過去ログ55(2000年〜2月18日)


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>きんたろうさん 投稿者:畝源三郎  投稿日:02月18日(金)08時56分55秒

簡単に書きます。確か、両方ともお小姓から出世したはずです。
吉保の事は大して忠臣蔵見ていないので、知りませんが、小納戸役、側用人、老中格となり、
川越藩7万2千石の藩主にまでなったことは知ってます。お小姓組頭なら、やっぱり200石程
でしょう。田沼意次は、藤沢周平の小説(ど忘れ)や剣客商売に出てくるので、知ってますが、
もともとは300石の旗本で、やっぱりお小姓でした。そして静岡県の御前崎に近い相良5万2
千石の藩主かつ老中となってます。



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詳しい 投稿者:きんたろう  投稿日:02月18日(金)00時39分25秒

説明を有り難うございました。
さすが源三郎さんですね。^^

>鬼平こと長谷川平蔵は、三方ヶ原の戦いで華々しく戦死した祖先を持つ、れっきとした旗本です
そうだったのですか??恥ずかしながら知りませんでした。^^;;
実は私は鬼平を小説で読んだことがありません。テレビ一本槍なのです。
でもあの時代劇はかなり好きだったのでほとんど毎週欠かさず見ていました。
今は剣客商売を毎週見ています。
一番好きなのは残九朗ですね!!
渡部謙君は政宗の時から主役のオーラを出していたように思っています。^^

江戸時代に大出世を遂げた人物としては柳沢吉保がいますが、元々は200石くらいでしたよね??
田沼意次なども同様なのでしょうか??



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神名辞典 投稿者:勇者ロト  投稿日:02月17日(木)23時57分05秒

私は、神名の確認などに書きアドレスの神名辞典を使っています。
簡潔で判り易い紹介がされています。

http://www.geocities.co.jp/Playtown-Spade/1901/



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MAKOTOさん 投稿者:勇者ロト  投稿日:02月17日(木)23時54分59秒

あんな、独り善がりな回答でよかったでしょうか?

古事記をお読みになるなら、訳本以外に、神様の系図や解説、日本書紀
との相違部分が記されている本などもありますので、そちらと一緒に読
まれたら判り易いと思います。

ちなみに私は初めて読んだ時はちんぷんかんぷんでお手上げ状態になりました。



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>きんたろうさん 投稿者:畝源三郎  投稿日:02月17日(木)22時56分23秒

うわっ、また難しい質問してきましたね。
官位と官職のリンク度ですか。ここでいう官位とは、旗本、御家人ということですか。私は、本来
それは軍事組織名だと思っているので、官位と聞いてきた時、職制の高さのことかと思ったのです。

鬼平こと長谷川平蔵は、三方ヶ原の戦いで華々しく戦死した祖先を持つ、れっきとした旗本です。
普通、教科書などでは、旗本とは1万石以下、500石以上のお目見え以上の将軍直参の武士となって
いますが、500石以上などというのは、守られていません。資料みると、先ほど述べたように、世禄
(世襲の禄高)が200石とか、300石のものもいます。石高だけみると、御家人ですが、旗本という
名前は棄てていません。ちなみに鬼平の世禄は400石です。先ほど、1500石といったのは、役高、
つまりその職をこなすための経費のことで、1500石で盗賊改方の仕事を行わねばならず、超過した
場合、自腹を切らねばなりまえんでした。鬼平犯科帳を読んでいても、そういう説明はよく出てき
ます。また逆に、経費削減して職をこなせば、自分の経費にまわせました。
(参考:遠山景元=金さんは、町奉行の時は世禄500石で、昔の基準ならぎりぎりの旗本にあたる)
御家人で、1000石以上というのは、優秀な人物など出て出世すると、世禄が加増されたりしたので、
御家人出身でも、旗本以上ということでしょう(旗本と実際もう言われたりしていたようです)。
パイが決まっているから、当初は教科書通りだったかもしれませんが、増やす所あれば、減らすと
ころもあるという事かもしれません。そして減俸されても、名誉は棄てなかったのでは(想像!)。
江戸時代は、鎌倉時代や室町時代と違い、官位とつながった職制をひきつがないで、徳川家の家職
の制度をそのまま採用しているところが、前者の幕府とことなり、前者が公家の家職の制度を基盤
としているのに対して、徳川幕府は純然たる家職の制度に、基盤を置いています。そのため、職名
も従来とは違った、大老、老中、若年寄、大目付、高家、奉行、組頭などという名前がついたこと
は、みなさんご理解できると思います。
そして公家の場合、生活の基準をつけるものが、官位であったのに対して、江戸時代の武家のそれ
は石高でした。その石高が生活を決定づけたのであり、官位より、そちらが重要でした。たとえ、
もとの俸禄が、出世した者の元の奉禄より高くとも、上司となれば、仕えなければならなかった。
川路聖謨のように、御家人株を受け継いだ時、蔵米70俵5人扶持でも、幕府を代表する勘定奉行と
なり、家禄も旗本として500石(知行で)受け取るようになると、職制上で下位にあたる長崎奉行(こ
の職は旗本の出世コースの者が就く)でも、出迎えに出なければならないのである。

したがって、旗本だから、どの程度までの役職、御家人だからどの程度の役職、下っ端役人だから
どこまでの役職、というのは明確に線が引けたのではありません。勿論、限界はありますが(下っ
端が、国政を預かる老中などは勿論無理である)クロスオーバーしていたというのは確かです。
(参考)旗本の出世コース:長崎奉行・京都町奉行・大坂町奉行・小普請奉行などである。
上記のような職につけたものは、そのあと、それらを幾つか歴任して、寺社奉行・大目付などに
出世するものが多かった。なお町奉行所を20年勤めると、500石加増という制度などもあった。

(追伸)先ほどの回答、訂正がありましたので、ここに記します。
○○守、○○尉、を名乗れるのは、従四位下ではなく、従五位下でした。
また、あまりこちらに力を入れて書くと、私のコンテンツの作成作業が進まないので、この辺に
しておきます。



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漢字登録 投稿者:きんたろう  投稿日:02月17日(木)21時22分13秒

をしながら原稿書きをしています。
歴史的な名詞は変換する場合一般的ではない場合が多いですから、一字づつ変換して行くついでに
単語を登録しながら進めた方がいいかなと思いました。



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今度是非 投稿者:きんたろう  投稿日:02月17日(木)19時49分47秒

寄らせていただきますね、MAKOTOさん。^^

源三郎さん、私は官位と官職についていまいちよく分かっていないのです。^^;;
江戸時代で言えば、例えば幕府の役職と官位も密接にリンクしていたのでしょうか??  
鬼平は確か御家人でしたよね??
一般的には御家人は旗本より格下のイメージがありますが石高を見ると色々あって面白いですね。
御家人でも石高は残九朗のように僅かの者もいれば旗本以上の1000石取りもいたわけですよね??
こうしたクロスオーバーしたところがすごく面白いと思っています。^^



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んーん 投稿者:MAKOTO  投稿日:02月17日(木)19時04分27秒

なるほど。流石ですね、勇者ロトさんの回答。はっきりいって、自慢じゃないけど、
古事記・日本書紀を読んだことないんです。でも、これをきっかけに、ひとつ、
取り組んでみますかな、まだ人生50年弱残ってますから・・・(笑い)
それよりも貴殿の世界を奥深く覗くことが手っ取り早い早道かな。

http://www.kawamata.co.jp/



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訂正 投稿者:勇者ロト  投稿日:02月17日(木)17時27分40秒

国家という枠組みが存在しない時代ではなく、国家の枠組みが不安定な時代です。



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神話とは? 投稿者:勇者ロト  投稿日:02月17日(木)16時47分51秒

MAKOTOさん、こん@@は、難しい質問ですね。正直模範解答は私にも
解りかねます。

私個人がどう思っているかというのを下記に記したいと思います。

記紀に記されている神話とは、「人と人を繋ぐための物語」だと思います。
もしくは、古代において国家という枠組みが存在しない時代に「同じ物語、
同じ神様の名前を知っている事」というのは、身分証明や、存在証明のよう
な働きをしたのではないかと思っています。

神と人を繋ぐコミュニケーション寓話は、もっとマイナーで恣意のない
昔話のようなものやアイヌ神話の中には今も生きつづけていると思います。

記紀の神代が編纂され公開されたとき、日本人は「本来の意味での神」との
一対一でのコミュニケーションを逆に封印されてしまったのかもしれません。

要と的を得ない回答になってしまいましたね。すいません。



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こんにちは 投稿者:MAKOTO  投稿日:02月17日(木)13時30分35秒

きんたろうさん、ご常連の皆様、お邪魔します。
今朝ほどは、いえ昨夜は貴重なご教示を感謝します。マックスいらしたことあるんですか。
今度は是非おより下さいませ。
勇者ロトさんの大作連載、拝見しましたが、神話の世界にうとくコメントができません。
やがて感想が言える時までお待ち下さい。
ただ、一つ伺いたいのですが、神話とは元来どういうものなのでしょうか?
全く浅い想像力で大変大胆な発言を許してもらいますが、宇宙の神秘、神的世界と我々人類を
繋ぐためのコミュニケーション寓話のようなものなのでしょうか?

http://www.kawamata.co.jp/



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ありがとうこざいます。 投稿者:勇者ロト  投稿日:02月17日(木)10時50分03秒

そう言っていただけると励みになります。

竜頭蛇尾にならないように、がんばりたいと思います。



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>きんたろうさん 投稿者:畝源三郎  投稿日:02月17日(木)07時42分38秒

>ちなみに官位を貰うと何か現実的なメリットがあったのでしょうか??
まず役高(役料)が、もらえるでしょう。町奉行や火付盗賊改といわずとも、当時の旗本、ご
家人で無役などの者は、御家人斬九郎ではありませんが、物価が上がった江戸中期以降では
他の職でもしないとなかなか食っていけず、普通の無役の者は有力者の元ただ挨拶(もしくは
名刺挨拶するだけ)の通い(有力者詣で)をしています。
たとえば、火付盗賊改方長官をつとめますと、だいたい御先手弓組頭か御先手鉄砲組頭から
選ばれるので、だいたい3500石から、200石位の旗本がこの御役をつとめていましたが、御
役高は、1500石でした。ただこの役の場合などは、色々と諸費用がかかり、町奉行所のよう
に欠所金で賄うこともできないし、危険も多いので、活躍して他への転身(出世)の自信があ
る人間か、富裕な御先手組でないとつとめたがらず、任命されても1年そこそこでやめたよ
うです。火付盗賊改長官のメリットですが、この長官についているまでの間は若年寄の支配です
が、この御役についた後は、先手組の上席となり、若年寄の支配から老中の支配となり、そ
の後の出世の道も開けていたようです。
また町奉行を火付盗賊改長官より割の良い役のように聞こえるような事を言いましたが、町
奉行所もそれ相応に大変だったようです。
官位につくと何かメリットは、ということですが、どんな端(はした)の官位でもつかねば、
出世のチャンスも得られないし、役高(役料)も得られないわけですから、現実的と言えば
そういう事になるんではないでしょうか。
だから、それぞれの階級によって、それぞれ出世するパターンというものがあって、当時の
武士は、とにかくその取っかかりの最初の御役に就こうとしたのです。甲府の代官の下の
元下級武士の息子にすぎなかった川路聖謨が勘定奉行所の端役から勘定奉行まで出世し、
官位も従4位下(○○守を名乗れる)という地位まで得たことを思うと、子孫のことども思え
ば(出世すれば、子も同じでないにしてもある程度の役に就けさせられるから)やっぱり頑張
るのではないでしょうか。



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モチーフ 投稿者:きんたろう  投稿日:02月16日(水)21時49分40秒

を考え始まったのですが隋唐を簡潔に書くのは意外に難しいと言うことに今更ながら気が付きました。^^;;
やはり魏晋南北朝から書かなければならないのでしょうか??
そうなるとかなり厳しいですね。
今出来るだけ簡潔にしようと構想中です。

源三郎さん、官位の任期についてのアップを楽しみにしていますね。^^
ちなみに官位を貰うと何か現実的なメリットがあったのでしょうか??

勇者ロトさん、面白いですよ!!
私などリニアロジック(単純という意味、正しい使い方ではありません)が得意ですから
あれだけ朝のように乱れた関係を構築することが出来る事に対しだだ感心するばかりです。^^
さすがだと思います。
そしてこの方がより現実的だと思っています。



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紙面を借りて、 投稿者:てつろう  投稿日:02月16日(水)15時03分18秒

きんたろうさん 紙面をお借りします。(^-^)

はじめまして、ハイ 宮崎の延岡という所に住んでいます。

勇者ロトさん
恐縮しています。日本神話はほとんど読んだことがありませんがこれを機会に
読んでみたいと思っています。
そして何か面白い話があったら書き込みます。

安部奈亮さん
私もその本を手にとりました。あの有名な作家の作品ですから歴史研究家の皆さんが
進めるなら読んでみたいです。確か宮崎周辺のことが多く書かれていたように記憶しています。

宜しくお願いします。



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ミッシングリング 投稿者:安部奈亮  投稿日:02月16日(水)13時01分36秒

私は、教科書的な日本史には、5つの空白の時代があると思います。
(1)4世紀
(2)藤原頼通の時代(11世紀前半)
(3)応仁の乱〜織田信長上洛(15世紀後半〜16世紀前半)
(4)徳川家斉の時代(1787〜1837)
(5)桂園時代(日露戦争終結〜大正政変、1905〜1913)

これらは、いずれも時代の転換点に位置しています。
(1)の前後には邪馬台国と大和朝廷がありますが、このミッシングリングはいまだつながっ ていません。
(2)は、摂関政治の全盛期と院政期に挟まれており、教科書的な著述では、武士が突如院政 期に現れる観があります。
(3)は、日本史を真2つに分ける画期とされますが、この間に何が起きたのかは、依然はっ きりしません。
(4)は、享保の改革でんバンとか持ち直した幕府と、幕末の幕府の滅亡をつなる時代である
はずですが、寛政の改革と天保の改革の間に起きたことが良く分かりません。また、この
時期は、江戸の文化の爛熟期であり、光格天皇の在位期間(1779〜1817)とも重なります。
非常に大事な時代のはずですが、この時代に関する詳細な説明を見たことはありません。
後期水戸学や、国学が発達したのもこの時期です。
(5)は、大正デモクラシーが準備された時代ですが、国内の歴史は、第1回帝国議会から、
大正政変に飛んでしまいます。特に良く分からないのが、政友会ができたいきさつです。
伊藤博文、板垣退助、西園寺公望、星亨、原敬、の関係もよく分かりません。桂太郎がな
ぜ官僚の頭目になったかの説明もありません。朝鮮併合の説明も、今まではゼロサムに流
れがちな所がありました。

(1) に関してはいろいろな人がチャレンジしています。(2)に関しては、「藤原頼通の時代」
という本を読んでいくらかわかりました。(3)に関して、社会制度変化の理由は分かった
のですが、思想的なものの変化のほうは、現在井沢先生が連載中の「逆説の日本史」に期
待しています。(4)に関しては、尊王思想から切り込めないかと思っていますが、案外こ
の時代が一番難しいかもしれません。(5)に関しては、専門家の研究は進んでいますので、
今「「国際化」の中の帝国日本」という本で勉強している所です。



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隋から唐 投稿者:勇者ロト  投稿日:02月16日(水)12時40分53秒

諸星大二郎先生の漫画で読んだのですが面白そうでした。
「西遊妖猿伝」という作品です。西遊記をモチーフにした漫画です。



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宮崎に関しては 投稿者:安部奈亮  投稿日:02月16日(水)12時28分55秒

梅原先生が、最近紀行文を刊行しましたね。
新聞の広告には、古代史のタブーに挑む!という風に書いていました。
読んでみたいですね。



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きんたろうさん 投稿者:勇者ロト  投稿日:02月16日(水)11時51分48秒

いつも、御手間をおかけします。今回のはどうでしたか?
シイネツヒコとは、亀にのって海宮まで山幸彦を案内した神です。
シオツチノカミともいう海の神です。
若かりし頃の武内宿禰をイメージしています。

大山祇は山の神とされていますが
瀬戸内に縁の深い神だそうです。ナギナミ2神から直接生まれていますので、
三貴子の兄に当たるのか?
山は陸地で主に生活している人々よりも、海人にとってもっと大事なもの
だったのかもしれません。海にでて自分の位置を知るためには大きな山と
小さな山の形を覚えその見え方によって位置把握をする必要があったのかも?
と思っています。さらに向かう方向を間違えないように銅鐸を使用したのかも?

てつろうさんこん@@は、
日本神話はなかなか面白いですよ!
宮崎の方なのですか?
高千穂や、西都原古墳群、日本海軍発祥の地とか宮崎もいろいろと
古代歴史に関わった土地です。
何か面白い話しがあれば教えてください!

百済といえばクシフル岳ですね。高千穂にもクシフルがあり、高千穂のクシフル
の元祖が百済神話だという話もあるようです。百済地方からの移民が高千穂に住
みついたと考えられているそうです。

西都原には卑弥呼または、トヨの墓があるともいわれています。
一説によれば出雲の大国主も西都原に葬られている??????そうです。

ちなみに私は西都には、ウガヤフキアエズやニニギの墓があると思っています。
いわゆる日向王朝説です。



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おはようございます。 投稿者:てつろう  投稿日:02月16日(水)10時35分49秒

きんたろうさん おはようございます。
国譲り…私も歴史は詳しくありませんが、興味が湧きました。

出てきていますね九州(阿蘇、日向、岩戸など)、それにしてもよく調べるものですね。
司馬遼太郎さんのモノなども職業とはいえなんでここまで調べられるのか?といつも思います。

下の書き込みに「百済」とありますが、日向の南郷というところに「百済の里」というところが
数年前に出来ました。昔交流があったという風に聞いています。
(町おこし的なところもあるようです。最近温泉など出来ました。)

宮崎の近くに西都原古墳というのがありますが、ここは宮内庁管理で中には入れないような話も
最近聞きました。
日本という国の歴史を感じます。(^-^) またお邪魔します。
出来ています。

http://www64.tcup.com/6411/kjumb.html



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勇者ロトさんの 投稿者:きんたろう  投稿日:02月15日(火)23時48分40秒

国譲りの続編がまたまたアップです。^^
こんなに速いペースだと欲求不満にならずに楽しめますね。(無責任な発言ですみません)
子供の頃テレビの翌週の続編を早く見たかった思い出が蘇ってきました。
下記のアドレスです。

源三郎さん、有り難うございます。
同じ言葉(単語)が実は全然別のものを指しているという例は意外と多いのではないかと私も
思っています。
例えば古代史でも百済と言う名称の国は朝鮮半島南部と遼東半島付近にありました。
これを意図的??に誤読する人もいるそうです。
また竹島問題にしても同様だと思います。
あれは元々は江戸時代には松島と呼ばれていました。
綱吉の時朝鮮との国境を決めましたが朝鮮領になった方の島を竹島と呼んでいたとの事です。
それを領界を決めた後、松島を竹島と改名したのです。(紛らわしいことをするな!!)
それを逆手に取った形ですよね??

先日勇者ロトさんにおだてられて隋から唐の頃をまとめようと思っています。
でも記憶がほとんど風化しています。(爆)

http://www.net-ibaraki.ne.jp/kintaro/roto24kuniyuzuri.htm



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武家の官位の任期 投稿者:畝源三郎  投稿日:02月15日(火)21時56分11秒

詳しくは知りません。任期を書いた資料としては、江戸町奉行のものと、火付盗賊改のもの
をもっていますが、それをみた限りでは、1年未満?の者もいれば十数年というものもいる
ようです。つまり決まっていないか、再任が可能か色々あったのではないですかね。今度近々、
表を作成してHPにアップする予定ですので、乞うご期待!

次にバレンタイン・チョコの件(私の掲示板で書いたなぞの言葉)
>大量にもらったといえば、もらったし、もらわなかったといえば、もらわなかった
ですが、2月11日、私は老舗の菓子屋の息子の結婚式に招待され、行った所、引き出物として
大量のバレンタイン・チョコをはじめとしてハートマークの菓子をもらいました。それで、
それをバレンタイン・チョコの代わりといえば大量といえるし、日が違うし夫婦からの引き出物
でもらったとなれば、たとえハート型をしていようとバレンタイン・チョコでないというなら、
もらってないことになる、という意味でした。



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コテキンさんの 投稿者:きんたろう  投稿日:02月15日(火)20時50分50秒

南奥州古戦場跡地の風景を見てきました。
最後の写真の説明に義重が常陸国に帰ったとありますがその理由については私のページの佐竹氏編
にアップしてあります。

源三郎さん、ちょうど質問しようと思っていました。
江戸時代の武家の官位(例えば大岡越前の守など)についてなのですが、こうしたものの任期の
期間はどの位だったのでしょうか??
例えば3年とか5年とか終身とか??

ところで今日のボウリングの結果ですが最初がジャスト100点で次が175点でした。^^;;



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ハハハ、下の私の文章またヘンテコだね 投稿者:畝源三郎  投稿日:02月15日(火)19時22分34秒

どうも、推敲しないで、書き殴るようにカキコするので、またヘンテコな日本語に
なってしまった。すいません。
ところで、アトピーなどと、意味不明な事を書きましたが、MAKOTOさんに
もらったアレルギーに関するパンフレットによれば、アトピーとは、ギリシャ語で
「よくわからない」という意味らしいです。



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これから 投稿者:きんたろう  投稿日:02月15日(火)17時22分27秒

親睦会のボウリングです。
全く忘れていました。^^;

MAKOTOさん、こんにちは。
朝がずいぶんと早いですね。すごいです。
大祭礼の頃にはきっとデジカメを手に入れていると思いますのでページ上でも公開したいですね。

輔住さん、実は大阪で「女風林火山」というドラマ(かなり古いドラマ??)を放送していました。
梶めいこさんが若かった!!  



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久しぶりに参上! 投稿者:畝源三郎  投稿日:02月15日(火)17時17分51秒

最近、変な事件は多くて、加賀藩所口町奉行所盗賊改方同心(実在しました)・畝源三郎もなか
なか忙しくて(嘘)久しぶりにカキコさせてもらいに来た。
どうも、戦国時代の話、バレンタインの話などあって、どこに的を絞っていいのやらわからない
(アトピー)なので、私も全然関係ない話をさせていただきます。
(他の頁でも言った事ありますが)与力・同心の地位についての話だが、幕府や諸藩での与力が、
加賀藩では同心にあたり、同様に幕府や諸藩で同心といわれているのが、加賀藩では、与力にあ
たるのですよ。だから、同じ名前が出てきたからといって、意味を調べずに統計的に処理してし
まうと、統計的にも過ちを犯す可能性があり、日本史では、そういう過ちが多々あることが最近
わかってきたようです。



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輔住の妄想(武田軍編) 投稿者:輔住  投稿日:02月15日(火)12時26分08秒

>例えば武田は一枚岩の最強軍団のように書かれていますが、これが武田信玄サイドから見ると
>家臣団の統率に苦労する姿が現れてきます。
>また武田軍団が最強ならば家康は信長を裏切っているはずだと思うのです。

信玄は家康を破っていますからね。
それを糧にして徳川軍団は強力になったという
のを江戸時代広めたから、武田軍を美化したのではないかと
妄想してます。

また信玄と長男の義信との対立等からでも統率の苦労が伺えますね。
(当然 義信を支持した家臣もいましたから)



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朝の挨拶 投稿者:MAKOTO  投稿日:02月15日(火)06時48分54秒

きんたろうさん、おはようです。
かなさ神社の大祭礼、私も楽しみ。小祭礼は何度か拝見、思い出あります。
ネットでも何か出来そうですね。

http://www.kawamata.co.jp/



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分かった!! 投稿者:きんたろう  投稿日:02月15日(火)00時11分47秒

こんなに混んでいるのはバレンタインメールを送りまくっているからでは??笑



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Toshyさん!! 投稿者:きんたろう  投稿日:02月14日(月)23時45分55秒

すごいですね!!^^
これは祟られても仕方がないですね。(爆)

勇者ロトさん、メールを確認しました。
すごいペースで嬉しい驚きです!!
でも今日はオーバードランク状態で頭がガンガンなものですから明日アップします。すみません^^;;

安部さん、Sinさん、どうでしたか??

コテキンさん、今日は何故かネットがめちゃくちゃ混んでいて固まっているようなものですから
明日見させてもらいますね。



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それでも 投稿者:Toshy  投稿日:02月14日(月)23時31分16秒

やっぱり、うれしいものです(笑)>義理

安部さん、うちの掲示板を見ていたのですか。(^^;
ありがとうございます。
今年は多分10個までいかないから、安部さんに抹殺されんですむ(爆)
二桁を越えたのは、2年前までの3年間だけです。



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義理チョコは 投稿者:Sin  投稿日:02月14日(月)23時11分37秒

むなしいですよ、阿部さん(笑)
特にお返しのことを考えるとね〜(^^;
Sinは周りに主婦しかいない環境ですしね
本日は実家からですのでこれで失礼します



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お知らせ 投稿者:コテキン  投稿日:02月14日(月)19時38分34秒

私のサイトで福島の風景写真展を始めました!!
第1弾は「人取橋の風景」です。
是非見に来てください。

http://www.geocities.co.jp/WallStreet/4009/



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芦名氏の故郷 投稿者:きんたろう  投稿日:02月14日(月)19時03分08秒

会津のお城といえば会津若松城が有名ですね。
ここは芦名氏が支配していた当時は黒川城と言われていました。
秀吉の命により蒲生氏郷が奥州の要として松坂から移封されて来たのでした。
蒲生氏郷は信長の人質として育ちました。
そして間近で信長の采配ぶりを見てきましたからいわば信長の弟子ともいえる人物です。
また信長にして自分の娘を氏郷の妻にしているくらいですからいかに氏郷を評価していたか伺う
事が出来ると思います。
氏郷とは弱小豪族の倅に過ぎなかったのですから政略結婚に踏み切らせた動機は(信長にとって)
彼の能力にこそあったと見るべきだと思っています。

秀吉が氏郷を会津に42万石(後に92万石)をもって大抜擢したのは奥州の押さえとしての力量
を信長同様に評価していたからに違いありません。
佐竹義重親子は芦名を元通りにして欲しかったようですがついに叶いませんでした。
その氏郷は大出世にもかかわらず遙か遠方に移封されたことについて不満だったようです。
一説には秀吉がその能力を畏怖した(ましてや若い)と言われているくらいの人物です。
42才で労咳により亡くなったといわれていますが彼が通常どおり生きていれば関ヶ原の戦いは
起こり得なかったかも知れないと思っています。



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バレンタインデーは 投稿者:きんたろう  投稿日:02月14日(月)18時46分05秒

昔で言うところの節句の一種なのではないでしょうか??
今でも毎月年12回節句に餅をついて食べるところもあるようですが、大体の人は正月くらいしか
もはや餅は食べませんよね!!

元々バレンタインデーは女性から愛を告白するというような一方的なものではなく男性から女性へ
だろうが拘らなかったはずですね。^^
どこかの頭のいいチョコレート屋の企画屋さんが考えたのでしょうか??
バレンタインデーというのはたぶん30年くらい前からですよね??



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で、安部さん。 投稿者:勇者ロト  投稿日:02月14日(月)17時44分06秒

初めて他人からもらったら「なんていい日なんだ!」
とか言って感動してたりして(笑)



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邪宗って・・・・。 投稿者:勇者ロト  投稿日:02月14日(月)17時35分58秒

あれってキリスト教に付属してきたものなんでしょうか?
クリスマスもそうですが、日本人の生殖に関する祭祀は外国祭祀に奪われて
しまったようですね。生殖と言っていいのか悪いのかわかりませんが・・・。

盆踊りや秋祭りの一夜の出会いにかわってバレンタインデークリスマスが
恋人同士の日になっちゃったのでしょうか?

これも明治の神仏分離令の悪弊なのかな???
神道と神社を奇麗なものしか扱わない宗教と施設にしてしまったための弊害なのか?
うーん。しかし、それでも「系譜」だけは守られる・・・・。

何時の日か、久利須磨崇神、婆憐多淫神とかいって八百万神の一つになってたりして(爆)
ツキヨミノミコト・アメノウズメとかと習合しちゃったりしなんかして(笑)
じゃんじゃんbyビートたけし



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ちなみに今Toshyさんの掲示板は 投稿者:輔住  投稿日:02月14日(月)14時58分59秒

ばれんたいんでえ(そんな日あったけ?)かられずびーの
話になりました。



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