閉じていた瞼を開くと、そこは森の中ではなかった。
「何……」
 困惑して、トリスは周囲を見回す。
 どこかの建物の中に居るようだった。
 石造りの壁には大きめの窓が幾つもあり、それぞれが外から色の異なる光を中に提供してきている。
 どこかの部屋の中なのだろうが、おかしなことに扉は一つもなく、どこにも生き物の気配がしなかった。
 窓に近寄って外の風景を見てみても、ただ窓ごとに色の違う空が見えるだけで、他には何も見えなかった。
「…………」
 鼓動が早く、周りの壁が回りながら自分の方に近付いてきているような錯覚を受け、トリスは目をつぶった。
(落ち着かなきゃ……)
 深呼吸を一つして、目を開いた。
 今度は、周囲が揺らめいて見えていた。
「嘘……」
 目をこすっても頬をつねったりしてみてもその風景は変わらない。
 背中を、冷たい汗が流れていって、びっくりしたトリスは小さく声を上げてしまった。
 全身がじっとりと、いやに汗ばんでいるのを感じる。
 自分がパニックになりかけているのを感じた。
「何なのよ……」
「落ち着け」
「?!」
 聞きたかった声と一緒に肩を掴まれて、トリスは凄い勢いで振り返った。
「ネス?!」
「落ち着けと言ってるだろう。これ以上感情の起伏で空間を揺らすな」
 こちらの気持ちはなんのその。仏頂面で一方的に指示を飛ばしてくる相変わらずな彼に、現金だがトリスは安堵した。
 そこで、彼の仏頂面がいつも浮かべているものではなく、戦闘の中で浮かべている緊迫の混じった表情であることに気がつき、現在の状況を思い出す。
「アメルは一緒? 大丈夫なの?」
「あたしはここにいますよ」
 声と共にネスティの隣、その足元に座り込んでいたアメルが立ち上がった。
 汗ばんだ顔は青白く、アメルの疲労が並みならぬ物である事を彼女のふらついた足元が物語っていた。
「大丈夫か?」
「ええ、何とか。でも……」
「こんな所にいらしましたか。皆さん?」
 背後から聞こえた声にトリスは体を強張らせた。
 ネスティが、トリスを守るように彼女のやや前に立つ。彼の口が、忌々しげに声の主の名を呼んだ・
「メルギトス……!」
「ああ、そんなに殺気立つ事もないでしょう、ネスティさん」
 そう言って、銀髪の男――レイム・メルギトスはトリスに笑いかけた。
「また会いましたね、トリスさん。それとも、貴女にとってはお久しぶり……と言うべきですか?」
 トリスはそれに答えず、メルギトスを睨みつけた。
「どういう事なの……あなたがどうしてネスティ達と一緒にいるのよ?!」
 彼女の詰問に答えたのは、ネスティだった。
「君が僕らを召喚する際、メルギトスは僕らに接触した。召喚される対象に接触する者があれば、その者も召喚される。メルギトスはそれを狙ったんだ。だが、メルギトスを召喚する程には、君の魔力は強くはなかった……だから君は逆にサプレスに引き込まれかけ、ここで君とヤツの力が拮抗した」
「ここって……」
「ここはリインバウムとサプレスの中間に存在する、君の魔力が作り出した空間だ。だから、君が動揺すると、この空間も揺らぐ」
「ゆ、揺らぐとどうなるの?」
「界の狭間に放り出される。そうなったらどうなるかは、僕にも分からない」
 ネスティの言葉に、トリスは固唾を呑んだ。
「何があっても、平静を保て。最悪の事態になっても、君だけは必ず帰して見せるから」
「……それは嫌!」
 大きな声に、空間が一瞬揺らぐ。
「トリス!」
 慌てた声に、トリスは頭を振ってネスティと、アメルの腕を掴んだ。
「絶対、三人で帰るの。その為に、あたし頑張ってきたのよ……? 二人を犠牲にして自分だけ生き残ったって、あたしちっとも嬉しくないんだから」
 二人を掴んだ手に痛いほどの力が入り、トリスの方が僅かだが震える。
「絶対、皆で帰ろう?」
「……そうだな」
 トリスの腕に、そっとネスティの手が重なった。
「ネス……?」
「珍しく君が頑張ったんだ。それを台無しにする訳にもいかないだろう。それに……」
 一区切り。そしてネスティは不敵に笑ってみせる。
「ここで諦めたら、兄弟子の面子が保てないからな」
 その言葉に、アメルは呆れたように吐息。トリスとネスティの手をそっと握った。
「トリスさんにネスティが似ているんじゃなくて、ネスティにトリスさんが似ていたんですね」
「アメル……」
 汗で張り付いた髪を払って、にっこりと笑いかける。
「はい、あたしも頑張っちゃいます。トリスさんだけじゃない、帰ってこいって言ってくれる人達が居ますもんね」
 そして、アメルは二人を見た。
「これで最後にしましょう。……過去の因果に、縛られるのは」
「うん」
「ああ、そうだな」
 そして、三人は繋ぎあっていた手を解いた。

 哂いながら数度、メルギトスは乾いた拍手をこちらに送ってきた。
「美しい決意ですね。実に壊しがいがある決意です」
「壊させはしません。本当に、これで最後にしてみます……あなたと関わる事は」
「えぇ、私もそのつもりですよ。貴方達で遊ぶのも飽きてきましたし……ここで縊り殺して差し上げますよ?!」
 メルギトスの髪が逆立ち、優しげだった顔立ちが醜く崩れ、彼の本性が露わになる。
 咆哮と共に、メルギトスの周囲が爆発、黒い光がトリス達に向かって来る。
 その光の前に、アメルが立ちふさがる。
 彼女は背より翼を展開。その光で持って黒い光を断ち切った。
 そして、最後の戦いがその火蓋を切った。


――NEXT――