Dear フランキー
ややお涙ものっぽい気もしないわけではないが、話の展開が一風変わって
いたので良しとしよう。
でも、ちょっと線の細い映画って印象だな。
イギリス映画らしいけれど、英語とあと何語が話されたいたのだろうか。
よく分からなかった。確か英語以外の言葉が飛び交っていたように思う。
ヨーロッパの映画って言うのは大体光の調子が弱い。日本やアメリカ映画の
ようにぎんぎんに光を使わない。日常の生活でもさほど照明を明るくしないことに
起因しているのだろうが。暗いトーンの画面がしっとり感を生んでいる。
「耳飾りの少女」と言ったっけ。あの映画は光の使い方が抜群に印象的だった。
父親役の俳優は「オペラ座の怪人役」なんだそうだが、この映画の方が遥かにいい。
最も「オペラ座」の時は面をかぶり俳優として演技する場面が少なかったような
気がする。
ところで息子は本物の父親が死んだことを知るのだが、どうして知ったのでしょうか。
画面でそのそぶりを見せないのはずるいぞ。(自分が気づかなかっただけ?)
母親が、父の具合が悪いと言ったから?そうかな。
最後に息子が手紙を書いたのは、息子への手紙の差出人が母親であることを知って
その母親に出すつもりだったのだろうか。映画はそこを説明していない。
ある映画評論のHPでは、これまでの不自然な親子関係に気づいた息子がそれに
終止符を打つために書いたものとの説明があった。
本当にそうかどうか分からないな。もし息子が、父親が偽物と気づいたとしたら
どこかでそんな伏線をちらっとでも見せておくべきなんではないかなー。
むしろ偽物の父親に出すために書いたものと思った方が素直な気もするが
駄目かな。
地図を片づけたのは、父親に会って今までの鬱積したものが消えたからという
解釈は駄目かな。やっぱりだめか。
☆4個は甘め
(☆☆☆☆)
(2005.9.18)
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