『ラッセル 教 育 論』を読んで


ここでは本書の各部から、興味を持った記述を取り上げて、感想をまとめてみた。

第1部 教育の理想
第2章 教育の目的


 「近代の日本は、あらゆる大国の顕著に見受けられる一つの傾向を最も明瞭に示している。
――つまり、国家を偉大にすることを教育の至上目的とする傾向である。日本の教育の目的は、
感情の訓練を通じて国家を熱愛し、身につけた知識を通じて国家に役立つ市民を作り出すことにある。」(p50)

 ラッセルが「教育論」を発表した1926年といえば、日本は大正末期であり、彼の言う
「近代の日本」の教育は、明治政府の富国強兵路線上にあった。大正時代は、
護憲運動が起こり1925年に普通選挙法が公布されるが、同時に治安維持法公布といった
思想統制が厳しくなりつつあった時代である。そのような「日本の教育が生み出した人間は、
あまりにも独断的で精力的になるおそれがある」とラッセルは指摘する。
やがて「国家のために」という教育を受けた世代が教師となり、戦前・戦中軍国主義下「国体」重視の
初等中等教育を担うようになる。

 最近、三浦綾子原作「銃口」の劇を観る機会があったが、これは1941年、北海道を舞台に生活綴方の
教育運動に関わる熱心な教師等八十余名が逮捕された史実に基づく内容であった。
「良心の尊さ」「人間の平等」を教えようとする教育者が、治安維持法違反に問われ、
逮捕・拷問されるような時代。しかし、これは60年ほど前の事実である。

 今の日本の教育はどうであろうか。戦時中のように「お国のために命を捨てる」という考えを持つ人は、
まずいないだろう。それは戦後の教育方針が大きく転換したからだ。

 教育基本法第一条(教育の目的) 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、
真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に満ちた心身ともに
健康な国民の育成を期して行わなければならない。

 ラッセルがこれを知ったら何とコメントするか・・・。「日本は敗戦という高い代価を払って、
やっと気づいたか」と言うであろうか。

 しかしながら、この条文は日本の教育の本質として尊重されていただろうか。残念ながら、
敗戦後国民に科せられた教育は、焼け跡方からの復興期とそれに続く高度経済成長期を
支えるために「働く」ことができる国民育成の手段であったとも言える。生産性を向上させ、
利益を上げる「企業戦士」に代表されるような「ばりばり働く人材」を生産することが、
いつのまにか教育の目的になってしまっていたのではないか。

 まだ長期入院児の教育に関する理解が広く得られていなかった十年ほど前、
大学病院内に院内学級を設置する運動の中心だった方が、講演の中で語ったエピソードは強烈だった。
彼女は小児がんのお子さんを抱えた小学校教諭だった。入院が長引く息子さんの看病を通じて、
教育の必要性を痛感していた。親の会を結成し、入院している子どもたちに教育が
必要であることを行政に訴えに行くと、教育委員会の役人がこう言い放った。
「教育は、未来に役立つ子どもに必要なのであって、もうすぐ死ぬような重い病気の子どもに
教育なんていらないでしょう。」将来性の無い子どもにお金をかける必要はないということか。
教育に携わる人の口から出た言葉とは信じられない、悔し涙を堪えられなかったと、
その時も声に詰まっておられた。そこには教育基本法の崇高な理念は片鱗さえもなかったのだ。

 病院内学級で教師をしてきた私は、教育基本法の最初にその目的が「人格の完成をめざし」とあることを
厳粛に受け止める。
この10年間に何人もの子どもたちを天国に見送った。学級に転校してきたときには、
すでにターミナル期を迎えている子どももいた。もう数ヶ月しか生きられない子どもたちに
いったい何を教えることができるのか。
それでも、多くの子どもたちは学びを欲していた。地元の学校で友だちが教室で勉強しているのと
同じ単元をやることで、安心感を得ていた。場所が病院のベッドの上であっても
仲間と同じことをしたいと思うのである。さらに、知らなかったことを知る喜び、できなかったことが
できるようになる喜び、死に近づいていても子どもたちは新しい発見をしては、その笑顔を輝かせていた。
そういう子どもたちから学んだことは「子どもは死ぬまで成長を続ける」という事実であった。
だから教師の役割はその人生の完成、人格の完成を手伝うこと、
言い換えれば命の完全燃焼を助けることだと気づかされた。
彼らは就労年齢まで生きることができず、納税者として国に貢献はできない。
ビジネスマンやNPO職員として国際舞台で活躍する将来もない。しかし、短くても尊い一生を全うしたとき、
彼らを知る周囲の人間の生き方に多大な影響を与えて、この世を去っていくのである。

 2003年3月、中央審議会は「新しい時代にふさわしい教育基本法と教育振興基本計画の在り方について」
答申を発表した。
改正の方向によれば、「教育は人格の完成を目指し、心身ともに健康な国民の育成を期して
行われるものであるという現行法の基本理念を引き続き規定することが適当」とある。
一方で「なぜ今教育基本法の改正なのか」「戦前のナショナリズム復活につながるのでは」と
警戒する声もある。77年前のラッセルの警告が当てはまるような時代の逆行だけは避けなければならない。

第2部 性格の教育    
第3章 恐怖


 「いわれのない恐怖は決してただ放っておくべきではなくて、弱い形でそれに慣れるようにして、
だんだんと克服しなければならない。」(p110)

 入院した子どもたちにとっての「恐怖」について考えてみたい。それまで一応「健康」であった子どもが
「病気」というレッテルを貼られ、入院する。まず「病気」というものが「恐怖」の対象となる。
自分の病気がどのようなものか説明を聞いて納得できる年齢ならば、ある程度恐怖は軽減される。
(あくまでも信頼関係の成立した相手から適切な説明があればの話だが。)
大人であっても「本当に治るのか」「どんな検査をするのか」「痛みは伴うのか」「本当にこの治療で良いのか」
・・・これまでの自分の経験、見たこと、聞いたこと、本で読んだことを総動員して
対処しようとしても、恐怖は次々襲ってくるものである。

 知識や経験のない幼い子どもたちはどうか。日本では、医療者が「ちょっとチクッとするよ。」と言ってから
注射をするのはまだいい方で、子どもが何も言われず処置室に連れて行かれ、いきなり2,3人の大人に
押さえつけられて採血をされるという場面も珍しくはない。針を刺される痛みより、
訳も分からず「動いちゃダメ!」と押さえ込まれた恐怖の方が心に深く傷として残っていると、
幼い頃の経験をある大学生が語ってくれた。

 欧米の多くの小児病棟にはプレイスペシャリスト、プレイセラピストあるいはチャイルドライフ・スペシャリストと
呼ばれる遊びの専門家が配置されている。彼らは、単に入院児の遊び相手をするたけではなく、
病児の発達や心理に関する知識と経験に基づき「プリパレーション」を行っている。プレパレーションとは、
手術や麻酔、処置や検査、あるいは治療や入院生活のガイダンス等を説明するために、
幼児や学童向けの絵本やイラスト、人形、写真、ビデオを用いて、子どもが治療を理解し、
不安を軽減し、治療に積極的に参加できるようにするものである。

 幼児でも「お医者さんごっこ」をしながら、これから受ける処置を疑似体験することで
恐怖心を和らげることができる。CTスキャンの模型にお人形を寝かせて、
「こういう機械の中に入るけどちっとも痛くないのよ。」と写真も見ながら説明を受ければ、
巨大な装置も「見たことがある」ものとして恐怖感は薄れる。この注射は痛いけど、
病気をやっつけるためにはどうしてもしなければならないものだと本人も納得すれば、
「がんばって受ける」ことができる。周囲もそのがんばりを評価して賞賛する。受け身ではなく、
自分が自分の治療に参加することによって「ヒーロー」として誇りをもって検査や処置に臨むのである。

 訴訟社会と言われるアメリカでは、医療過誤保険料高騰も起因し医療費が驚くほど高い。
チャイルドライフ・スペシャリストによるプログラムの恩恵を受けられるのは、
民間保険に加入している一定レベル以上の社会階層に属する子どもたちであろう。
ホスピタルプレイセラピー発祥の地であるスウェーデンでは、国民皆保険制度をとり
16才以下の小児の入院料金は無料である。1997年にいくつかの病院を視察したが、
入院でも外来でも、患児のみならずその兄弟姉妹までもが、プレイセラピストによる遊びのプログラムを
享受していた。2002年訪問したシドニー、ロンドン、香港においては、プレイスペシャリストのサービスを
受けるにあたり、通常の医療費に加えて患者に特別な費用負担が生じるという話は聞かなかった。
プレイスペシャリストが常駐する小児病院(病棟)では、
小児医療の一環としての質の高い「あそび」が提供されていた。

 2002年秋来日した英国ホスピタルプレイスペシャリスト教育機構代表のパメラ・バーンズ氏は
「遊びは医療でもある」というテーマで講演し、「子どもは何が行われるのか、
治療や検査に関する情報を与えられなければならない」と、プリパレーションの重要性を強調した。
最後に、入院している子どもに専門家による「あそび」が提供されることは、
決して「贅沢なこと」ではないと話をしめくった。

 日本でもこのようなプリパレーションがごく日常的に行われるようになることが望まれる。
2002年4月、診療報酬制度が改定されて、常勤保育士に診療報酬点数が加算されるようになった。
(当該病棟に、15歳未満の小児の療養生活の指導を担当する保育士が1名以上常勤していること、
30uのプレイルームがあること、そこには、小児の成長発達に合わせた遊具、玩具、
書籍等があることが条件)現在、国立成育医療センターには6人の常勤保育士がおり、
神奈川県立こども医療センターには、非常勤で2人の保育士が配置されているなど、
徐々にではあるが保育士の導入は進んでいる。しかし、まだ病棟保育士としての専門知識や
プリパレーションの技術を体系的に学ぶ機構が無く、そのコースの在り方を検討しているというのが現状である。
医療スタッフに時間的・精神的余裕が生まれるような環境改善を急ぐとともに、
スペシャリストとしての病棟保育士の養成と適切な配置が必要であろう。

第3部 知性の教育
第14章 一般的な原理 


 「教育を通じて、その最初の日から最後の日まで、知的冒険の感覚がなければならない。
・・・これまで謎であったものが解けたという感覚は、爽快で愉快なものである。
・・・自発的にひとりでする勉強は、生徒に発見の機会を与える。そこで、
何もかも学級で教えられる場合よりもずっとたびたび、またずっと強烈に、
知的冒険の感覚が与えられるのである。可能な場合はいつでも、生徒を受動的でなく、
能動的にさせることだ。」(p268)

 「知的冒険」という表現は、私にとって理想の教育の在り方である。時にはジャングルの中を
行く手を阻む枝葉を切り倒しながらそろりそろりと歩みを進め、時には広大な砂漠を四輪駆動で突っ走る
・・・どきどき、わくわくするような感動を学習の中で子どもたちと共に分かち合いたい。
冒険をするためには、安全確保のための入念な下準備と計画、そして最初の一歩を踏み出す勇気が必要だ。
ラッセルは「よい教師ならだれでも、その感覚を与えることができなければならない。」と言うが、
その「よい教師」であるために相当高いスキルが要求される。教師自らが知的冒険の中に常に身を置いているか、
愉快で爽快なフレッシュな体験を重ねているか、が問われる。
教師が一流の冒険家なら、一流の冒険家を育てることができる。一緒に歩きながら、知識を授けるよりも、
宝探しのちょっとしたコツをアドバイスする、そして子どもたちが宝を発見したら「すばらしい!!」と歓声を上げ、
彼らと共に喜ぶ存在でありたい。気をよくした子どもたちは、さっそく次の宝探しに取りかかることだろう。
「能動的」な学習の増幅と循環がさらにスリリングな知的冒険へと誘うのである。

                                                  以上


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