2000/10/10



過去ログ35(〜10月10日)


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久しぶりのアップ 投稿者:きんたろう  投稿日:10月10日(日)23時19分51秒

茨城の歴史のコーナーに「平将門の乱」をアップしました。
自分の原稿のアップはものすごく久しぶりです。(^^)



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私も 投稿者:きんたろう  投稿日:10月10日(日)07時37分32秒

今日は朝型人間です。(笑)
お早うございます。



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朝型人間 投稿者:安部奈亮  投稿日:10月10日(日)06時18分53秒

皆様おはようございます
私は朝型人間に生まれ変わりました。(一体いつまで続くことやら・・・)



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伝言板 投稿者:きんたろう  投稿日:10月10日(日)02時08分00秒

を目次メニューに入れました。
先日の水戸でのオフ会の報告もあります。
kitunoさんがデジカメで撮った写真(メールで送ってもらった)の付け方が良く分からない。(笑)



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次回の 投稿者:きんたろう  投稿日:10月10日(日)00時20分47秒

オフ会は大阪でどうでしょうか??
たこ焼き食い放題大会とか!!!(笑)
(なんだかんだと理由を付けて旅行をしたいだけかも)

オフ会の報告を今ごろの時間には掲載できているはずだったのですが、バスタードを古本屋で19巻
まで買ってきたのが響いています。(^^)



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おつかれさまでした(^^) 投稿者:Toshy  投稿日:10月09日(土)23時15分16秒

またみなさんとお会いしたいです。
ロトさんSinさんslashdogさんとはまだですからね〜
冬には仙台に来ませんか?みなさん、真冬の東北地方は寒いですぜぇ



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帰ってきました 投稿者:Sin  投稿日:10月09日(土)00時37分53秒

いや〜、楽しいオフ会でしたね(^^)
少々?遅れたのはご愛敬と言うことでお許し下さい <(_ _)>

kituno-iさんへ
メールいただきました(^^)
写真のメール配信はいい手ですね。
今度はkituno-iさんを写したのをお願いしますね(笑)



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Toshyさん、最近は 投稿者:slashdog  投稿日:10月09日(土)00時21分52秒

入り辛くなりましたよ!! 流れが速すぎるぅ〜〜〜!!
しかも、それにつれて話題もはやいはやい!!(笑)



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きんたろうさん 投稿者:Toshy  投稿日:10月08日(金)23時45分49秒

MeetingRoomのほうは、唐突な話題を振ってやってください
もともとあそこには、「まとまり」というもんがないのだから(笑)



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Awajiさん、 投稿者:勇者ロト  投稿日:10月08日(金)22時43分15秒

もし、見ておられたら足跡を残してください。



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オフ会 投稿者:勇者ロト  投稿日:10月08日(金)22時42分03秒

楽しかったですか?

Awajiさん、このページ見てないのかな?最低一回は覗いているでしょうね。

出雲から世界へのページも読まれたようですし。



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輔住さん 投稿者:きんたろう  投稿日:10月08日(金)18時04分34秒

来週はどこかへお出かけなのでしょうか??

Toshyさん、芥川掲示板を見たのですがレスはなかなか難しいです。
もう一つの方は想像を絶するスピードで回転していて、たいがいのことには動じない私もちょっと
唖然としているばかりです。(笑)
一息ついた頃が出番かなとタイミングを計っているのですが...



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kitunoさん 投稿者:きんたろう  投稿日:10月08日(金)17時57分34秒

いよいよ今夜出発ですね。(^^)
楽しい越前旅行でありますようにお祈りしています。
カニをどのくらい食べて来るのかな??(笑)

ちょっとよく理解していなかったのですが、安部さんの場合は京大のネットワークを利用している
ということなのでしょうか??
個人でプロバイダに入らなくても京大が入っているものを自宅からで利用できるということなのですね??
イントラネットの拡大版のようなものなのでしょうか??
(全然分からす、苦笑)
でも15分で強制的に切断されるとは....やりますよね。



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SINさんきんたろうさん 投稿者:kituno-i  投稿日:10月08日(金)17時16分05秒

昨日は、ありがとうございました。とても楽しかったです。
この掲示板でSINさんと情報交換をしたのがきっかけで実現する「越前の旅」、
今から出発です。帰ってきたら報告しますので、聞いてくださいね。(^_^)/~

安部さん、ロトさん、これからの展開を楽しみにしています。
無理をせず、頑張ってくださいね。kitunoの本箱にまたファイルが増えました。



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私も「源氏物語」妄想 投稿者:安部奈亮  投稿日:10月08日(金)15時13分22秒

藤原道長=光源氏、の傍証になりそうな話があります。
光源氏の子供の世代の物語の舞台は宇治です。
藤原頼通の通称は何であったかというと、「宇治大臣(うじのおとど)」です。
彼は宇治に邸宅を持っていました。
そして晩年は、官職から退きながらも、宇治から朝廷を遠隔操作しました。
頼通は、まあまあの人物で、彼の時代も藤原氏はそれなりに繁栄したのですが、
父道長の栄華があまりにきらびやかだったため、
そして、頼道は前期王朝体制の崩壊に取り組まなくてはならなかったため、
彼の時代に藤原氏の没落が始まったとされてきました。
薫を取り巻く、どこか退廃的な雰囲気はそこからきているのかもしれません。



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京大ホストコンピュータとのあくなき戦い 投稿者:安部奈亮  投稿日:10月08日(金)15時05分59秒

京大の学生なら、京大につなげば、インターネットが使えるのですが、
回線に限りがあるので、ビジーなときは、
15分たったら無理矢理切断されて、その後は30分間接続できないのです。
回線はいくつかあるのですが、
あっちにつないだりこっちにつないだりしたために、
何か混乱が起こったのかもしれません。



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オフ会どうでした? 投稿者:輔住  投稿日:10月08日(金)12時35分58秒

きんたろうさん、来週は(また)ネットに接続できないので
その後きますね。

大先生はこちらには来てないと思いますよ。
来てれば、安部さんのコラムに何か意見をかくでしょう(笑)。



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え? 投稿者:Toshy  投稿日:10月08日(金)12時34分57秒

>先生ってひょっとしたらこのページを見た事あるのでしょうか??

いかんいかん、Awajiさんのハンドルを使ったこと、ばれているのかもしれない(笑)



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あれ?? 投稿者:きんたろう  投稿日:10月08日(金)11時24分19秒

BBSを見てみました。
先生ってひょっとしたらこのページを見た事あるのでしょうか??
勇者ロトさんの「出雲の国譲り」の文体に似ていますね。



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とりあえず 投稿者:きんたろう  投稿日:10月08日(金)09時38分45秒

一つだけ消しておきますね。(^^)



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私が原因かも・・・ 投稿者:安部奈亮  投稿日:10月08日(金)00時20分43秒

このページに投稿するために
学校のコンピュータと格闘していましたから・・・

1番最初の投稿,届いてたんですね・・・
私の卑しい根性が出てたので,「中止」ボタンを押して
書きなおしたつもりだったのですが・・・



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紙一重 投稿者:安部奈亮  投稿日:10月08日(金)00時00分57秒

井沢掲示板の日本語表記の話、面白い議題になりそうですね。
あそこで発表するほど,このことに関してはまだ本を読み足りないので,
投稿できないです。
Awajiさんの意見は牧歌的でほほえましいです。
大筋ではそうなんでしょう。
でもその分野の専門家は「ちょっと待ってくれ」と言うと思います。
漢字の使用によって,日本語がかなり変えられた可能性も有り,
また,日本人の祖先の一派は,
漢字の発生に積極的に関わっている可能性も有ります。
最も古い訓読みと,揚子江下流域の民族の漢字の使い方は
とても似通っていると言う研究もあります。
日本語の言語系統とも関わってくる話です。
ものすごく奥が深い研究課題です。
井沢先生もだいぶ強引なところがあるけど,
Awajiさんも、専門の古代史以外はかなり乱暴なことをしてるなあ・・・



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今日は 投稿者:きんたろう  投稿日:10月07日(木)23時43分22秒

Sinさん、kitunoさんの三人でオフ会水戸で開きました。(^^)
楽しい会合になりました。
あとで報告としてまとめます。

勇者ロトさん、末子相続について詳しい説明をありがとうございました。
若い妾に心を奪われるオヤジの心境ですね。
そう言えば、鎌倉時代にもその様な話がありましたね。

さっきからこの掲示板が開きませんでした。
メンテナンス中だったのでしょうか??



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末子相続 投稿者:勇者ロト  投稿日:10月07日(木)16時32分45秒

末子相続については、学生の頃に読んだ古代中国の本に載ってました。
殷・周時代の風俗の紹介があり、そこに記された江南地域の海人族の
風習から取りました。はるか昔のことなので定かではないのですが、
なぜかしら強く印象に残ってたので採用しました。

長子相続では後継ぎが父より早く死ぬこともあったのではないかと
思います。古代のように法というものがハッキリしない時代では、
一番かわいい末子に後を継がせたのではないでしょうか?

海人は交易基地をあちこちに作り、交易網を広げていったと思います。
交易基地の責任者として新しい港に置くには年齢が上の方が何かと都合
がよかったのではないでしょうか?

また当時は母系社会だったと思いますので、多くの妻妾の中で一番若い
母親の子である末子に後を継がせたという解釈もできると思います。
母親の方が長生きだと思います。しかも最後に嫁になった母は父親より
当然長生きしたでしょうし、後見人としてまたは部下や民が忠誠の誓い
をした生き証人としても後継ぎの母に影響力を長く強くもたすためだっ
たと思います。



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勇者ロトさんの 投稿者:きんたろう  投稿日:10月07日(木)09時10分51秒

出雲の国譲り15をアップしました。
昨晩は目が覚めませんでした。(^^)

心理描写も詳細です。
急に質問を思いついたのですが、「末子相続」はどのように考えたものなのですか??

きょうは水戸でSinさん、kitunoさん達とオフ会です。
楽しみです。もう少ししたら出発します。



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そこなんですよ安部さん! 投稿者:勇者ロト  投稿日:10月06日(水)23時54分50秒

道隆や道兼が居る限り「道長の世」はこないかもしれない
いやどちらかといえば来なかったと考えたほうが自然だと
おもうのです。
では、どうやれば道長の世が来たか?というと、安部さんの
言われるように、クーデターを起こすしかないと思います。

しかし、道隆らは死んでしまいました。
この死は道長にとって「源氏の怨霊」の仕業に見えたのでしょうか?
それとも二人は道長のためによって死ぬことになったのか?
私は後者だと思うのです。
二人の死に道長が関係していたのではないでしょうか?
そうだとすれば「原・源氏物語」の意味さえ変わってくると思います。

源氏物語が道長による「言霊作戦?」だったとしてもこう考えると
道長=光源氏(源氏の血筋を実質的に支配しているため)。
大臣家=藤原道隆と考えることもできるのではないでしょうか?

あまり、妄想を高めると困惑の材料が増えすぎるだけかもしれません(笑)



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道長のクーデタ? 投稿者:安部奈亮  投稿日:10月06日(水)23時42分55秒

5年くらい前に思いついたのですが,
道隆や道兼があんなに早く死ななかった場合,
道長は源氏をバックにして,応天門の変や安和の変のような,
クーデタを起こすつもりだったのではないでしょうか?
今となっては確かめようもない話ですが・・・



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まだ暫定的な結論に過ぎませんから, 投稿者:安部奈亮  投稿日:10月06日(水)23時37分58秒

ただひとつ言えることは,
藤原道長は,それまでのどの藤原氏よりも,
源氏に密着していた人物であると言うことです。
私の結論は正しいかどうかわかりませんが,
「「源氏」物語」にはやはり文学的面白さ以外の
意味付けがあったような気がします。

輔住さんの見方は面白いですね。
勇者ロトさんの,「源氏物語」の骨格があったのでは?
と言う意見も面白いと思います。



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東海村の事故 投稿者:安部奈亮  投稿日:10月06日(水)23時29分16秒

のことを井沢先生のBBS
に投稿すべきなのでしょうが,
あまりにも身近で生々しすぎて
書けませんね。


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朝鮮出兵の話 投稿者:Toshy  投稿日:10月06日(水)23時02分37秒

の構想を練っていたのですが、しばらくBBSは休みます。
芥川の方がいそがしくなったこともあります。
掲示板を二つに分けて以来の盛り上がりです。(うれしい悲鳴)

http://village.infoweb.or.jp/~fwjd2293/akutagawa.htm



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妄想「源氏物語」のできた理由 投稿者:勇者ロト  投稿日:10月06日(水)22時13分09秒

源氏物語が源氏の怨霊鎮魂のため書かれたものとしたら・・・・・・・・

969年、安和の変により、藤原氏の他氏排斥は完了しました。この後、
藤原氏内部での権力争いが激化し995年の関白藤原道隆の死後に道長
の権力が増大し、1000年に彰子が中宮となることにより道長は完全
に朝廷の主導権を握ることになりました。道長は藤原氏内部の政敵のみ
ならず他氏の怨霊の祟りを予防するため鎮魂の物語を書くことを考えた。

その主人公に源氏の名が選ばれたのは、実体のない氏族だったからです。
実体のある氏族(奈良朝以来の氏族)をモデルにすれば無用の摩擦を生む
と考えたからだと思います。

さて、この物語を書くことになったのは藤原宣孝つまり紫式部の夫では
なかったかと思います。しかし怨霊の祟りかはたまた偶然かもしくは怨
霊鎮魂の秘密を握ったためか宣孝は原・源氏物語を残しこの世を去る事
となったのです。宣孝の書いた原・源氏物語は極秘裏に陰陽道の専門家
によって鎮魂・封印されたのではないでしょうか?

紫式部は亡くなった夫の遺品を整理しているとき、原・源氏物語の原稿
に気が付きます。彼女はこの原・源氏物語は物語として不完全であると
思い夫の仕事を完成させるため原・源氏物語を元にいろいろな物語をつ
け加え「源氏物語」を完成させた。

こうして完成した源氏物語は、藤原氏による源氏への鎮魂というより、
紫式部が夫藤原宣孝に捧げた物語だつたのかもしれません。

道長が宮中に流布していた紫式部の源氏物語を一度指し止めたのは、
鎮魂・封印したはずの源氏の怨霊がこの世に蘇ったかもしれないと
感じたからではないでしょうか?道長が指し止めた紫式部の源氏物語
を集めて読んでみると、原・源氏物語とは全く違う物語に変わってい
る事に気がつき、あらためて製本をすることを許したのです。

また、製本作業に必要な費用などは紫式部の源氏物語の素晴らしさ
に惹かれスポンサーとして拠出したのかもしれません。

あまりに根拠のない妄想でした。



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またまた失敗してしまった 投稿者:きんたろう  投稿日:10月06日(水)20時29分37秒

複数ブラウザでもう一つ書き込みしようと思ったのに、連続投稿禁止に引っかかってしまいました。
そして、私の文章はまたまた異次元へと消えてしまいました。(泣)

勇者ロトさん、メールを確認しました。
>自分の世界にはいりすぎたかも
これは心理描写のことを言っているのでしょうか??
このような詳細な描写は私にはとても無理です。
すごいと思いました。



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怨霊は恐ろしい 投稿者:勇者ロト  投稿日:10月06日(水)20時28分00秒

だからこそ、もっとはっきりとした形での鎮魂を行ったはず
だと思います。源氏、伊勢、竹取、物語などの物語のなかで
は、それが鎮魂のため書かれたものだとしても非常にぼんや
りとした鎮魂しか行われてないのは何故なのでしょう?
実際祟りらしいことが起きなかったからなのでしょうか?

物語や歌の中に読みこまれた怨霊鎮魂の意識がハッキリと
見えないのは、祟りに対する「予防」だったからなんでしょうか?

また、原・源氏物語が怨霊鎮魂のため書かれたものだったと仮定した
場合でもなぜそれをわざわざわかり難くしたのでしょう?

怨霊を恐れるというのが当時の普遍的な常識だとは思います。
だからこそ、源氏物語のような「中途半端な怨霊鎮魂」はさして
意味が感じられないのです。

怨霊をハッキリと指名して、また祭る側もハッキリ名乗らねば
「鎮魂のために書かれた」とは言いがたいのではないでしょうか?

紫式部が書いた目的は「宮中の楽しみのための物語」を造るため
だったと思います。それでもなお怨霊を感じさせるほど当時は
怨霊信仰というものに宮中の人々がとらわれていたのだと思います。
その信仰の流行が源氏物語に二次的な意味(鎮魂)をもたせたと考え
たほうがいいと思います。

源氏物語が残された理由としても、「面白いから」が一次的な意味だ
と思います。ただ道長の心の中に「源氏物語は源氏の怨霊を押さえる
予防」という意識はあったとも思います。
「原・源氏物語」と「その他の源氏物語」作者が違うというのは
思い込みだと思います。

言霊を何より大事と考えた平安貴族が「嘘」の作者を書き残すとは
思えないのです。かりに誰かが「その他の源氏物語」を書き足した
としてもその理由は何なのでしょう?

どちらかといえば藤原氏の誰かが書いた鎮魂のための「原・源氏物語」
に紫式部が文学的、物語的要素を付け足して書きあげたのが今に残る
「源氏五十四帖」と解釈したほうがいいのかもしれません。

私は歴史事象や信仰は「方程式」では解けないと思います。
井沢先生は「怨霊」「顕・幽」を方程式化しようとしすぎるのではないでしょうか?
その点に関して、井沢先生の説「顕幽分離論」に疑問を感じています。



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安部さんの 投稿者:きんたろう  投稿日:10月06日(水)20時23分21秒

源氏物語試論は輔住さんも言われていますが、たしかに刮目すべきないようだと思います。
しかし、内容が豊富なので私もまた自分の中で消化不十分の状態です。(^^;

井沢先生の言われているような意見は、以前にもあったのでしょうか??
井沢説が正しいかというよりそうした観点を示されたことの方をすごいと思います。
「藤原物語」だと分かりすぎるのでしょうか??



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たった今 投稿者:勇者ロト  投稿日:10月06日(水)18時45分11秒

メールを送りました。

今回はちょっと自分の世界にはいりすぎたかもしれません。



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ひねくれた見方 投稿者:輔住  投稿日:10月06日(水)15時51分30秒

源氏物語試論7、8読みました。
おもしろかった。まだ自分のなかで
結論はでていない部分もありますが。

でも変な味方をすると
「おれたち(藤原)は天皇家をとりあえず建てるが、
やつらは(源氏)は天皇家にとってかわる可能性があるぞ」
という考えも可能ですね。



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安部さんの 投稿者:きんたろう  投稿日:10月06日(水)00時27分40秒

書き込みを読んでいて「聖痕」を思い浮かべました。
たしかに、超常現象がおこるのかも知れませんね。

私のようにぼーっとしている者では無理だとおもいます。



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陽成源氏説について 投稿者:きんたろう  投稿日:10月06日(水)00時23分04秒

常基王の孫の源頼信が石清水八幡宮に奉納した願文の内容から、陽成天皇の皇子元平親王の子供
であるということですね。
陽成天皇ははっきり言って「暴君」でしたから、この人を始祖とすることを好まなかったのは
当然だと思います。
ましてや一代上には「貞観の治」の清和天皇がいたのですから...
しかしこの説が証明されたわけではありません。(^^)

武田の始祖、義清は誠実な人柄で人望がかなり厚かったといわれています。
しかし、嫡男の清光は札付きの「不良」で、ひたちなか市武田郷にいられなくなり甲斐の国に
移りました。
似ている話ですね。



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戦国時代 投稿者:きんたろう  投稿日:10月06日(水)00時05分27秒

の名前は「やまとことば」を解しない人達が名付けたものではないでしょうか。
実際は室町時代後半の戦国時代の方が、前半の南北朝時代と比べて農業生産力はほとんど倍近く
なっています。
食べることが一番の時代においてこれを評価しないのはおかしいと思うのですが...



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脳裏=現実 投稿者:安部奈亮  投稿日:10月06日(水)00時01分14秒

「特報200X」なんかを見ると,人間の心理の力は相当強力らしい。
ですから,仏様や怨霊を信じた昔の人は,
夢の中や,暗闇に本当に怨霊を見たのではないでしょうか。
多分心理的な現象だとは思いますけど。
あの世にいる霊,だとか天にまします神,なんかよりも
ずっと切実な存在だったと思います。
妖怪なんかもそうかもしれませんね。



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