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環境が人をつくるとは非常に他力的な言葉ですが、これは言い換えると人間は環境に対応することが出来る動物だと言うことになろうかと思います。環境とは地理的環境と歴史的環境とに分けることが出来ます。まず地理的環境があり、その影響下において歴史的環境が形成されると思います。
日本は島国であり、それも平野面積が国土の20パーセントしかない山国でもあります。海からちょっとした平野部分を越えればその先にはもう山がそびえているといった風景を日本中至るどころで見ることができます。地理的に大きなスペースを望むことが出来ない、これが大きな要因として挙げることが出来ると思います。これが日本の地理上の基本的要因です。
そして歴史的にはどうかというと、こうした地理的制限下で育まれてきたのは言うまでもありません。
関東地方は例えば後世のアメリカのようなものだったのではないでしょうか。開拓地として大きな意味を持っていたように思います。広大な平野が関東にはあります。ここでは日本の常識(当時の)とは逆に土地が余っている場所でした。
しかしその反面人手が足りなかったのです。労働力不足(労働力の奪い合い)こそが10世紀においてこの地で起きた大乱(平将門の乱)の真の理由だと私は思っています。
人口に比して面積が大きいこの関東の地においては現代の日本人の常識(日本は国土が狭い)は全く通用しないと思います。
狭いどころではなく逆に広すぎたのではないかと思います。藤原氏、将門に代表される平氏はこの地方の開拓集団として捉えるべきではないでしょうか。
そしてこのイメージは西部劇のようなものと思った方が間違いが少ないような気さえします。切り取り自由とは正にこの事でした。
富の蓄積の多寡は非食糧生産者の存在に密接に連動しています。食糧の余裕が無ければ美辞麗句など一切無用の長物だったからです。いみじくもキリストは人はパンのみに生きるに非ずと言いましたが、人はパンがなければいきられないのです。この真理の前にはあらゆる思想もその普遍性を発揮することが出来ないのではないでしょうか。以上が経済的な見方からの要因だと思います。
思想的にはどうなのでしょうか。より完成された思想とは他民族と接してこそ初めてクリアされるのではないでしょうか。何故ならば異なった習慣や常識に対応できなくては普遍性を持つことが出来ないからだと思います。
ところが日本ではそうした環境にはありませんでした。ですから知識としては当時も日本人は持っていても厳密には理解できなかったのだと思います。また、論理を完璧にする必要もなかったのではと思います。
漢民族はどうなのでしょうか。儒教の成立の要因はそれこそ様々な理由づけがなされていると思いますが、基礎的要因としては大家族主義を挙げることが出来ると思います。
これぱ、歴史的に見れば開拓集団者達が自衛のためにまとまった形態であると見ることが出来ると思えるからです。彼らは異民族の略奪という現実に対抗しなければなりませんでした。天高く馬肥える秋に鬼門からやってくる略奪者から我が身と財産を守るために英知を絞ったのだと思います。それこそが「感覚の血縁」の創出であり父系名字主義だと思うのです。
この父系名字の下に団結した集団は大きなパワーを持つことが出来ました。これによって初めて騎馬民族に対抗し得たのではないでしょうか。この根本は早く生まれた者の年齢を逆転する事はできないという物理的な(誰にでも分かる単純な)事実から成り立っています。
こうした事が歴史的背景の基礎にある事を思えば夫婦別姓問題については中国、朝鮮半島の事例は全く参考にならないと思います。
空間的には中国大陸は広大ですが障害物が少ないため強力な勢力は一気に全土を制覇しやすい環境にあるように思います。制覇の後半になるとほとんどドミノ倒し状態だと思います。中国はその広大さ故、東アジアで最も富の蓄積が大きい地域でした。また、彼らは異民族とのコンセンサスを持たなければならなかったといった地理的必要がありました。
朝鮮半島はどうなのでしょうか。 この地域は有史以来侵略された歴史がある訳ですから日本人よりは遥かに異民族と接している(交渉した)経験を持っているわけです。ですから漢民族に感覚的には近いものがあるのではないかと思います。事実は歴代の中国王朝の影響下にありました。