2000/8/10



京都の恋


古代史関係の本を読んでいるとどうしてもルーツに話題が集中しがちだと感じてしまいます。これはある意味では仕方のないことだとは思っています。アメリカ黒人奴隷のルーツを描いたキンタクンテ(クンタキンテだったかな??)の物語が世界中でヒットした(のはもうずっと前でしたね^^)事実は自分が何処からやって来たのか知りたいという欲求は誰でもが心に持っている当然の事であるという証明なのかも知れません。しかし、それにしてもまだ古代史関係の内容にはどうしても不満が残っているのもまた事実なのです。


古代における朝鮮半島との関係については地理的近さから見ても相当深いものであったと想像できますし、事実その通りであったはずです。当然ながらこの地域での深い関係という考察について異論などあろう筈がありません。しかし、何故彼らはわざわざ日本へやって来たのだろうか??というような根本的疑問に対する答えには今まで満足するものに出会ったことが無いのです。


例えば私が目を通した僅かの本ではそれぞれ対象についてはかなり詳細に調べ上げられていました。しかし結論としては「〇〇は朝鮮がルーツです」で締めくくっているパターンが多かったのです。これではまだ知りたい事の半分でしかないのです。何故この時点で終了出来るのでしょうか??これでは外国とは全て「とつくに」であると言っていたレベルと基本的には何一つ変わっていないように思われてしまうのです。


何処の国にも歴史があります。そして彼らはそこで様々に混じり合って歴史を作ってきたのです。別の土地から土着した場合も同様です。人間とはそのような動物であるという基本的な認識に欠けている様にどうしても感じられてしまうのです。人間は細胞分裂して勝手に自己増殖をしていくわけではないのです。


ある対象を歴史的に見てみるとどのような流れがあるのか知りたいと思うのは当然だと思います。例えばある風習は南方系の流れによって形成されたものとか、北方系の風俗が混じり合っているので更に原型は何処にあるのかを求めてみるなどの態度が必要なのではないでしょうか?? しかし、その行為が朝鮮、あるいは中国という地点にたどり着いた時点で終了してしまう(肩の荷を下ろす)事とはある意味では作為的なミスリードを企んでいると見られても仕方がないように思っています。


以前に安部さんが古代朝鮮においても既に差別が厳しかったとの指摘されていました。また井沢先生のホームページの管理人をされている方も同じようなことを言っていた様な記憶があります。その時これは一つの「解」だと思いました。


古代において朝鮮半島は小国が乱立していました。小さい空間ではかなり早い時代にその社会でエスタブリッシュメントが形成された可能性は非常に高いと思っています。もっとも小さい集団では富の再分配においてそれほどの差が出る可能性はありませんからここから反対の理論を構築する事も可能だと思っています。いずれにしても既得権を手にした層はその利益を手放すはずがありませんので成り上がろうとする者達を迫害、あるいは差別したであろう事は想像に難くありません。この場合はじき出された異分子が海を越えようと危険な賭に出たとしてもそれは自然な行為だろうと思っています。また、統一に向かう過程で征服された国で既得権を謳歌していた層とはいわば奈落の底に突き落とされたと同じです。同様に彼らもまた一か八かの渡航に踏み切った可能性もあり得ることだと思っています。


しかし、いずれにしてもこれらの動機とは能動的なものではありません。逆に仕方なく選択した受動的理由と言うべきなのてはないでしょうか??私はこの認識の方が正しいのではないかと思っています。いわば彼らは平家の落人(のようなもの)なのです。最近の言葉で言えば難民がこれに相当すると思っています。あるいは亡命者と読んだ方がいいのかも知れません。 古代史を調べているとこのような素朴な疑問を何故かわざと隠蔽しているように感じてしまうのです。


現代の私たちでも今の生活を擲ってまで新しい世界へ旅立つのはとても勇気のいることです。ましてや古代においてはその決断は今の私たち以上に鈍ると考えても良いように思っています。何故ならば得られる情報は正確性に欠けるのは言うまでもないことですし、玄界灘を乗り切る安全性も今の基準から見れば相当低いと言わざるを得ないからです。このようなリスクがあった事をもっとはっきりと示すべきではないでしょうか??


世界史で言うところの大航海時代が幕開いたとき、アメリカ大陸へ移住したヨーロッパ人は最下層の人たちがほとんどでした。故国にいては一生日の目を見ることが出来ない可能性を持った人たちがヨーロッパから新大陸を目指したのでした。それでも彼らの全てが大西洋を渡ったわけではなかったのです。ましてヨーロッパ人達は個人レベルで移民したのです。ところが古代におけるそれは個人レベルではなく部族単位であったと見られていますから困難さは更に倍増する筈なのです。


何故倭国を目指したのか??今のままでは何故か分からないままに彼らは倭国を目指しているとしか理解できないのです。基本的には母国にいられなくなった何かの理由があったから仕方なく逃げてきたと考えるのが自然だと思っています。


古代における交易の影響も又過小評価されているように感じています。交易商人達は玄界灘を内海として活発な商業活動をしたであろうと思っています。時代は下りますが倭寇に代表されるように「適した人物達」で構成すれば当時の船でも十分に活動が出来たのです。この場合は船乗りに適した人物達ですから移民船とは根本的な違いかあります。それでも船とは現代の技術で作っても沈む場合があるのですからかなり危険であったのは間違いがなかったことだと思っています。逆に言えばこの大きなリスクを背負うが故に莫大な富を手にすることが可能だったのではないでしょうか??


このような交易活動の結果として文化や文物が伝わったことや、慈恵や鑑真に体表される文化人が訪れた事を混同している可能性が高いように思っています。ちなみに招待した人たちは渡来人達であり逃れてきた人たちは帰化人と呼ぶべきなのでしょうか??


商業に限らず交流とは常識的に考えれば一方通行と言うことはあり得ません。これは必ず相互通行になるはずなのです。朝鮮半島において日本からの痕跡が少ない(??)のはこの地では新王朝が成立したときヒステリックのように旧王朝時代の物を破壊した事に大きな理由があるように思っています。それは古代史を調べる上で日本、朝鮮、中国と比べたときに朝鮮の書物が特に少ないことにも現れていると思っています。


戦国時代についても同様なことがあります。戦国大名達は誰でも京都に上り全国に号令をかけるとよく言われています。


「なのに貴方は京都に行くの」という歌詞を知っていますか??^^誰が歌ったのか思い出せないのですが懐メロでかかるかも知れない名曲です^^



※「京都の恋」は渚ゆう子さんのベンチャーズサウンドにのったヒット曲です
※「なのに貴方は京都へ行くの」はテントウ虫のサンバの大ヒットでも知られるチェリッシュのやはりヒット曲です