博士の愛した数式
原作を読んだ後にこの映画を見た。
原作を読んでいる間は映画の寺尾聡や深津絵里、それに浅丘ルリ子のイメージが
ちらちらと頭をよぎる。
映画を見ているときは原作はこうなっていたという思いが頭をよぎる。
誠にやっかいなものだ。
原作と対比すると映画は数学の難しいところは省略したりして比較的無難にまとめて
あった。
浅丘ルリ子演ずる義理の姉の出番が多かったし、博士との関係も早めに観客に
分からせるストーリーにしてあったのでスリリングではないけれどわかりやすくしてある。
この映画のポイントはいろんな数学用語をどう扱うか。
そこのところが難しいんじゃなかろうかと考えていたのだが、家政婦の息子であるルートが
成人して数学の先生になり生徒の前で回想的に話すところで説明するというやり方は
脚本段階でうまく処理したと思う。
後半やや物足りなく感じたは博士の記憶が80分から次第に短くなるくだりが省略されて
いるとか義姉との関係がわりかしあっさり描かれていたりしたためだろう。
記憶時間が徐々に短くなるという話を挿入しておけば、博士の先行きを暗示できた
はずだしもう少し緊迫感がでたと思う。
それによってラストシーンがもっと生きたのではないだろうか。
問題は江夏の処理。
原作ではかなり重要なポジションにあったのだがこれもあっさりめの表現。
義姉が家政婦に対して抱く嫉妬心もわりかし淡々とした表現にとどめていた。
まあ、あまり盛りだくさんに話を入れ込む是非もあるが、それでも義姉の気持ちは
もっと沸々としたものを出しても良かったように思う。
むかし自分が中学生や高校生だった頃、数学は比較的好きな科目だったから原作は
昔を思い出しながら結構楽しく読めた。
特に幾何の証明問題は少ない定理を使って頭の中で解を組み立てるのは嫌いでは
なかった。
ただ解答がえられても回りくどいものになるときは余り気持ちのいいものではなかった。
もっとすっきりした解はないものかと考えなおしたりした記憶がある。
この映画で言うところの「証明は美しくなければならない」ということに少し共感出来る
気はする。
多少なりとも数学が好きだった人間にはそれなりに楽しめた映画だったが数学の嫌いな
人にはどうだったろうか。
数学に縁のなさそうなオバサン(失礼!)がたくさん見に来ていたが。
(☆☆☆☆)
(2006.2.23)
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