2003/02/05



必殺の「ちびまるこちゃん」


「終わりかけた日曜日は いつもどこか 切なくて〜」というメロディが、我が家では毎週日曜日の夕方6時半頃に流れている。これはテレビアニメ「ちびまるこちゃん」のエンディング・テーマ・ソングなのだ。と、ここまで書けば私が毎週日曜日には「ちびまるこちゃん」を見ているのを告白してしまったようなものである、がまあそれはいい。ちなみに織田裕二が歌った「ねばねばねばねばねば〜」という、納豆の宣伝のような歌詞の「踊る大捜査線」のエンディング・テーマ・ソングのメロディもこれにとてもよく似ている。しかしこれは当然の事ながら全くの蛇足である。


6時半という日曜日の夕方をもの悲しく思うのは「まるこちゃん」だけではなく、実は私自身もそう感じているのだ。この時間になると「もう一日飲んだくれていたい」といつも心の中では切に思っているからである。でも、これを実際に行動に起こすには相当の勇気がいる。大人として生活してから、もうずいぶん長い時間が経ったはずのに、心の中まで成長するとは限らないという好例をこうして自分の内側に発見するのである。でも、さすがに今更になって反省する気が起きないのも事実だ。


ところで、この前の日曜日に近所に新しく出来た古本屋に立ち寄ったところ、「さくらももこ」さんのエッセー「あのころ」という本を見つけた。思わず買ってしまったので苦笑している。でも(さすがと言うべきか)読んでみると、これがなかなか面白い。彼女が言うには漫画である「ちびまるこちゃん」では表現できなかった部分についての「文章」による表現なのだそうだ。これを読むと「まるこ」が小学校3年生であるにも拘わらず、何故あのように「ませた」感覚を持っていたのかがとてもよく分かってくる。「まるこちゃん」ばかりではなく、「コジコジ」でもよく出てくる不思議な物に対する興味の原点が「あのころ」の最初に描かれていたのはとても嬉しかった。


子供の頃の記憶など自分の中ではもう遙か以前に風化してしまっていて、さらさらと指の間から流れ落ちる砂のような、微かな記憶の断片しか残っていないと思っていたはずなのに。。。懐かしさが体全体を包むようにこみ上げてきて「ほろ酸っぱい」共鳴を起こしているのが自分でもよく分かる。「まるこ」を見ていると少年だった自分がすぐそこに存在しているのを感じるのである。そして子供だった自分を見ている大人の自分がいる。まるで合わせ鏡のように、無数の自分が同時に存在しているかのような錯覚に囚われてくるのだ。懐かしいに違いない子供の頃の思い出を、勝手に作り出している自分がここにいるような気がする。


これは、過ぎゆく時には誰も逆らう事ができない、という現実の前に過ぎ去った時を寂しく感じるようなものなのかもしれない。でも懐かしい過去の記憶の洪水に埋もれて現実を忘れる訳にはいかないのだ。そう、今の私には責任があるのだから。。。そんな私にとって、毎週30分間の「まるこちゃん」は「失われた記憶」へのタイムトラベルを可能にしてくれる一種の「触媒」なのである。



さくらももこさん風に書いてみました(^o^)