黒田えみ編
『薄田泣菫詩抄 秘めた恋』を読んで
短大や大学の授業で詩を取り上げることが多い。 限られた時間のなかでは詩集一冊すべてを読むわけにはいかないので、 何編かを抜粋してプリントにする。もちろん、その詩人もしくは詩集の特質をよく表している詩、 すぐれた詩を選び出すのだが、そこにどうしても私自身の好みが入ってくることは否めない。 自分が読んで感動できない詩を、学生に提供するわけにはいかないからだ。とすれば、 詩の作者は別にいるとしても、できあがった授業用プリントは私の手を通過して、 オリジナルの詩集とは違った、独自の作品集となっているわけである。 詩集によっては、恣意的に作品を抽出することで、 編者の手によるまるっきり違う作品集を形成することも可能かもしれない。 編集の難しさ、怖さはそこにあるといえよう。
黒田えみさんという方が、薄田泣菫の詩を集めた「秘めた恋」という抄録詩集を編纂された。 手のひらサイズの、素朴でかわいらしい装丁の詩集である。 巻末には編者によるていねいな解説がついている。
詩集『白羊宮』には恋の詩が多い。 詩集に収められた64編のうち三分の一が恋愛詩である。 恋愛詩のみで一冊の詩集としていたら、明治の詩壇をいろどった恋愛詩集として、 泣菫はもう一つ別の名前を歴史に残していたことであろう。(中略)詩集『白羊宮』においては、 古語や雅語を使って他の追随を許さない風格のある卓抜した詩風を確立したことに、 世間は注目し賞讃した。しかし、代表作となった「ああ大和にしあらましかば」や「望郷の歌」 を書いた一方で、同時に過去の悲恋を書いていたのであった。(「解説」より)
「秘めた恋」には「ああ大和にしあらましかば」も「望郷の歌」も入れられていない。 あくまでも、若き日の泣菫の恋を綴った詩を中心に編纂したいという編者の明確な意図が そこにはある。黒田さんのいうとおり、恋愛詩のみを集めた一冊が泣菫にあれば、 おそらくは「若菜集」に続くロマン派の恋愛詩集として位置づけられたのではないだろうか。
「白羊宮」が刊行されたのは明治三十九年だが、この前年に当たる三十八年は、 明治詩壇まれにみる「当たり年」であった。上田敏「海潮音」、石川啄木「あこがれ」、 有明の「春鳥集」など、後世に残る象徴詩集が、この年に出版されている。 いわば象徴詩全盛の時代であり、泣菫の「白羊宮」もその流れの延長にあるといえよう。 しかし、泣菫の詩は「ああ大和……」などを除くと象徴詩と呼べる作品は少なく、 むしろロマン派詩人として捉えるのが妥当である。 「黄金覆盆子(=こがねいちご)は葉がくれに、/眼うるみて泣きぬれぬ。 /青水無月(=あをみなづき)の朝野にも、/嘆きはありや、わが如く。/ /幸も、希望(=のぞみ)も、やすらひも、/海のあなたに往き消えつ。 /この世はあまりか廣くて、/をとめ心はありわびぬ。//朝踏む風のささやきに、 /覆盆子のまみは輝きぬ。/神はをとめを路しばの/片葉とだにも見給はじ。」(「をとめごころ」)
一読してみて思うことは、これだけストレートな恋愛詩を、 現代の詩人はもう書くことはできないのではないかということだ。恋の切なさ、 特に結ばれない相手を思うときのやるせない思いは、時代を経ても変わらないはずだが、 そういう切なる思いを綴ることばを私たちはすでに失って久しい。しかし、文語だからかける、 口語だから書けないというのは本末転倒の議論だと私は思っている。 私たちが本当に失ってしまったのは、雅語ではなく、恋を神と見る清新な感受性だからだ。 現代の恋愛詩は泣菫を超えられるのか。この詩集の真の目的は、 あるいはそのあたりにあるのかもしれない。
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