11/23
--------------------------------------------------------------------------------
思いついたのですが、 投稿者:Toshy 投稿日:04月21日(水)00時15分10秒
邪馬台国の、大陸(?)からの距離や、当時の戸数などは、手がかりにならないのでは?
例えば、現在でも......
韓国−日本の距離は、半島の最南端と北九州であれば、100キロにも満たない(はずだ)
そこで、韓国の人が、「日本は韓国から100キロ以内にある国で、人口1億3千万」とかいうとします。
これって、真実を言っているのには違いないけど、日本の実像を相当誤らせるでしょう。
であるからして、魏志倭人伝の邪馬台国も実際はかなりの広範囲を指していて、一番近いところで「水行十日」なのかも知れません。
面積に関する言及があれば、話は変わりますが。
http://village.infoweb.or.jp/~fwjd2293/akutagawa.htm
--------------------------------------------------------------------------------
たった今 投稿者:勇者ロト 投稿日:04月21日(水)02時04分48秒
BBSに投稿してきました。長くなり過ぎてぼろぼろです。
あしたも仕事なのに・・。止めときゃよかったと後悔してます。
--------------------------------------------------------------------------------
ごぶさたしてます。 投稿者:ノム 投稿日:04月21日(水)12時00分47秒
きんたろうさん、こんにちわ。
まだパソコンは手にいれてません。
寮には持ち込み禁止なので、少なくとも来年までは無理でしょう。ヤマタイ論争は苦戦してるようですね。
がんばってください。GWには帰省します。
--------------------------------------------------------------------------------
中世や現代も好きなんだけど・・・ 投稿者:安部奈亮
投稿日:04月21日(水)17時12分53秒
邪馬台国盛り上がってますね。
やはりみんな古代が好きなのでしょうか。
私は何度か室町や現代を話題にしようとしましたが、返事すら来ませんでした。
井沢先生の怨霊や言霊、穢れをキーワードにした現代史は、非常に衝撃的です。
面白い議論になると思うのですが・・・
--------------------------------------------------------------------------------
私もいつか 投稿者:輔住 投稿日:04月21日(水)17時54分59秒
みなさんと室町時代の議論をしてみたいと思っていますが、(自分自身は歴史でいえば中世が一番好き)
いつかそういう時がくると思っています。
室町の話題で返信できなかったのは、自分自身ざんねんでした。
言い訳にしかなりませんが、返事を考えてる間に話題が新しくなってしまっている場合もあるので...。
--------------------------------------------------------------------------------
腰が痛い 投稿者:きんたろう 投稿日:04月21日(水)18時48分58秒
安部さんや輔住さんの意見と同様に、私も他の時代も好きです。
輔住さんが言われていたように「考えをまとめている」うちに、話題が変わってしまい投稿するタイミングを外したことは何度もあります。
邪馬台国についてはもう少し考えをまとめられたら、書くことにしようと思っています。
ノムさん、そのとおりです。(大苦戦)
Toshyさんも言われていたけど「フォーラム」「とまり木」に思いつくことを書こう。
気合いが 投稿者:きんたろう 投稿日:04月21日(水)19時37分14秒
入ってしまいました。
BBSにはまだ書けないので「とまり木」と「フォーラム」に書き込んでしまいました。
--------------------------------------------------------------------------------
魏志倭人伝 投稿者:きんたろう 投稿日:04月21日(水)21時42分40秒
を読んでみたのですが、どうにもよく分からない文章です。
(単に読解力不足かも知れないのですが)
Awajiさんに聞いてみました。
回答してくれるといいのですが。
--------------------------------------------------------------------------------
魏志倭人伝の 投稿者:勇者ロト 投稿日:04月21日(水)22時30分52秒
どこの部分がわからないのですか?
ある程度ならわかりますが、
全体という事でしたら訳文の載っている本を探した方が早い気がします。
Awajiさんが訳文を投稿してくれれば買わなくてすむんですが・・・・。
高校時代の学参とかは、置かれてないのですか?
--------------------------------------------------------------------------------
国譲りの小説の 投稿者:勇者ロト 投稿日:04月21日(水)22時52分30秒
第一章が書きあがりましたので、送信しました。
お暇でしたら、読んでみて下さい。
出雲国譲りの真相をテーマにしてみました。
--------------------------------------------------------------------------------
Toshyさんの掲 投稿者:勇者ロト 投稿日:04月21日(水)23時24分11秒
示板が、また開かなくなっているようです。
Toshyさんにも読んで頂きたいのですが送信してもいいでしょうか?
安部さん、輔住さんも読んでいただけませんか?
--------------------------------------------------------------------------------
うちの掲示 投稿者:Toshy 投稿日:04月21日(水)23時31分18秒
板、ほんとになんとかしてほしいですね。
この前もメールで言ったばかりだというのに。
勇者ロトさん、もし差し支えなければ、お送りください。
http://village.infoweb.or.jp/~fwjd2293/akutagawa.htm
--------------------------------------------------------------------------------
勇者ロトさん 投稿者:きんたろう 投稿日:04月22日(木)00時01分08秒
ありがとうございました。
今、一回目を読ませていただきました。
さすがですよね。
面白いです。
よくあそこまでイメージが作れるものだと感心しました。
私にもイメージが伝わってきます。
続編をお願いします。
勇者ロトさんの新作でアップしようと思います。
魏志倭人伝は全体的に意味がよく通らないような気がするのです。
何里というのも実際の距離ではなく、恐らく言い伝えだろうと思われます。
それをそのまま載せているのでつじつまが合わなくなるのだと思います。
1里=400メートルが距離としては当時使われていたのは間違いがないらしいです。
ですから、短里=70メートル論はどうも怪しいというのが一般的です。
またToshyさんが言われているように、起点が何処か書いていないのも実際とは違っている原因かなと思いました。
それも意図して書いていないような印象を受けます。
何か別の意図があったと考えても良いのではないでしょうか。
また「韓国」という単語にしてもこれが今の韓国かどうか疑問です。
末廬=松浦と決めつけるのもどうかと思ったりします。
今日読んだ印象としては、台湾のことを書いたのではないかと思ったりしました。
よく分かりません。
ところで葛城氏についてはどう考えていますか。
--------------------------------------------------------------------------------
どうにも 投稿者:きんたろう 投稿日:04月22日(木)00時19分43秒
困りましたね。
Toshyさんの掲示板がまた開きませんでした。
おかしいですね。Toshyさんの番地にアクセスが多いのでしょうか。
明日本を買ってきます。自力訳と比べてみます。
--------------------------------------------------------------------------------
Toshyさ 投稿者:勇者ロト 投稿日:04月22日(木)00時43分49秒
んにも、送らせていただきました。
しかし、昨日からうちのアウトルックの調子がよくないので届いたか、どうか確認して下さい。二回に一回は失敗しているみたいなので、お願いします。
葛城氏の祖神はタカミムスビノカミです。この神は高天が原において別天神と呼ばれる5柱の神のうちの一柱で、アマテラスよりも、上席にあるといってもよいでしょう。しかしこの神も地上の国とは直接交渉を持たない神です。
ここから推測できるのは、天皇家以前に大和を支配した一族だったということだと思います。また葛城山には出雲系の加茂武角身神も一緒に祭られています。この葛城氏と出雲の勢力が神武以前の大和の支配者だろうと思います。ただ時間軸が不明確なのです。神武の大和入りが何時なのかという事です。ニギハヤヒと同一の人物かもと思ったりしてます。もしくは大物主と同一かといったところです。婚姻によって両者が結合したのが葛城王朝の基礎だと思います。
魏志倭人伝の里程や戸数には誇張があるでしょう。ただそれが一つの方程式でとけない以上、万人を納得させるのは難しいのです。例えば、対馬や壱岐の島については異論をとなえるものはいません。この先の里程については実際の距離なのかもしくは、対馬などの海人からの伝聞なのか、使節達の経験なのか、といった様々な疑問があります。しかも陳寿自身が邪馬台国に行ったのではないので、当時の魏、晋における倭国に対する固定観念がその記述を左右している可能性もあります。
ここからの邪馬台国論争は、九州説を支持する根拠が必要になってきます。
また、どうして畿内ではないのかという根拠も必要でしょう。
魏志とは別の観点からのほうがいいと思います。
--------------------------------------------------------------------------------
メールありが 投稿者:Toshy 投稿日:04月22日(木)09時34分03秒
とうございます。
じっくりと読んでから、感想をお送りします。
邪馬台=吉野ヶ里遺跡の説を聞いたことがありますが、
それなら三内丸山でもよさそうだし、...なんて思って、ちょっと決着がつくとは思えませんね。
ただ、最近考えるようになったのは、魏志倭人伝が誇張しているのなら、邪馬台国は群小集落の一つであり、どこにあったと研究するほどでもないのでは? ということです
--------------------------------------------------------------------------------
そうですね。 投稿者:勇者ロト 投稿日:04月22日(木)10時51分40秒
邪馬台国とは、国号なのかという疑問もあります。
狗奴国とかもです。聖徳太子が国号を「日本(やまと)」とするまでは、地名=国名のはずですから「ヤマ(ト)」の付く地名が邪馬台国の否定地となります。
この場合、「ヤマ」がきんたろうさんがおっしゃっていたように神とか神聖な場所を表わす言葉だとしたら、邪馬台とは宗教上の聖地につながるかもしれません。だとすると、倭にあった国全てに邪馬台があったという事になると思います。
邪馬台を聖地とする国(環濠集落)の合計が魏志における邪馬台国の戸数にあたるという事もあるかもしれません。
つまり、九州、畿内、その他に限らず、邪馬台型宗教の国が現在の宗教の支部のように日本列島に散在した。という事かもしれません。
--------------------------------------------------------------------------------
魏志倭人伝は 投稿者:きんたろう 投稿日:04月22日(木)21時44分15秒
歴史的迷文だと思います。
内容については一応知っていたつもりなのですが(さほど深くはありません)、あのとおりに行くと太平洋の真ん中位までは行ってしまうはずです。
その事実から見てもあれは「伝聞」だということがはっきりしていると思います。
北九州、韓国南部、山口付近、あるいは沖縄や台湾までも「倭」の範囲に入っていたのかも知れないと思ったりします。
後世マルコポーロが「東方見聞録」で日本のイメージを書きましたが、どことなく似ていると思いました。
ですから魏志倭人伝をより所としては「当時の日本」の姿はあまり見えてこないのではないかと思います。
--------------------------------------------------------------------------------
邪馬台国より 投稿者:Toshy 投稿日:04月22日(木)22時55分10秒
も前に、インドの地理の本に日本らしき国のことが書いてある、と聞いたことがあります
詳細は忘れたけど、はるか東の果てにあって(確かに日本だ)、そこは女ばかりの国だという(うーん。女王によって支配されていたという意味かな)
これも「東方見聞録」のレベルで、確実に日本の姿を描いてはいないですよね。
魏志倭人伝も、そのレベルかもしれないと、私も思いたくなります
http://village.infoweb.or.jp/~fwjd2293/akutagawa.htm
--------------------------------------------------------------------------------
宣伝です 投稿者:きんたろう 投稿日:04月22日(木)23時03分12秒
勇者ロトさんの新作「出雲国譲りの真相1.2」をアップしました。
長くなりそうですよね。
--------------------------------------------------------------------------------
それはほん 投稿者:勇者ロト 投稿日:04月22日(木)23時25分55秒
とうですか?Toshyさん。インドの話です。メール届いたようですね?
おんなばかりというのはインドの人のあこがれかもしれません。
今日もアウトルックが停止してしまいました。どうなってるのやらさっぱりです。
小説は長くなるかもしれません。予定では短くするつもりなんですが。
今の所はっきりしません。きんたろうさんお手間かけます。すいません。
BBSに新たな。九州説論者が登場しています。方程式で解読されてました。
こういうのを読むと私の中で北九州説の現実味がましてきます。
--------------------------------------------------------------------------------
それで思い出した 投稿者:Toshy 投稿日:04月23日(金)00時21分22秒
んですが、「女ばかりの国」といえば、今昔物語5巻にも出てきますっけ。
インドの僧のなんとか言う人が、船に乗ってたら嵐に遭い、島に漂着。
そこは女ばかりの島で、実は羅刹(女夜叉、鬼女、の意味)だった。
漂着した人たちを食べているのだそうです。
そこを脱出してインドに帰り、今度は兵隊を率いてその島を征服し、現在は(もちろんその当時)その僧の子孫が王をつとめている、とのこと。
どうやらこの島、スリランカのことらしいです。
島の民を羅刹にしたのは、征服する側の自己弁護か?!
http://village.infoweb.or.jp/~fwjd2293/akutagawa.htm
--------------------------------------------------------------------------------
邪馬台国論争で私が 投稿者:輔住 投稿日:04月23日(金)12時28分43秒
が魏に服従的な態度を(すくなくても対等ではない)取っていること。
後に、「日本国」ができるとそういう態度は取りませんか気になる点の一つがBBSにも書いたとおり邪馬台国ら、何かあると勘ぐりたくなってしまいます。
仮に援軍を求めるとすればそんなに遠い場所ではないはずです。
そう考えると畿内より中国地方や九州の方が可能性が高いとは思うのですが。
しかし分からないことも多く、このままではギルの笛を聞いたジローのようになってしまうかも(笑)!
--------------------------------------------------------------------------------
さいしょの1行忘れた! 投稿者:輔住 投稿日:04月23日(金)12時34分28秒
前の分で最初の1行をペーストし忘れました!
最初の1行は「疑問なのはBBSでも書いた通り邪馬台国」です。
--------------------------------------------------------------------------------
あかん! 投稿者:輔住 投稿日:04月23日(金)12時40分58秒
また改めて読むとペーストし忘れたのではなく!ペーストする直前に文の行を間違って入れ替えてしまったようです。
もうすでにかなり混乱してるな!すみません!
--------------------------------------------------------------------------------
古代は変わる! 投稿者:安部奈亮 投稿日:04月23日(金)12時48分18秒
岡山でどえらいものが発見されましたね。
縄文時代にも農耕、あるいは国家が存在したかもしれなくなりました。
今までの縄文、弥生、古代観はひっくり返るでしょう。
今でも、古墳時代が古くなり、縄文時代に農耕が始まったのは定説なので、縄文時代は時代が下り、弥生時代の存在意義がなくなってきているようです。
6000年前といえば、中国の黄河では農耕が始まるか始まらないか、長江でも農耕が始まったばかり、インドでもヴェーダ時代が始まるか始まらないかくらいです。
諸文明の開始がもっと早かったのか?
それとも、日本文明が独立して発祥していたのか?
--------------------------------------------------------------------------------
頭が 投稿者:きんたろう 投稿日:04月23日(金)19時05分06秒
酸欠状態なのでよく分からないのですが、いつなんですか?発見されたのは。
(まだニュースも新聞も読んでいないのです)
輔住さん、メール確認しました。ありがとうございました。
ところで、>ギルの笛を聞いたジローのようにとは何のことですか?
インドにもアマゾネスがいたとは愉快ですよね。
--------------------------------------------------------------------------------
日本から 投稿者:Toshy 投稿日:04月24日(土)00時14分27秒
600キロの距離にある、工業先進国とは、どこでしょう??
答えはアメリカ合衆国。
私はウソをついていません。沖ノ鳥島−マリアナ諸島は600キロほど。
魏志倭人伝の信憑性って、こんなものじゃない?
http://village.infoweb.or.jp/~fwjd2293/akutagawa.htm
--------------------------------------------------------------------------------
10分 投稿者:きんたろう 投稿日:04月24日(土)01時08分42秒
ほど前に目が覚めました。
「魏志倭人伝」についてはToshyさんと同じ印象があります。
書物に書いてあるのをそのまま信じて、そこから考察して行くだけだとすると、かなり違った「歴史」が構築されそうです。
実は私も誤解していたのですが、「三成」について「光圀」はかなり高く且つ正当に評価していたということです。
しかし、光圀死後「三成」の評価は下がり続けました。
この事にしても、江戸時代の御用学者の書物からのみの判断では「歴史」を正しく理解する事は出来ないと思うのですが。
--------------------------------------------------------------------------------
アップしました 投稿者:きんたろう 投稿日:04月24日(土)12時28分48秒
「藤原氏の秘密」を茨城のコーナーにアップしました。
--------------------------------------------------------------------------------
温羅じゃ!温羅じゃ! 投稿者:池内晴紀(極悪忍者)
投稿日:04月24日(土)18時02分30秒
岡山での縄文時代の農耕耕作地の痕跡発見は意味深でございまする。
吉備王国の所在地であり、古くから鉄精製技術を有していた点からも、古代中国大陸との交流の可能性はいなめませぬ。
高句麗の精力拡大によって滅びた嘉夜王国の王族の多くが中国地方に亡命したのも興味深いでござりまする。
でも、おいら、実は古代史、よく分からないの・・・・・メガンテ!
--------------------------------------------------------------------------------
縄文時代の 投稿者:Toshy 投稿日:04月24日(土)23時57分56秒
農耕というと、われらが三内丸山遺跡でも、栗やクルミの木が植えられたものであることがわかっています。
教科書では、「縄文時代=狩猟・採取」「弥生時代=農耕」と教わったけど、あれは歴史にたいする偏見かな。
文部省が変わらない限り、この誤謬だらけの教科書はなおらんでしょう。
ところでうちの掲示板に、新しい人が増えてくれてうれしいです。
みなさんも負けずにカキコをお願いしますよ!
http://village.infoweb.or.jp/~fwjd2293/akutagawa.htm
--------------------------------------------------------------------------------
クラッシュ・バンディクー3 投稿者:きんたろう
投稿日:04月25日(日)00時17分01秒
を地域振興券を使って買ってきました。(子供用)
我が家のちび君がいうには面白いらしいです。
(私はちょっとしかやっていない。マリオ系統のゲームです)
ビデオにとっておいた「ターンAガンダム」は見たのですが、「蘇る金狼」は先週分もまだ見損ねています。
池内さんは極悪忍者に変身したのですね。
--------------------------------------------------------------------------------
うらうらうらべっかんこー 投稿者:勇者ロト
投稿日:04月25日(日)00時43分25秒
みなさん、こん@@は、縄文時代と弥生時代の違いは、当時の流行していた土器の形状だけという事かもしれません。
まぁ、稲についてる微生物という事ですから、農耕方法が進化したという違いもあるかもしれません。
古代は謎ばかりです。記紀以前の文献資料がなくなったのは残念としかいいようがありません。
--------------------------------------------------------------------------------
それが、縄文人 投稿者:Toshy 投稿日:04月25日(日)01時48分33秒
と弥生人とでは、別人種であるらしいです。
貝塚などから発見された骨を見ると、弥生人のほうが縄文人よりも大柄でした。
「日本書紀」に見られる、小柄の人種・土蜘蛛とは、縄文人のことではないでしょうか。
それから、顔立ちも縄文と弥生では全然違うといいます。
縄文人の特徴は、丸顔と二重瞼対する弥生人は、うりざね顔の一重瞼らしい。
変な例ですが、
縄文・・・・薬師丸裕子、後藤久美子
弥生・・・・岩下志麻、黒木瞳
というのは、どうでしょう?
Toshyは縄文の顔です
--------------------------------------------------------------------------------
質問です 投稿者:きんたろう 投稿日:04月25日(日)16時59分18秒
勇者ロトさん、
>うらうらうらべっかんこーとは何のことですか?
縄文でも弥生でも美人は美人ということですね、Toshyさん。
--------------------------------------------------------------------------------
魔法の力だベッカンコーッ! 投稿者:池内晴紀(極悪忍者)
投稿日:04月25日(日)19時56分39秒
うららーうららーじゃーんぐる黒べー、
うららーうららー、だだんがだんのだーん!
http://www60.tcup.com/6010/1518.html?
--------------------------------------------------------------------------------
弥生人、モンゴル人に似てる感じがする。 投稿者:池内晴紀(極悪忍者)
投稿日:04月25日(日)20時08分25秒
弥生人って、現在のモンゴル人に近いと思う。
学説では、中国人を農耕民族と騎馬民族の混血で、より騎馬民族の血統が強く、日本人は農耕民族の血統が強いという説などありますが、私は、どうみても、日本人のほうが、騎馬民族のモンゴルに人種的にも風俗的にも似ているような気がしてならない。
中国人の食人特性を、騎馬民族の残虐性と同一視する向きもあるが、食人特性は、ピテカントロプスペキネシスから受け継いだ、中国中原人の特異な性質だと思う。
--------------------------------------------------------------------------------
あたしゃあ。。。。 投稿者:Toshy 投稿日:04月25日(日)20時35分06秒
日本は最初、牙民族ではなかったかと思う。....って、どんな民族だぁ。騎馬民族。
牙民族というと、ドクロイノシシ、鬼火セイウチ、ユキオオカミ、原始タイガー、吸血マンモス、でした。
というのはさておき、農業というものは腕力勝負ですから、どうしても男性が主導権をとるようになる。
しかし狩猟型の騎馬民族は、弓矢を使う。
腕力よりも命中率だから、女性にも俄然チャンスが出てくる。
農耕民族になったのがいつか、それはわからん。。。
http://village.infoweb.or.jp/~fwjd2293/akutagawa.htm
--------------------------------------------------------------------------------
おれたちゃはだかがユニホーム! 投稿者:勇者ロト
投稿日:04月25日(日)21時43分17秒
きんたろうさん、Toshyさん、そして池内さんこん@@は。
「うらうら・・・」は池内さんの投稿「温羅じゃ・・」から、いただきました。内容については、池内さんもご存知だった「ジャングル黒ベエ」というアニメにでてくるせりふです。
深い意味はありません。まぁ喩えていえば「パワーホール」です。
さらにいえば「リキラリアット」からの「さそりがため」と理解していただければ゛幸いです。
--------------------------------------------------------------------------------
遠戦指向と女系社会 投稿者:池内晴紀(極悪忍者)
投稿日:04月25日(日)21時47分40秒
日本は本来、女系社会の様相が強いですよねえ。
平安以前は、女性が家督をつぐことも珍しくなかったそうだし。
女性が歴史上指導的立場に立つことが多い、世界でも珍しい文化形態だと思う。
なお、日本人は本来、弓矢を主力武器とし、遠戦指向が強かった。
白兵的手法を取り入れたのは、源義経以降ではないだろうか?
それらの風俗を見ていくと、どうも狩猟系の民族であったという観測がつよいですねえ。
http://www.interq.or.jp/snake/ninzya/indx.htmll.genron.html/genpei-f1.htm
--------------------------------------------------------------------------------
うっきーっ! 投稿者:池内晴紀(極悪忍者)
投稿日:04月25日(日)21時50分44秒
きんたろうさん・・・・アパッチ野球軍を知ってるだろうか。
アストロ野球団じゃないよ。
--------------------------------------------------------------------------------
だいこーん! 投稿者:勇者ロト 投稿日:04月25日(日)22時09分06秒
今、BBSいってきました。井沢説批判にはいったようです。
狩猟というのは、あらゆる民族の原形に通じるものだと思います。
農耕に適した土地をてにいれてはじめて農耕民族になるのではないでしょうか?
--------------------------------------------------------------------------------
怪傑、のーてんきっ! 投稿者:池内晴紀(極悪忍者)
投稿日:04月25日(日)22時33分37秒
勇者ロト 様>こんばんわ。
お説ごもっともと思います。
しかし、生活環境が似ていても、中国人と満州人や日本人などの特質にかなり差異があるのはどうしてなんでしょうか?
気のせいか、モンゴル人と日本人は性格的に似ているような気がする。
風貌も。
--------------------------------------------------------------------------------
池内様、生活環境が 投稿者:勇者ロト 投稿日:04月25日(日)23時27分38秒
似ているというのは、気のせいではないでしょうか?
私は中国人や満州人、モンゴル人の生活環境や風貌、特質というのをよく知りません。
日本人の生活環境と本当に、似ているのでしょうか?
日本人の特質というのは、「あなた色にそめてぇー。うふん」というものに近いんではないかと思っています。
個人としての責任感が育ちにくい環境のわりに、好奇心だけ他国の人より強すぎるような感じがしています。
つまり知りたがりという事です。タブーという言葉の意味を十分に理解しきれてないのが現代日本人だと考えています。
タブーとは、連綿と続く民族的宗教を持ち合わせた民族だけが理解できるものではないでしようか?
その点、日本人は、連綿と続く民族的宗教というものを持っていません。井沢先生はこれが言霊、怨霊にあたるとお考えのようですが、成文化されてないという事は宗教的ではあっても、宗教そのものではないのです。
成文化されてはじめて「掟」となります。掟のない宗教は、民を惑わせても導くことがてきないのです。
宗教の「宗」は「家」と同じ意味なのです。家庭内の「教え」が成立してない現代では、それを論じる事だけが精神的タブーなんではないでしょうか?
--------------------------------------------------------------------------------
まいった!! 投稿者:きんたろう 投稿日:04月25日(日)23時29分37秒
こんばんは、勇者ロトさん、Toshyさん、池内春紀さん。
>アパッチ野球軍とは
藤村甲子園が鬼頭のコーチを受けている(鉄の玉を投げていた)頃のマンガでしたっけ?
(記憶が風化している、ようわからん、すんません)
ジャングル黒ベエは全然知らなかった!!
確かにモンゴル人の関取なんて日本人そのものですよね、見たところは。
縄文時代から弥生時代へというのは現実にはシフトするのにかなりの期間があったと思います。
要するに稲作が日本列島に普及していく時間差です。(桜前線のようなもの)
稲作が普及したことによって食糧事情が改善されたのは間違いないところだと思います。
現代でも高校生、戦後ベビーブーム世代、戦前の方達を比べると、50年くらいの時間差で骨格、体格が相当大型化しています。
ジャングル黒ベエは再放送があればビデオに撮るぞ!
平家についての考察はグッドだと思いました。
--------------------------------------------------------------------------------
アパッチ野球軍を考える会 投稿者:勇者ロト
投稿日:04月25日(日)23時51分39秒
きんたろうさん、アパッチ野球軍が何時の頃だったのか?
いうのは、私には、わかりません。
ただ、モンペの大根が印象的でした。サルのセンターも強烈です。
--------------------------------------------------------------------------------
モンゴル 投稿者:Toshy 投稿日:04月25日(日)23時53分43秒
の人に知り合いが何人かいて、私はよく彼らと交流しています。
気質はともかく、顔立ちは韓国や中国よりも、モンゴル人のほうが日本人に近いようです。
気質うんぬんというのは、日本とモンゴルの環境の違いに大きく左右されるでしょう。
たとえば国境をあちこちと接しているモンゴル人と、島国で外国との関わりがほとんどなかった日本では、考え方が違っているのは当然のことです。
http://village.infoweb.or.jp/~fwjd2293/akutagawa.htm
--------------------------------------------------------------------------------
ただ、何となくですが。 投稿者:池内晴紀(極悪忍者)
投稿日:04月25日(日)23時55分18秒
勇者ロト様>私としては、日本人は、どうもカザフスタン近辺の遊牧民が土着混血して日本に定着したものと考えているのですが、サミュエル・ハンチントンの説なんか読んでると、なんとなく、勘違いのような気もします。確証はないんですが、どうも、モンゴル人を見てると他人のような気がしないなあ、おかしいなあ。全然裏打ちはありません。
--------------------------------------------------------------------------------
話が 投稿者:きんたろう 投稿日:04月25日(日)23時56分37秒
飛んでしまいました。
BBSへいってみました。
予想どおりの展開?だと思います。
さっきも書いたのですが、時代が下っても朝鮮系、大陸系、東南アジア系と各地から日本への流入は続き混血も続いたと思うのですが、基本的には稲作によってそれ以前よりも食糧事情が良くなった(=栄養がとれるようになった)事が一番の変化だったと思うのですが。
その結果として体格がよくなったのだと思うのです。
そして伝播のタイムラグのため東北地方ではそれが遅れたということではないでしょうか。
ですから縄文人も弥生人も基本的には同じモンゴロイドだったような気がします。
農耕民族、騎馬民族というのは環境が違うだけで人種的には変わらないと思います。
ただ当然、意識、常識その他の行動様式は違ってきます。
--------------------------------------------------------------------------------