2002/2/9
正義とは広辞苑によると下記のように書かれています。
せい‐ぎ【正義】
@[荀子正名] 正しいすじみち。人がふみ行うべき正しい道。
A[漢書律暦志上] 正しい意義または注解。「尚書―」
B(justice)
C社会全体の幸福を保障する秩序を実現し維持すること。プラトンは国家の各身分がそれぞれの責務を果し、国家全体として調和があることを正義とし、アリストテレスは公平な分配を正義とした。近代では社会の成員の平等が正義の観念の中心となり、資本主義社会は各人の法的な平等を実現した。これを単に形式的なものと見るマルキシズムは、真の正義は社会主義によって始めて実現されると主張するが、この場合に正義と自由との問題が生ずる。
D社会の正義にかなった行為をなしうるような個人の徳性。
正義が実践されるには公平でなけばならないのは言うまでもありません。ここには万人が公平であると納得できる過去からの基準の継続性が必要になります。このためには特定の個人に利益が生じる事のないようにする必要があるのは言うまでもありません。この原則が貫かれていればこそ社会は若い世代が引き継いで行けるように思っています。
社会全般という程大きな対象ではなく未熟な組織の場合であってもそれは同じであるべきなのです。世の中にある数多の小組織は初めから確固たる伝統があるわけではありません。これは組織の誕生の経緯からみて仕方がない事です。しかしこの様な未熟な組織であっても朝令暮改が行われ公平性が欠如するという正義が実行されない場合にはモラルの低下が引き起こされるの可能性が高まるように思っています。
信賞必罰や機会の平等による異なった結果に対する正当な評価などをしないことによりモラルハザードが著しく私達の日常にまで浸食しているような印象を持っています。
トップとは責任を持っているからこそ顕現や報酬も多く得て当然であると認識されているのです。ところが責任をとるべき判断力がない(勿論その意思もない)のにも拘わらずトップの地位に就こうとするのは反社会的行為そのものではないかと思われて仕方がありません。またこの人達の得る人件費は若者の約5人分くらいのコストになろうかと思います。ここのところの就職氷河期の原因の多くはこのような老人が全国的に必要以上の収入を得ているところによるのではないでしょうか。
プンプン( ^^)ノ ((((((●~*