2001/5/19
5/21訂正
群盲象を撫でるとは多くの盲人が象を撫でて、それぞれ自分の手に触れた部分だけで巨大な象を評する事を言っています。ここから大事業や大人物を批評しても単にその一部分にとどまって全体像を見渡すことが出来ない事を意味しています。私も物事の細部についていかに詳しく調べてあろうとも、全体像の把握という面から見るとそれは全く無関係(と言うよりも反比例しがちである??)であると感じています。
勿論、全体像をよく理解していながらかつ細部についても人一倍詳しい知識を持っている人は間違いなく存在しています。しかし、その様な人とはあくまでも例外に属すると思っています。普通の人の場合は、東京ドームに近づけば近づくほどこの球場が「ビッグエッグ」と呼ばれている訳を知ることが出来なくなるというジレンマに陥るのではないでしょうか??一般人である私たちにとって物事の全体像を把握・理解するためには、鳥瞰図的視点が絶対に必要である事をこの諺は言っているのだと思っています。ナスカの地上絵の全貌が判ったのは人間が空を飛べるようになったからであるという事実はこれを厳格に物語っていると思っています。
先日は「井沢元彦先生」の講演を聴く機会に恵まれました。これはネット仲間の「まこと」さんからの貴重な情報のおかげでした。ここで改めて感謝の意を表したいと思っています。
井沢先生はまずこの群盲撫象と黒板に書かれてから講演を始められました。正に井沢イズムの真骨頂とはここにあるのだと強く示しているように私には感じられたのです。全体像のアウトラインを理解した上でその細部について興味を持って調べていく事とは、井沢先生の言われている内容と何ら矛盾するものではないと私は思っています。つまり、いかに細部について天才的な知識を持っていたとしても、それらが有機的に結合していなければ単なる知識の集まりに留まっているからなのです。
専門を極める事とは、「一部」について拡大鏡で調べる事に類似しているように思われます。一日は24時間であるという物理的な時間制限の枠の中では、(時間が足りないために)詳しく調べれば調べるほど、全体像の把握という面からは遠ざかってしまうというパラドックス的な罠に陥るのはある意味では仕方がない事なのかも知れません。しかし、まず最初に全体像を理解して物事に取り組むようにすれば、この抜け出せない「罠」も少しは緩むのではないかと思えるのです。このように考えてくると、井沢先生の書かれている「逆説の日本史」などの本とは正に刮目して読むに値するものだと思えるのです^^
井沢先生のモットーとは現代において生じている様々な問題に答えるには「歴史的思考」が必要である、というところではないかと講演を聴いていて思いました。日本の総理大臣の選抜方法から、談合問題、更にはテロリストと達との「話し合い」などを見ても、私たち日本人の根本には「話し合い絶対主義」とでも呼ぶべき「信仰」持っているではないか??、と先生は言われていました。確かにこのキーワードはとても素晴らしい発想だと私は思っています。そして、この基本原則は一体いつの頃まで記録されたものとして辿れるのかと言えば、何とそれは聖徳太子にまで到達すると言うのです。それはつまり「憲法17条」とは「話し合い」を全てにおいて優先するという事が書かれたものであるからなのです。
尤も、「憲法17条」については、「冠位12階」と切り離しては考えることが出来ないというのが私の持論でもあります。超大国「隋」を抜きにしては当時の日本の情勢や聖徳太子の行動もまた理解できないのではないかと思っています。しかし、いずれにしても聖徳太子という最高権力者が今から1400年も前の時代においてすでに「話し合い」の重要性について書かれていたという点はもっと重視されるべきだと私も思いました。
長篠の戦いにおいて信長軍の鉄砲隊は実は武田軍に命中させる必要はなかったのではないかと井沢先生は言われていました。要するに1000丁もの鉄砲が発射された戦場にはものすごい轟音が響き渡る訳ですから、音に極めて敏感な「馬」は暴れ馬に変身してしまい使い物にならなくなってしまうからだというのです。ここにこそ、信長という天才の「すごみ」があるのではないかと言われました。確かにこれはとても素晴らしい発見だと思いました。私も今までにこのような事を書かれた書物は見たことがありません。ひょっとしたらこれによって先生は「発見者」として歴史に名を刻むのかも知れません??でも実のところ私も同じ事を考えたことがあったのでした。これを聞いたときには何となく嬉しくなってしまいましたv(^o^)