楠正成・正季兄弟の最期

99年11月6日訳

遠矢を射損ねて双方の軍の失笑を買ってしまった例の武士は、その恥をそそがんと、船1隻に200余人ほど乗り込み、経島(きょうのしま)へ漕ぎ寄せ、全員一斉に磯に飛び降りて新田軍の中へ突入していった。

これを迎え撃つは脇屋義助軍の兵500余、相手を包囲し、右方左方にぴったりとつけて矢を一斉射撃。突入した200余人、意気は盛んなりといえども、射手も少なく徒歩の者ばかり、脇屋軍の騎馬武者の攻撃に悩まされ、結局一人残らず討ち取られてしまった。

戦い静まった後には、彼らが乗り捨てた船が岸を打つ波に漂っているばかり。

これを見て、足利側の細川定禅(ほそかわじょうぜん)は四国勢に命令を下した。

細川定禅>後続部隊が攻め込んでいかないから、むざむざとあのように多くの味方を死なせてしまったじゃないか! このままじっと機会を待ってたんじゃあ、いつまでたっても戦は始まらない。とにかく上陸しやすい所に着岸して、馬を船から下ろして一気に攻め上れ!

四国勢の大船700余隻が動き出した。

四国勢リーダー>上陸目標地点、神戸(こうべ)ビーチい!(注1)

四国勢一同>よおし、行くでえ! ワッセエ、ワッセエ!

四国勢船団は海岸に沿って東へ東へ移動していく。

(柳田注1)原文には「紺部(こんべ)の濱」とある。おそらくは、神戸市中央区付近の浜を指すのであろう。

兵庫ビーチ(ひょうご:神戸市兵庫区)の3か所に展開していた新田軍5万余は四国勢の上陸を阻止せんと、漕ぎ行く船と共に、汀を東に移動していった。

この状況を上空から俯瞰(ふかん)して見るならば、四国勢船団は自ら前進するがごとく見え、陸上の新田軍はひたすら東へ退却していくかのように見える。海陸の両軍は互いに相手の様子を窺いながら東へ移動していく・・・そしてついに、四国勢は兵庫よりはるか東方の汀に接岸して上陸開始。

足利尊氏>(船中より対岸を凝視しながら)(内心)東の神戸ビーチへ移動していく新田軍と湊川(みなとがわ)ゾーンを守っている楠軍との間に、間隙が生じたぞ。兵庫ビーチは無防備状態になったな。

足利尊氏>よし、今だ! 九州勢と中国勢を兵庫ビーチ・和田岬から上陸させよ!

足利軍の九州勢と中国勢の軍船60余隻は和田岬に漕ぎ寄せ、一斉に上陸を開始した。


楠正成は弟・正季(まさすえ)に言わく、

楠正成>足利軍に前後挟まれた上に、わが軍と新田軍との距離も離れてしもうた。もうこうなっては逃れようもないわい。まずは前方の足利直義軍を一散らししてから、後ろの敵に当るとしよかいな。

楠正季>よっしゃ!

楠兄弟は自軍700余騎を前後に配置し、足利直義の大軍中に突撃を開始。

足利直義>あの向かってくる軍団、軍旗の紋はまさに菊水(きくすい)・・・楠正成だな! いよいよ、戦いがいのある相手が出てきたな。よおし、楠軍を包囲して殲滅!

楠正成・正季は足利直義軍に対し、東から西へ破(わ)って通り、北より南へ追い靡(なび)く。戦う相手として不足無しと思えば、馬を並べ、組んで落としては首を取り、戦いがいのない相手と見れば、一太刀打って駆け散らす。混戦の中に、7度合し7度分かれる正成と正季。

楠正季>(内心)なんとかして足利直義に肉薄して・・・。

楠正成>(内心)組みついて、討ち取ってしもたるんや!

楠兄弟の一念は湊川の戦場にメラメラと、炎となって燃え上がる。足利直義率いる50万の兵は楠の700余に攻めたてられて、ついに須磨の上野(うえの:神戸市須磨区)の方へ退きはじめた。

足利直義>うん? いったいどうしたのだ、この馬・・・びっこを引き始めたぞ! いかん!

直義の乗馬は鏃を踏んでしまい、右足を傷つけてしまったのである。彼をめがけて殺到してくる楠軍団・・・足利直義の命は風前の灯火。

薬師寺公義(やくしじきみよし)>あっ、いかん! 殿が危ない!

薬師寺公義はただ一騎、蓮池(はすいけ)の堤(神戸市長田区)の辺からとって返した。

薬師寺公義>殿、私の馬に、さあ!

足利直義>おう!

薬師寺公義は馬から下りて2尺5寸の小長刀(こなぎなた)の刃と柄の端の双方を使い、接近してくる楠軍の馬の首を叩いたり胸にかかる紐を切ったりして、立て続けに7、8人ほど馬から落とした。その間に、直義は馬を乗り換えて戦場から退却、危機を脱した。


直義の軍が楠軍団に追い立てられて退いていくのを見た尊氏は、

足利尊氏>新手(あらて)の援軍をあの方面に送り込め! 直義を死なせてはならん!

さっそく、吉良(きら)、石堂(いしとう)、高(こう)、上杉(うえすぎ)の軍勢6000余が湊川の東方へ進み、楠軍を背後から圧迫し始める。

楠兄弟は取って返してこの軍勢に攻めかかり、駆けては打ち違えて殺し、駆入っては組んで落とし、6時間ほどの間に16回の攻撃を繰り返した。

このような長い長い戦いの末、ついに楠軍は73騎が残るだけになってしまった。

楠正成>ああ、みんな討たれてしまいよったか・・・残っとんのはこれだけかいなあ。

楠正成の軍略をもってすれば、たったこれだけの兵力であっても、囲みを破ってどこかへ落ちのびる事は可能であったろう。しかし彼は、「自分の人生、もはやこれまで」と覚悟を決して、京都を出てきたのである。

楠正成>なあ、みんな! 今日という今日はほんまにもう、一歩も退かんとからに、とことん戦い続けたなあ!

楠軍団一同>・・・。

楠正成>さすがのわしも、もう疲れたわ・・・。そろそろ腹切ってしもたろ。

彼らは湊川北方に一群の民家があるのを見付け、一軒の家の中に走り入った。

正成は鎧を脱ぎ、自分の体をつくづくと見つめていわく、

楠正成>あいつらほんまに、わしのこの体、よおけ切り刻んでくれよったやんけ・・・ここに1個所、ここに2個所・・・「楠正成、計11箇所の負傷を負えり」ですわいな。

楠軍団メンバーA>わしらもですわ。

楠軍団メンバーB>全員、満身創痍(まんしんそうい)やんけ。

楠軍団のメンバー72人は残らず、3箇所ないし5箇所の傷を負っている。

楠軍団メンバーA>たいしょう、ほなわしら、一足お先に行かしてもらいまっせえ! なむあみだぶつ、なむあみだぶつ・・・。

楠一族13人と家臣60余人は、大広間に2列に並び、念仏を10回ほど唱えた後、一斉に腹を切った。

上座に座った正成は弟の正季に対して、問い掛ける。

楠正成>あのな、人間、死にぎわがいっちばん大事なんやてな。今わの際にどんな事思うてるかによって、来世の善し悪しが決まるんやと。

楠正季>へえ、ほんまかいな。

正成>お前のこの世の最後の願いはいったい何なんや? それによって、九界(きゅうかい:注2)のどこに行くかが決まるんやぞ。

(柳田注2)地獄、餓鬼(がき)、畜生、修羅(しゅら)、人間、天上(てんじょう)、声聞(しょうもん)、縁覚(えんがく)、菩薩(ぼさつ)。これに「仏」を加えて十界という。

正季>はははは・・・。兄キ、わしの最後の念願はなあ・・・。

正成>おう。

正季>もうあと7回、この人間界に生を受けて、朝敵・足利を滅ぼしたい!

正成>(笑)ありゃまあ・・・お前はほんまにしょうのないやっちゃのお。今際(いまわ)の際になってやで、なんちゅう罪業(ざいごう)の深い事を考えとるんや。

正季>ほなら、兄キはどやねん! 兄キの最後の願いはどんなんやねん?

正成>わしか・・・わしはやな・・・もうあと7回、この人間界に生を受けて、朝敵・足利を滅ぼしたい!

正季>・・・。

正成>・・・。

楠正季>はははは・・・。(涙)

楠正成>はははは・・・。

楠正季>・・・。(涙)

楠正成>兄弟そろおてまた人間に生まれかわって、この本懐(ほんかい)を遂げようやないかい! さ、正季、そろそろ行こか!

楠正季>兄キい!

楠正成>うん!

楠正成と楠正季は兄弟ともに刺し違え、枕を並べて死んでいった。

橋本正員(はしもとまさかず)、宇佐美正安(うさみまさやす)、神宮寺正師(じんぐうじまさもろ)、和田正隆(わだまさたか)をはじめ、主な一族16人、それに従う武士50余人も、運命を共にした。兄・菊池武重(きくちたけしげ)の使者として、状況視察のためにやってきた菊池武朝(たけとも)も、楠軍団切腹の場に出くわし、自分だけおめおめと帰れようかと、同じく自害、炎の中に身を横たえた。

元弘(げんこう)年間以来、今日に至るまで、後醍醐天皇の陣営について忠節を尽し、功を誇った人間はいったい何千万人いることであろうか。しかるに、足利尊氏が天皇に反旗を翻すやいなや、仁義を知らぬ者は朝廷から受けし恩を忘れて足利陣営へ走り、勇気無き者は死を免れんとして刑戮(けいりく)に会い、智慧持たぬ者は時勢の変化を察知できずに、道に違う事を行うばかり。

それにひきかえ、智仁勇の三徳を兼ね備え、人間としてまっとうな最期を遂げた楠正成・・・古より今に至るまで、彼ほどの人物は未だかつて世には存在しなかった。

楠兄弟の自害こそは、天皇が再び政権を失って逆臣が威を振るう時代の到来を告げる、まさにその前兆であったといえよう。


太平記(中)の目次へ