3/20加筆
本能寺の変についてですが、これは日本史の中でも最大の謎と言ってもいいのではないかと思っています。
もっとも、だからこそかなり多くの説があるということなのでしょうね。
実際問題として、アンチ信長サイドとしては「光秀そそのかし」の行動を起こしたかどうかは別にしても、出来ることならば信長を殺しかったことは確かだったと思います。信長の天下布武とは、日本全国全てを打ち倒すという強烈な意志の表示です。はっきり言えば周り全てが敵といっていい状態だったわけですから、当然相手も対信長の戦略は練っていたはずです。
しかし問題はなぜ光秀は実行したのかという点だと思います。
信長は天才中の天才だったことは間違いありません。そして部下の「一所懸命」に対する評価を適切且つ正確に行ったからこそ、あれほどまでに領国を拡大させることが出来たのだと思います。
実際光秀は織田軍団の中で最大級に評価されていたと言っていいでしょう。当時、領地の石高こそ柴田に次いで二位ですが、場所が中央部に位置することを考えると実質的には一位であると言っていいと思います。
私には、光秀はまるで信長の親衛隊隊長のような感じを受けます。「光秀は努力して成果を上げている、そして信長は正確に評価して待遇している」、そのような関係だからこそ信長は光秀を信頼していたのではないでしょうか。
信長と光秀は共に秀吉が行っている中国毛利攻めの現場に向かうところでした。これを他国の大名が知れば光秀軍が信長の護衛に着いているものと理解したと思います。ですから「真空地帯」という考えは後世から見た理屈だと思います。また、行程等については当然ある程度の打ち合わせはあったものと考えていいのではないでしょうか。
そしてあの本能寺の変は「親衛隊隊長」である光秀が裏切った訳ですから、とても下克上とは言えないと思います。下克上というのは家老など重臣が実力をつけて主家を乗っ取るという事です。そこには理屈はともかく実力が存在します。
力道山は酔っぱらった時、ちんぴらに刺されて殺されてしまいましたが、誰も力道山がちんぴらより弱かったとは思いません。これと同じ事だと思います。あそこで裏切っても誰もついてくるわけはないのです。(秀吉が勝利者になることも当然分かりませんが)そのくらいの道理を光秀が分からないわけがないと思うのです。
あの行動は理屈ではどうしても説明がつかないと思いました。
そして思ったのです。それは光秀は病気だったのではないかという事です。おそらく心身症、躁鬱病等の精神病にかかっていたのではないでしょうか。そして発作的に本能寺の変を起こしてしまったのでしょう。だからこそ、信長でさえ予見することが出来なかったのだと思っています。
この文章については「おすすめのホームページ」の欄でも紹介しているK's BookShelfさんの中でも紹介していただいています。
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