2006/01/28



直宮にこだわることのジレンマ



堅い話題ですみませんが、また皇位継承問題についてです。歴史の愛好家としてはこの問題を等閑視することはできません。


そもそもことの発端は秋篠宮以来皇族には男子が40年間誕生していたいことにあります。秋篠宮の次に紀宮(黒田清子様)が生まれ、三笠宮崇仁親王のご子息である寛仁親王と高円宮にも合わせて5人の子供が誕生しましたが、いずれも女王でした。続いて秋篠宮に子供が生まれますが、2人とも内親王でした。皇太子が平成6年に結婚されますが、その後数年間皇太子は子供に恵まれませんでした。天皇陛下の次の次の世代には女性しかいないのです。そのため宮内庁は内々に皇位継承問題の研究会をスタートさせます。


平成13年には皇太子に敬宮が生まれました。しかしご存じの通り内親王(女性)でした。そこに平成14年11月に皇太子に次いで若い男子皇族であられる高円宮が急逝されました。この時点で子供を作れる男子皇族は皇太子と秋篠宮だけ。お妃のご年齢から、皇太子が作れる子供はあと1人、秋篠宮も2人。しかし皇太子妃は精神病の投薬治療中でした。精神病の薬を飲んでいる間は胎児に影響が出るので妊娠は危険です。子供が期待できるのは秋篠宮だけという状態に陥りました。


このような状況の中、平成15に宮内庁長官が「秋篠宮に第3子を望む」旨の発言をしました。これに対し、平成16年5月に皇太子の「雅子の人格を否定する勢力がおり云々」という御発言があり、実質的に秋篠宮は皇太子を差し置いて第3子を作ることができなくなりました。秋篠宮が子供を作ることが皇太子への当てつけと同義になってしまうからです。秋篠宮とお妃の間には佳子様以来お子様が生まれていません。佳子様が生まれた年は皇太子がご結婚された年です。つまり、秋篠宮は皇太子に男子ができるまで子供を作ることを遠慮されていたのです。


皇太子の「雅子の人格を否定する勢力」発言は、当初皇族に無理解な宮内庁官僚への抗議として喝采を浴びましたが、今にして思うと、これは秋篠宮が第3子を作ることを封じるものであったことが分かります。皇太子と秋篠宮のご兄弟の間にどのような感情があるのかは分かりません。皇族といえども人間です、おそらく世間一般の兄弟と同じような情愛と確執があるのだと思います。皇族に理想の家族像を求めるのは皇族に無用の負担をかけるので、已めるべきだし、おそらく実際にそんなことはなくて、皇族も普通の家族並みに愛し合い、時には憎しみあっていると私は思っていますが、とりあえずこの話は措いておきます。


平成16年5月以降、皇太子妃のご病気が癒えるまで皇族に新しい子供が生まれることは期待できない状態に陥りました。皇太子妃の病気がすぐに癒えたとしても、産まれる可能性がある男子皇族は最大限3人。病気が長引くほど人数は減ります。このまま新たな皇族が生まれない場合、皇位継承は今上陛下ー皇太子ー秋篠宮と続いて、それでおしまいです。ここに日本は皇統断絶の危機に瀕しました。


これを受けて、平成17年1月に首相官邸に「皇室典範に関する有識者会議」が設立されました。皇位継承問題の解決を図るためです。これはおそらく先に宮内庁内部で研究された結論を権威づけるための会議と考えられます。官庁が、学者を集めて官庁の望む方向に政策提言をさせるのは、よく使われる手口です。これを私は「政策ロンダリング」と呼ぶことにしました。この有識者会議は「女帝承認、天皇・皇太子の第一子優先、女帝や内親王の子供も皇族とする」という驚くべき結論を出しました。これが日本の伝統からいかに逸脱したものであるかは、ここでも何度か述べた通りです。


ではなぜ宮内庁と首相官邸はこのような結論を出したのでしょうか?畏れ多いことですが、陛下はご高齢です。数年以内に薨去されてもなんの不思議もありません。その場合、当然皇太子が践祚されます。その時の皇太子は秋篠宮となります。皇太子は40代ですから、新帝の治世は少なくとも30年続くでしょう。皇太子と秋篠宮の子供は現在の3人だけと仮定します。新帝の治世の間に、敬宮、そして新皇太子の内親王である眞子様と佳子様は成人されます。当然結婚しなければなりません。皇室典範を持ち出すまでもなく、これまでの伝統では皇族以外の男子(つまり臣下)と結婚した内親王は皇族を離脱して臣籍に入ります。敬宮、眞子様、佳子様は生涯独身を通すか、結婚して皇族を已めなければなりません。そうすれば、皇族はいなくなってしまい、皇統は断絶します。


政府が国民の過半に迎合するのであれば、敬宮に皇太子の次か、あるいは次の次に女帝として践祚して頂くことになるでしょう。ここで男系を維持しようとすると昭和22年に皇籍を離脱した旧宮家に復帰して頂くしかありません。皇位継承は
 今上帝ー皇太子ー秋篠宮(とばされる可能性あり)ー敬宮ー旧宮家・・・
となります。


ここで問題は敬宮が結婚している場合です。百歩譲って、敬宮に結婚後も皇族でいて頂くことにすると、当然敬宮にも子供ができるでしょう。この子供は、女系ですので、皇族ではありません。どういうことかというと「敬宮皇太子の子供だけれど皇族ではない」という奇妙な身分の子供がここに発生します。子供にとってこれほど可哀想な話はないでしょう。もちろん世論は許しません。敬宮に皇位を継がせ、さらに結婚させる場合、敬宮の子供も皇族にしないと収まりがつかないのです。これが有識者会議が「内親王の子供も今後皇族として認める」、という結論を出した理由です。


しかし、「皇族」という身分は、皇族の男系子孫にしか継承されません。


このジレンマは、天皇という地位を「今現在の皇族(昭和天皇と三笠宮の子孫)の私有物」と私たち戦後生まれの人間が誤解していることによって生じています。皇位というのは、順序はあるとはいえ神武天皇の男系子孫全員に継承の権利があるものであり、昭和天皇と三笠宮の子孫の独占物ではないのです。寛仁親王もことあるごとにこれを提唱しています。現在の皇族も、寛仁親王同様に、自分たちの子孫だけで皇位を独占しようとは露ほども思っていないでしょう。年明け以来毎日新聞・文藝春秋に立て続けに寛仁親王が発言されて、それに対して他の皇族が全く異議を唱えていないことは、寛仁親王の見解が皇族の総意であることを示唆しています。


昭和天皇と三笠宮の子孫にだけしか皇位を継がせたくない、というのは皇位を一般人の私有物と同程度のものとみなす誤った見解から生じています。この誤った執念から女系天皇という国体を破壊する危険思想が生まれます。さらに女系天皇は皇族の望みからかけ離れています(少なくとも寛仁親王は反対)。


私情と公共への奉仕の峻別にもう一度私たちは思いを寄せる必要があるのではないでしょうか。