過去ログ76(2000年〜6月26日)


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一神教の世界では 投稿者:安部奈亮  投稿日:06月26日(月)23時54分59秒

この手の誤読,あるいは文化の違いによる独自の解釈は「異端」扱いされてしまいます。
だから宗教論争が激しいものになってしまうのです。
こう言う独自の解釈を異端とする態度で,日本人に接したヨーロッパ人の宣教師・聖職者は,
布教に失敗する事が多いそうです。

日本の儒教は,朱子なんかから見たら「異端」とされてしまうかもしれませんが,
だからと言って,朱子は日本人に無理矢理考えを変えろとは言はないでしょう。
東アジアの考え方はゆるいですよね,これは良い性質だと思います。



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輔住さんへ 投稿者:安部奈亮  投稿日:06月26日(月)23時25分25秒

ということは,芽であった天皇への素朴な崇拝に、水を与えて広め育てた,と考えてよいでしょうか?
織田信長が行っていろいろなパフォーマンスは,その宣伝だったのかもしれませんね。

中世における天皇の効用を信長に教えたのは,僧侶ということになるのでしょうか?
それとも独学?



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千波子さんと私の違いは 投稿者:安部奈亮  投稿日:06月26日(月)23時20分15秒

日本と中国における儒教の受け入れ方の違いを
誤読とするか,文化の違いとするか,の違いであると思います。
私はやや中国寄り,儒教寄りの見方をしていますから,
やはりこれは誤読ではないかと思います。
千波子さんのような見方は,中江藤樹の「時処位」,熊沢蕃山の「水土論」に近いです。
私の立場と千波子さんの立場は,近世の間常に論争の元になっていました。
それが今も続いているかと思うと,なかなか面白いと思います。
「太平記読み」に関しては,学者の間でもやっと研究が緒についた段階です。
むしろ「太平記読み」があって,その上に「神皇正統記」が読まれたと考えた方が良いと思います。
「太平記」と言うのは,割合クールな見方で書かれていますが,
「神皇正統記」とセットで読むと,変なことになるでしょう。
「神皇正統記」の概要は大体知っています,だから読みたくないのです。



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本能寺(上下巻) 投稿者:kituno-i  投稿日:06月26日(月)23時18分53秒

すでにゲットして、読んでいます。^^!
おもしろいです。

中華思想については全くの無知なので、このHPで勉強させて貰っていますが、
朝鮮が中華思想の冷蔵庫的役割を果たしているのではのではないか、という感じ
がします。
朝鮮は、漢の時代の真の中華思想を三国鼎立の時代から高麗、李朝の時代まで持
ち伝えていて、それを変容消化しながら伝えている、という説を何かで読んだこ
とがあり、安部さんの「尊王思想の研究12」を頷きながら読みました。

療休も今日で終わり!
目も治り、視野が少し広がるといいな!



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神皇正統記と宋史 投稿者:千波子  投稿日:06月26日(月)21時34分42秒

安部さま、こん@@@。

>>壬申の乱、光仁天皇、源平の合戦、南北朝の時に万世一系は途切れているとも言えます。

>>光仁天皇の時は易姓革命とは言えるかもしれませんが、正統が途切れたと言うことにはな
>>りませんね、

光仁天皇の時は易姓革命??? 少しインターバルをおかれた方がいいようですね。

>>私は日本史の中で一番嫌いな人物が北畠親房でので、神皇正統記は読んだことも無いし読
>>む気も起きないのですが、

日本における近代はもちろん、中世・近世の尊皇思想を語るのに、「神皇正統記」を無視す
るなんて不可能だと思います。(公家・僧侶・神官・儒学者・国学者・上級武士など知識人
に対する影響力では「太平記」の比ではありませんもの。)

どちらにしてもお勉強の対象(書物)に好悪の感情をいをいれてはいけないと教わりません
でした?
お嫌かもしれませんし、既にご存知かも知れませんが、「神皇正統記」と、それから「宋書
日本伝」のごく一部をご紹介して、チョットお休みさせていただきます。

神皇正統記
「大日本者、神国也。天祖はじめて基をひらき、日神ながく統を伝給ふ。我国のみ此
事あり。異朝には其のたぐひなし。此故に神国といふなり・・・」

「震旦(中国)又ことさらみだりがはしき国なり。・・・乱世になるままに、力をも
ちて国をあらそふ。かかれば民間より出でて位に居たるもあり。戎狄より起て国を奪
へるも有り。・・・乱れのはなはだしさいふにたらざる者なり・・・」

*これが当代一流の公家学者の和漢の国体に関する認識です。当然のことですが、日本に
おける天孫血統による正統原理と、中国の易姓(徳治)革命による正統原理は異なって
いますし、彼は中国の易姓革命を単に暴力(革命)として、きって捨てています。

宋史日本伝・・・元時代(14C中頃)の奉勅正史
「太宗(宋第2代皇帝)、斎然(日本僧)を召見し、・・・上、其の国王は一姓継を
伝え、臣下も皆官を世々にするを聞き、因って嘆息して宰相に謂って曰く、『此れ島
夷のみ。乃ち世祚遐久にして、其の臣も亦継襲して絶えず。此れ蓋し古の道なり。中
国は唐李の乱より寓縣分裂し、・・・』」

*ここで太宗が中国では失われた古道として羨んでいる「国王一姓伝継」「世祚遐久」
が我が国で言う「万世一系」です。国情が異なれば用語が異なるのは当然で、誤読で
も何でもありません。



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武家の権力者 投稿者:輔住  投稿日:06月26日(月)19時34分16秒

安部さん

>やっぱり,戦国時代でも常識だったでしょうか。

私は前回の投稿の冒頭で下記のように述べました。
>>徳川以前から武家の権力者は「朝廷対策」というものが重要なテーマでした。
>>ある時は朝廷を建てたりまたは利用したり、ある時は権力を奪ったり。

これは清盛、頼朝の時代からほとんど途切れずやっていることだと思います。
戦国時代も朝廷や幕府のとりなしで「**守」などの官位を手にして
相手との戦の正当性を訴えたりなどやってます。

つまり戦国時代は日本をまとめるような存在がいなかったため、
やり方がコンパクトになっていただけです。



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トウモロコシ 投稿者:きんたろう  投稿日:06月26日(月)19時11分30秒

は16世紀に日本に伝えられたそうです。
これは唐・唐土(とう・もろこし)そのままずばり!!ですねV_(^O^)_V

古き良き中国のイメージが180度転換するのは江戸時代末期から明治時代にかけて互いの接触が
より親密になった時からなのではないかと思っています。
それまでの中国とはいわば「書物」の中にある一種の理想郷、あるいは進路に迷ったときのアンチ
ョコ(のようなもの)だったと思っています。
確かに書物によって伝えられた中国2000年の歴史の重みは日本人の中の文化人にとっては一種
の憧れを生んだのではないかと思っています。
中国かぶれといえば光圀などもその上位にあげられると思っています。

また、書物による理解とは人間の体温、体臭とは無縁のものですからいざ「現実」に異民族に接し
てみると生理的な違和感などもあったのではないでしょうか??

接触が密になってくると、書物に描かれた理想の姿は何処にもなく浅ましい(と感じられる現実
の)姿ばかりが目に映ってきたのだと思います。
今まで、中国に対して憧憬の絶対値が高かった故に失望感もまた想像を絶するほど大きかったので
はないでしょうか??
ちょうどかわいさ余って憎さ百倍の心境に近いものがあるのかも知れませんね??

ただし書物だけを信じて現実社会のギャップに気づいてショックを受けたのは、中国人が騙した結
果ではありません^^;;

信長といえば毎日新聞で連載されていた「本能寺」はなかなか面白そうですね^^
今日の帰りに本屋で知りました!!



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光仁天皇の時は 投稿者:安部奈亮  投稿日:06月26日(月)16時06分38秒

易姓革命とは言えるかもしれませんが、正統が途切れたと言うことにはなりませんね、失礼しました。

放伐と禅譲が行われなかった時に、正統が途切れてしまいます。(永楽帝の問題はそこにあります。)
ですから、異民族王朝は認められない・・・という人が出てくるのです。
異民族に中華の皇帝を放伐・禅譲する資格なんか無い、と考える人もいますから。
もちろん、異民族王朝の方は、放伐・禅譲の形をとったと主張します。
清は特にそれに対して敏感でした。
元以外の異民族王朝は頑張って中華のあるべき皇帝になろうと努力するのですが・・・



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だいいち 投稿者:安部奈亮  投稿日:06月26日(月)15時52分37秒

壬申の乱、光仁天皇、源平の合戦、南北朝の時に万世一系は途切れているとも言えます。
江戸時代の儒学者の中にもそう指摘する人はいます。
また、神皇正統記はそれほどの根拠にはなりません。

易姓革命が起きても、万世一系は途切れはしません。途切れるのは百王一姓だけ
おそらく、北畠親房は、意図的な誤読を行っているのです。

まあ、ここら辺はいろいろな人物の思惑が交錯していますので、
これもまたおいおい説明していきます、予定では25章まで書くつもりですから。



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本家中国では 投稿者:安部奈亮  投稿日:06月26日(月)15時43分31秒

日本の天皇家のような状態を百王一姓と言うそうです。
そして万世一系は、本来なら中華の王(皇帝)だけのようです。
五胡十六国や五代十国のような王朝が乱立した時代も
理論上は正統な王朝と言うのがあるそうで、
一応万世一系になるそうです。

私は日本史の中で一番嫌いな人物が北畠親房でので、
神皇正統記は読んだことも無いし読む気も起きないのですが、
日本の儒教は日本人の規範や願望がごちゃ混ぜになっています、
日本の儒教を基準に中国を見てはいけないし、私は今回の研究で、
それを分離したいのです。
日本人にとっての「中国」とは「心の中の不思議の国の中国」で
それに振り回される日本人も中国人も不幸です。

中華思想に関しては、私の考えはかなり真を射ていると思います。



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尊皇思想。。 投稿者:千波子  投稿日:06月26日(月)13時02分19秒

安部さま、こん@@@。

>>徳川将軍を天皇の家臣から日本大君(本当は国王にしたかったのでしょう)にしようとし
て・・・

この部分ご訂正されるようですね、お役に立てて幸せです。
大君という称号は天皇の臣下であることを暗黙の前提とした外交上の擬制称号ですから
(でしょう?)、この文章では何をおっしゃっているのか、まったく分かりませんもの
ね。

それから織田信長さんの件ついては、輔住さまとKituno_iさまにお任せいたします。
(プラクティカルな効用を発見したのではなく、誰でも知っているプラティカルな効用
を仮借なく利用したという意味ならば、おっしゃるとおりだと思います。)

漢民族と中華思想(中国的エスノセントリズム)の関係については、ご再考をお勧めい
たします。

「中国の統一(正統王朝)思想」と「万世一系思想」との関係についても同様です。
この関係は「神皇正統記」で親房さまがかなり明確に区別し、中国の(暴力)革命思想
を批判しておられます。
(中世における「神国(万世一系)思想」の原典であり、もちろん後世の尊皇思想にも
大きな影響を与えております)

>>近世初期の日本の儒学者が日本の歴史を見まわして天皇には常に同じ姓が(皇族)
>>続いて来たことに気づきました。これは本当は「百王一姓」といいます。

これは誰が見ても論外ですから、何方かのご指摘にお任せいたします。

私、反省して言葉にはずいぶん気を使っているつもりなんですけれど、反省が足りない
ようですね。失礼ないいかたがあれば(あるんでしょうね)お詫びいたします。



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古き良き中国 投稿者:安部奈亮  投稿日:06月26日(月)04時26分11秒

確かにきんたろうさんの言われる通りですね,
現在の私達にとっての「中国」とは唐で止まっている。
日本人の民衆の末端まで浸透した中国のイメージは唐までのような気がします。

ですが近世の知識人は宋・明・清に関して多大な興味を抱いていました。
それが昂じすぎて,あまりにひどい中国かぶれを生んで,
中国のことを良く知っている人間に対する軽蔑を生む土壌となったようです。
中国かぶれをからかう記述は,近世の文章にいくつかあります。
そして中国かぶれに対する蔑視が,本家中国に投影されて,
日清戦争後の日本人の中国人蔑視の一因となっている様です。

また,明治維新と同時に「儒者」(注:中国文学者ではない。儒教的知識を体現する人のこと)
が消滅してしまった事の原因かもしれません。



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千波子さん誤解しないで下さい 投稿者:安部奈亮  投稿日:06月26日(月)03時51分30秒

私個人は飽き足らなかったというだけで,
千波子さんがそれに満足するのは自由ですし。
千波子さんほどの知識がある方がたどり着いた結論ですから,
むしろそちらの方が大多数には説得力を与える可能性の方が高いわけでして,
だから間違っているといっているのではありません。



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千波子さんが言っている事は 投稿者:安部奈亮  投稿日:06月26日(月)03時47分14秒

ほとんど知った上で書いています。
李氏朝鮮,清,日本の間で,徳川将軍が常に「大君」と呼ばれていたわけではなく,
時代によって呼称は変遷しています,まさにその通りです。
また新井白石は,天命が徳川家康にくだったと考えており,徳川家の政権獲得を革命と考えていました。
大君ではなく国王にしようとしていたのは確認しました,その点は私の間違いでした。
後できんたろうさんに訂正文をお送りします,私の研究の趣旨としては,
新井白石が大君を国王としようとしていたほうが,むしろ都合が良いので,
千波子さんにはお礼を言わねばなりません。

さらに戦国大名と天皇について,
戦国時代や近世初期の日本人のアイデンティティーに,「日本は神国である」
というのがあったことは指摘されています。
中世において,神が共同体をまとめる一味神水の証人的役割をしていたことからも,
神が中世日本人にとって重要で,その総元締めとしての素朴な天皇崇拝があったのもまた確かです。
しかしそのプラクティカルな効用を発見したのは信長とは言えないでしょうか?
素朴な感覚が日本中にあるからといって,それに明確な形があるわけではなく,
その素朴な感覚に形を与え,最大限に利用したのは,ほぼ発明といえるでしょう。
ただ,神道にまで話を広げると収拾がつかなくなるので,神国の説明と,平田神道には敢えて今回の研究では触れません。

また,歴史に関する千波子さん的説明は大体知っていまして,
それに飽き足らないからいろいろ調べているわけでして,5月の御説明も,
私にはあまり感銘を与えてはくれませんでした。
あれくらいなら既に何回か本で読んでいます。

それとやはり私に書くときだけは態度が違いますね,非常に不愉快です、お止め下さい。



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「杜子春の世界へ」も「尊王思想の研究」も 投稿者:kituno-i  投稿日:06月26日(月)00時23分27秒

大変勉強になります。

お二人の文を読んで、改めて日本の尊王思想の源流に聖徳太子の「17条憲法」が
あったように思えてきました。
「17条憲法」は「天皇のもとに万民があり、群臣・官僚は天皇と万民の為に働く
こと」を旨としました。
太子の時代は、中国・朝鮮の不安定な情勢に備えて、天皇を唯一の中心的権威とし
て国家を統一し、臣下は悉く恭順に服事すべきであるという国家体制の刷新強化が
必要でした。その後の大化改新もずっと先の明治維新も太子の思想が面々と続いて
いるような気がしてなりません。豪族体制が強まった時代も、幕藩体制の時代も、
「国に二の君なく、民に両の主なし」という太子の「17条憲法」をもとに国民の
意識を統一しようとしたように思えるのです。
いつの時代も、日本が外国からの脅威にさらされたとき、天皇中心の国民意識の統
一が必要になったように思います。

信長については、

−信長にとっての天皇とは、全国制覇のための最大の武器であり、同時に最終打倒
の標的であった。すなわち、信長は近隣大名・寺社勢力を制圧するに当たって天皇
を利用するだけ利用し、全国制圧をなし得たなら何らかの口実をつけて天皇一族を
抹殺するか、京都から放遂したに違いない。
信長の中では天皇は高い位置にあったと見るのは早計で、イエズス会の巡察使が天
皇に紹介して貰いたいと信長に依頼したとき、信長は「予が国王であり、内裏であ
る」と言って天皇に紹介しなかったという。

信長にとっては、天皇は完全に利用するだけの道具になっていた。−−−

という立花京子氏の説を思い出しました。^^;;

きんたろうさん、安部さん、続きを楽しみにしています。
頑張って下さいね。



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信長さんと天皇さま、、 投稿者:千波子  投稿日:06月25日(日)22時56分44秒

きんたろうさま、こん@@@。
勇者ロトさま、浴衣祭りの暴走族事件では被害はありませんでした?

>>例えば信長は近衛前久に「お前は中山道で帰れ」と(実質的に)命令していますが、この時、
>>近衛家がどれほどの貴種なのか理解していた武士がいたのか疑問に思っています。

近衛前久さんって、公家ばなれしている方で、関白のまま上杉謙信さんとの盟約によって越後
に下向したり、信長さんの上洛とともに出奔したり、後に信長さんにべったりくっついたり、
変幻自在ですね。(光秀さんに謀叛をそそのかした疑いもありますわね??)

おっしゃるとおり、信長さんは彼に(実質的に)命令しているようですけれど、当時の武士
達(雑兵は別として)は、もちろん彼の貴種たることを漠然と知っていたのでは?

だからこそ信長さんは、敢えて彼に威圧的に臨むことで、自身の権威を誇示したのでは無い
でしょうか?(そうでなければ、ワザワザこういった事が記録に残らないと思うんですけど。
この辺は両者虚々実々の駆け引きみたいな気がしちゃいます)

天皇の存在感については、もちろん時代によって変動したでしょうが、もっとも困窮してい
た下剋上の戦国期においてもなお停戦勅命が効力を持つていたわけで、双方がそれに承服す
るだけの権威があったことは事実だと思うんです。(信長さんが上手く利用したというのが
実相ですけど、もともと権威がなければ利用のしようもありませんもの)



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ホームページの 投稿者:きんたろう  投稿日:06月25日(日)21時42分14秒

タイトルを戻しました。(分かりましたか??)

kitunoさん、杜子春8を読んでもらって有り難うございます。
安部さんの尊皇思想の人気に負けてしまいました^^;;
この付近も面白いので見てくださいねV_(^O^)_V

天皇の存在の大きさについては千波子さんが書かれていますが、これは普遍的なものではなくかな
り変動的なものであり、時代によって認識が変わっているのではないでしょうか??

例えば信長は近衛前久に「お前は中山道で帰れ」と(実質的に)命令していますが、この時、近衛
家がどれほどの貴種なのか理解していた武士がいたのか疑問に思っています。

JUNAさん、確認しました^^
文字化けはしていませんでしたV_(^O^)_V



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再メールしました♪ 投稿者:JUNA  投稿日:06月25日(日)21時09分59秒

今、メール送りましたぁ!
今度はちゃんと読めたかな?

http://www08.u-page.so-net.ne.jp/dg7/mako-jun/top.htm



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天皇の存在、、、 投稿者:千波子  投稿日:06月25日(日)18時00分14秒

安部さま、こん@@@。

大君についてですが、、、
江戸時代の外交文書における将軍の別称で、「日本国大君」の略称です。
寛永13年(1636)来日の朝鮮通信使から使用させたとされており、6代家宣時代に
新井白石は大君が朝鮮の王子を指す語であるとして、国王に改めさせたが、8代吉宗
がこの「大君」を復活しています。幕末においても将軍の対外称号として外交面で
使用されているんです。
多分高校の教科書でも、「大君」という言葉は記されていると思ったたけどな〜〜

天皇意識について、、、
織田信長の父である小大名の信秀でさえ、御所に寄進をしているのです。
今川・武田・朝倉等の戦国諸大名が天皇を意識していなかったと思います???
(信玄はどうして公家の娘さんを正妻に迎えたと思います?)

彼等はモチロン、庶民に至るまで天皇を意識していたからこそ、天皇の効用があるん
じゃないでしょうか?
(庶民の天皇意識については、1549年ザビエル書簡に記述されていますのでご覧くだ
さい「王はヴォオウ(法皇)と呼ばれ、・・・戦争や処刑はゴショ(将軍)に任され
ている。ゴショはヴォオウに服従しており、・・・彼が不正をすれば、ヴォオウは彼
を退けて首をはねる・・・」つまり庶民は日本の主権者を天皇と見ていたのです。)

その他については、ご自分でお勉強なさって下さい。
どこがおかしいのかどうしてもお分かりにならないようであれば、改めて申し上げます。

以前五月頃に、いろいろと疑問を申し上げ、ご質問にもお答えしましたが、それっき
りでした。やはりご自分で勉強された方が良いようですもの。



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ロトさんの掲示板に 投稿者:kituno-i  投稿日:06月25日(日)16時42分13秒

「kitunoのごじゃっぺ説」をたくさん書き込んできました。
ちょっと中国との関連も書いてみました。きんたろうさんも読んでね^^!
もちろん、「杜子春8」も読みましたよ。(*^_^*)

7月16日に皆既月食があります。この日は満月!
部分食開始時刻が20時57分、皆既月食開始時刻が22時2分、
皆既月食終了が23時49分、部分食終了が17日0時54分の
継続時間の長い月食です。

皆さん、この機会を逃さず、ご家族で天文ショ−をご覧下さいね。



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新井白石のほうは 投稿者:安部奈亮  投稿日:06月25日(日)15時48分08秒

確認してみます

織田信長に関して
やっぱり,戦国時代でも常識だったでしょうか。
鎌倉時代や南北朝の頃の天皇の効用を発見したとは言えないでしょうか。



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いえ間違ってはいません 投稿者:安部奈亮  投稿日:06月25日(日)15時38分13秒

千波子さんの方が再確認した方が良いでしょう



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大君?? 投稿者:千波子  投稿日:06月25日(日)11時37分10秒

安部さま、こん@@@。

尊王思想、まだ全部は読んでいませんが、以下の部分は明らかに間違っています。
何方の説を流用されたのかは存じませんけど、再確認なさっては??

>>新井白石もその危険性に気づき徳川将軍を天皇の家臣から日本大君(本当は
>>国王にしたかったのでしょう)にしようとして、李氏朝鮮と一悶着を起こし
>>ます。

それから以下の部分は少しおかしいです。同様に再確認なさったほうがいいのでは?

>>元々出自が違う雑多な民族の集団である漢民族を引きとめているのは「中華思想」
>>だけです。「我々は世界の中心である」という意識だけが漢民族を一つに引きと
>>めています。複数あっては中心ではありません。現在の中華人民共和国と中華民
>>国の対立の原因はこれです。「中華の王朝は姓は変わってもいつの時代もただ一
>>つ。」これが真の意味の「万世一系」です。

>>近世初期の日本の儒学者が日本の歴史を見まわして天皇には常に同じ姓が(皇族)
>>続いて来たことに気づきました。これは本当は「百王一姓」といいます。

織田信長の件は輔住さんご指摘のとおりでしょうね。



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安部さん読みました 投稿者:輔住  投稿日:06月25日(日)10時37分04秒

尊王思想の研究13拝見しました。

簡単な感想をまた述べます。

徳川以前から武家の権力者は「朝廷対策」というものが重要なテーマでした。
ある時は朝廷を建てたりまたは利用したり、ある時は権力を奪ったり。

>やがて大名が本当の主君は
>天皇であり徳川家にとりあえず頭を下げているだけだと
>考えるようになるだろう。

こうした危険性はどうしてもあります。しかし利用しなければならない時もあり
本当に厄介です。

だから「主人は天皇家ではない!」と主張する対策もしなければならなかったりします。
(もちろん、これは天皇家を敬う政策とは矛盾することですが)

顕著な例は
足利義満の日本国王、豊臣秀吉の豊国大明神、徳川家康の権現などです。
これらは自分が国王または神であるという主張ですからね。
本当に複雑な世界ですね。

>このような天皇の使い道を再発見したのはおそらく織田信長であると考えられます。
>織田信長は足利幕府を倒すに当ってそれを越える権威を必要とし、天皇に行き当たっ
>たと考えられます。

次はこの部分に関する意見ですが信長が足利義昭追放のため
天皇家を利用したのは事実です。
しかし「信長の再発見」とはとても言えないでしょう。

源平合戦も以仁王の令旨を建前とし、承久の乱でも3上皇流罪の時に新しい天皇を建てています。
足利尊氏が反北条の兵を上げたときは後醍醐の綸旨そして反後醍醐となったときには
新田義貞を名目の敵とし光厳上皇の院宣がありました。それは「常識」だったはずです。
忘れらていたものとは考えられない。
信長もそうした前例を踏襲したと考えたほうが妥当でしょう。

反論が多くなってしまいましたが、とても勉強になります。
続きを期待してます。



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う・・・ 投稿者:天地 神  投稿日:06月25日(日)04時36分51秒

痕跡。。。あれって、勝手につくん?
いいな〜♪て。。。

JUNAさんの、部屋を探しに来たんやった(^^ゞ



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遅ればせながら 投稿者:Sin  投稿日:06月25日(日)02時11分12秒

15000ヒットおめでとうございますヘ(^.^)/
私は最近ロム専門になってしまってますが・・・
早く復帰したい!



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安部さんの 投稿者:きんたろう  投稿日:06月25日(日)00時20分20秒

尊皇思想の研究13をアップしました。
力作です!!^^

源三郎さんも同じ様なことを考えていたのですね。
地図上の配置関係だけですから平野部分とか詳細については論外ですが似ていると思いました。
その他でも大阪と東京の関係はまるで鏡合わせのような印象があります。
湾沿いに街が発達するという基本条件から考えるとある程度似たように発達するものなのかも知れ
ませんねV_(^O^)_V

JUNAさん、お役に立てて嬉しいです。
でもどうして文字化けしたのか不明です??
もう一度送って下さい^^

きんたろうのホームページをきんたろうの歴史のホームページに変えてみました!!



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ありがとです♪ 投稿者:JUNA  投稿日:06月24日(土)22時09分33秒

メール、ありがとうございます!
お陰でリンクできましたぁ〜♪
きんたろうさんの足跡が、残ってたわぁ。。。(#^.^#)ふふっ

http://www08.u-page.so-net.ne.jp/dg7/mako-jun/top.htm



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九州南部が関東に 投稿者:源さん  投稿日:06月24日(土)19時17分35秒

擬することができるとは面白い考えですね!
きんこうわんは(錦江湾)は、太平洋戦争直前、パールハーバーに擬せられて、真珠湾攻撃を
想定しての練習に使われたことでも有名ですね。
私は、面白いことに鹿児島へ行った時、自分の田舎の能登・七尾湾周辺は鹿児島近辺をミニサイズ
にしたようなところがあるなー、と感じました。
となると、うちの田舎は、関東のミニのミニということかな? (^^)



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昨日の 投稿者:きんたろう  投稿日:06月24日(土)18時18分03秒

夜中に取り寄せた日本酒を飲んだのですが、やはり遅い時間に飲むと翌日の調子があまり良くない
ですね^^;;
アルコールは早い時間に飲んで早めに寝てしまうのがいいのかも知れませんねV_(^O^)_V

魔異夢さんも日本酒が強そうですね^^
ちなみに私は最近弱くなって勝負は出来ません、笑

JUNAさん、すみませんでした。
スペルを間違っていました^^;;
メールを送り直したのですが届きましたか??
今度は大丈夫です!!

月子さんも睡魔に襲われていたとは何とも奇遇ですね。
私もめちゃくちゃ眠い日々が続いていました。

Toshyさん、あの時の「目」の話題はすごかったですね!!
ログに載せてあると思うのですが...??
どの辺だったかちょっと思い出せませんでした^^;;

てつろうさん、有り難うございます。
>鹿児島湾は、こちらでは錦江湾と言っています  
「きんこうわん」と発音するのでしょうか??それとも「にしきえわん」とか??

千波子さん、有り難うございます。
南北朝正閏論のページを見てみますね。

勇者ロトさんが紹介されていた大成経のページも見てみました。
とてもよくまとめられていますね。(すごいですね!!) 

安部さん、メールを確認したところです!!



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杜子春の世界へ8 投稿者:きんたろう  投稿日:06月24日(土)18時16分11秒

をアップしました。
何と3ヶ月ぶり間更新になります。(長かった...笑)
構想上ではこれでイントロも大体終了してそろそろ本題に入れそうです??
でもほとんど構想倒れの予感がしています^^;;

http://www.net-ibaraki.ne.jp/kintaro/zui8.htm



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きんたろうさん 投稿者:安部奈亮  投稿日:06月24日(土)16時41分50秒

原稿送りました。
今回もよろしくお願いします。



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大成経のページ 投稿者:勇者ロト  投稿日:06月24日(土)13時10分15秒

千波子さんも読まれましたか!
面白かったですね。綿密な調査が感じられる文章でしかも内容的にもとっても
面白く読めました。教えていただいたチャンレイさんには感謝してます!



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伊雑宮、、、 投稿者:千波子  投稿日:06月24日(土)11時33分15秒

きんたろうさま、こん@@@。15000突破素晴らしいですね(^0^)"

勇者ロトさま、「大成経」HPご紹介ありがとうございました。(面白かった!!)

ある掲示板で「南北朝正閏論纂」というHPが紹介されていましたが、この問題についての
思想の流れがとってもよくわかります。ご興味のあるかたには絶対にオススメです。

http://www.ryomonet.co.jp/p-soft/nanboku/

それから、伊雑宮の読み方ですけれど、、、
普通は「いぞう」って呼んでいるようですが、「いざわ」でもいいようです。
延喜式の粟嶋坐伊射波神社に比定されていますので、これならば「いざは」でしょうか?

倭姫命が「伊佐波登美命」に創建させたという伝承がありますが、この場合も「いさは」で
すね。立地が的矢湾の奥で磯部にありますし、「磯宮」との関係伝承もありますので、ある
いは元々の名称は「磯端=いそは」だったかもデス???

きんたろうさまもATOKなんでしたよね。天皇名、人名、年号、等についてはとっても使いや
すいです。(もっともP.T.Aから貰い下げたPCには、物凄く沢山の漢字が登録してあります
ので、そのせいかも、、、)



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おはようございます。 投稿者:てつろう  投稿日:06月24日(土)10時35分31秒

きんたろうさん
予習が始まっているようですね。(^-^)
鹿児島湾は、こちらでは錦江湾と言っています。

宮崎市からサボテン公園までは海岸線ですが、ここは「洗濯岩」が有名です。
海に出ている岩が洗濯板のような形をしています。霧島神宮はかなり大きかったのを
記憶しています。   良い旅になると良いですね、(^-^)



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目といえば 投稿者:Toshy  投稿日:06月23日(金)23時56分44秒

きんたろうさん、あの「体験記」は過去ログのどこかにありましたかね(笑)



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こんばんは(^o^) 投稿者:月子  投稿日:06月23日(金)20時13分37秒

最近、仕事がいろいろと大変で、疲れております(^◇^;)
家に帰ると、ばたっと寝ておりました(笑) 
3日ほど、ネットをお休みしていました〜。
ネットをしていなかった間に、15000カウント、おめでとうございましたm(__)mペコ



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あれ!? 投稿者:JUNA  投稿日:06月23日(金)16時34分12秒

昨日のメール、文字化けして読めなかったんですか?・・なんでかな?

カレンダー、教えてもらった通りやってみたんですが
リンクできませんでした・・。
エラーになってしまうんですよ〜。
う〜ん、何回やってもダメでしたぁ・・。(ToT)
諦めますぅ・・・。

http://www08.u-page.so-net.ne.jp/dg7/mako-jun/top.htm



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みなさまこんにちは^^ 投稿者:魔異夢。  投稿日:06月23日(金)15時18分47秒

安部さんこんにちは^^
「白駒」????
えーん、地元民が知らない……
お酒ですか????



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九州南部 投稿者:きんたろう  投稿日:06月23日(金)13時38分22秒

の地図を見ていたらここは関東地方に似てることに気がつきました^^

鹿児島湾を東京湾とすれば鹿児島市が東京に相当します。
鹿児島湾沿いに町が広がっているのは首都圏と同じです。
都城市から宮崎市に至るルートが常磐線のようです??
すると都城市は柏市か我孫子になるみたいです。

浦和付近??に霧島神宮があります。すぐわきに「天の逆鉾」もあります。
なんと生駒高原という地名までありました!!
更に宮崎の世都市の近くに諏訪神社まであるのには驚きました。

kitunoさん、目をお大事に^^



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\(o|o)/トウ!! 投稿者:kituno-i  投稿日:06月23日(金)10時16分50秒

療休の為^^;;(月曜日まで)
尊王思想の研究を今日はじっくり読もうと思っています。

理解力の乏しい私は辞書を片手にしないと読めないので、日々の忙しさの中では
読もうと思ってもなかなか時間が取れませんでした。
本も読んで、まとめて、トピックにも書き込んで..。
せっかくの療休、有効に使うぞ!

それでは、さらばだっ  o(%)○ ジュワッ!



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みなさん 投稿者:きんたろう  投稿日:06月23日(金)09時44分53秒

有り難うございます^^
Slashdogさん、そうですよね^^

先日信長の神髄・詳細編(仮称)のために、つまみ食い読み^^;;をしていた中に武功夜話から
見た何とかかんとか(だったと思う??題名を忘れました)という本はスーパー触媒になると思い
ました!!
太閤記の虚構の理由とか色々面白いことが書かれていました。
でもその後で探したのですが見つかりませんでした^^;;

JUNAさん、メールを確認しました。
でも文字化けしていて読めませんでした(泣)

安部さんのアップを期待して見に来てくれる方も多いのではないかと思っています。
ちなみにこれはトップページのアクセス数です。
でもレンタルカウントなのでアバウトだと思ってくださいね^^

勇者ロトさんもMS−IMEを使っているのですね??
ATOKだと元寇はすぐに変換できますよ。
ワードにATOKの組み合わせが良いのかも知れませんねV_(^O^)_V

天地神さんの作品のおかげできれいなトップページが作れて大変感謝しています。
JUNAさんの秘密のページへはトップページメニューの「秘密の掲示板」へ飛びそのページ上部
のログをクリックするとその中に見つけることが出来ますよ^^
(秘密です、笑)



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おお〜 投稿者:天地 神  投稿日:06月23日(金)00時05分47秒

いつの間に(笑)
15000トッパおめでとう〜♪
凄いな〜(^-^)//""パチパチ

http://user2.allnet.ne.jp/tentijin/



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15000ヒットおめでとうございます 投稿者:勇者ロト  投稿日:06月22日(木)23時32分32秒

これからも、頑張ってください!!

「げんこう」確かに変換できませんね。倭寇。
おっ一発で出た!!!!!<どうして????



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本当かどうかは知りませんが 投稿者:安部奈亮  投稿日:06月22日(木)23時29分17秒

韓国の歴史研究家に言わせると,
元の造船命令に対してサボタージュして,出撃を台風シーズンにしたのは
高麗の功績だそうです。・・・・本当かな?

高麗のパルチザンが,元こう(変換されない!何たることだ!これでも日本のワープロか?)
を遅らせた事は間違いありませんね,モンゴルはベトナムでもゲリラに撃退されています。
さしもの騎馬軍もジャングルと湿地帯と海には弱かったのでしょうか。
となると,江南_湿地帯に,日本の鉄砲隊を布陣させたら,案外女真族に勝てたかもしれません。
ロシアとドイツの歴史を調べていると,モンゴルの恐怖がかなり根強く残っている事に驚かされます。



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15000HITおめでとうございます 投稿者:安部奈亮  投稿日:06月22日(木)23時10分50秒

きんたろうさん、みなさんおめでとうございます
着々と数を増やしていますね,固定読者が多い現れだと思います。

私は「葵」結構好きです
先週と先先週の朝廷の様子なんかも,面白かったです。
あんなに弱々しい天皇なんかテレビで始めてじゃないですか?
マッチ?(津川雅彦)(爆!)があまりに芝居がかっている気もしますが,
当時は猿楽の言葉が共通語だったそうですから,案外本当かもしれないと,
しかし,あんな調子で,家光まで終わるのかな・・・家康で時間を食いすぎている気がしないでもないです

塩野七生さんらしい意見ですね,塩野氏は60になってから旦那さんと離婚して,
それでも結構旦那さんと子供と仲がいいらしい,女傑ですよねあの人は



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15000HIT突破! 投稿者:JUNA  投稿日:06月22日(木)22時33分06秒

おめでとうございます♪
これからも、頑張ってくださいね〜。

それとメール、ありがとうございます!
私も今、送りましたわよん。

http://www08.u-page.so-net.ne.jp/dg7/mako-jun/top.htm



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おめでとうございます!^^ 投稿者:Slashdog  投稿日:06月22日(木)21時29分53秒

壱萬五千ひっとですかぁ〜!
なんか歴史を感じますね。

私も、ここに顔を出すようになってかれこれ15年か・・・。
                  ↑
               うそつけぇ〜〜(笑



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今日 投稿者:きんたろう  投稿日:06月22日(木)19時38分16秒

15000ヒットを達成しました!!^^

これからも楽しいページを皆さんと一緒に作っていきたいと思っていますV_(^O^)_V
よろしくお願いします。



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絶対零度!!(o|o)_+=====バババ!!! 投稿者:きんたろう  投稿日:06月22日(木)19時36分32秒

これぞ最終奥義(爆)です。
魔異夢さん、さむくてすみませんでした。
おかげで??昨日と比べるとかなり涼しくなってしまいました^^;;
有珠山の被害の方すみませんです。

奥能登のお酒は是非飲みたいですね^^
問屋ルートなどをご存じでしたら教えていただけれは嬉しいですV_(^O^)_V

>昨日の「その時歴史が動いた」どう思いますか?
残念ながら見ていないのでコメントできませんが大化改新付近を取り上げていたのですか??

それにしても安部さんとは気が合いますね^^
>韓(朝鮮半島)も唐(中国)も両方とも「から」ですもんね、
杜子春編8にほとんど同じフレーズを使っていますV_(^O^)_V

源さん、こんばんは。
塩野七生さんとはローマ史を書かれている方??ですか??
北条氏は優秀な人物が代々よく続いたと思っています。
北条時宗が主人公ならば父親の時頼の「鉢の木」の話も出るのでしょうね!!
「鎌倉武士でも送ろうか」とは時宗自身が言った言葉なのでしょうね??たぶん



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受け売り論ですみませんが、北条時宗について 投稿者:源さん  投稿日:06月22日(木)16時23分32秒

来年のNHKドラマ「北条時宗」は、私はちょっと期待しているのですが
皆さん、どうお考えなんでしょうかね。「葵」はもう数回みただけで、
そのあと全然みていません。合戦の場面が始めから多かったから、逆に
マンネリのような気がして、見る気が失せてしまいました。

北条時宗は、人物としてあまり人気ないんでしょうね。私は来年の大河ドラ
マの主人公ということで、何か彼に関する本がないかと、1月ほど前、本屋
にいってみましたが、田舎の本屋のせいか一冊も彼に関する本はみあたりま
せんでした。

そして先日、塩野七生さんの「男の肖像」という本を何気なく読み返してみ
ましたら、何と北条時宗の事が載っていました。その中で塩野さんは、日本
の歴史上の人物の中で、北条時宗こそ世界で最も受ける人物だというコメン
トを書いているのがとても興味がひかれました。

世界の誰もが知る「カミカゼ」の名前の由来と深く関係した人物であり、中
央〜西アジアのみならずヨーロッパまで蹂躪し、世界の人々を恐怖におとし
いれたモンゴルを、世界でただ一国敗走させた指導者、毅然とした態度で、
モンゴルの支配下に入ることを拒否し、2度もの襲来を撃退した唯一の国の
指導者、ということで、もし欧米に紹介するならこれほど適当な人物はいな
いというのです。

私も、その活躍の割には、あまり知られた人物ではないと感じていたけれど
(私が日本史選択しなかっただけの個人的な印象?)、もっと調べたら非常に面
白い人物のような気が今はしています。



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春に能登へ行ったときに 投稿者:安部奈亮  投稿日:06月22日(木)13時35分08秒

お土産に買った「白駒」はおいしかったです。



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韓(朝鮮半島)も唐(中国)も 投稿者:安部奈亮  投稿日:06月22日(木)13時33分32秒

両方とも「から」ですもんね、外国から来たものは、
言いようによっては全部中国とか朝鮮から来たとか言えないことはない。
どうも外国に対してバランスの良い考えができない人がいますね、
べったりになってしまうか、国粋主義になってしまうかの両極端しかない人がいる。困ったものです。

昨日の「その時歴史が動いた」どう思いますか?
何か人によって大きく評価が分かれそうな内容だった気がするのですが、
私の知り合いは、あるいはNHKが、大化の改新あたりをテーマにして大河ドラマをそのうちやるつもりで、
その腹当てのために、取り上げたのではないか?といっていましたが・・・
「葵」をやる2年くらい前から、NHKはやたらと近世のことを取り上げていましたし。



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奥能登の酒も 投稿者:魔異夢。  投稿日:06月22日(木)13時24分19秒

いかがですか???



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拝読して今日はかえろうと…… 投稿者:魔異夢。  投稿日:06月22日(木)13時22分57秒

思ったら……
きんたろうさん……
ふんかギャグを……
ぎゃはははっ!さぶうううう!!!
と、はらかかえました。
人生、しんどいときも、きんたろうさんの
掲示板はのぞくものですね(笑)
さって、元気もらったし、がっこういくべえ!



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長野(永野)采女について 投稿者:勇者ロト  投稿日:06月22日(木)08時23分44秒

とても、おもしろいページを見つけました。

Minstrelさんの掲示板にこられているチャンレイさんからの情報です!
ぜひ読んで見てください!

http://www.mars.dti.ne.jp/~techno/column/sendai.htm



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文化とは 投稿者:きんたろう  投稿日:06月22日(木)00時56分48秒

有珠山のことです^^
ふんかでした)))))))))))(^^)/すたた!!

Toshyさん、読みました。
頭が寝ているので明日また読んでみますV_(^O^)_V



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「文化」とは何を意味するのか? 投稿者:勇者ロト  投稿日:06月22日(木)00時36分35秒

題名で終わってしまいました(V)o\o(V)ふぉふぉふぉ



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随・唐 投稿者:きんたろう  投稿日:06月22日(木)00時32分33秒

編のためにちょっと本を読んだのですが、結構ひどい内容があったりして驚いています。

ある先生などは日本の文化の源流は全て中国であり、かつそれらは全て中国で生まれたものである
とまで書いていました。
さらにルートとしては全て朝鮮半島を経由してきたので、朝鮮と比べても文化的に遙かに低いもの
であるとまで断言されていました^^;;
かなり驚きました。

これは一種の信仰かなと思いました。
要するに日本が嫌いなだけなのだと思います。

外国人と言えばアメリカ人と言っていたように唐といえば海外のもの全てという意味で使われた時
代があったようですが、ほとんどそれと変わらないのでは??^^;;ないでしょうか。

中華文明については2000年の歴史を持ちながらその広がりがいまの程度ということは既に限界
点に達しているのかも知れませんね??



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多分「逆説の日本史近世編」は 投稿者:安部奈亮  投稿日:06月22日(木)00時01分21秒

朱子学の排撃と,近世の日本人の独創性がテーマになるでしょう。
これは両方とも山本七平さんと司馬遼太郎さんの説の継承なのですが
(井沢先生はこの2人の継承者を自認している節があります),
どうも井沢先生は,近世の朱子学がした「悪さ」を,中国のせいにしているようなのです。
しかし,聖徳太子が中国に対して独立宣言して以来
日本は中国に文化・政治両面で強制を受けた事は一度もありませんから,
中華文明のせいで何か失敗をしても,それは日本人の責任なのです。
しかも,これから私が書きますが,尊王思想は日本人が朱子学を「誤読」する過程で生まれました,
勝手に取り入れて,誤読しておきながら,本家の責任にするのはおかしいと思います。

また井沢先生は中華思想の普遍性を、文化侵略と取り違えています
(今週の「週刊ポスト」を立ち読みしてですから間違っているかもしれません)



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まだ開かない 投稿者:Toshy  投稿日:06月21日(水)23時58分51秒

例の、ロシアのお話をアップしました。

http://village.infoweb.ne.jp/~fwjd2293/tsu.htm



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なんと朝一番で新潟から酒が届きました^^ 投稿者:きんたろう  投稿日:06月21日(水)23時53分31秒

釆女についてはたぶん千波子さんが書かれた内容に近い様な記憶です。
JUNAさんが書かれている「王家の紋章」は面白そうですね^^
40巻とはすごいボリュームです。

質問の件についてはメールを送りました。

てつろうさん、実のところ地理不案内なのでよく分からないのですが神話の舞台へ行くのはとても
楽しみにしているのです。

勇者ロトさん、
>伊雑
は「いざわ」と読むのですか??

安部さん、パンツいっちょだけより肌着は着ていた方が汗を吸い取りますからいいですよ^^;;
(はは、親みたいですね)  
ところで井沢先生はそんなに中国の悪口を言っているのですか??
今週号の週刊ポストには青森の先生たちが井沢先生の講演を阻止しようとしたとありました。
これにはあきれてしまいましたV_(^O^)_V

Toshyさん、どうなのでしょう??
先日私のところもそうでしたがアドレスからするとメンテナンスをしているのではないかと思います。



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トラブルか? 投稿者:Toshy  投稿日:06月21日(水)22時42分24秒

うちの掲示板が二つとも開かない。池内さんのところもです。
Tcupの、いつものトラブルかな?



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質問なんですが〜 投稿者:JUNA  投稿日:06月21日(水)19時54分25秒

きんたろうさんとこのカレンダー、実は私も持ってるんですよ〜。
ほったらかしなんで、使おうと思ってリンク張るとカレンダーじゃなくて
TOPに行っちゃうんです・・。
きんたろうさんは、ちゃんとカレンダーにリンクされてますよね?
どーやってるんですか〜?
良かったら、うちに来て教えてもらえるかメールもらえると助かります〜。
あのカレンダーに、住民さんの誕生日を記入していきたいんです☆
きんたろうさんも、教えてね。

http://www08.u-page.so-net.ne.jp/dg7/mako-jun/top.htm



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