海の上のピアニスト 


以前2度ビデオを借りたが途中まで見ることが出来ず3度目に
してようやく最後まで見通した。

なんで最後まで見られなかったかというと、この映画に漂う何とも
言えない「くささ」と「違和感」によるものだ。
今回も見るには見たが、違和感はぬぐい去ることが出来なかった。

船で育った子供が突然ピアノを弾き出す。それってありなの。
誰に教わったなんて事はひとっことも注釈なし。
海上が荒れる中、ピアノがあっち行きこっち行きしながら悠然と
ピアノを弾くなんて呆気にとられる。
ぼろ船に最後まで残っていたけど船から下りることもせず一体何
喰って生き延びていたのかね。

この映画で言いたかったことは最後の独白か。
ピアノという有限の道具を使って音楽という無限のものを演奏する。
ニューヨークに下りなかった理由は、ニューヨークという無限の可能性を
持つ(手段としての)都市に対する恐れ。
有限のものから無限のものを引き出すことの方にこそ高い意味付け
があるとおっしゃりたいらしいが、問題は手段ではなく結果だと思うのだが。
この結論は全く理解しがたい。


(☆☆)


(2004.12.28)