The Theory of English Reading

第一部 文法力追及編

 

 

第一章.英文読解とは何か−前提と目的

1−1.前提−今なぜリーディングか 

  英語のリーディングと言うと、「リーディングはもういい」、「実践的なことがやりたい」といったような批判的な応答が返ってくるかもしれない。しかし、まごうことなくリーディングも英語の4技能の中に含まれていることを考慮すれば、これは奇妙な話と言わざるを得ない。数多くの人間にとって事実上不可避となっている受験英語の問題では、一見読解問題の様相を呈しながら、その実、英文を本質的に読み解けていなくとも解答には窮しないものが少なくない。人々は大学入学の時点でもう十分にリーディングを勉強したという錯覚を覚え、むしろそれ以外の技能を伸ばしたいと考えるようになる。しかしながら、受験生にしても、大学生にしても、平均的に見てリーディングの力がそれ程十分にあるとは思われない。筆者の父が経営している塾から、ここ78年は毎年、東大、京大、阪大、慶應、早稲田などの難関校への合格者が出ており、少なくともここ23年の生徒に関しては筆者も直接英語を教え、その能力も熟知しているが、その中に受験で出題されるような英文を本質的な意味で読み解けていたものは少ないというのが筆者と筆者の父の共通の見解である。彼らが大学に進学して、全員が全員、爆発的に英語の力が伸びるということはまずあり得ないと考えられるため、難関大学の学生だからといって、英語をそこまで読めているとは限らない、という主張も、強ち的外れとは言えまい。

 本論は、それゆえに、本質的なリーディング法、つまり、決して受験英語という偏狭な枠組みに捉われた紛い物のリーディング法ではなく、現代社会で求められるあらゆる英語読解能力(英字新聞の読解、雑誌の読解等)の養成を目的とした、純然たるリーディング法の探求を試みるものである。一方で注意を促しておきたいのは、本論において、筆者は近年人気を獲得しつつある各種読解理論に迎合するつもりは毛頭ない、ということである。筆者のスタンスは、あくまで伝統的な文法訳読法の中に本質を見出すというものであって、近年主流の読解理論にはむしろ懐疑的ですらある。そういった読解理論をよく思わず、相変わらず文法訳読の重要性を説く人はそれなりにいるにもかかわらず、彼らの中に文法の真の活用法を具体的に示している者が殆どいないという事実も、筆者をこの論題へと駆り立てた一つの要因と言えよう。

 

1−2.近年主流となっている読解理論への懐疑と真の文法力

近年、読解のストラテジーは、伝統的な訳読主義から談話文法の知見やスキーマ理論の観点を取り入れたものに大きく変化しつつある。そして、精読よりも多読を、という声が高まりつつある。しかし、この流れを筆者は嘆かわしいことと思う。大学生、あるいは受験生の実情を分かっている人なら、何が一番欠落しているのか、すぐに気付く筈だからである。談話文法に重点を置く人は、「これまでの読み方では一文一文は訳せても、テクスト構成の規則を知らないから全体を理解することはできない」と言う。しかし、これは、一文一文は時間をかければ訳せるけれども、それを訳すのに異常に時間がかかってしまうがゆえに、テクストにまで目が行き届かない、と言った方が適切だろう。その証拠に、日本語訳を読んでも理解できない、という人は少ない。また、スキーマ理論の応用を唱える人は、「言語知識だけではなく、背景知識なども用いて読むことが大切だ」と当たり前のことを言って、日本語を読む際に十分発動される筈の背景知識が、英語を読む時にうまくいかないのはなぜなのか、を考えようとしない。多読推進派も、結局は『多く読めば読解力がつく』という自明のことを殊更に強調しているに過ぎず、仮に簡単なものであれ、一年に300万語を読むという訓練法が果たして本当に効率のよいものであるかどうかを考える慎重さを欠いている。ここで、一年間に300万語の英語を読む努力もせずに、何をかいわんや、という反論は本末転倒であることを指摘しておく。そもそもこれだけ多くの英語学習法が乱立すること自体、人々がいかに努力を惜しんでいるかを何よりも雄弁に物語っている。

 確かに、上のような新参の理論も、学習者の姿勢次第で、極めて効果を発揮することはあるかもしれない。しかしながら、最短の時間で、最も無駄がなく、そして最大限の効果を発揮する本質的リーディング法は上記のいずれでもなく、やはり文法学習を基盤とするものである。ここで一つ注意して欲しいのは、筆者が本論の中で文法という言葉を用いる時、それはあの忌まわしい4択問題や、空所補充問題、整序問題などを解く能力を指すのではない、ということである。筆者がここで言う文法とは、英語の文法規則に従ってガッチリと組み上げられた英文を、自分の持てる知識を適切な場面で随時発動し、的確に分析できる力である。文法の4択問題などはまさに、特定の文法構造を知っているかどうか、を問うものであるが、それを運用する力がなければ、リーディングやライティングにおいては全くの無意味なのだ。

 そして、筆者の考えでは、まさにこの文法の運用能力こそ、多くの受験生や大学生に欠けているものである。日本の英語教育では、学校教育においても予備校教育においても、文法と読解が乖離している傾向にある。この傾向が、『文法』は知っているのに、『長文』は苦手、という逆説的な性質を持った学習者を生み出すに至っている。これでは『文法嫌い』が増殖するのも当然であろう。『文法』ができるとは、文法構造をいかなる文脈においても看破できると同時に、作文においても自在に用いることができる、ということを意味せねばならない。換言すれば、『文法』ができる、とは、英語の読み書きができる、ということでなくてはならない。

 筆者の私的経験で語らせてもらえば、普通に中学英語を学んできた人間が、高校二年生頃からこのような『文法』を意識し始めて、確実に知識と運用能力を伸ばしていけば、大学生になる頃には、英字新聞の論説も、あるいは比較的読みやすい小説(ポール・オースターやカズオ・イシグロなど)もかなりの程度まで独力で読みこなせるようになる。当然、入試問題で迷うことなどまずない。つまり、僅か二年足らずで、数学や国語などの他の科目も勉強しながら、本格的な英語の読みの能力を身に付けることができるのである。

 このような論に、多くの人は懐疑心を抱かずにはいられまい。本当にそのようなことが可能なのかという疑いが沸々と沸き起こるであろう。そして、これまで文法の重要性を説いた人の議論は、大体が、これ以上に具体的事例に踏み入ることが少なかった。そこで、本論は、以降のセクションで、この『僅か二年で、かつ独学で、かなり本格的な読解力をつけることができる』という言説の背後にあるメカニズムを解明することを試みる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第二章.文法運用力の追求

ここでは、上述のとおり、文法運用力がもたらす飛躍効果を微細に渡って考察することを目的とする。その前にまず、読解における文法運用力を定義することからはじめ、その具体的事例を順次提示していく。

 

2−1.天満(1989)が挙げる統語ストラテジー

天満(1989)は主に上述のスキーマ理論を応用した英文読解ストラテジーを取り扱うものであるが、しかし、その一部では、機能語を手がかりとした統語分析のストラテジーを論じている。ここでは、その論を基盤に、英語を読むために統語上必要不可欠となる知識、また、その知識を的確に発動させるための運用意識を論じていく。まず、天満(1989)に記述されている分析ストラテジーを簡潔に紹介する。

 

(1)       冠詞や数詞などを見れば、新たな名詞句の始まりと考えて、その句の終わりを示す名詞を探す。

(2)       前置詞を見れば、新たな前置詞句の始まりと考えて、その句の終わりを示す名詞を探す。

(3)       時制を伴う助動詞を見れば、新たな動詞句の始まりと考えて、その句の終わりを示す名詞を探す。

(4)       関係代名詞を見れば新たな関係節の始まりと考えて、その主語と述語を探し、その節が修飾する語を探す。

(5)       従属接続詞を見れば、新たな節のはじまりと考えて、その節の主語と述語を探す。

(6)       最初の節は、主節でないという標識がない限り、主節と考える。

(7)       soのあとに形容詞、副詞があれば、あとでthatではじまる節を、tooの場合には後にto不定詞があるものと予測する。

 

上述のようにスマートにまとめられると、統語上学習者が意識せねばならぬことなど何ほどでもない、という印象を読者に与えるかもしれないものの、これはディセプティヴである。というのも、もちろん、ここに記述されているようなルールだけで統語上のストラテジーを網羅しきれていないという理由もさることながら、仮にここに記述されているルールが十分満足のいくものであるとしても、果たしてこの7つのルールをいついかなる時も正確に発動するためには、どれほどの知識が必要であろうか。少なくとも、冠詞、前置詞、関係代名詞、接続詞、形容詞、副詞などの概念を理解した上で、どの語がどの品詞にあたるのかを判別できるくらいにまでは語彙を増やさねばならず、必ずしも少量の知識ではない。このことからもわかるように、天満(1989)はあたかも、これまでの伝統的教授法に対立するものとしてのスキーマ・リーディングを提唱しているように見えるものの、実際のところは伝統的教授法で教えられる知識を存分に前提にしているということである。言い換えれば、文法学習に嫌気がさしたという理由でスキーマ理論に手を出しても、全く無意味だということが実はここにおいて示唆されているのである。

さて、こういった天満(1989)のルールを真の意味で使いこなすためにはいくつかの根本的な理解が前提となっている。まず、第一に、基本文型の概念を理解していること、第二にその基本文型の枠組みから外れる特殊構文を理解していること、第三に連語関係、相関構文などを理解していること、そして、こういった知識をあらゆる英文読解で発動するための意識である。以下では、このような英文読解において根源的で思われる概念を、それを運用するための意識とともに考察していく。

 

2−2.基本文型

2−2−1.5文型とは何か

日本の伝統的教育を受けた人の中で、5文型という名を聞いたことがないという者は稀だろう。しかしながら、5文型の概念を正確に理解しているもの、そして、それを適切に運用できる者はよりいっそう稀である。『5文型がわかったところで』という批判はよく聞かれるけれども、こういう場合の『5文型がわかる』というのは、意味もわからずSVとかSVOといった記号を丸暗記していることを指している場合が多い。真の意味での5文型は今だ他の追従を許さない、最強最高の無敵の英文読解のツールである。それだけに、5文型を理解するのは多くの人が考えているよりははるかに難しい仕事である。以下では、5文型がわかるとは、そして、英文法が使えるとはどういうことを言うのかを考察していく。

5文型、英文法の理解の前提として、名詞、動詞、形容詞、副詞の概念を把握していることは不可欠である。しかし、これは何も難しいレベルでの話ではない。例えば、形容詞なら、主に名詞を修飾するという機能を持ち、副詞なら、動詞または文全体を修飾する機能を持つ、というくらいの簡単な概念把握でもいいのである。最大のポイントは次で、何が名詞要素となりえ、何が形容詞要素となりえ、何が副詞要素となりえるかを確実に頭にインプットすることである。名詞要素になりえるのは原則的に、名詞、代名詞、名詞句、名詞節の3つである(ここでは定動詞節を名詞節、非定動詞節を名詞句として扱う)が、名詞句を構成できるのはto不定詞と動名詞、名詞節を構成できるのは各種接続詞(that5W1Hif)+文の構造である。動詞要素になりえるのは、be動詞、他動詞、自動詞であり、他動詞は自動詞+前置詞句で構成することもできる。形容詞要素となりえるのは形容詞、指示語、形容詞句、形容詞節であり、形容詞句を構成できるのは、to不定詞、現在分詞、過去分詞、前置詞句であり、形容詞節を構成できるのは、関係代名詞節+文の構造(ただし関係代名詞が文の一部)、関係副詞節+文の構造(ただし関係副詞が文の一部)である。副詞要素となりえるのは、副詞、副詞句、副詞節であり、副詞句を構成できるのは前置詞句、副詞節を構成できるのは各種接続詞である。また、副詞節は主に文全体を修飾する。

さて、こういったことを理解してはじめて、5文型を真に理解する前提が整ったと言える(とは言っても、この時点で初めて5文型の学習に移行すべきだ、と言っているのではなく、たいていの場合は同時並行となるだろう)5文型において、英語の文を構成できるのはSVSVCSVOSVOOSVOCという語順である、というルールはもちろん重要であるが、実際に英文を読み解いていく際に、どの語句がSかどの語句がVかなどを判断しながら、どの英文がどの文型に相当するのかを把握できなければいくら語順とその意味を暗記していても無意味である。5文型を真に活用するためには、それぞれの要素であるSVOCにどのような語句が入りうるのかを知っていることが不可欠である。そして、それをもっとも効率よく学習するためには、上の段落で示したようなルールを頭に入れている必要があるのだ。5文型を理解しているとは、どのような複雑な英文に出会っても、きっちりSVOCなどの要素を決定できるということである。そして、このSVOCの決定を何よりも優先して行うことなしに、本物の文法力、言い換えれば読解力、は上達しない。このような知らせは、5文型は所詮5つ、と安心していた人には絶望的かもしれないが、決して異常な暗記量を要求するものではない。高校生が他の科目を学びながら勉強しても、道さえ踏み外さなければ十分1,2年で終わる話である。大学生なら34ヶ月だろう。それであらゆる英語を読むための土台が整うのだから、実は極めて効率的な学習法なのである。以下では、このような基本文型の知識とそれを発動させるための意識が英文を読む際にいかに決定的な要素となるかを具体例を見つつ探っていく。

 

 

2−2−2.具体例から考察する

2−2−1.の前提を踏まえて、より具体的な例を用いて分析する。

(1)SV構造の把握

Whether a variety constitutes a minority language varies according to the scale at which the observation is made,...

Susan Romaine Language in Society

 

という文を読解することを考えてみる。文頭にwhetherがきているのだから、まず、この節の支配域を確認することが必須条件である。接続詞whetherは副詞節と名詞節の双方を形成することができるが、副詞節も名詞節も『接続詞+文』の構造を取ることに変わりはないので、whether以下の文の切れ目が節の支配域の末尾であることになる。そうすると、whetherには、a variety constitutes a minority languageという典型的なSVOが形が続いているので、languageが節の末尾であるとわかる。次に、仮にこれが副詞節であればSVという構造が原則的には後ろに続く筈である。ところが、後ろにきているのはvaryという動詞であって、その後ろには副詞要素がきている。ゆえに、このwhether節は名詞節でしかありえないと判断する。さらに、先ほども見たように、varyの後ろは副詞要素であって目的語はないので、これはSVの第一文型であるとわかる。これが正しい読みの順序であり、こういう読み方をしている限りは、constituteの意味がわからないからといってすぐに考え込んでしまったり、the observationの意味を知らないからといって完全に混乱してしまうことはない。仮にそれらの単語がわからなくても、『変種が少数言語をコンスチチュートするかどうかは、オブザーべーションがなされる規模によって様々である』、という意味は確実に取れるからである。このようなカタカナまじりの訳文を書いたからといって本当に文の意味を理解できていることにはならない、ということと、だから何よりもまず単語を知らなければ意味がない、ということは慎重に区別する必要がある。予備校などで教えている経験からもわかるが、仮に少しわからない単語があってもきっちり構文はわかっていることを上のようなカタカナ交じりの和訳を書いて示してくる生徒は、比較的暗記作業をそこまで躍起になってやらなくても英語の成績はかなり伸びる傾向にある。一方、わからない単語が出てきたらそのたびに考えこんでしまう生徒はいくら単語を覚えてもほぼ間違いなく読解力が伸びない。前者の生徒は、ファジーに解釈してもいい部分と絶対に崩してはいけない部分を的確に理解し、たとえ語彙力が少なくともその絶対に崩してはいけない部分の知識は正確であるのに対し、後者の生徒は、whetherの意味もconstituteの意味も同じレベルで考えているからである。次の文はどうであろう。

 

That every man should regulate his actions by his own conscience, without any regard to the opinions of the rest of the world, is one of the first percepts of moral prudence.

Samuel Johnson Selected Essays

 

まず、文頭にthatがきている時点で、代名詞(この場合は通常Sの機能を果たす)、指示語(Sを限定する形容詞の機能を果たす)、名詞節、副詞節の可能性が頭に浮かんでこなくてはならない。次に、that every manときた時点で、代名詞と指示語の選択肢はなくなり、接続詞の可能性が残る。接続詞であるならば、節内の文の切れ目から節の支配域を確定しなくてはならないが、ここではPunctuationがわかりやすいところに打ってある。さらに、そこに続くのがisという動詞であることから、これが名詞節で文のSであるということがほぼ確定できる。節内の構造に目をやってみると、SVOに副詞要素の前置詞句が二つ付属したものと理解できる。二つめの前置詞withoutに続く部分は長いが、修飾の概念をきっちり理解し、前置詞は必ず後ろに名詞構造を従えるという規則、前置詞句は名詞の直後に置かれた場合、名詞を形容詞要素として修飾することができるという規則を把握していれば、構造を取るのは決して難しくない。さらに構造さえ分かれば、『世界の残り人の意見にいかなる関心も持たずに』と逐語的に訳しても意味はわかる。

 

(2)Oの把握

ご存知のように、日本語の構造は所謂SOVであるのに対し、英語はSVOである。このため、日本人にとって、動詞の次に目的語がくるという発想は馴染みにくいのは事実であろう。しかし、他動詞は確実に目的語がないと成立しないという意識をもって読んでいけば、自然に動詞の後ろに目的語を追えるようになるまでにそう長くは係らない筈である。問題は、文法の本来の活用法を多くの学習者が学んでいないということであろう。英語はSVOということだけ知っていても、必ずしも英文はMary hit Tomのような単純なものばかりではない。時には数々の副詞句を飛び越えて、非常に遠いところにあるOの存在に目をやらねばならないことがある。そのためには他動詞というものの機能をもう一度正確に理解しておく必要があろう。例えば、

 

My immediate purpose is to place before the world, plainly, succinctly, and without comment, a series of mere household events.

Edgar Allan Poe The Black Cat

 

のような文において、My purpose is toという時点で、to不定詞の名詞用法が続く可能性が高いことは予想できる。とすれば後ろにくるのは動詞でなければならないので、placeが動詞で用いられているのはわかる。しかし、placeに自動詞はない。よって、目的語を探すという意識がなければいけない。ここでのbeforeは後ろに節構造が見当たらないことから、前置詞で用いられていることがわかる。前置詞は後ろに目的語となる名詞がきて前置詞句を構成するので、before the worldで一つのブロックであると考える。そしてこの前置詞句は直前に動詞が置かれていることから副詞要素であることが容易に判断できる。次に、plainly, succinctly, and without commentというのは、前二つの語形から見て、明らかに副詞要素の連なりであり、よってwithout commentという前置詞句も副詞要素で、andが三つの文法的に等価な要素を結び付けていると考えられる。仮に、a series of以下もwithoutにつながると考えたとしても、その場合、他動詞placeの目的語がなくなってしまうということに気付かねばならない。一見、目的語が離れているこのような英文でも、上のようにしっかりとした文法解釈の手順を追っていけば、構造が見えなくなるということはまずない。次のようなものも同じである。

 

And it permits us, for the first time in history, to approach with rigor, with a significant chance of finding out the true answers, questions on the origins and destinies of worlds, the beginnings and ends of life, and the possibility of other beings who live in the skiesquestions as basic to the human enterprise as thinking is, as natural as breathing.

Carl Sagan Broca’s Brain

 

ここでもやはり、permit us to不定詞という構造になっていることから、approachは動詞であるということがわかる。『近づく』といっても何に近づくのかと考える、目的語を追う意識が必要である。そうして見れば、with rigor, with a significant chance of finding out the true answersという二つの前置詞句の後に名詞が浮いていることに気付くのである。もちろん、これらには意味要素からの推測も十分に働くであろうが、むしろ、構造に絶対の自信があって、物理的な判断から選択肢を可能な限り絞ることができて初めて、意味判断という個人の経験や背景知識に左右される曖昧な要素でも活きてくるのである。単語の意味を繋ぎ合わせただけの解釈では、日本語としては一見成立していても、実は全く原文と異なった情報を理解してしまうことにもなりかねない。常にこのような意識を持って英文を読む癖をつけていくとで、以下のような英文の下線部もスラスラと把握できるようになるのである。

 

Its existence transcends the actual observations we make of it, and, relative to those observations, its continuous existence while unobserved can only be a matter of inference or construction, just as the belief that the parts of it that I am not now touching remain as they did when I was touching them is only an extrapolation from past experience.

Anthony O’Hear What Philosophy Is

(その存在(机の上の本の存在)は、それを対象とした実際の観察では捉えきれないものであり、観察されてない間もそれが絶え間なく存在し続けているというのは、観察で捉えたものから推測したり想像したりするしかない話である。ちょうど、その本の私が今触れていない部分が、かつて私がそこに触れていた際の状態のままであると考えることが、過去の経験からの推測に過ぎないのと同じことである。)[1]

 

以上、5文型とは何か、そしてそれを活用するというのはどういうことなのかを具体例も通して考察してきた。英文を読む、ということを考える時、まずここで取り上げたような姿勢が重要な前提になるということを理解しておいて頂きたい。こういった根本的姿勢を学ばないまま無闇に知識だけ増やしても、読解力を伸ばすのは難しいのである。英語を学ぶとは、すなわち体系を学ぶということであるのを念頭に置いておかなくてはならない。

 

2−3.特殊構文

さて、以上のような基本的な文型意識、構造意識を頭にインプットした上で、さらに、その規則形式では捉えきれない主なアノマリーをいかに処理していくかについても意識しておく必要がある。例外があることを伝統文法体系の非難の根拠とする人がいるが、例外のない規則はないということ、いや、むしろ例外が存在するからこそ、規則が成立するということにより注目すべきである。特殊構文というのは、倒置、省略、強調、挿入、同格といった、5文型の規則を大きく逸脱した構造である。こういった構造を正確に読む際には、当然、上述の基本文型に対する確固たる知識と意識を持った上で、さらに一定の規則を念頭に置いておくことが肝心である。以下、特殊構文を処理するためにどのような規則を理解している必要があるかを詳細に見ていく。

 

2−3−1.倒置

大学受験レベルで倒置と言われるものには、いくつかの種類がある。以下に主なものを挙げ、読解の際に必要となる意識を示す。

 

(1)       SVCCVSの倒置

文頭に、名詞の限定用法でない形容詞、または副詞+形容詞が出てきた場合(ちなみにこの場合の形容詞には現在分詞と過去分詞も含める)、分詞構文(beingの省略も含める)か、CVSの倒置のいずれかであると疑って読む。

 

Especially remarkable was her oval face.

A Comprehensive Grammar of the English Language 以下(CGE)

(特に際立っていたのは、彼女の四角い顔である。)

 

Hidden inside our advance to a new production system is a potential for social change so breathtaking in scope...

Alvin Toffler The Third Wave

(新しい生産システムへの進歩の内に、息を呑むほどに広範囲に及ぶ社会変化の可能性が秘められている。)[2]

 

Among the explanations put forward for the finding that woman use more prestige forms and are more concerned with politeness than men is that using non-standards forms of speech carries connotations of masculinity.

Susan Romaine Language in society

(女性の方が男性より標準的な言語形式を用い、丁寧さにより気をつかう、という観察結果に対する説明として提示されるものの中に、非標準的な話し方をすることは、男らしさの意味あいを含むため、というのがある。)[3]

 

(2)       目的語前置(主にOSV)

名詞+SVの語順が出てきた場合、関係詞の接触節か目的語の前置であると考えて意識しながら読む。関係詞と考えた場合に文全体が名詞となってしまう場合は、目的語の前置の可能性が高い。

 

Most of these problems a computer could take in its stride.[4]

CGE

(こういった問題のたいていは、コンピューターはわけもなく処理する。)

 

What television news loses in depth and specificity by comparison to printed reports, it often gains in breviety and emotional immediacy.

S.I. Hayakawa Language in Thought and Action

(テレビニュースは活字の記事に比較して深みや明確さを欠いているが、しばしばそれを、簡明さや感情に対する直接的な訴えかけによって補う。)[5]

 

This erroneous idea there can be no doubt that we should absolutely entertain in all cases, but for our practical means of correcting the impressionsuch as clocks, and the movements of the heavenly bodieswhose revolutions, after all, we only assume to be regular.                                         

Edgar Allan Poe Time and Space

(この誤った考え方は、それを修正する実用的な手段―時計や天体の動きなど―がなければ、間違いなく、我々があらゆる場面において絶対的に抱く考え方である。しかも、その時計や天体の回転ですら、結局のところ、我々が規則的であると仮定しているに過ぎないのだ。)[6]

 

(3)       副詞句(前置詞句)の前置とそれに伴うVSの倒置

文頭に副詞要素が出現し、その後に直接動詞が続く場合、動詞の後ろにくる名詞が主語となる。

 

Palpably in the air were the ugly comments of U.S. Lt. Gen. William Boykin...

The Japan Times 2003 11/30

(明らかに、米軍中将ウィリアム・ボイキンのみっともないコメントが繰り返されそうな雰囲気だった。)

 

On the Viagra-envying side of the debate are plenty of women who find their libidos drained by surgery, menopause, crying infants or overwork.

Time 20041/19

(この議論において、バイアグラを妬んでいる者の側には、自分の性衝動が手術や閉経、さらには泣き叫ぶ幼児や過労のせいでなくなってしまったと考えている多くの女性がいる。)[7]

 

For by how much the ruled blend and lose themselves into a compact whole, by so much is softened the poignancy of their individual futility;

Eric Hoffer The True Believer

(というのも、どれだけ被支配者たちが互いに融合し、小規模な団体の中に自分を埋没させるか、まさにその程度によって、彼らが自分という個に対して感じる無用性の苦しみは和らげられるからである。)[8]

 

(4)       否定の副詞+助動詞SVの倒置

否定の副詞要素が文頭に登場した場合、後ろで確実に倒置が起こっていることを期待しながら読む。否定の副詞要素には、notnever等が他の副詞と結びつく場合、hardlyseldomonlylittlenowhereといった副詞、さらにnoを含む前置詞句などが考えられる。

 

At no time must this door be left unlocked.

CGE

(いついかなる時においても、このドアを開けっ放しにしておいてはならない。)

 

Nowhere is that spirit needed more than in the Middle East, whose people seekand deservea future of greater freedom, prosperity, democracy and the rule of law.

THE NEWSWEEK SPECIAL ISSUES 2004

(その精神は、どこよりも中東で必要とされている。そこに住む人々は、民主主義と法の秩序に基づく、より自由で活気のある未来を求めており、彼らはそれに値するのである。)[9]

 

The basic problem lies in the belief by Islamic fundamentalists that their interpretations of the teachings of the prophet Mohammed are the whole truth and that only through strict adherence to the tenets they teach can salvation be achieved.

The Japan Times

(根本的な問題はイスラム原理主義者が抱く次のような信念にある。つまり、預言者マホメットの教えに対する彼らの解釈こそ唯一の真実であって、彼らが説く教義を厳密に守ることを通してのみ、救済は達成されるのだという信念である。)[10]

 

(5)       if節を代用する助動詞SVもしくはbe動詞+ S +Cの倒置

werehadshould等が突如文中に登場した−あるいはそう感じる−場合、仮定法のifの条件節の代用ではないかと疑ってみる。この構造は疑問文か倒置であるかのいずれかである。また、文中で、be S Cの倒置が起こっている場合は、『たとえSCであれ』という譲歩の意味であることにも注意する。

 

Had I known, I would have written before.

CGE

(知っていたら、もっと前に手紙を書いたであろうに。)

Not all these problems would necessarily apply in Japan, should the company take root here.

The Japan Times 2002 3/21

(仮に、その会社がここ日本に根を下ろしたとしても、そういった問題の全てが必ずしもこの国に当てはまるわけではない。)

 

Be he friends or foe, the law regards him as a criminal.

CGE

(彼が敵であれ味方であれ、法律では彼は犯罪者だ。)[11]

 

Metaphysics, and philosophical inquiry more generally, would perhaps not be necessary were it the case that we all shared a coherent and unproblematic notion of what the world consists in, and so never raised reflective questions about the nature of the world and of our knowledge of it...

Anthony O’Hear What Philosophy Is

(仮に、我々がみな、この世界の本質は何であるかということに関して、一貫していて問題を孕んでいない見解を共有し、それゆえ、世界の本質や、それについての我々の知識の本質に対して、批判的な疑問など誰も提起しない、というのが実情であれば、形而上学、否、より広く言って哲学的探求一般というものは、ひょっとして必要ではないかもしれない。)[12]

 

(6) SVOCSVCO

SVOC文型の目的語にあたる部分が長く複雑である場合に、Oが後置されることがある。他動詞と思われる動詞の直後に形容詞句等がきている場合に注意する。

 

They pronounced guilty every one of the accused.

CGE

(彼らは告訴された人間みなに有罪を宣言した。)

 

・...the fact some are born as some die, makes possible through transmission of ideas and practices the constant reweaving of social fabric.

John Dewey Democracy and Education

(あるものが死にゆくのと同時にあるものが生まれてくるからこそ、思想や習慣の伝達を通して、社会構成の絶え間ない編み直しが可能になるのである。)[13]

 

It is surely our ignorance of the relevant psychological and physiological facts that makes possible the widely held belief that there is little or no a priori structure to the system of “attainable concepts.”

Noam Chomsky Aspects of the Theory of Syntax

(『獲得可能な概念』を体系づける先天的な構造など、殆ど、あるいは全く、存在しないという考えが広く受け入れられているのは、適切な心理学的事実、または生理学的事実に関する知識を我々が欠いているからにほかならない。)[14]

 

(7) SVO副詞要素→SV副詞要素O

原理的には(6)と同じである。他動詞の直後に前置詞句又は副詞句がきて、目的語が後置されるので、2−2.で扱ったSVOに対する意識がここでも重要となる。

 

I confessed to him all my worst defects.

CGE

(私は彼に自分の最悪の欠点を全て告白した。)

 

It is clever enough to be able to record and reproduce by electronic means the sounds our mouths utter,...

Anthony Burgess A Mouthful of Air

(電子的な手段を用いて我々の口から発せられる音を記録することは、十分優れたことではある...)[15]

 

Or we may reflect on the case of hormone-replacement therapy, which doctors promoted as a cure for the “disease” of menopause, only to discover, after millions of women had been snookered into taking them, that the pills increased the risk of far nastier diseases like breast cancer.

Time 2004 1/18

(あるいは、ホルモン置換療法の一件について考えてもいいかもしれない。医者たちは、それを閉経という『病気』の治療法として奨励したが、結局、数百万の女性がそそのかされてその薬を服用した後で、それを飲むと、乳癌のようなはるかにたちの悪い病気になる危険性が増すことがわかったのだ。)[16]

 

2−3−2.省略

主に省略と呼ばれるものの中で、学習者が特に苦手とするのが共通構文から生じる省略と比較構文における省略である。ここでは共通構文における省略の中でも、特に文法的注意力を増すことによって、誤読を差けられる構造に焦点を当てる。

 

(1)共通構文における動詞(またはSV)の省略

これは、SVO and SOSVC and SCSVP and SP などの構造をとるもので、動詞(要素)だけが同じで他の要素が異なる場合に生じる事が多い。筆者の経験から言えば、特に、SOという構造に学習者は戸惑うようであるが、実際のところ、英語の構造上、名詞が連続する場合というのは限られている。二重目的語構文、関係詞の接触節、SVOCCが名詞の場合、SVOA文型とSV副詞Oにおける目的語の外置、そして等位構造における省略である。名詞が連続する構造に出会った場合、これらのうちのいずれかの文法機能が作用していると考えて、一つ一つ検証すればまず間違うことはない。

 

One girl has written a poem, and the other a short story.

CGE

 (一方の少女は詩を、もう一方の少女は短編を書いた。)

 

This sort of art, we learn in childhood, is meant to excite laughter, that to provoke tears.

−出典未詳

(こういった類の技術は笑いを誘うためのものだとか、ああいうのはお涙頂戴を狙ったものである、ということを、私達は子供の頃に学ぶ。)[17]

This they declared unpropitious and that imperative, this an omen of good and that an omen of evil.

H.G. Wells A Short History of the World

(これは不吉であるとか、これは不可避のものであるといった、あるいは、これは幸運の兆しであるとか、これはよからぬことに兆しであるといったことを彼らは説いたのだ。)[18]

 

(2)等位構造における他動詞または前置詞の目的語の省略

この(2)で扱う構造は、(SV and SV) Oとか、(SVP and SVP) Oといった構造を主にとる。このような構造に際しても、やはり他動詞と目的語の機能をどこまで正確に理解しているかが重要である。他動詞は必ず目的語を取るし、それは前置詞に関しても同じである。他動詞や前置詞の後部に目的語がない可能性は、関係代名詞の目的格の場合、目的語が前置されている場合、受動態の場合、に限られる。これ以外の場合は、一見、目的語が存在しないように思われる動詞や前置詞であっても、入念にそれを探ってみる必要がある。

 

The folk music of his native Romania inspired, and provided the thematic material for, his greatest work.

CGE

(母国ルーマニアの民謡が、彼の最高の作品にヒントを与え、またそのテーマとなる題材も提供したのだ。)

 

In uncounted thousands of such tactile transactions, kids learn to use touch as a means of connection at least as expressive asand certainly more satisfying thananything so detached as language.

Time 2004 1/18

(何千ともつかない回数にわたってそのようなスキンシップを受ける中で、子供は触れるという行為を、言語ほど客観的なものと比べても、少なくとも負けないくらい表現に富んだ―しかも、間違いなくより満足感に溢れる―ふれあいの手段として用いるようになる。) [19]

 

・…I think we are driven to conclude that this greater variability is simply due to our domestic productions having been raised under conditions of life not so uniform as, and somewhat different from, those to which the parent species have been exposed under nature.

Charles Darwin The Origin of Species

(このように変種が生じやすいのは、単純に、我々の飼育栽培する生物が、その祖先種が自然のもとでさらされてきた状況ほど一様のものではなく、またどこか異なってもいる生活状況で育てられたということのためであると、結論づけざるを得ないように思われる。)[20]

 

However as social animals we certainly do have a rather more detailed interest in and appreciation of motives as cause.

Henry Plotkin Evolution in Mind

(しかしながら、社会的な動物として、我々は実際のところ確実に、原因としての動機にかなり詳細な関心を抱き、またそれを詳しく理解してもいるのである。)[21]

 

2−3−3.強調

いわゆる強調と言われるものの中には、助動詞doの強調、比較級、最上級の強調、否定語の強調などが含まれるが、中でも日本の学習者にとって最も障害となるのが、分裂文、学校文法で言うところの強調構文である。しかし、分裂文というのは例外はあれども比較的厳密なルールをもっており、それを習得してしまえば構造を取り違える確率は格段に低くなるはずである。

 

(1)基本分裂文

分裂文とは、文の中の名詞要素もしくは副詞要素(ただし単純に副詞一語のみが焦点にくることは稀なため、主に前置詞句か副詞節)を前置し、it bethatで挟んだものである。このthatは名詞要素が焦点にきている場合には、物ならばwhichと、また人ならばwhoと置換可能である。形容詞要素、動詞要素を焦点にもってくることはできない。これゆえ、it is 形容詞that節という形は原則的に形式主語構文(主語の外置構文)となる。逆に、it is 前置詞句 that節という構造の場合はほとんどが分裂文である。このほか、it is 名詞 that節という構造では、分裂文である場合と、単にSVCの構造のCを関係代名詞が修飾しているに過ぎない場合があるが、一般に、it is 不定要素(不定冠詞+名詞やsomething)SVCであり、it is 定要素の場合は分裂文である。

 

It is his callousness that I shall ignore.

CGE

(彼の無神経さこそ、私は無視するつもりだ。)

 

It was because he was ill that we decided to return.

CGE

(彼が病気だったからこそ、私は帰ることを決心したのだ。)[22]

 

In biblical times, it was God whom people tried vainly to flee or outrun.

The Japan Times 2002 7/14

(聖書の時代には、人々は他ならぬ神から空しくも逃亡しようとした。)

 

It is almost certain that it was at this time that Galileo became mesmerized by the slow, steady swing of a chandelier in the cathedral during a rather dull sermon...

John Gribbin Science: Its History

(ガリレオが、聖堂でかなりつまらない説教を聴きながら、ゆっくりと、絶え間なく揺れ動く頭上のシャンデリアに魅了されたのはほぼ確実にこの時期である。)[23]

 

It is only when the mechanisms of plant growth, and the effects of light and temperature on those mechanisms, are known that we have a scientific explanation of crop cycles.

Henry Plotkin The Imagined World Made Real

(我々が穀物の収穫サイクルに対する科学的説明を有するのは、植物の生長のメカニズムと、日光と温度がそのメカニズムに与える影響、この二つが認識されている場合においてのみである。)[24]

 

Overwhelmingly, then, it is husbands and wives, partners, who are being killed by the other, rather than it being parents and children or genetically related individuals who are victims and killers.

Henry Plotkin Evolution in Mind

(それゆえ、夫が妻を殺すとか、妻が夫を殺すといったような夫婦間での殺人事件の方が、親が子供を殺すとか、子供が親を殺すというような遺伝的に関係のある個体間で起きる殺人事件よりも圧倒的に多いのである。)[25]

 

(2)疑問詞が焦点にくる分裂文

疑問詞が分裂文の焦点にきた場合、疑問詞は文頭に置かれるという大原則が働くため、疑問詞だけがさらに前置される形になる。さらに、分裂文の形式上のSVit beであるため、疑問文の場合この部分が倒置され、be itの語順になる。しかし、その疑問文が疑問代名詞節となる場合は、語順が元に戻ることにも注意する。加えて重要なのは、Something in him made him say so.という文のsomethingのように前置詞で限定された名詞を尋ねる疑問文を分裂文で表現する場合である。この場合、whatsomethingに対応するわけであるから、What was it in him that made him say so?のように、it be(be it)thatの間に前置詞句が残留することに注意する。この構文を看破するための対策としては、what is it(it is) 前置詞句 thatの構造が出現した場合に、まずは分裂文を疑ってみることである。その際、it isthatをないものとして考えても文が成立すれば分裂文である。ちなみにこの際の前置詞句にはaboutinがくる場合が殆どである。

 

What is it that they desire for themselves and for others when they think of happiness?

Ashley Montague The American Way of life

(幸福について考える際、彼らは自分自身に対し、そしてまた他人に対し、一体何を望むだろう。)

 

I have tried to find out from the writers on aesthetics what it is in human nature that makes it possible to get the emotion of beauty and what exactly this emotion is.

Somerset Maugham The Summing Up

(私は美学について書いている作家から、人間の本性の中の一体何が、我々に美という感情を得ることを可能ならしめているのか、そして、この感情とは厳密には何なのか、ということを見つけ出そうとしてきた。)[26]

In daily life, we assume as certain many things, which on closer scrutiny, are found to be so full of apparent contradictions that only a great amount of thought enables us to know what it is that we really may believe.

Bertrand Russell The Problems of Philosophy

(日常生活の中で、人々が確実なこととして受けとめているものは多々あるけれども、そういったものも、より詳細に吟味してみると、実は明白な矛盾にあまりにも満ちていることに気付く。それゆえ、多大なる思考を経て初めて、人は一体何を本当に信じてよいかを知ることができるのである。)[27]

 

How is it that creatures can have evolved on this planet who can actually understand mathematics...?

Can a Computer Understand?

(数学を実際に理解することのできる生物が、この惑星で進化し得たのは一体どのようにしてであろうか。)[28]

 

The task of linguist is to explain what it is about human beings that renders them capable of performing this feat, and what it is about human languages that renders them capable of being learned and used by human beings.

Peter W. Culicover English Syntax: Introduction

(言語学者の課題は、人間の一体何が、我々にこの能力の発動を可能ならしめるのか、また、人間言語の一体何ゆえに、我々がそれを学び用いることができるのか、を説明することである。)[29]

 

(3)not A but B形式の相関構文と結びつく分裂文及び、焦点部分の外置

分裂文の焦点にnot A but Bnot so much A as Bnot A so[as] much as Bなどの相関構文や、A rather than BA as well as Bなどの構文がくる場合、but Bas Brather than Bas well as Bの後半部分だけが外置される場合が多い。また、焦点部分に長い同格語句がつく場合などには、それが外置されることもある。

 

It was not their large vocabularies that made these people successful and intelligent, but their knowledge.

Norman Lewis Word Power Made Easy

(これらの人々に成功と知性をもたらしたのは、語彙の多さではなく、知識である。)

 

Here, as in philosophy generally, it is not the few simplest facts that form our data, but a large mass of complex every-day facts, of which the analysis offers fresh difficulties and doubts at every step.

Bertrand Russell The Theory of Knowledge

(ここでも、哲学一般がそうであるように、我々のデータとなるのは、小数の極めて単純な事実ではなく、日常経験の中にある複雑な大量の事実であり、そういった事実の分析する場合、一歩進むごとに新しい難題や疑問にぶつかるのである。)[30]

 

(4)thatの関係代名詞による代用

基本分裂文のところでも、一定の条件の元で、thatが関係代名詞と置換可能になることは述べた。ここでは、その場合に関係詞の特性がどこまで残るかについて、やや特殊な例を挙げる。ここで少し文法的問題について言及しておく。Quirk(1985)では、分裂文のthatの代用における関係代名詞は、前置詞+関係詞の構造を取りえず、例えばIt is the cat to which I gave the waterのような文は、SVCの文型として、つまり、『(目の前にいる猫を指して)は、私が水をあげた猫である』という意味にしか解釈できないとしているが、以下の例を見てもらえばわかるように、明らかに分裂文として解釈しなければ意味が通らないものも多くある。これはQuirk(1985)の規範文法的側面として注目に値する事実である。

 

It’s Uncle Bill whose address I lost.

CGE

(私が紛失したのは、ビルおじさんの住所だ。)[31]

 

In indirect speech, the same principle holds good, both for these auxiliaries and their back-shifted variants might and should, so long as we remember that it is THE SPEAKER OF THE REPORTED SPEECH whose will or authority is in question.

Geoffrey N. Leech Meaning and the English Verb

(間接話法においても、こういった助動詞と、時制の一致によってこれらが変形したmightshould、この双方に対し、同じ原則が適用される。ただし、問題になっているのは、被伝達節の話者の意志や権威であるということを銘記しておかなければならない。)[32]

 

It was the second question, the question of how men should try to live, from which his thinking began.

John Dunn LOCKE  A Very Short Introduction

(彼の思想の出発点は、二つめの問題、すなわち、人はいかに生きようとすべきか、という問題であった。)[33]

 

’Well, then, was it this eye or that through which you let the beetle fall?’

Edgar Allan Poe The Gold Bug

(よし、じゃあ、おまえが虫を落としたのは、こっちの目からか、それともこっちか。)[34]

 

2−3−4.挿入

挿入も捉え方によっていろいろな種類の存在を認めることができる。例えば、上でも述べたように、SV副詞Oの構造も一種の挿入としても見なすことができる。しかし、ここでは、特に日本人学習者が苦手とすると思われる主節の挿入と、ダッシュによる挿入、そして連鎖関係詞節と呼ばれるものを挿入として取り扱う。まず、本題に入る前に挿入を成立させる一要因のダッシュ()について少し述べておこう。ダッシュにしても、コンマで挟まれた挿入にしても、本来存在しなくても文は成立する筈のイレギュラーな要素であるから、仮にコンマやダッシュで囲まれていると思しき表現に出会った時は、とりあえずその箇所を括弧で括ってみると、全体の構造が見えることが多い。ダッシュはコンマと同様、文内における特定のフレーズを挟むことによって挿入句を成立させるが、コンマが挿入句を成立させる場合、それはコンマが存在しなくとも、文法的に成立している場合が多いのに対し、ダッシュの挿入句の場合、ダッシュを取り外してしまうと、文法が破綻してしまうものも少なくないという点に相違がある。ここから、最も逸脱の激しい文レベルの挿入は主にダッシュによって行われる傾向にある。ダッシュの意味的特性は主に、追加情報、詳細、具体例提示などである。また、ダッシュはやはりコンマと同様、同格を示す道具としても用いられるが、これは次の同格の部分で扱う。

 

(1)主節の挿入

主節の挿入、というのは、例えば、SV that節のような文構造において、従属節であるthat節内の内容が主節にとってかわり、本来主節である筈のSVが逆に挿入されるという形である。この挿入はまず間違いなくカンマに挟まれて登場するため、第一の対処法としては、カンマに対する注意が不可欠になる。さらに、S say, S think, S suppose, S recall, it seemsなどSV that節の構造を取りうるSVに注意を向けることが大切である。この構造で盲点となりやすいのが、S run, S goなどが挿入される場合である。このrungoは、『話などが〜のようになっている』という自動詞で、S go that節のように用いられるよりも、挿入構文で用いられる場合が多い。さらに全体を通して言えることだが、挿入された部分は語順がSVからVSに倒置されることもしばしばである。

 

Two princes, so the story goes, quarreled over the honor of putting on the shoes of the most learned grammarian of the realm.

B.L. Whorf Science and Linguistics

(その話はこうだ。二人の王子が、どちらがその領土の最も学のある文法家の名に相応しいか、口論をした。…)[35]

 

Blank is blank, so if the slate of a newborn is not blank, the reasoning goes, we must be all equal.

Steven Pinker The Blank Slate

(空白は空白であり、もし、新生児の心の石版が白紙なら、我々は間違いなくみな平等である、というのがその論理である。)

 

Once sexism was abolished, so the argument ran, the world would become a perfectly equitable, androgynous place.

Time 1992 1/20

(その議論によると、一度、性差別が廃止されると、世界は完全に公平な、男も女もない場所にかわるだろうとのことだった。)

 

He saw something he liked, recalls his former aide Adib Shabaan, who helped arrange the party.

Time 2003 6/2

(彼は誰か気に入る娘がいないか探すんだ、以前彼の側近をつとめていたアディブ・シャバーンは思い出してそう語る。この男はそのパーティーを開催するのに一役買っていた。)[36]

 

(2)ダッシュの挿入

上記の通りである。ダッシュによって挟まれて明示されているので構造を取り違えることはさほどないと思われるが、その挿入句が他の部分とどのような関係にあるかを常に考察する意識が必要である。

 

At that time, the studentsgoodness knows for what reasonreversed their earlier, more moderate decision,...

CGE

(その時、生徒達は―おお、その理由など誰にわかろう―彼らのそれまでの、より節度のある決定を覆したのだ。)[37]

 

Other stories that seemed legit at the timethe rescue of Jessica Lynch springs to mindbecame so amended, corrected, spun or rewritten that even now it’s a little hard to remember what the truth of the matter finally was.

Time 2003 12/29 / 2004 1/5

(他にも、当初は正しいように思えた情報でも―例えば、ジェシカ・リンチの救出なんかがそうだが―、あまりにも加筆修正が行われ、もっともらしく書き直されたりしたので、今ですら結局真実が何だったのか思い出すのが少し難しかったりするのだ。)

 

Deprived of access to this communication lifeline by, say, a summons to join the family for dinner the subjects became "moody, irritable and unwell,"...

The Japan Times 2003 10/13

(「晩御飯よ」と家族の団欒に呼ばれたりなんかして、このコミュニケーションの生命線を絶たれると、この被験者たちは「陰鬱になり、苛立ち、気分を悪くする」のだ。)[38]

 

They do not wish America destroyedthey are not crazybut they are not unhappy to see the U.S. distracted, diminished and occasionally defeated.

Time 2004 1/12

(彼らはアメリカが破壊されて欲しいと願ってはいない―彼らはクレイジーではない―が、アメリカが取り乱し、力を落とし、そして時にはやっつけられるのを見て、気分を害することもない。)

 

(4)関係代名詞における主節SVの挿入

これは連鎖関係詞として説明されることも少なくないが[39]、本論では関係詞における主節の挿入として取り扱う。原理的には(1)の主節の挿入とさして変わらず、それが関係代名詞節内で起こるということだが、特徴として、原則的に関係詞の直後にきて、VSのような倒置は起こりえないということが考えられる。対処法としては、関係代名詞+SVVVのような構造に注意することである。例えば、What I suggested was right.は『私が示唆したことは正しかった』というSVCの文だが、What I suggested was right was in fact wrong.という文は同じようには解釈できない。この場合にI suggestedを主節の挿入とみなして、『私が正しいと示唆したことは実は間違っていた』という意味で解釈する。

 

Darwin judged them to be closely related, which we now know through detailed chemical as well as other measures is correct,...

Henry Plotkin Evolution in Mind

(ダーウィンはそれらが密接に関係していると判断したが、これのことは今日、詳細な化学的調査に加え、それ以外の調査によっても、正しいとわかっている。)[40]

Today there are hundreds of thousands of species of small soft-bodied creatures in our world which it is inconceivable can ever leave any mark for future geologists to discover.

H.G. Wells A Short History of the World

(今日、我々の住む世界には、将来の地質学者が発見できるような痕跡を残すことなどまず考えられない、小さな軟体動物が数十万種にも及んで存在している。)[41]

 

In sober truth, once ignorance induces us to admire that which with fuller insight we should be cognizant of as something mediocre, that is common-or-garden kind of things, it may impede our mental process of perceiving something everybody is sure is admirable indeed.

−出典未詳

(全くの真実として、いったん、無知が我々に、より深い洞察力があれば平凡で、ありふれた類のものとしか見なさないであろうものを賞賛するよう促すと、それは、誰もが確信をもって実際に賞賛に値すると見なすものを認識する我々の精神過程を妨害するのである。) [42]

 

I published some tracts upon the subjects myself, which, as they never sold, I have the consolation of thinking were read only by the happy few.

Oliver Goldsmith The Vicar of Wakefield

(私はこの主題に関して、自分自身、いくつかの論稿を出版した。それらは決して売れなかったけれども、幸せな『少数の人』にだけ読んでもらっていると考えて、自己満足に浸っている。)

 

2−3−5.同格

同格表現というのは格変化のない英語においてはやや奇妙な響きを持つかもしれないが、ここでは、(1)カンマによって並列された(等位接続詞orの省略)文法的に等価の構造、と(2)句、節等の内容を名詞句で言い換える表現、の二つを同格として扱う。また、所謂同格節というのは(1)の特殊な例と考える。

 

(1)カンマによって並列された文法的に等価な構造

これは、カンマが目印となる上に、名詞句なら名詞句、前置詞句なら前置詞句というように文法構造上性質を同じくするものが並べられるので比較的読み取りやすい。同格節というのは、the fact that節のように名詞の内容を説明する後置修飾のthat節のことを指す(このthatは稀に省略される)。一見、関係代名詞の構造に類似しているものの、根本的に異なったものであることに注意しなければならない。関係詞との見分け方は、先行詞が後置修飾節の一要素を担っているかどうかであり、同格節の場合、節内は単独で成立している。全体を通して最も注意せねばならないのは、同格語句、同格節が外置される場合である。つまり、同格語、同格節などが長く複雑なために、文末などに移動される場合で、この時は、何と何が並列されているかを意味関係から追っていく。ヒントになるのは、namelyespeciallyなど、同格を明示する表現である。

 

Anna, my best friend, was here last night.

CGE

(アンナは、私の最高の友人であるが、昨晩ここにいた。)

 

An unusual present was given to him for his birthday, a book on ethics.

CGE

(めずらしいプレゼントが彼の誕生日に贈られた。倫理学に関する本だ。)[43]

 

How can a solution be found to the current disease of contemporary society, namely the international economic crisis?

CGE

(現代社会に流布する病、すなわち国際的な経済危機に対する解決策はいかにして見出しうるであろうか。)[44]

 

You will have to enter a world in which your genes are not puppet masters pulling the strings of your behavior but puppets at the mercy of your behavior, in which instinct is not the opposite of learning, environmental influences are often less reversible than genetic ones, and nature is designed for nurture.

Time 2003 6/2

(遺伝子が人の行動を糸で操る人形遣いなのではなく、逆に、人の行動のなすがままになる操り人形である世界、本能が学習に対立するものではなく、環境的な要因がしばしば、遺伝的要因より不可逆的で、さらに、育ちのために氏が設計された世界に、入っていかねばならないだろう。)[45]

 

I’d learned simple but universal law that craftsman somehow knowthat working with your hands is a pleasure, especially work so mindless that everything you need to forget becomes absorbed by the window sash to be mended.

Margaret Atwood The Best American Short Stories 1989

(私は職人がどういうわけか知っている、単純だが普遍的な法則を学んでいた。それは自分の手で仕事をするのは楽しく、特に、忘れるべきものが全て、修理している窓のサッシに吸収されるほど頭を使わない仕事の場合はそうである、というものだ。)[46]

 

So identical were their pitiful whimpers, the way their screams gave way to desperate entreaties, then returned to screams, that the notion came to me this was what each of us would go through on our way to death that these terrible noises were as universal as the crying of new-born babies.

Kazuo Ishiguro When We Were Orphans

(彼らの哀れな泣き声、その叫びが絶望の嘆願へと変わり、そしてまた叫び声へと戻る様子はあまりにも似ていたので、これは私たちの誰もが今際の際に体験するであろう状況なのではないか、これらの恐ろしい叫び声は新生児の産声と同様、万人に共通するものなのではないか、という考えが心に浮かんだ。)[47]

 

(2)句、節単位の内容を名詞句で言い換える同格表現

文法的に等価なものが結ばれるわけではない分、こちらの方が厄介である。文中で突如浮き出す名詞句が出現した場合には、何らかの句または節の内容を名詞で受けているのではないかと疑う。この際、有用なヒントとなるのが、この類の同格の名詞句はほとんどが不定要素として出現するということである。なお、この文法現象は関係詞の非制限用法からの還元とみなしてもいいかもしれない。

 

The spatial association of law-status residential districts with industrial areas prompted the more affluent to move to suburbs, a move facilitated by the development of suburban railways. [a movethe more affluent to move...の不定詞句と同格]

Susan Romaine Language in Society

(下層階級の住居地区が工業地域と場所的に結びついていたので、より裕福なものたちは郊外へ移住するよう駆り立てられた。この移住は地下鉄の発展によっても促進された。)[48]

 

Partners who maintain a robust sex life are simply more likely to remain partners than those who don’t, something almost any couple knew long before the sex researchers thought to quantify it. [something以下は文全体と同格][49]

Time 2004 1/19

(健全な性生活を維持する夫婦は、そうでない夫婦よりも、純粋に、より夫婦関係を持続させる傾向にあるが、このことは、性に関する研究者がそれを数値化しようと考えるよりはるか以前も、ほとんどの夫婦が知っていたことである。)

 

Finally, we are often fooled by visual experience that turns out to be illusory, an inclination generated perhaps by our overwhelming, habitual belief in its apparent reliability. [an inclinationは文全体と同格]

Martin Jay Downcast Eyes

(結局我々は、実のところ錯覚に過ぎない視覚経験にしばしば欺かれるが、このようになりがちなのは、ひょっとすると、我々が視覚経験の一見したところの信頼性を圧倒的かつ常習的に信じているからかもしれない。)

 

The musical term ‘leitmotiv’ is not inappropriate for the way in which Dickens repeats an idiom or expression, under various modifications and transformations, through episodes of a novel, allowing it to accumulate thematic significance as it goes, an illustration on a small scale of his use of dynamic variation in style.

 [an illustrationin which節内の内容と同格]

Geoffrey N. Leech and Michael H. Short Style in Fiction

(音楽用語であるライトモチーフという言葉を用いても不適でないのは、ディケンズが同じイディオムや表現を、様々に形を変えたり、変形させたりしながら、小説の数編に及んで繰り返し利用し、小説が進行するにつれ、そういった表現に主題としての意義が蓄積されるからである。これは、彼がダイナミックに変動する文体を用いることを小規模で例証するものである。)

 

2−4.連語関係(相関構文含む)

さらに、英語の構造を正確に分析するための基本的事項として、連語関係の把握がある。最も簡潔に言えば、例えば、distinguishがくれば後方にA from Bかもしくはbetween A and Bの存在を期待する、などである。動詞とそれに対応する特徴的な副詞要素の結びつきを記憶しておくのみならず、常に意識できる状態にしておかなければ、例えばdistinguish A from BABが極めて長い塊になったために、構造を取り違えてしまうこともありうるのである。このような連語関係は挙げていけばきりがないので、どのような構造の場合にミスが生じやすいかの具体例を挙げて、文法意識の重要性を確認する。また、相関構文と言われるもの(not only A but also B, so ~thatなど)についても言及する。これは天満(1989)でも部分的に示唆されている(2−1.(7)等)が、それを大幅に補う。

 

(1)動詞+目的語1+前置詞+目的語2の構造

このような構文において、学習の初期段階では、「知識としては知っている筈なのに」、長文の中で登場した際に取り違えるということが頻発する。これは、聞かれれば答えられる、という受動的な知識を持っているに過ぎないからであり、その知識を意識的かつ積極的に読解で発動していこうという姿勢が欠けているからである。常に構文意識を絶やさないことによって、次のような例文も構造的に取り違えることはまずなくなる。

 

They base their choice in marriage and the maintenance of their subsequent relationship on personal love. [base A on B]

−出典未詳

(彼らは、結婚における選択や結婚後の関係維持の基盤を個人の愛情におく。)

 

We can easily see that this is likely to be true if we compare a successful professional man of forty-five, thoroughly interested in his work, and desirous of the well-being of his family, with the boy of five or six, most of whose ‘wishes’, however natural and innocent in themselves, are liable to cause inconveniencies and annoyance to his elders...

[compare A with B]

J.C. Flugel Man, Morals and Society

(これが事実であるということは容易に見て取れる。45歳で、仕事に没頭し、また家族の裕福を願う、成功している職業人と、5,6歳の少年、その願望のほとんどが、いかにそれら自身、自然で無邪気なものであろうとも、まわりの年長者に不都合や悩みを引き起こしがちな少年とを比較してみればよいのだ。)[50]

There is a tendency in many histories to confuse together what we call the mechanical revolution, which was an entirely new thing in human experience arising out of the development of organized science, a new step like the invention of agriculture or the discovery of metals, with something else, quite different in its origins, something for which there was already an historical precedent, the social and financial development which is called the industrial revolution. [confuse A with B]

H.G. Wells A Short History of the World

(多くの歴史書では、いわゆる「機械革命」、つまり体系化された科学が発展したために人類の経験に新しく生じた事象であり、農業革命や金属の発見同様の新しい一歩ともいえるものと、それとは別の、全く起源を異にする、すでに歴史において前例のあったもの、つまり「産業革命」と呼ばれる社会的かつ経済的な発展を、混同する傾向がある。)[51]

 

(2)目的語(意味上の主語)to不定詞

基本的な心がまえとしては(1)に変わらない。例えば、allow O to-Vという構造を知っているのであれば、allowが出てきた場合には常に後方にto不定詞を期待する、という姿勢で臨まなければならない。

 

The wide currency of this philosophy of the "survival of the fittest" enables people who act ruthlessly and selfishly, whether in personal rivalries, business competition, or international relations, to allay their consciences by telling themselves that they are only obeying a law of nature. [enable O to V]

S.I. Hayakawa Language in Thought and Action

(この『適者生存』の哲学が広範囲に及んで流布しているがために、個人的な競い合いにおいてであろうと、仕事の競争においてであろうと、国際関係においてであろうと、冷酷かつ利己的な行動をする人々が、自分は自然の法則に従っているに過ぎないのだ、と自らに言い聞かせることで、良心からくる心の痛みを和らげることができてしまうのだ。)[52]

 

We need that same spirit today not just to better fight the global war on terror, but also to prepare NATO to take on critical missions beyond Europea project already well begunand to embolden the great multilateral institutions, particularly the United Nations, to work to defeat the common enemies of civilization: terror, poverty, sickness, and oppression. [prepare O to V, embolden O to V]

NEWSWEEK SPECIAL ISSUES 2004

(我々は今日、まさに同じ精神を必要とする。それは、テロとの世界規模での戦いをより有利に進めるためだけではなく、NATOにヨーロッパを超えた場所でも重要な任務を果たす準備をさせるため―これはもう十分に開始されているプロジェクトである−、さらに、大規模な多国籍機構、特に国連、を勇気づけ、文明の共通の敵であるテロや貧困、病原菌や圧制を打ち負かす力を与えるためでもある。)

 

Yet, like language, it[constructing a visual scene] appears to occur with such rapidity that it is likely that we come into world with another ‘fixed nucleus’ of function whose innate structure allows the mass of information flowing up into the brain by way of the one million or so nerve fibers that make up each optic nerve to be parsed so that visual

scenes can be built according to some ‘grammar’ of visual scene construction.

[allow O to V]

Henry Plotkin Evolution in Mind

(しかし、視覚映像も、言語同様、あまりにも急速に組み立てられるように思えるので、人間はもう一つの『固定された核』をもってこの世に生まれてくると考えることもできよう。そして、その機能に本来的に内在するメカニズムが、それぞれの視神経を構成する百万ともつかない神経線維を経由して頭脳に流れ込んでくる大量の情報の解析を可能にし、結果、諸々の視覚映像が、いわば、視覚映像構築を司る『文法』に従って組み立てられるわけである。)[53]

 

All that was needed to complete the process was for a change in climate and the continuing geological changes wrought by the widening of the rift to isolate a few pockets of soft fossil-bearing rocks where they can be eroded today, ...

[for意味上の主語to V]

John Gribbin and Jeremy Sherfas The First Chimpanzee

(あとは、気候が変化し、断層の拡大で地質が絶え間なく変化することで、柔らかい、化石を含んだ岩の穴がいくつか、今日侵食を受けうるような場所に隔離されれば、この過程は完成である。)[54]

Nothing is more common in nature than for surface features of a phenomenon to be both caused by and realized in a micro-structure,...

John Searle Minds, Brains & Science

(ある現象の表層的な特徴が、ミクロレベルの構造によって引き起こされ、また同時に、ミクロレベルの構造において実現されているというのは、自然界においては極めてありふれたことである。)

 

(3) 相関構文

相関構文というのは二つ以上の語句が連動して一つの意味を持つ文法構造のことである。ここでも、(1)(2)同様に相関構文の片割れを見つければ、残りのもう一方を探す、という意識が大きくものを言う。相関構文に関して、どのようなものがあるか、比較的特殊な変形が起きているものにも焦点を当てながら以下に示す。特にso that構文は他の特殊構文などと相まって様々に変形を遂げるので入念に確認しておく必要がある。

 

・...the chain of evil it initiates not only in the world that must support life but in living tissues is for the most part irreversible.

Rachel Carson Silent Spring

(生命を維持しなくてはならない世界においてだけでなく、生物細胞においてもそれが口火をきった悪の連鎖は、大部分において不可逆的なものである。)

 

By such means, they not only gain worldwide attention for what would otherwise often be minor causes, such as the freeing of other accused terrorists, but they elevate their splinter movements to the status of nations by forcing the major powers of the world to negotiate with them.

S.I. Hayakawa Language in Thought and Action

(このような手段によって、彼らは、捕らえられている他のテロリストの解放といったような、本来(そのような手段無しには)さほど大事ともならないような理由のために、世界中の注目を浴びるだけでなく、世界の大国に彼らと交渉することを余儀なくさせることによって、彼らの反国活動を、国家の地位にまで高めるのである。)[55]

For by then I knew Akira well enough to realize he was not saying ‘old chap’ by way of subtle admission that he had previously been wrong; rather, in some odd way we both understood, he was implying that he had always been the one to claim it was ‘old chap’

Kazuo Ishiguro When We Were Orphans

(というのも、その頃には私はアキラのことをよくわかっていたので、彼が、自分がそれまで間違っていたということを微妙に認めるニュアンスで、オールド・チャップと言い直しているのではないと理解できたからである。むしろ彼は、私たちの二人ともが納得していた奇妙な方法で、『オールド・チャップ』が正しい、と常に主張していたのはまさに自分の方だ、と言わんとしているのであった。)[56]

 

Brum had a great admiration for fat women; not so much, I believe, as his particular type of beauty, but for the good nurtured qualities he claimed corpulence denoted.

W.H. Davies The Autobiography of a Super-Tramp

(ブラムは太った女性に対して偉大なる賞賛を抱いていた。私の思うところでは、彼の美の理想がそうなのだからではなく、彼が主張するところの、太った女性は性格がいいということのためである。)

 

It is not appreciation of the artist that is necessary so much as appreciation of the art.

Bertrand Russell

(必要なのは芸術家の評価というよりも、芸術の鑑賞である。)

 

There can be few areas of social psychology that are simultaneously as fascinating and as frustrating as that of interpersonal cooperation and competition.

―出典未詳

(社会心理学の分野で、個人間の協力と競争ほど、興味深いと同時に欲求不満にもさせてくるものはそうはあるはずがない。)[57]

 

With industrial progress, from the substitution of mechanical and then nuclear energy for animal and human energy to the substitution of the computer for the human mind, we could feel that we were on our way to unlimited production...

Erich Fromm To Have, or To Be?

(動物や人間の力を、機械や、さらには核の力で代用することから、人間の精神をコンピューターで代用することにまで及ぶ、産業的な進歩のおかげで、私たちは、際限のない生産へと向いつつあると感じることができた。)[58]

 

Mr. Tomlinson rightly notes that the pace of progress has accelerated so much since men like Bell and Samuel Morse and Guglielmo Marconi made their revolutionary breakthroughsthe phone, the telegram and the precursor of radiothat the individuals responsible for the big breakthroughs of the latter day computer age go virtually unnoticed.

The Japan Times 2001 12/16

(トムリンソン氏は、ベルやサミュエル・モース、マルコーニといった人たちが革命的な大発明―すなわち、電話、電報、ラジオの前身の発明―を行って以来、進歩が極めて急速になってきたため、コンピューター時代の後半に大発明を担った人々は、ほとんど注目をされないままになっているということを指摘しているが、これは正しい。)

 

So extensively are even the rapidly lethal organic phosphorus insecticides applied to lawns and ornamental plants that in 1960 the Florida State Board of Health found it necessary to forbid the commercial use of pesticides in residential areas by anyone who had not first obtained a permit and met certain requirements.

Rachel Carson Silent Spling

(急速に人を死に至らしめる有機リン系の殺虫剤までもが、芝生や植木に極めて広範囲に及んで用いられてきたので、1960年にフロリダ州保健局は、許可を得て特定の必須条件を満たしているもの以外が住宅地域での殺虫剤を散布するのを禁止する必要があると考えた。)[59]

 

So great and profound was the effect of ‘Copernicus’ hypothesis on the intellectual world, that philosophers and scientists have since coined the phrase ‘Copernican Revolution’ to describe world-changing ideas.

Phillip Storkes Philosophy 100 Essential Thinkers

(コペルニクスの仮説が知の世界に与えた影響は、あまりにも大きく、あまりにも深いものだったので、以来、哲学者や科学者達は、世界を一変させるような理論を指すのに、「コペルニクス的転回」という言葉を用いてきた程である。)[60]

 

(that) I fastened desperately on to this explanation, recoiling in horror at the thought of another, simpler one, so essential for my safety did it seem that there should exist on this planet properly rational creatures, that’s to say men, men like myself, to whom I could explain myself.”

Pierre Boule Planet of the Apes

(私は必死でこの解釈にしがみついた。もう一つのもっと単純な解答の可能性は怖くて考えることができなかった。というのも、私が無事でいられるためには、この惑星に十分合理的な生き物、―つまり、私のような人間―がいて、自分のことを説明できる、 ということが極めて不可欠であるように思われたからだ。)[61]

 

There is no one so hard worked but they can get leave to go off somewhere at this season.

Henry James Daisy Miller

(この時期に休暇をとってどこかへいけないほど働かされている人なんていないわ。)[62]

 

 

2−5.本章のまとめ

以上、文法運用力というものをできるだけ多くの例文を用いながら確認してきた。もちろん、これだけでは全く十分に網羅したとは言い切れず、不完全な部分も目立つが、文法構造に対する意識とは何か、そして、それがどのように読解で活きてくるか、ということに対する根本的な理念は示せたように思う。しかし、まだまだ多くの人が、このような技術に対してかなり懐疑的なのではないかと予想される。そう言う人たちの第一の反論は、文法構造の把握と言っても、単純に物理的に把握できない(意味の要素を考慮に入れなければならない)場合も実際には少なくない、ということであり、第二の反論は、受験英語などに対してよく向けられる批判が、『字句のみにきゅうきゅうして思想を考えようとしない』ということであるのを考慮すれば、上記で私が示したような読解法はまさしく受験英語の悪の部分の権化なのではないか、というものであろう。

第一の反論については、かなり的を得ている部分もあるように思うが、しかしながら、意味の要素とは何か、という問題は今だもって決して決め付けることのできない難問であり、ある人が意味的に考えて『ABにつながる』と解釈する部分を別の人は『BAにつながる』と解釈する場合も決してないとは言えない。それに対して、文法構造上の問題は大方が意見を一致させるものであり、比較的固定されている。我々が意味の要素(背景知識と言ってもよい)を発動し、その結果得た結論を自信を持って正しいと言えるのは、その前提として揺ぎ無い文法の構造に依存しているからであろう。ゆえに、文法運用力を確立せずに、意味の要素を重視することは極めて危険であると言える(もちろん、意味要素の判断も極めて重要な役割を果たすことについては、筆者も異論はなく、それに関する詳細は第二部で扱うつもりである)

第二の反論は、まさに言葉の魔術に巧みに欺かれた人の反論である。『字句のみにきゅうきゅう』するのは何故か、ということを考えて欲しい。それは我々が構文レベルの知識や言語形式の解析にスタミナをあまりに要してしまうからである。この意味で『思想を考えようとしない』という言葉は厳密に言えば間違いで、『思想を考える余裕がない』と言った方が正しい。この言葉だけを見れば、あたかも学習者の姿勢に問題があるかのように思えるが、実のところ、本当の原因は学習者の構文解析能力の不足に他ならない。

この二つの反論と関係して、次章では、本物の読解力というものは普通考えられているよりもはるかに、言語面での知識と意識に依存しているということを考察していく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第三章.文法の重要性を探る−誤訳と誤読から−

本章では、プロの訳者が実際におかした誤訳や、学習者が読解に非常に苦労する英文などを検討しながら、言語形式面での運用力の重要性を確認していく。第1節では、プロの誤訳を取り扱い、第2節では筆者が実際に友人等にテストとして読んでもらった英文を用いて考察する。

 

3−1.誤訳について

3−1−1.誤訳を扱う意図

このセクションでは上述の通り、プロの訳者がおかした誤訳について取り扱う。しかし、その前に誤解を避けるために言っておくが、ここでの誤訳研究は「プロなのにこんな構文も見抜けないのか」といような批判的な意図に基づくものではない、ということである。どれほど英語力をお持ちの方でも、勘違いということは起こりえるだろうし、数百ページにも及ぶ大量の翻訳を行い、一つもミスを犯さない方が不自然である。ここで誤訳を取り上げるのは、あくまで英文読解においてミスが生じうる際の、その根本的原因を探るためであり、プロの訳者という英語に熟達した人が犯した誤りであるからこそ、外国語として英語を学ぶものにとって、根源的な問題点を提示してくれる可能性がある、という期待ゆえであることを確認しておきたい。

 

3−1−2.定義

誤訳についての考察を始める前に、混乱があっては困るので『誤訳』という用語をここではどのような意味で用いるかを定義しておく。ここで筆者が用いる『誤訳』が意味するのは、原文の解釈のレベルで生じたミスが原因となる訳文のことであり、原文の解釈では正しいが、日本語の表現として適切ではない、という類のものは含まない。では、以降、具体的に誤訳例を考察していく。

 

3−1−3.誤訳例(その1) コンラッド作/中野好夫訳『闇の奥』岩波文庫

まず、問題の箇所を記載する。

 

『醜悪といえば―そうだたしかに醜悪だった。だが君たちにして本当に勇気があると言うのなら、いやでも承認しなければならないと思うのは、現に君たちの胸の奥にも、あのあからさまな狂騒に共鳴するかすかなあるものがたしかにある、しかもその共鳴感にはちゃんと一つの意味―なるほど、それはもはや原始の闇黒からあまりにも遠ざかってしまった君たちには、とうてい理解できぬものであったかもしれぬが、―たしかに一つの意味があるらしいということだ。』(P73)

 

日本語だけを読めば、少しもおかしくはないように思われる。しかしながら、原文と見比べて見ると、明らかに問題点が浮上する。下線部に注意しながら、比較してみて欲しい。

 

Yes, it was ugly enough; but if you were man enough you would admit to yourself there was in you just the faintest trace of a response to the terrible of that noise, a dim suspicion of there being a meaning in it which youyou so remote from the night of first agescould comprehend.

 

原文を注意して見てもらえば分かるように、最後の部分がcould comprehendになっている。にもかかわらず、訳文では『理解できぬかもしれぬ』と訳されている。これは明らかにおかしい。一体なぜこのような誤訳が生じたのであろうか。ここでさらに入念に双方を見比べてみると、訳文ではa meaning in ititを『共鳴』として捉えているということがわかる。筆者の推測では、訳者があからさまに否定文でない部分を否定で訳している原因は、このitの把握ミスにあるのではないかと思われる。つまり、訳者はこのitを『共鳴』であると思い込んでしまったがゆえに、could comprehendを原文どおり訳したのでは意味が通らなくなったのである。なぜなら、『君たち』の中にある『あからさまの狂騒に共鳴するかすかなあるもの』はあくまで、『かすかなもの』であり、決して明瞭ではない。仮に、『君たち』がその『共鳴感』がなぜ生じているのかを理解している(itを『共鳴』とみなす)ならば、『かすかなもの』は『かすか』ではなくなってしまう。このような論理関係の矛盾から、訳者は訳文に強引な変形を加えざるを得なかったのであろう。しかしながら、この誤訳を生んだ最大の原因は、itを取り違えたこと、それ自身というよりもむしろ、訳文の意味が通らないと考えた時に、まず、言語面での勘違いを疑ってみるという姿勢の欠如であると思われる。仮にそのような試みをしていたならば、itが『共鳴』ではなく『あからさまの狂騒』を指すということに気付き得た筈である。そうすれば、a dim suspicion of there being a meaning in it which youyou so remote from the night of first agescould comprehendという部分は、『その狂騒の中には、自分が、―こんなにも原始の暗闇の時代からかけ離れたしまった自分でさえ― 理解することのできる何かしらの意味が宿っているのではないかというおぼろげな疑い』という意味になり、the faintest trace of a response to the terrible of that noiseの同格表現として全く無理な改造を施すことなく成立する。全体を訳しなおせば、

 

そう、それは醜かった。でもね、もし君たちに勇気があれば、君たちは自分自身に対して認めるだろうよ。自分たちの中に、ほんの極めてかすかだけど、あのひどくあからさまな狂騒に対する共鳴の痕跡が残っているってこと、つまり、おぼろげながらも、あの狂騒には、原始の暗闇から遠くはなれたはずの自分たちにも理解できるような何かしらの意味が、宿ってるような感じがするってことをね。                                      

(筆者訳)

 

とでもなるだろうか。

 この誤訳から得られる英文読解の教訓は、まず何よりも言語面での分析を徹底させること、そして、仮に意味が通らないと思った際に、日本語を改造するのではなく、あくまで原文に立ち戻る、ということである。その姿勢を欠いてしまうと、プロの英文学者であった博学の中野好夫氏ですら、正確に意味を見出すことを失敗するということを考慮すれば、いかに英文読解において、あくまで文法に重きを置き、自分のミスを探す際には常に文法を意識することが重要かがわかる。

 

3−1−4.誤訳例(その2) ダーウィン作/八杉龍一訳『種の起源()』岩波文庫

まず、訳文を示す。

 

まず第一に、私は、育種家のあいだでほとんど普遍的である信念と合致してつぎのようなことがらを示す、きわめて多数の事実を集めた。それは、動物でも植物でもちがった変種間、あるいは変種はおなじだが系統を異にした個体間の交雑では、強壮で多産な子孫が生じること、他方、近親間の同系交配では強壮性と多産性とが減少すること、そしてこれらの事実だけでも、こんな生物も子孫を永続させるために自家受精するのではないというのが自然界の一般法則(われわれは法則の意味については全く無知なのであるが)であって、他の個体との交雑がときどき―たぶんひじょうに長い間隔をおいて―おこなわれねばならないということを、私に信じさせるということである。(P132)

 

これは先ほどの『闇の奥』よりはるかにわかりにくい。しかし、一文が長く、用語も簡単ではないため、訳文を見ただけでは誤訳かどうかは判定しづらいのも事実である。そこで原文を見てみると、謎が一気に氷解する。

 

In the first place, I have collected so large a body of facts, showing, in accordance with the almost universal belief of breeders, that with animals and plants a cross between different varieties, or between individuals of the same variety but of an-other strain, gives vigour and fertility to the offspring; and on the other hand, that close interbreeding diminishes vigour and fertility; that these facts alone incline me to believe that it is a general law of nature (utterly ignorant though we be of the meaning of the law) that no organic being self-fertilises itself for an eternity of generations ; but that a cross with another individual is occasionally perhaps at very long intervals indispensable.

 

 

さきに、どこが誤訳か明らかにしておこう。原文と訳文を見比べればはっきりするが、訳者は2行目のbreedersに続くthat5行目のand on the other handに続くthat、さらに同じく5行目のセミコロンに続くthatを全て、一行目の分詞句showingの目的語として解釈している。結論から言えばこれは構文把握ミスであり、最後のthat節だけは1行目のso large a body of factssoと対応して、sothat構文を形成しているという見方が正しい。さらにこれ以外にも、問題のthat節内で、訳者はbelieve that...but that〜という並列で考えているが、これも正しくなく、最後のbut thatthat節は、直前のthat no organic being self-fertilises itself for an eternity of generationsと同様、it is a general law of natureという文の真主語である。さらに語彙レベルで微妙なところもあるが、ここでは少し脇において、以上のような大きな構文把握ミスが生じえた理由を考察してみたい。まず、最大のミスであるsothat構文の取り違えについてだが、原因の一つには当然、第2章で扱ったような、so形容詞という形が出現した場合に、後ろにthat節があるのではないかと疑いながら読む、という姿勢の欠如がある。しかし、より重大なのは、やはり、とにかくも解釈にどこかぎこちない部分がある場合に、日本語の巧拙のせいにして、原文の解釈にその原因を求めていないところであろう。ここで、最後のthat節がshowingにつづかないということは、もちろん、前二つのthat-clauseandで結ばれており、しかも二つの要素であることを強調する、on the one handon the other handという語句が用いられているという文法的判断からも読み取れることであるが、一方で、前二つのthat節は純粋にfactsの内容を説明するものになっているのにもかかわらず、突然、最後のthat節で、その事実と筆者の関係性という一次元高い情報(これは主節のI have collected so large a number of factsと同次元である)が提示されることは奇妙である、という意味関係の判断からも推測できる。訳者も訳文にはどこかぎこちなさを感じていたのではないか、ということは、端々に見られる工夫からも推察される。しかし、この時点で原文での解釈に原因を求めなかったことが最大の問題である。さらに、最後のthat節内での仮主語構文の把握ミスに関してであるが、訳者はここでもやはり、日本語によりかかってしまったようである。それを証拠に、butの訳が完全に消失してしまっている。恐らく訳者は、自分の原文解釈から生じた訳ではbutの存在が邪魔になったため、訳文の方を改造してしまったのだろう。しかし、本来、このbutは前方のnoと呼応して、not A but Bの変形の構文を生み出しているのである。この部分を正しく訳すとすれば、次のようになるだろうか。

 

第一に、動物にしても植物にしても、異なった変種間、あるいは変種は同じでも異なった系統の個体間での交雑は、子孫に活力と多産性をもたらす一方、親近間での交雑は活力と多産性の減少につながるという、育種家がほとんど例外なく抱いている考えに沿う事実を、私は極めて豊富に集めてきた。それゆえ、それだけでも、いかなる生物も何世代もの長い期間にわたって自家受精することはなく、他の個体との交雑が時折―しばしば非常に長い間隔をおいて―必要不可欠になる、というのが自然界の法則(この法則が何を意味するのかは全くわからないが)なのではないかと考えたくなる。(筆者訳)

 

以上、プロの犯した誤訳を二つ考察した。

 

3−1−5.誤訳考察のまとめ

まず最初にもう一度確認しておくが、上で筆者が誤訳を指摘したからといって、これらの訳書が全体に及んで誤訳だらけであるとか、読む価値がないとか、そういったことを主張しようとしているのではない。むしろ、英語力に長け、背景知識も豊富なプロの訳者が時折見せるミスにこそ、読解の根源的な問題が潜んでいるのではないか、という観点から、わざわざプロの誤訳を考察の対象としたのである。結果として、非常に有益な教訓が得られた。つまり、圧倒的な英語力を持つ人間にとっても、やはり文法に対する意識が甘くなると、読解において大きなミスが生じうるのであり、それは背景知識やスキーマでも決して補いきれないものである、ということである。ここで言及したような訳者に、英語力にしても背景知識にしても、絶対的に劣っているはずの筆者が、彼らが間違いを犯したところで必ずしも同じ間違いを犯さないのは、一重に、文法に対する意識を極限まで研ぎ澄まして英文に望み、納得がいかなければ、必ず原文に立ち戻る、という姿勢ゆえであろう。そして、その姿勢こそ、本質的なリーディング、いわば、ネイティブ・スピーカーのリーディングに最も近い姿勢であると言える。現在の多読や直読直解といった流行は、見せ掛けだけネイティブ・スピーカーぶろうとするきらいがある。感覚だ、英語のままだ、と言ったところで、我々が根本的に欠いている知識と意識を無視したままでは効果は期待できないだろう。

 

3−2.誤読分析

次に、筆者が、後輩や友人等にテストとして考えてもらった英文を取り上げる。まず、第一の例においては、文法に対する意識が読む際に大きな武器となる場合を考察し、第二の例においては逆に、学校文法というものに裏切られる例を検証する。

 

3−2−1.読解文法の威力

まず、次の英文を下線部に注意しながら見て欲しい。

 

Knowing the language L is a property of a person H; one task of the brain sciences is to determine what it is about H’s brain by virtue of which this property holds. We suggested that for H’s brain to know the language L is for H’s mind/brain to be in a certain state; more narrowly for the language faculty, one module of this system, to be in a certain state SL. One task of the brain sciences, then, is to discover the mechanisms that are the physical realization of the state SL.

Noam Chomsky The Knowledge of Language

 

この英文の下線部は相当読みづらいようである。かなり英語ができるような人でも、構造が取りにくいというのである。かつて、この英文について、友人数人に聞いた際には、determine what it is about H’s brain by virtue of which this property holds.という部分を、determine / what it is about H’s brain / by virtue (of which this property holds)という風に分解して考える人が殆どであったが、この読み方では問題点が浮上する。というのも、まず、itが何を指すのか分からない。さらに、by virtue of whichをわざわざ、by virtueof whichに分解するのであれば、なぜ、筆者がby virtue ofで一塊の群前置詞と紛らわしいような書き方をするのか、という問題もある。最終的には、仮にこのような分析の仕方で解釈した際に、『この特性が保持する利点によって、人間の言語に関してそれが何であるのかを決定する』となり、意味がわからない、という状況に陥ってしまう。

ところが、面白いことに、ガチガチの受験英語を勉強してきた人で、この英文により整合性のある解釈を提示した人もいたのである。より整合性のある解釈とは、この英文のwhat it is about H’s brain by virtue of which this property holdsが分裂文である、とする解釈である。確かに、後方にthatはないものの、分裂文のヴァリエーションも扱った2−3−3.を見てもらえばわかるが、前置詞+関係代名詞が分裂文のthatを代用する事例は少なくない。さらに、2−3−3.の(3)で扱った、疑問詞 it is 前置詞句という構造とはまさに一致している。そこで、分裂文として解釈してみるとどうなるか。

まず、分裂文以前に戻せば、by virtue of what about H’s brain this property holds ということになり、さらにこれを疑問代名詞節化される前の標準的な文の戻すならば、this property holds by virtue of something about H’s brain(この特性(言語を知っているということ)は人間の脳に関する何かのおかげで機能を発揮している。)ということになる。とすれば再び原文に戻って分裂文として解釈すれば、『この特性(言語を知っているということ)が効力を発揮するのはH(人間)の脳における一体何のおかげなのか』ということになる。よって、この下線部部分全体を解釈すると、『脳科学における一つの課題は、この特性が効力を発揮するのはH(人間)の脳における一体何のおかげなのか、を明らかにすることである。』あるいは、『脳科学における一つの課題は、この特性が効力を発揮することを可能ならしめるのがH(人間の脳)における一体何であるのか、を発見することである。』という感じになるだろう。この解釈は、この部分だけ見ても容易に理解できる内容であるし、また、このパラグラフの最後のOne task of the brain sciences, then, is to discover the mechanisms that are the physical realization of the state SL.『脳科学における一つの課題は、それゆえ、いかなるメカニズムがSL状態(人間の精神が言語を知っているという状態)を物理的に実現しているのかを発見することである。』という内容に完全に合致する。ここでは、『特性が効果を発揮する』とは『人間の精神が言語を知っている(状態にある)SL状態』ということであり、『それを物理的に実現する』のは当然『脳に関する何らかの機能』であるからだ。

確かに、ここまで考えれば、学習者にとって容易な構文で書かれているとは言えない。しかし、文構造を追及し、それが分からないと解釈はしない、という読み方を徹底させているものにとっては、2−3−3.で扱った、『what it is aboutという形がきたら、まず、分裂文を疑え』、という法則が自動的に発動するがゆえに、このような英文も難なくスラスラと読めてしまうのである。恐らく、受験生でも英語の得意な人ならば、この英文をきっちり読解できる者は少なくないだろう。確かに、仮に受験生がそのような法則を用いて、偶々このように難しい文を解析できたとしても、それは丸暗記に近いものがあり、本質的なところを判っていることにはならない、という批判は完全に的外れとは言えない。しかし、難しい文を読めるということは学習者に圧倒的な自信を与えうるし、また、短期間で高等な英語の意味を、仮に本質的とは言えずとも、理解できるようになるためには不可欠の事項であると筆者は考えている。多読の概念では、簡単なものを大量に読む、ことが強調されているようだが、本当に効率のいい学習法というのは、エッセンスが複合的につまった複雑な事象に必死で喰らいつき、そこから自分なりに帰納して法則を導き出すことであると筆者は考える。これは、ネイティブ・スピーカーですら「なんでわざわざこんな複雑なところを問題に」と嫌な顔をすると言うような、難関大学の下線部和訳問題を、ひたすら解きながら、間違えたとすれば自分にどの知識が足りなかったのか、あるいは、仮に知っている筈の知識で躓いたとすれば、なぜその知識が正常に発動しなかったのか、を逐一分析、考察した上で、さらに新しい問題へとどんどん挑む、ということを繰り返した結果、ものの一年で、文法的に見抜けないとか、構造的にわからないという英文が殆どなくなり、同時に英語の教養書や英字新聞等もかなり理解できるようになった、という自己体験に基づいている。

 

3−2−2.読解文法の弱点

上のセクションでも言及したように、いわゆる読解文法に本質的でない部分があるのは事実であり、その点を認めるのに筆者は吝かではない。ここでは、受験的な読解文法が苦戦を強いられる英文を具体的に挙げ、それを考察してみることにする。

 

Descartes' own position on dreaming is not easy to unravel, but there are hints in the Meditations and elsewhere that he was not really interested in discovering a criterion for infallibly telling whether one is awake or dreaming, while one is dreaming. Indeed, later on in the First Meditation he goes on to suggest that even if we were dreaming, there are some things we might still have a right to be sure of, because even within a dream their self-evidence would be apparent, though might we not only be dreaming their apparent self-evidence, one feels like asking.

Anthony O’Hear What Philosophy Is

 

この英文の下線部、特に、though以下の構造は、かなりに伝統文法(あるいは受験文法)といわれるもので修練を積んだ者にとっても、難題となる。though might we not only be dreaming their apparent self-evidence, one feels like askingにおいて、might we not only be〜の部分がどのような機能を果たしているかが看破できないのである[63]。多くのものは、完全に混乱してしまうか、あるいは、might weの構造を見て、ifの省略による倒置ではないか、と疑うものの、仮定法とするには帰結節がないことからそれ以上進まなくなる。しかし、恐らく、英文法の真の本質を理解している者(いわばネイティブ・スピーカーやそれに近い感覚を有する者)にとっては、ここがifの省略による倒置なのではないか、と疑う力を持っていながら、正解に辿りつかない、というのは奇妙なことに思えるであろう。それは悲しいかな、ifには名詞節と副詞節の双方の機能があって、一方は『〜かどうか』を意味し、もう一方は『もし〜すれば、たとえ〜しても』を意味すると教えられ、あたかもその二つには何の関連性もないかのように考えてきたがゆえに起こる失敗である。

しかし、そもそも同じ形態をするifという言葉が、なぜ一方で『かどうか』という意味になり、なぜ一方で『もし〜/たとえ〜』という意味になるのか、ということ、さらには、なぜ疑問文と同じ語順でifの副詞節を代用できるのかということを、一度でも考えてみれば、この英文に秘められた全ての謎は氷解していく。Quirk(1985)には次のような言及がある。

 

条件副詞節のifと、疑問文を間接話法にした際に用いられる名詞節のifには密接な関係がある。すなわち、双方ともが節の内容が真実であるかどうかについて不確定であるという意味合いを含むのである。次の二つの英文を比較してみよ。

 

If she wants you, (then) she will say so.

Does she want you? (Then) she will say so.

                           Quirk et al(1985)(引用者訳)

 

さらに、Bolinger(1985)でも、語順が倒置されるのは、仮想的な意味合いを強めるためとして、疑問文とif節の代用としても倒置表現の間の関係について言及している。換言すれば、ネイティブ・スピーカーにとって、ifの代用の語順倒置と疑問文は表裏一体のものであり、片方に意識がいってもう片方にいかない、などということはあり得ない、ということになる。ところが、日本の文法教育ではこれらがあたかも別々のものであるかのように教えられる為、受験文法をかなり学んできた人であっても、冒頭の例文のような構造には戸惑ってしまう。

 しかし、だからといって伝統的な読解文法が無意味であるとか、瑣末なものに過ぎない、と言い切ってしまうのは間違っている。そもそも、疑問文と条件文の関係は、上記のQuirk et al(1985)が挙げている例文を我々が理解できることからも分かるように、決して英語に特有のものではない。つまり、受験文法で学んだ知識に日本語の言語感覚でうまく味付けして、英文を単に日本語を暗号に置き換えたものとしてではなく、言語として読む力を養えば、このような例文も十分に読解可能であるということは忘れてはならない。

 

3−2−3.まとめ

以上、一般に難しいとされる英文を用いて、伝統的な読解文法の利点と弱点を考察したが、確かに、読解文法には欠陥も見られるものの、我々の母語能力をもってしてそれを補うことで、かなり有用なツールとなるということが結論として得られる。一方で、母語と文法を的確に融合して放つには、意味の要素が大きく関わってくるということは間違いのない事実であるように思われる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

4章.総括

以上、文法構造とその判定の方法に重点を置きながら、英文読解の本質と方法論を探る試みを行ってきた。その中で、もちろん文法だけでは解決の仕切れない、意味の問題にぶつかることもあったが、一方、多くの人が考えているよりも、英語が読めるかどうかは文法の使用法を知っているかどうかに依存している、ということも示せたのではないかと思う。文法の知識と使用のみでは対処仕切れない英文読解の諸相については、主に第二部において論じるつもりであるが、その際においても、意味要素の判断をどのように文法知識と結びつけるか、が最大の論点となるであろう。結局は意味に対する推測も、あるいは背景知識も、文法構造の不明瞭な部分を正確に把握する、その瞬間のみにヒントとして発動すればいいのであって、それ以外の場合も無駄に使用しすぎると、誤読の可能性を高めるに過ぎない、と筆者は考えている。これには、最近筆者が、正確かつ迅速に読む、という規準から見た場合、ほんの稀にではあるが、ものによっては英語が母語を凌駕している時があるのではないか、と感じていることからの影響もある。日本語で読むにあたっては、余計な背景知識が多すぎる上に、自分の読み取った内容を検証できる程の統語法に対する知識も意識も欠いているので、気付かぬ間に誤読していることが多いようにさえ思われるのだ。一方、英語は音に惑わされず、純粋に文字の意味のみを追うことができるので、正しい読みができているように感じられる。もちろん、これは論文など、比較的抽象論を述べたものの場合であって、小説や随筆などでは、当然、日常的なものに対する知識が圧倒的に欠如しているために、日本語の方がはるかに読みやすいということはある。しかし、いずれにしても、統語的構造にある程度意識を持たずしては、どのような言語も本当には読みこなせない、というのが筆者の考えである。そして、その統語的意識は外国語の学習を通して最も覚醒しやすい。ゲーテが『見知らぬ言語を知らぬものは、知っている言語についても何も知らない』と言った所以は、そういうところにあるのではないだろうか。

 

 

・反省と今後の展望

文法力の追求と言いながら、重要な文法項目でいくつも扱い損ねたものがあるのは悔やまれる。また、かなり短期間で多く調べたこともあって、とんでもない間違いを犯している可能性もある。まだまだ時間はあるので、これらの点は、再度検討、検証し、改良を加えていきたい。一方、第二部、第三部と贅沢な構想があることも確かであり、その辺の折り合いをどうつけて、うまく卒論に繋げるかが今後の主な課題となっていくだろう。

 

 

 

[Notes]

[1] この例文の下線部は、文法的にはthe belief(S) is(V) only an extrapolation(C)という構造である。副詞節であるjust asの直後にthe beliefという名詞がきた時点で、それが恐らくその節中の主語であると検討がつく。よってその名詞にいかに長い修飾語がついていようととりあえず無視して必ず存在する動詞を探す、という姿勢が大切である。こうすれば、仮にthe belief以下の同格節内の構造がわからなくても、少なくとも『何らかの信念が過去の経験からの推測に過ぎない』という命題は正確に理解できるのである。ちなみに主語のthe beliefに続く同格のthat節内は、the parts of it (that I am not now touching)(S) remain(V) as they did (when I was touching them(the parts))(C)という構造。これを瞬時に看破するためには、the partsSであることに意識しながら、touchingが他動詞であるという知識を同時に発動させ、remainの前で一つの固まりが終了するということを読みながら即座に察知せねばならない。  

[2] このように過去分詞形が先頭にきた場合も意識が必要。分詞構文、単なる前置修飾、CVSの可能性がある。単なる前置修飾の場合は直後に名詞がくる一方、分詞構文なら後ろに主文(SV)が存在するが、ここはそのどちらでもない。

 

[3] Among the explanations (put forward for the finding [that woman use more prestige forms and are more concerned with politeness than men])(C) is(V) [that using non-standards forms of speech carries connotations of masculinity.](S)という構造。Amongから始っている時点で普通の語順であるとは考えない。必ず後ろにVSがくると意識しながら読むことが肝要。ちなみに、Amongで始る文には、今回のようにbeという動詞が置かれる場合と、be included(counted)などの助動詞+Vが置かれる場合がある。ここでは前者をCVS、後者を副詞+VSの構造であると見なしている。

 

[4] take O in one’s strideは『Oを簡単にこなす』

 

[5] What television news loses in depth and specificity by comparison to printed reports(O), it (S)often gains(V) in breviety and emotional immediacy. 目的語の前置では名詞節が目的語となっている場合も多いことに注意。文がThatwhatの形成する名詞節などで始まった場合には、節の直後にVがきてSV〜の通常の語順となる場合と、節の直後にSVがきてOSVの語順となる場合があることを意識しておく。

 

[6] This erroneous idea there can be no doubt that…ときた時点で、目的語の前置を疑えなければならない。主語の可能性は直後にno doubtという主語があることから排除できる。分詞構文のbeingの省略であるならば、カンマも全くないのはおかしい。英語の構造上、前置詞に支配されずに一見浮き出た名詞構造をとれるのは、主語と他動詞の目的語のみである。ここでは、後ろの同格のthatを飛び越えて、entertainの目的語が前に置かれている。ちなみに、後半のbut forwithoutの意味。最後の節のrevolutionsは当然、『回転』と考えなければ意味が合わない。

 

[7] who find their libidos drained by surgery, menopause, crying infants or overwork.ではfind OCOCだと考える』に注意する。

 

[8] (For) (by how much the ruled blend and lose themselves into a compact whole), (by so much)() is() softened(V) the poignancy of their individual futility(S)という構造。文頭のForは『理由の接続詞』であり、by how much, by so muchは『同格、繰り返し』で、howsoが対応している。前置詞句が長くなったため、もう一度言い直し、確認している。

[9] 副詞nowhereは『どこにおいても〜ない』という副詞。この文は比較構文の中でも、副詞句を比較するという点で最も複雑な様相を呈する。基本はNothing is more beautiful than her smile.のような文と同じであるが、ここではNowherein the Middle Eastが比較されている。

 

[10] (only through strict adherence to the tenets (they teach))(否定の副詞) can() salvation(S) be achieved.(V)という構造。最初のonly throughですでに倒置構文を意識し、tenetsで前置詞句が終了すると一瞬考えても、they teachが倒置を起こしていないことから、これがこの文のSVではないということを即座に判断する。ちなみに、この文全体でのポイントはthe belief that...and that...の同格節関係をつかむことである。

[11] これ以外に譲歩を表すものとして、Let O Cの命令文を副詞的に用いる場合が挙げられる。Let him say what he may, I will go.(彼が何と言おうとも、私は行くつもりだ。)

 

[12] were it the case that…は、it is the case that節『that以下は事実である』とifの条件節の省略倒置が融合した構文。文末のitthe worldを指す。

 

[13] ,akes(V) possible(C) (through transmission of ideas and practices)() the constant reweaving of social fabric(O)で、SVCOの倒置にさらに副詞句が挿入されている。このような構造を把握するためには、make possibleという構造がきた時点で、SVCOと考えてOを探しにいく意識が必要である。

 

[14] 全体は分裂文。It isthatを消去してやれば基の形が見える。全体的にour ignorance of〜やthe widely held beliefなど、英語的な名詞表現が目立つが、『適切な心理学的、生理学的事実に対する我々の無知こそ、〜という広く普及した信念を可能ならしめているのである』としても、十分に意味は通じる。

 

[15] 全体はIt is 形容詞 to-Vの形式主語構文で、enough toの繋がりではない。ここも、reproduceの後ろに突如前置詞句がきていることを不審に思い、後方に目的語があると考える。前置詞句の切れ目と目的語の境目は名詞が続いているところ、というルールも意識する。

[16] 結果の不定詞 , only to-Vに注意。意味は『結局〜しただけだった』。I visited my doctor, only to find him absent.『医者を訪れたが、彼は留守だった。』後半の、discoverthatの部分は一種の副詞節の『挿入表現』としても考えられる。2−3−4.参照。

 

[17] This sort of art,… is meant to excite laughter, that(sort of art) (is meant) to provoke tears.という省略構造。Thisthatはここでは特に意味はなく、this or that『あれこれ』の応用表現。また、artは『技巧』の意味。カンマで挟まれたwe learn in childhoodは2−3−4.で扱う主節の挿入。

[18] This(O) they(S)declared(V) unpropitious(C) and that(O2) (they declared) imperative(C2), this(O3) (they declared) an omen of good(C3) and that(O4) (they declared) an omen of evil(C4)という構造。目的語の前置がおこり、さらに、SVの省略が二つめのOC以下で生じている。ここも、this or thatの対応に注意することが肝要である。

 

[19] この例文は厳密には比較構文における省略だが、もはやasthanも前置詞化している。次の例文で、asfromと等価に用いられていることがその根拠となる。また、learn to-Vは『Vできる(する)ようになる』の意味合いが強い。

 

[20] this greater variability is simply due to / our domestic productions(S’) / having been raised under conditions of life...(V’)という動名詞構文に注意。conditions of life not so uniform as, and somewhat different from, those to which the parent species have been exposed under natureでは、asfromの共通の目的語が、those(conditions)である。

 

[21] 動詞部の、do have 〜のdoは強調のdoで『実際』という意味。a rather more detailed interest in and appreciation of motives as cause.の箇所では、inの後方に目的語がないことを不審に思い、後方にそれを求める姿勢が重要。等位接続詞andは文法的に等価のものを結ぶという意識も有益である。

[22] 分裂文の焦点に副詞節がくる場合、when節かbecause節のどちらかである。基本的にit is when, it is becauseで始る文は分裂文の可能性が極めて高い。なお、単純に『これはなぜなら〜』という文の場合はthis is because S V, that is because S Vになる。It is because S V.という形は基本的に分裂文のthat以降の省略である。

 

[23] It is almost certain that〜は当然、形式主語構文である。形式主語構文というのは、もともと、to 不定詞句やthat節が主語となっていた文を、その主語を外置し、基の主語の場所に仮の主語であるitをおいたものであり、分裂文とは根本的に構造が異なる。

 

[24] Only when節は「〜してはじめて」と考えると上手くいく場合が多いが、ここでは少しニュアンスが違う。後半のthe effects of on・・・は『〜が…に対して与える影響』で、ofonは両方ともthe effectsを修飾し、前者が『主体』、後者が『客体』を意味している。

 

[25] who are being killed by the otherthe otherは『二つあるもののうちのもう一方』という意味であり、ここでは『夫婦のもう一方に』という意味。適当に『他人に殺されている』などとしてはならない。 rather than it being parents and children or genetically related individuals who are victims and killers.で下線の部分は分裂文であると同時に、主語をもつ動名詞構文となっている。分裂文を強引に動名詞にしたので、意味上の主語の位置にitがきてしまっている。

 

[26] 主となるのはfind out (V) (from the writers on aesthetics) (副詞)what it is(O)という構造。目的語における[what it is ] and [what exactly]の並列にも注意。

 

[27] assume(V) (as certain) many things(O)assume O as COCとみなす』の倒置形。仮に強引に、certain manyとつなげようとしても、目的語がなくなるのですぐに間違いに気付くべき。are found to be so full of apparent contradictions that…は当然、sothatの構文。only a great amount of thought enables us to know what it is that we really may believe.は無生物主語。『多大な思考のみが我々に、一体何を本当に信じていいのかを知ることを可能にさせてくれる。』

 

[28] 関係代名詞who以下はcreaturesにかかる。

 

[29] 上述の通り、これが最もパターン化できる限りでは最も複雑な分裂文構造である。基文を再現すると、Something about human beings renders them capable of performing this feat. であり、この文のSomethingを尋ねる疑問文ということで、What about human beings renders them capable of performing this feat?となり、これをさらに分裂文にして、What is it about human beings that renders them capable of performing this feat?となる。これが疑問代名詞節として目的語になって組み込まれているから、再び語順が元に戻り、what it is about human beings that renders them capable of performing this feat.という構造が生じている。render O Cmake O COCにする』。

 

[30] of which the analysis=the analysis of which. 関係詞のところで、the book whose name=the book the name of which=the book of which the nameは学習する筈である。

 

[31] It is Bill’s address that I lost.に近い。

 

[32] holds good(原理・規則など)が当てはまる』。

 

[33] the second question, the question of how men should try to liveは名詞,名詞の同格。これはパラグラフの冒頭の文であり、Quirk(1985)の指摘にしたがってitを前方照応ととると、意味不明になる。やはり、基底に、His thinking began from the second questionが存在する分裂文の一種と考えるべきである。

 

[34] これも、上に同じ。仮に、itが召使の『目』を指しているのであれば、後方のthis eye or thatはおかしい。

[35] 訳の部分で、…としたのは、the storyの範囲がこの一文を超えてまだ続くからである。このように主節の挿入構造では、本来の被伝達節(実際は主節になっている)が文を超えて続く場合もある。例えば次の文章はその顕著な例である。下線部分のthe argumentはどこからどこまでなのか、慎重な判断が必要であろう。

 

The latest vogue in Washington is the proposition that it really doesn’t matter whether Saddam Hussein maintained an arsenal of unconventional weapons in recent years. American troops may not have uncovered any evidence of the weapons of mass destruction the Bush administration was warning about, the argument goes. But they have found plenty of proof that Iraq suffered under a brutal dictator who slaughtered thousands, perhaps tens or hundreds of thousands of his own people, and that is reason enough to justify the invasion. We disagree.

 

[36] ここは厳密には挿入ではないが、基本概念は同じである。

 

[37] goodness knows for what reasonは接木構文と言われるもので、for some reasononly goodness knows the reasonという二つの表現の融合として捉えることができる。例えば、we spent I don’t know how much money on our vacation.という形で使用し、『我々はいくらかわからないくらい多くの金を休暇に費やしてしまった』となる。

 

[38] by, say, a summons to join the family for dinner ―という挿入部分は本来なくてもよい副詞句。「仮にdeprivedされる理由を言うなら、このようなものがあり得ますよ」、というやはり追加情報的な要素。副詞、say『言うなれば、例えば』がその意味を明示的にしている。

 

[39] 連鎖関係詞(concatenated clause)というのはJespersenの用語で、what I think is rightのような構造は、I think something is rightsomethingを先行詞として関係代名詞構造を作った結果生じたものである、とする考え方だが、学習の初期段階ではこの概念を理解するよりも挿入で学んだ方がわかりやすい。ちなみにQuirk(1985)ではこの構造はpushdown elementとして解説されているが、基本的には連鎖関係詞の考え方である。 

 

[40] through detailed chemical as well as other measuresではdetailed chemicalothermeasuresを修飾していることに注意。ここでのas well asandに近い。

 

[41] この例文のように『it is 形容詞』が挿入されることもある。このような構造は連鎖関係詞の概念を用いた方がわかりやすいかもしれない。つまり、it is inconceivable (that) S V Oの構造におけるSを先行詞として関係詞を作り、『先行詞 that it is inconceivable V O』という構造が生まれたと解すればいい。

 

[42] admire that which (with fuller insight) we should be cognizant of as something mediocreにおいて、下線部分はそれぞれ仮定法の条件と帰結になっている。また、that which=whatにも注意。

[43] An unusual presenta book on ethicsが同格。

 

[44] 副詞namely『すなわち』が同格とその機能を明示的に示している。

 

[45] 二つのin which節が同格的に結びついている。前者がより、遊びのきいた書き方であり、後者が説明的なものとなっているが、中味は同様のことを述べている。

[46] that working with your hands is a pleasure...はthe lawの同格節。ダッシュが機能関係を明確にする役割を果たしており、これに注目して文構造を把握する。最後部のespecially以下がworking with your handと同格であることに注意。このように同格語句が修飾語を従えて長く複雑になった場合は、外置されることも少なくない。これを看破するには、especiallyが何を修飾しているのかを慎重に考えなくてはならない。

 

[47] the notion came to me this was what each of us would go through on our way to death that these terrible noises were as universal as the crying of new-born babies.では、this was 〜がthe notionの同格節を構成しているが、thatが省略されている。しかし、これは構造上名詞節と見なさざるを得ない(節内が文として完結している)が、主語としても目的語としても成立し得ないことから、何らかの名詞との同格関係にあるということは容易に判断できる。ダッシュに続くthat節もthe notionとの同格である。ちなみにこの文の主節はSothat構文を形成しているが、詳細は相関構文のところを見て欲しい。

[48] The spatial association of law-status residential districts with industrial areasは、the law-status residential areas are spatially associated with industrial areasが名詞化した、典型的な名詞化構文。さらに、この文全体は無生物主語構文となっている。

 

[49] something almost any couple knew long before the sex researchers thought to quantify it

[50] a successful professional man of forty-five, (thoroughly interested in his work), and (desirous of the well-being of his family)、後ろ二つのthoroughly interested desirous of〜は双方とも形容詞の後置修飾でa man of forty-fiveを修飾。however natural and innocent in themselvesは譲歩の副詞節で、S beは省略されている。

 

[51] ここでは、an entirely new thinga new stepの同格、somethingsomethingthe social and financial developmentの同格に注意する。問題のto confuseは不定詞の形容詞用法で、a tendencyと同格。many historiesは『多くの歴史書』。単なる『歴史』は数えられない。

 

[52] whether in personal rivalries, business competition, or international relationsは副詞節でS beの省略。

[53] このように、allowto-Vが極めて離れた構造においても間違いなく構造を把握するためには、allowtoという繋がりの意識を常に持っておくことがやはり有益だろう。もちろん、目的語の部分であるthe mass of information [flowing up into the brainby way of the one million or so nerve fibers (that make up each optic nerve)]の構造把握も適切に処理する必要がある。前置詞句by way of〜『〜を経由して』。

 

[54] It is good for a man not to touch a womanという文は最初、It is good for a man / not to touch a woman.(女性に触れないのは、男にとって礼儀あることだった。)という形で理解されていたが、徐々にfor-to-Vの結びつきが強くなり、むしろIt is good / for a man not to touch a woman(男が女に触れないのは礼儀あることだ)という形で解釈されるようになり、 for 意味上のS to Vという構造が独立して用いられるようになった、というのがJespersen(1924)の解釈である。しかし、今でも学校の文法教育は、便宜性のために、forを単純に『〜にとって』と教えることが多いようで、進学校の生徒でも、この例文のような構造に驚くことが多い。

 

[55] for what would otherwise often be minor causesは注意が必要な箇所。基底にある構造はfor causesだが、what would otherwise often be minorには仮定法の意味が組み込まれている。条件はotherwiseが表現しているが、この副詞は本来in other wayと同義であり、ここではby such meansに対して『それ以外の状況であったなら』という仮定を表している。

[56] ここでは、最初のnotby way of以下を修飾しているに注意する。そして、そのnotと呼応してratherが置かれている。意味的にはnot but〜である。

 

[57] 副詞simultaneouslyandと連動し、simultaneously A and Bの構造。これ以外に、at once A and Bat the same time A and B, なども類義表現で、『AB同時に』。ちなみに関係代名詞thatfew areasを修飾する。

[58] the substitution of mechanical and then nuclear energy for animal and human energy, the substitution of the computer for the human mindは二つともsubstitute O1 for O2の典型的な名詞化。

 

[59] このようなso副詞+助動詞+S+V that〜もsothat構文の変形としては頻繁に起こる。やはり、so副詞ときた時点でsothatを意識する習慣が大切である。後半、find it necessary to-Vは形式目的語構文。

 

[60] 同格のところで扱ったKazuo Ishiguroの例文と同じ構造。基本的にはsothat構文がCVSの倒置形になっているに過ぎないが、よく見られる構文なので慣れておくことは有益であろう。

[61] 本来この構文にthatは存在しないが、so~thatの変形として考えるのがわかりやすい。そもそもsothat構文というのは、前に出たsoを副詞節thatが限定する構造である。つまり、soは言わば『それほど』という意味であり、『それほど』が『どれほど』なのかを後方のthat節が説明してくれる。この例文では、先にthat節の内容を説明しておいてから、『それだけ〜』と後から理由を付け加える形になっている。

 

[62] 接続詞butは接続詞that+否定の意味である。CfThere is no rule but has exceptions. (例外を持たない規則はない。)

[63] 結論を言えば、might we not only be dreaming their apparent self-evidenceaskingの目的語であるが、本来間接話法となるべきところに直接話法の疑問文の形をそのまま埋め込んだ自由直接話法である。仮に、”might we not only be dreaming their apparent self-evidenceと記述されていたならば、すぐに分かる人も多いだろう。これは江川(2002)でも『描出話法』として言及されており、疑問文に起こりがちである、ということも述べられている。

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