私が最初に出会ったのは、昭和54年3月ローレルの展示会を見に行った時。実はその頃は特別認識しておらず、父がクルマの購入を検討していて一緒に日産モーターに見に行った時のことであった。詳細は覚えていないが、シフトの奥に電卓のようなものが付いていて「なんかすごいね」的会話を父としたのを覚えている。それが、中学生の時で特別クルマに対する思い入れがあった訳ではないと思う。
それから、4年が経ち高校3年になって、クルマが徐々に現実的な存在へとなってきて興味を持ちだした訳だ。今となってはよく覚えていないけれど、乗りたいクルマとして、S110ガゼール、ロマンスグレーのじさまになったら乗りたいクルマとしてソアラ(初代です)という図式が出来上がっていた。 |
上の画像は資料画像です。 |
で、これまた入手のいきさつは覚えていないが、後期型のガゼールのカタログを持っていたので、(多分父と一緒に日産にローレルのメンテナンス等で行った時貰ってきたのだと思う) 購入する際のグレードまで決めていた。
それは、ハッチバックの2000XE-U、ボディカラーは「白:#002」でした。
その頃、楽器をやっていたこともあり、HTでは荷物が積めないと思ったことをきっかけとして、スタイルもHBが流麗だし、絶対HBと思い込みしたねぇ。
それと、グレードを決めた理由は「デジタルメーターが嫌だから」が主な理由でした。実は、S110はソアラよりもレパードよりも先に「ディジパネ」を採用したクルマだったのです。
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月日は流れて実際に購入した時は、そのグレードのタマが無く、シルビアのターボになっちゃいましたけど。
日産のディーラー系の中古車販売店で、店頭表示本体価格108万円だってものを、2000が見つからないので、10万引くからと言われ、乗り出し、103万円で購入しましたその後、無償で直してもらったのは、運転席側ドア下部の錆び(少し穴明き状態)補修、半年後くらいにスピードメーターが「0」のまま動かなくなったことの部品交換、だったかな。
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タイヤ&ホイールは、最初純正の鉄ホイール&185/70-14から始まり、最初に買ったアルミは販売店のひとがHTを乗っており自分が付けているのを譲ってくれたもので、BSの金メッシュ&205/60-14でした。
その後、中古で見つけたボルク370(フィンスポーク6.5J/15オフセット10)&アドバンタイプD:195/60-15で15インチに昇格。 |
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箱根のターンパイクを走行中のアクシデントでホイール1本を破損(空気はほとんど抜けず自走可能だったけど)したので、また、中古品を探した結果、
東名ターボ(7J/15)オフセット5になり、
ベストマッチングになりました。
ただ、このホイール装着は、後ろに2人乗ったらバンプ時にリアフェンダーのツメがタイヤに当たると言う現象が発生したたため、「ツメ折り」を実施しました。
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クルマが趣味となったきっかけ!!
ターンパイクでの一件は、シルビア&ガゼールのオーナーズクラブである「スリップストリーム」のツーリングでの出来事でありました。
そのクラブに入ったきっかけは、たまたま雑誌に掲載されているのを見つけ、連絡してみたところから始まりました。
一応、面接みたいのがあって、クラブ員にふさわしいか否かを会長である、S崎氏と、No.2のHさんとお会いしたのでした。その時に、「ウチはチューニングを主体としたクラブだから、レベルは問わないが、ノーマルで満足をしないように!」的なことを言われた記憶があります。これが、はまってゆくきっかけの一つであります。
そして、入会して初めて参加したツーリングは筑波山へ行ったもので、その時はS110とHさんの友達のS30乗りが3,4台あり、総勢23台の参加台数でした。
あの時のずらーっと続く110のテールは忘れられません。
そうそうでも本当の最初は、その夏のお化け屋敷のバイト代でCDプレーヤーを買うかマフラーを買うか悩んだ挙句、間近でうちあげ花火を見て、「やっぱり生の音だ!?」と藤壺のマフラーを購入したのが、私のクルマいじり人生の始まりでした。
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その後クラブの人から、HKSのインタークーラーキットを買わないかと言われ、3,4万円で購入し、千葉の外房に住んでいるI沢くんに付けてもらいました。
その後は、HKSのVVCとトラストをリリーフバルブを付けて、幕張ゼロヨンに参戦。
R30となかなか良い勝負をしました。
その後、バイト先の後輩の乗るR31 GTSターボ(RB20DET)と競って勝ちやした。(この辺ははっきり言って腕の差です)はじめからパワーの有るクルマを乗っている人間とは、パワーの使い方が違います。(つまり、貧乏人がやりくり上手なのと一緒ですね。)
続く。 |