。

 崩壊が生じやすい斜面
 1. 斜面の傾斜が30°〜50°である場合が多い。
 2. 凹地形の斜面(谷型斜面)に多い。
 3. 斜面勾配が変化する変わり目(これを遷急点といい横のつながりを遷急線という)より下の斜面に多い。
 4. その他、地質構造と関係した流れ盤側の斜面、地下水の湧水となる谷地形の先端(谷頭部)周辺など
 
 一般に、斜面崩壊の土砂は遷急点までの高さの2〜3倍の距離まで流れ落ちることが多いので、斜面末端部からこれ以上の距離を保って宅地を選ぶ必要があります。

 国土交通省では、1.傾斜が30度以上、2.高さが5m以上、3.傾斜地の下に5戸以上の人家があるという3つの条件に当てはまる危険箇所(急傾斜地崩壊危険箇所T)を拾い出していますが、このような箇所は全国で約11万箇所以上あります。

 斜面崩壊による直接的な災害としては家屋の倒壊や埋没および人の死傷あるいは道路などの破壊・埋没などですが、崩壊土砂が渓流へ流れ込むことによって土石流が発生しやすくなり、ときには土石流の発生によって下流域まで災害が拡大することがあります。土石流による災害としては道路や家屋の破壊、河岸の侵食や洗掘、堆積による河床の上昇やこれに伴う河川氾濫などがあります。

 降雨と斜面崩壊との関係では、24時間雨量では200mm、あるいは1時間雨量では20mm以上になると斜面崩壊率が急増する傾向があります。
  
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  活断層と地震
定常的な地殻変動の図
 地球の歴史で最も新しい地質時代(約200万年前〜現在)を第四紀といい、第四紀は、日本列島が全体的に東西方向の圧縮(圧縮応力)を絶えず受ける時代であるとされてきました。しかし、最近の研究成果によると、現在と同じような圧縮応力を受けるようになったのは第四紀後半の数十万年前以降であり、第四紀中期以前の地殻変動には現在と異なる場合があることが分かってきました。
 右の図はGPSの観測で捉えた地殻変動(国土地理院 東海地方の地殻変動 1998年1月から2000年1月までのデータを使用した年間移動速度)であり、単に2年間のデータが示す図からでも東西方向の圧縮を受けている様子がわかります。

 地質学的に最近(一般には第四期後半)活動し、今後も活動して地震を発生させる可能性のある断層を活断層といいます。日本列島にはその形成に伴う地殻変動により無数の断層が存在していますが、現在の圧縮応力によるひずみを開放するのに適した断層が活断層となって活動していると考えられ、数ある断層の中の一部が活断層に該当します。一部に該当するといえども日本列島の内陸部には大小2,000を超える活断層が存在しているとされています。

 圧縮による力が地下の岩盤に加わり、徐々に歪が蓄積されて岩盤が耐えられなくなると大規模な破壊が起きます。すなわち、活断層が動くことによって地震が発生します。大地震が起こると地下の破断面が地表に出現することがあり、地震によって地表に出現した断層を”地震断層”と呼び、これと区別して地下深部の震源域に想定した断層を”震源断層”といいます。
 地震断層は、震源断層の延長が地表に現れたものでありす。地震断層としては、濃尾地震(1891)の根尾谷断層、北丹後地震(1927)の郷村断層、北伊豆地震(1930)の丹那断層、鳥取地震(1943)の鹿野断層などが有名です。

 大都市のような平坦低地は現在の河川の堆積物である泥〜礫によって被われており、地下の岩盤に活断層が存在していても地表では確認できません。活断層が活動しても地表まで変形が及ばないか、あるいは変形が地表まで及んだとしても短期間のうちに堆積物によって覆い隠されて地形として残っていないためです。地下の見えない断層を”伏在断層”と呼ぶことがあります。首都圏では厚い堆積層に被われているため、将来大地震を起こすような未知の活断層が存在しないとは言えないといわれています。

 「文部科学省の地震調査推進本部 地震調査委員会」は、平成8年(1996)以降、断層帯(断層系含む)を評価し、過去の活動、将来の活動、将来の発生確率(長期評価)などを発表しています。今までの活断層の調査によると、活断層の活動間隔は短くても1,000年前後、断層によっては数万年かそれ以上であるとされています。
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  津 波

 地震に伴う海底の変位によって発生する波を一般に津波といい、地震の規模に比べて予想以上の大きな津波を発生する地震を津波地震といいます。地震のほかに火山の噴火や山体の崩壊によって生じる波も津波に含まれます。

 西暦1700年以降の約300年間では死者・行方不明者千人以上出した地震が23回ありますが、そのうち10回は津波による被害あるいは津波が被害を大きくしています。
 1896年(明治29年)の明治三陸地震津波では、津波が三陸沿岸に来襲し、約26,000名もの犠牲者を出しました。この災害は世界各国に伝えられ、それ以後、津波は "Tsunami" として世界共通語になったといわれています。

 津波は外洋ではゆったりとした波であり、波長(波の山と山あるいは谷と谷の距離)は数10kmにもなります。津波の速度は水深に依存し、浅いほど速度が遅くなります。外洋ではゆったりとしていた津波が水深の浅い沿岸に近づくと、波の先端ほど水深が浅いので、水深の浅い津波の先端部にブレーキがかかり、津波の前面に後方部が乗り上げるような形となって波高が高くなります。これを浅水効果といいます。また、V字型の湾内に津波が入り込むと、両側から圧縮されるような現象が生じ、狭い湾奥になるほど波高が高くなります。これを集中効果といいます。また、津波の波長が湾の大きさの4倍程度である場合は、湾奥での波高が次々と高くなる現象が生じます。これを共鳴効果といいます。たらいの水を大きく揺するには、たらいの大きさによって揺すり方のテンポが違うのと同じように、湾の大きさに共鳴しやすいような波長の津波が湾内に侵入すると共鳴効果が生じます。その他、水深が浅い深いによって進路が屈折する現象などが加わり、時には、「屏風を立てたような」、「海の壁」と表現されるような津波が来襲することがあります。

 水深が数十メートル以上ある場合の津波の伝播速度は、重力の加速度に水深を掛け、平方根を取ったもので表されます。水深 4,000mの外洋では、1秒間に約200m、1時間に約700kmの速度で進み、ジェット旅客機の巡航速度と同程度です。水深 100mになると、1秒間に約30m、1時間に約110kmで、高速道路を走る車より少し速い程度になります。
 津波が陸に上がってくる時の速度は、1秒間に約10m程度であるといわれており、津波が目前に迫ってくると逃げるのが困難です。

 津波が川に侵入すると津波の先端部の水面は激しく渦巻くステップ状の形状になります。これを段波と呼びます。段波は段差を保ったまま上流に向かって遡上し、時には川に浮かぶ船を上流に運び上げて橋を破壊するような被害が生じます。

 以前の津波予報では手作業や判断を要していたので、発表されるまでに時間がかかり、津波警報が間に合わないケースがありましたが、1999年からは自動処理技術を用いた新しい監視システムに換わりました。地震が発生し、その地震のデータから予想される津波の来襲時間や高さを計算するのでは間に合わないので、前もって、多くの地震のモデルについてどのような津波になるかを計算しておき、実際の地震の際は最も似かよったものを検索するという方法がとられています。
 地震発生から2分で震度3以上の震度速報、3分で津波予報、これに引き続いて予想される津波の高さなどの津波情報が発表できるようになり、5分前後からは地震の発生時刻、地震の規模(マグニチュード)、震源の位置および大きな揺れが観測された市町村名などが発表され、津波情報が順次追加されます。これらの情報は、地上回線によるオンラインや緊急防災情報ネットワーク、静止気象衛星「ひまわり」などを通して防災機関や報道機関に伝えられ、これらの機関を通じて住民に知らせるようになっています。

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 ハザードマップ

 災害の危険の程度を図面に表した図をハザードマップと呼び、防災地図の一種です。ハザードマップには、浸水危険度予測図、地震災害危険度予測図、火山災害危険度予測図などがあります。
 ハザードマップは将来危険が予想される自然災害について、発生しやすい自然災害の種類、範囲や危険度などを一定の基準で評価して示した地図ですが、警戒避難あるいは砂防計画や土地利用・都市計画を主目的とするかによって内容は異なります。

 あらかじめ危険なところは避けて土地利用する施策を進めるべきであるとの立場から、自然災害を回避するための情報提供手段としたハザードマップをアボイドマップといい、神奈川県の例では、アボイドマップとして、洪水予測区域、斜面崩壊予測箇所、地すべり予測箇所、土石流予測箇所が2〜4の危険度ランクに分けられ、1万分の1のカラー図面に記載されています。また、地震編では、神奈川県西部地震が発生した場合について、がけ崩れ、液状化、津波についても同様に危険度ランクで示した図面が公表されています。 最近では地震の被害想定に伴い、震度予想分布図や津波波高予想図などが国や地方自治体によって発表されています。

 雲仙普賢岳においてはハザードマップとして火砕流、土石流、火山泥流に関する「災害予測図」が作成されました。警戒避難体制を検討するに当たって極めて有効に活用され、人的災害の防止に大きな役割を果たしたといわれています。この災害予測図はその後に実際に発生した現象を比較的精度よく表していたことから、災害予測図が防災に有効であることが実証されました。

 火山のハザードマップは、観光の障害になるという理由で敬遠され勝ちでしたが、最近ではその有効性が認識されるようになり、現在、十勝岳、有珠山、浅間山など17の火山で作成されています。また、富士山でも作成が進められており、災害に対する備えが観光客に安心感を与え、信頼を得るようになってきました。

 ハザードマップによって危険区域の把握がわかりやすい形で住民に普及し、日頃の防災意識の高揚が図られるならば、土地の使用方法の選択や豪雨時の行動などによって、災害の防止や軽減に大いに役立つものと考えられます。用語説明選択メニューに戻る

  

 地盤と地震被害
木造と土蔵の被害率
 軟弱地盤を指して地盤が悪いといわれますが、地盤と震害との関係は、建物の振動特性などと関わっており、単純ではありません。右の図は関東大地震の際の旧東京市内における木造二階建てと土蔵の被害分布を比較した図であり、振動周期の長い木造は地盤の悪いといわれる下町で被害が大きいのに対して、振動周期の短い土蔵は地盤が良いといわれる山の手で被害が大きく、土蔵に限れば地盤の良否と被害との関係は逆転しています。木造と土蔵の被害の例は、震害は地盤だけでなく、地盤と建物の相互関係で異なることが広く信じられてきました。
 ところが、この図が示すような現象に対して疑問**が出されています。当時の資料調査によると、土蔵の減少率と木造の焼失率との間に非常によい相関があることが確かめられ、このことから推定できるのは猛火によって焼かれた下町では震害としての土蔵の被害がカウントされていないというものです。即ち、地盤の悪い下町では木造はもとより、土蔵も大きな被害を受けている可能性が大きいということです。
 
 地震の被害と地盤との関係は、増幅作用、共振作用、被害の進行性など多くの要因があり、それぞれの要因は地盤の硬軟に応じて時には不利に、時には有利に作用し、その総合的な影響は相当複雑であるとされていますが、相当複雑であるといっても、戸建住宅のような木造建築に限れば軟弱地盤で代表されるような地盤で震害が大きく、軟弱地盤イコール悪い地盤ということができます。
 一方、鉄筋コンクリート造のマンションの場合、軟弱地盤で被害が集中している傾向は明瞭でないと理由で、基礎が適切であるなら軟弱地盤が必ずしも悪い地盤であるとはいえません。
 軟弱地盤のほかに、地震に際して注意を要する地盤には、砂質地盤、異種地盤、盛土地盤などがあります。
 都市の拡大によって、新潟地震での液状化、宮城県沖地震での造成地(団地)などの地盤に関連した被害が目立っています。

 * 木造と土蔵の被害率(関東大震災、1923) 大崎順彦 地震と建築 岩波新書 1983より 原典は斎田時太郎の報告書1935
** 1923年(大正12年)関東地震による地震動と地盤 "土蔵の話"は本当か? 武村雅之 地震ジャーナルVol.34 2002

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 災害復旧・復興

 災害以前の状態に戻すことを復旧といい、長期的な展望に基づいてより安全で快適な新しい生活の場を創出することを復興といいます。復興と復旧は対比して用いられることがあります。

 落雷による停電や鉄道の不通など軽微な被害に対しては復旧することによって以前の状態に戻りますが、大災害の場合は道路の拡張や区画整理など復興計画の策定と実施が行われることがあります。
 復興の代表的な例として関東大震災の帝都復興事業があります。帝都復興事業で焼失区域の約九割の区域で区画整理が行われ、昭和通り・第一京浜・大正通り・永代通り・晴海通りなど幹線道路の多くが整備されました。現在の首都東京が首都であり続けることができたのは関東大震災の復興によるものであるといわれるゆえんです。

 現在の都市の緑豊かな環境と災害に強い町並みの多くは災害復興によるものであり、復興計画の廃止・縮小という苦難と挫折を繰り返しながらも全国に多数存在しています。
 但馬地震(1925年)の兵庫県城崎温泉柳並木、昭和三陸地震津波(1933年)の集落高地移転・敷地嵩上げ・防潮堤の建設、函館大火(1934年)の区画整理と幅員55メートルの防火道路(緑樹帯)の増設、静岡大火(1940年)の区画整理および幅員36メートルと30メートルの2本の防火道路や駅前広場の新設、戦災復興における仙台のケヤキ並木(定禅寺通り)、名古屋の100メートル道路(若宮大通公園)、姫路の大手前通り、広島の平和大通りと河岸緑地、熊本の辛島(からしま)公園などは戦災を含めた災害復興から生まれた遺産であり、これを現在の人々が良好な環境として享受しています。

 大災害に見舞われた大多数の被災者は生きることに精一杯であり将来の良好な環境を望むような境遇にはありません。可能ならば時間を災害前に戻してほしいと願うだけでしょう。
 災害復興から生まれた現在の良好な環境は被災者の犠牲の上に生まれた環境であることを知ることは防災の立場からも重要なことではないでしょうか。
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浅草寺の被災いちょう
珊瑚樹の植え込み
珊瑚樹の実
上段:東京都台東区浅草寺の被災イチョウ
中段:歩道右側のサンゴジュ(珊瑚樹)の植え込み
下段:珊瑚樹の果実 
珊瑚樹という名は赤い果実に由来する

火伏(ひぶ)せの木

 神社などには多くの樹木がありますが、イチョウなどのように火災から建築物を守るために植樹されたものがあります。これらの樹木は火伏(ひぶ)せの木とも呼ばれています。

 関東大震災の火災調査を実施した中村清二*は樹木の効力として次のように述べ、実際に樹木によって延焼が阻止された箇所を拾い出しています。
 「樹木ハ種類ニヨッテ防火ノ程度ガ違ウ。松、杉ノ如キハ反対ニ火勢を助長スル有害ノモノデアッテ山火事デモ杉林ノ火ハ中々ニ鎮ラヌ。樹木デ有効ナノハ従来ノ経験デ樫(カシ)、椎(シイ)、珊瑚(サンゴ)樹などが最良で公孫樹(イチョウ)、梧桐(アオキリ)等ガコレニ次グ。ソシテ「プラタナス」モ今度ノ火事デ良イコトガ判ッタガ、コレラノ落葉樹ハ葉ガナイ時ハ効能ガナイ。公孫樹モ寺院等ニコノ目的デ植エラレテイルガソノ葉ガ青イ時ハ良イガ黄変スルト余リ効能ガ無イト伝エラレテイル。」(漢字をカタカナにするなど一部を編集)

 植物は火によるダメージを受けても枯れ死することなく生存する場合が多く、東京では関東大震災や戦災で被災したイチョウなどが現在も生存しています。右上の浅草寺のイチョウがその例です。

 水分の多い樹木としてはイチョウ、ムクゲ、サンゴジュ、アオキ、モクレン、キリなどがあり、含油率の少ない樹木としてはアオキ、イヌマキ、サンゴジュなどがあります。これらの樹木は防火能力の大きな樹種と知られている樹種に一致しており、水分の多さと油の少なさが着火を遅らせたり防止したりしています。
 樹葉などの含水率が20%以下になると樹種に関係なく着火の危険性が高くなることや樹葉の形状・蒸散の持続力のほか、生育状況・樹齢・季節・昼夜などの要因によって防火能力が変化することが実験によって確かめられています。
 防災公園や延焼遮断帯あるいは避難路ではその機能を高めるために防火能力の大きな樹種を植栽する取り組みが行われています。

* 中村清二 「大地震ニヨル東京火災調査報告」 震災予防調査会報告、第100号戊 1925

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 火災旋風火災旋風(絵)

 旋風(塵旋風)はつむじ風とも呼ばれる渦巻状の風です。渦巻状の風としては竜巻を連想しますが、竜巻は積乱雲や積雲に伴って発生するものを指す気象用語であり、旋風とは区別されています。
 旋風は地表近くの不安定な空気が上昇することによって発生するものであり、竜巻と違って雲のない状況下でも発生します。よく見かける旋風としては、公園の枯葉が渦巻いていたり、校庭で砂埃が舞っているのを見かけることがあります。これが旋風です。旋風は竜巻と比べて規模が小さいとされています。
 火災旋風は大火災ならば常に発生するとは限りませんが、関東大地震の際は東京に限らず、横浜や小田原にも発生しました。特に注目されるのが本所の陸軍被服廠跡であり、火災旋風に襲われて44,040人*1の人が焼死または窒息死しました。この想像を絶する惨事は関東大地震を象徴する出来事であり、昭和5年にこの地(現在の墨田区横網町公園)に慰霊堂が建立されました。
 関東大地震の直後に実施された調査によると火災旋風という用語が用いられましたが、陸軍被服廠跡を襲ったのが旋風だったのか竜巻であったのかは、現象がかなり解明された段階で決めてよいこととして竜巻という用語を用いる研究者*2もいます。
 関東大震災の火災旋風の調査を担当した寺田寅彦は、@今回の旋風は火災の進行しつつある場所付近にのみ起こり、その現象は普通の旋風または塵旋風と同型のものである、A旋風の起こりやすいあるいは襲われやすい場所があるらしく見える*3とし、風の強さについては通常の暴風雨と違うような驚くべき風が吹いたということは疑わしく、研究者によって1秒間に70、80m〜100m程度であろうと推定されている*4といっています。この風速を現在用いられている竜巻の強さに当てはめると、F(藤田)スケールでF3からF4程度になります。アメリカでは最大F5クラスの竜巻が発生しますが、日本ではF3クラス(茂原1990、豊橋1999)が最大*5であるそうです。このことから、関東大震災で発生した火災旋風の強さは日本で発生する最大級の竜巻と同程度かそれ以上であろうと思われます。この旋風は火の粉や火炎、あるいは一酸化炭素を包み込んだ強烈な渦巻きであり、条件が揃うと火災旋風という恐るべき現象が生じるようです。

*1 中村清二 「大地震ニヨル東京火災調査報告」 震災予防調査会報告、第100号戊 1925
*2 相馬清二 「大火災に伴う竜巻」 防災科学技術総合研究報告 1973
*3 寺田寅彦 「大正十二年九月一日ノ旋風ニ於イテ」 震災予防調査会報告、第100号戊 1925
*4 「旋風について」 寺田寅彦全集第15巻 岩波書店 1998
*5 「建築物の旧風被害」 建築研究所 BRI NEWS Vol.37 「建築物の強風被害」2007


絵は現在の都市に火災旋風が発生した場合の想像図です。(パソコンで描画)

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 大雨・豪雨

 広辞苑によると、大雨とは「ひどく降る雨」、豪雨とは「一時に多量に降る雨 大雨」とあるように、大雨も豪雨も、一時的に多量に降る雨を意味します。気象庁警報基準例(グラフ)
 大雨は広く一般に用いられる言葉ですが、気象庁の予報用語では「大雨注意報基準以上の雨」に限定して用いられます。また、豪雨とは「著しい災害が発生した顕著な大雨現象」、集中豪雨とは「警報基準を超えるような局地的な大雨」とされています。
  なお、大雨注意報や大雨警報の基準は地域ごと、あるいは平地と山地ごとで異なっており、発令は1時間雨量、3時間雨量、24時間雨量、総雨量などによって定められています。右のグラフの例に示すように、通常から雨の多い地域では基準が高く設定されています。

 雨が多いことで有名な和歌山県の尾鷲市では日降水量100mm以上の日数が年に平均9.1日もあります(理科年表 1971〜2000年のデータ)。雨の多い地域ではある程度の雨量に耐性を持っていますが、同じ雨量であっても、雨の少ない地域ほど災害に結びつく可能性が大きくなります。このことは、平野あるいは山地などは斜面の崩壊、土石流、洪水、河川による土砂の運搬および堆積などの度重なる現象を経て形成された自然の地形であることを考えると当然のことであり、災害はその地方の降雨条件と深く係わっています。
 日ごろ経験しないような大雨であればあるほど、洪水や土砂災害による被害が頻発し、大型化することになります。この雨はただ事ではないと感じたときには既に避難そのものが危険になっていることから、前もって避難できるような社会環境が望まれます。

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 防災の日

 「防災の日」の9月1日は関東大地震*1が発生した日です。この日を記憶にとどめて災害に備えようと、昭和35(1960)年6月17日に「防災の日」(9月1日)が閣議了解され、翌年に制定された「災害対策基本法」によって「防災の日」が創設されました。また、台風が来襲する厄日とされる、立春から数えて210日目(二百十日)がほぼ9月1日に相当します。
 「災害対策基本法」の制定と「防災の日」の創立は、昭和34(1959)年の伊勢湾台風*2が契機となっており、制定・創立の直前ともいえる昭和35年5月23日にはチリ地震津波*3が来襲するなど、誰もが防災を意識していた時期でした。また、昭和57年より、9月1日の防災の日を含む1週間が防災週間と定められました。
 
 国の「防災の日」に加えて、岐阜県では濃尾地震*4の発生した10月28日を「岐阜県地震防災の日」、宮城県では宮城沖地震*5の発生した6月12日を「県民防災の日」などのように、独自の防災の日を定める自治体もあります。

*1関東大地震 大正12(1923)年9月1日、マグニチュード7.9、死者・行方不明者105,000余人。住家全潰10万9千余、焼失21万2千余。火災による被害甚大。
*2伊勢湾台風 昭和34(1959)年9月26日〜27日、死者4,697人、不明401人。
*3チリ地震津波 昭和35(1960)年5月24日に津波来襲、日本全体で死者・不明142人。
*4濃尾地震 明治23(1891)年10月28日、マグニチュード8.0、死者7,273人、建物全潰14万余。
*5宮城沖地震 昭和53(1978)年6月12日、マグニチュード7.4、死者28人、その内、ブロック塀などの倒壊による圧死が18人。


【参考】
昭和35年6月17日 閣議了解
政府、地方公共団体等関係諸機関をはじめ、広く国民が台風高潮、津波、地震等の災害についての認識を深め、これに対処する心構えを準備するため、「防災の日」を創設する。
 「防災の日」は、毎年9月1日とし、この日を中心として、防災思想の普及、功労者の表彰、防災訓練等これにふさわしい行事を実情に即して実施する。
 上記の行事は、地方公共団体その他関係団体の緊密な協力を得て行なうものとする。


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 マグマ水蒸気爆発
マグマ水蒸気爆発
 マグマが地下水や海水などの水と接触すると急激に大量の水蒸気が発生して、爆発的な噴火現象が起こります。この爆発的な噴火現象をマグマ水蒸気爆発と呼び、噴出物の中にマグマ由来物質を含むのが特徴です。マグマ水蒸気爆発の発生にはマグマの熱が水に短時間で移動できるようなマグマと水の接触状態が必要になると考えられています。なお、地下水や海水などの水がマグマに熱せられることによって水蒸気の圧力が徐々に高まり、その圧力が山体の強度を越えると山体の一部を吹き飛ばすような爆発が発生しますが、このような爆発を水蒸気爆発と呼び、マグマ水蒸気爆発と区別しています。

 1952年(昭和27年)の明神礁*の噴火では、海上保安庁の観測船第5海洋丸が遭難して乗組員および調査団全員の31名が犠牲になりました。突然にして、絵に示すようなマグマ水蒸気爆発に遭遇し、これに伴って発生したベースサージ(海面をはうように高速で流れる火山ガスと火山灰などの混合物)に巻き込まれたものと考えられています。

 水蒸気爆発の代表的な例としては、1888年(明治21年)の磐梯山爆発があり、山体崩壊によって爆裂火口(巨大地すべりの滑落崖)が形成されました。水蒸気爆発・山体崩壊・岩屑流の発生により、死者行方不明者約500人という大災害となりました。

 産業分野での事故に蒸気爆発あるいは水蒸気爆発と呼ばれる爆発があり、溶融金属と水との接触によって発生しています。(水)蒸気爆発が発生すると爆風とともに溶融金属が周囲に飛び散るため、人的・物的損害が大きくなり、飛散した高温金属が付近の可燃物に触れて出火することもあります。また、原子力発電所おける蒸気爆発の可能性についても検討・研究が進められています。

*明神礁 昭和27年9月17日に海底噴火があり、これを発見・報告した漁船「第十一明神丸」の名前を取って、この山体を「明神礁」と命名された。明神礁は東京から約370km南下したベヨネーズ列岩の東北約10km付近、明神礁カルデラの北東縁に位置する円錐形の山体であり、1870〜1970年までの100年間に11回の噴火を起こしている。測量船「昭洋」搭載の無人測量船「まんぼうU」による1999年(平成11年)の調査によると、最浅部の水深は50mで火口頂部付近から気泡を噴出している。

蒸気爆発の科学-原子力安全から火山噴火まで- 高島武雄・飯田嘉宏 裳華房 1998
磐梯山爆発 米地文夫 古今書院 2006
日本周辺海域火山通覧(第3版) 海洋情報部研究報告 第40号 2004



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