長崎の旅

空港からリムジンバスで長崎駅前に着いたのは夕方。駅前の雑踏を見ると普通の中都市という印象で、イメージしていたものとはいささか違った。
その日は稲佐山にロープウェイで登り夜景を見た。この夜はさすがに11月下旬だけあって頂上は寒かった。上のレストランで食事をし早々に引き上げた。

次の日から観光を開始。乗り物を使わず出来るだけ歩くことを心がけた。万歩計をつけて一日の歩行数を数えたら、3万歩にもなったがおかげで地理はかなり把握できた。
初日は出きるだけ歩いたが、やっぱりさすがに疲れる。長崎で便利な乗り物は路面電車。これはいい。距離に関係なく一回100円。しかも乗り継ぐ場合でも乗り継ぎ券を渡してくれるので100円でOK。待ち時間も比較的少ない。だから市民の足として定着しており、乗車率は高い
観光客には一日券が500円というのがうってつけ。

観光シーズンからは外れているのでどこも人は閑散としており、ゆっくり見物できる。店の人や観光窓口の人も暇なものでよく話をしてくれる。
オランダ坂にある”地球館”に入ったとき、ここのおばさんに長崎の成り立ちを説明してくれた。それを聞いて初日長崎入りしたときに感じた長崎の印象ギャップの理由がわかった。その説明によれば、今の市街地の多くは海を埋め立てて開いたところ。昔からの建物が残っているのは、山の手。確かに観光地に行こうとすると大体は坂道を上っていくことになる。オランダ坂に来てようやく、あ・長崎がここにあったという気がしたものだった。

長崎というと、まず「教会」が頭に浮かぶが、実はお寺の多い町だ。キリスト教に対抗したという事でもあるまいが。オランダをはじめとする西洋的な雰囲気もあるが意外と中国文化の影響も色濃く受けている。孔子廟や崇福寺などがその代表格だ。江戸時代外国との貿易窓口であったからいろいろな国の文化を吸収したということだろう。

原爆の傷痕は平和公園とその周辺でしか感ずることは出来ない。もう遠い出来事という印象だった。ただ、原爆資料館で見たビデオで、世界で行われた原水爆実験回数は2000回を越えその半数以上がアメリカであるという事実を知らされた。この事実を前にして昨今のならず者国家に始まる一連のアメリカの行動がどう正当化されるのかまったく不可思議なことだ。

長崎には3泊したが、ずっと晴天。気持ちのいい旅が出来た。