浦上天主堂と如己堂

浦上天主堂
JR浦上駅の東 高台に立つ。
原爆により破壊され、今の建物は戦後建て直したもの。
丁度ここを訪れた日は日曜日だったので教会ではミサを行っていた。白いベールを頭に被ったおおぜい信者が祈りを捧げていた。外国で教会を訪れたことは何度かあるが白いベールを身につけているのを見たのはここが初めて。この時期観光客は少ないとはいえそれでもそこそこの人数はいる。我々観光客は後ろで見ているのだが、厳粛な場所を邪魔しているようでいささか気が引けた。

天主堂前に残る原爆の傷跡を残す像。
首が取れたり、石が黒く焦げたような痕は今見ても痛々しい。

左は天主堂前に立つマリア像。清楚な顔立ちが印象的だった。

右は片足鳥居
浦上天主堂からは少し離れたところに立っている。
原爆で半分が吹っ飛んだが、半分は奇跡的に残った。吹っ飛んだ片方はすぐそばに横たわっている。



如己堂
如己堂と書いて「にょこどう」と読む。
自らも原爆の被害者でありながら、原爆にあった人の救済活動をした永井隆博士の住居。6畳一間しかない狭い家で、戦後はほとんど寝たきり状態だったようだ。
永井博士という名前は記憶のどこかにあったが、詳しいことは何も知らず。戦前から結核患者を多数診ていたが、劣悪な放射線医療環境のため自ら白血病にかかる。そんな中さらに原爆の追い打ちを受ける。
如己堂という名前の由来は、「己の如く隣人を愛せよ」というキリスト教の教えからとったもの。
現下の世界で、キリスト教を奉ずる人の多い国がはたして「己の如く隣人を愛せよ」という教えに従っているかという問題はさておき、永井博士のような人にそういう問いかけをされると身動きできなくなってしまう。
隣に建つ観光客が他に誰もいない記念館で「長崎の鐘」の直筆の楽譜を見ていると、館内に藤山一郎が歌うその唄が静かに流れる。唄にあわせて目がオタマジャクシを追う。言葉にならない何かが体を通りすぎるのを感じた。