マジェステック 

この種のアメリカ映画の典型的なものを見る思いがする。
典型的というのは、
 1)第二次世界大戦後の良き(実際には赤狩りがあったりして必ずしも
   そうとばかりは言えないが)時代を背景に
 2)やや保守的な気のいい人の住む小さな町を舞台にし
 3)陰の少ない好青年が主人公
 4)ハッピーエンドの話
という条件が揃っていることだ。

話は、ハリウッドで脚本を書いている主人公が、突然赤狩りに巻き込まれる。
そして車の事故で記憶喪失に。助けられたところが(たぶん西海岸の)とある
小さな町。そこで、戦死したはずの息子にそっくりということで、息子が帰って
きたと町のヒーローになる。話はそこから展開していくのだが、主人公がいつ、
どんな風に記憶を取り戻すのか。記憶が戻ったときにどうなるのだろうかという
ことを観客に想像させながら話は進む。  

結局ハッピーエンドになるのだが、む・む・む・・・。という感じだ。
最後はやりすぎだと思うんだが。自分がストーリーを書くのならこうするだろう。
  
  主人公が町の戻る。
  そこには彼女だけが待っていた。
  そこで、彼が聞きたいといっていた質問を発する。
  (この質問は何か。たぶん自分を愛しているか?だろう)
  彼女がどう答えようかとしているうちに、彼が町に戻ったことに気が付いた
  町の人が三々五々に集まってくる。
  その人の輪が次第に大きくなる。そこでカメラは俯瞰して引いてエンディグ。

てな具合だろう。

手法は目新しいという感じはなかった。ストーリーの中で映画館再興の場面
が出てくるのだが、あそこは「ニューシネマパラダイス」と重ね合わせながら見て
いた。
スクリーンに二人が抱き合うシルエットが映るシーンもあるがどこかで見た覚え
があるんだがなー。

それにしてもアメリカ映画というのはどうしてこうまでストレートに描くんだろう。
文学でいう、行間というのがない。見る人に豊かに想像させるという部分が
極めて少ない。昔からそういうきらいはあったが最近の映画は特にそうなので
はないのか。観客のレベルがそうしているのだろうか。

この中で、赤狩りの話が出てくるがなぜ今こういうことを背景にした映画が作
られるのかを考えてしまう。アメリカの中にも閉塞感がかなりあるということの
表れか。

この映画を見たのはNHKの「ラジオ深夜便」で紹介していたからなんだが、
紹介者がいい映画だと言いつつどっかで歯切れの悪い観もあったのだが
見終わってそれが分かった気がする。決して悪い映画ではないけれど。
タイトルは「Majestic」だが、中身はそうはいかなかったな。

映画とは全く関係ないけれど、このときの「ラジオ深夜便」の担当アンカーは
宇田川清江さん。この人の話し方は歯切れが良く聞いていて気持ちがいい。
最近のアナウンサーは言葉がこもる人が多い。
宇田川さんの話っぷりは江戸っ子の雰囲気がありしゃきっとしている。
こういう人が少なくなり、隣のお姉さんみたいなのばかり多くなって
困ったものだ。