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神話の系譜...インドラ神の飛礫



大気の精霊の息吹が風を引き起こすかのようにその力が一点に凝縮すると雲を生み出すのかも知れません。そして雲は穀物の発育のために欠かす事の出来ない恵みの雨を大地に注ぐのです。このような自然の営みが世界四大古代文明の一つであるインド大陸において為された事がここに住む当時の人々にとって壮大な伝説を作り出していくための大きな要因になったような気がしています。


インド大陸におけるガンジス川やインダス川の恵みについては知らない人がいないほど有名です。これは「エジプトはナイルの賜」の言葉と同じようなものだと思います。あるいは黄河流域に中国古代文明が発達した事も同じようなものと捉えていいのかも知れません。大陸における自然現象の絶対値の高さとは日照り、大雨、暑さ、寒さなどそれがどのようなものであろうとも島国に住む私たち日本人の想像を遙かに超えるものがあると思っています。その力とは人智の遙かに及ばないレベルであり自然に対する畏怖を深く及ぼしたであろう事は想像に難くありません。


一瞬に輝く稲光が一体何ワットになるのか分かりませんが暗雲の中で放つ稲妻の驚くほどの輝きは古代に住む人たちにとっては正に神の力が現れたもの、もしくは悪魔の所行そのものに見えたのではないでしょうか?? さらに日照りを解放するスコールとともにやって来る大空を覆い尽くす雷雲の中で幾度も閃光を発しながら無数に舞う稲妻が彼らには荒れ狂う悪の竜の姿に見えたのかも知れません。同時に辺り一面に鳴り響く雷の音は人々の心を震撼させるのに十分だったような気がしています。


当時に暮らす人たちにとって夜空をまるで真昼のように明るくさせる事が出来るその強力な光に恐れを抱かなかったはずがないと思うのです。その威力はまさに無限のごとく感じられたと思います。このような感覚が古代のインド人の上に強くのしかかっていたのではないでしようか??自然の恐るべき力の前には人間などどうしようもない無力の存在であると痛切に感じさせられたように思われるのです。


リグ・ヴェーダとはバラモン教における根本聖典であると同時に最古の聖典でもあります。これは「賛歌の集成」と訳され10巻1028歌の韻文からなっています。その内容とは宇宙の森羅万象を神格化し神々に捧げた自然崇拝の叙情詩を主要部分としています。 つまり古代のインドでは神々は数多く存在していたのです。これはちょうど日本の八百万の神々に似ているような気がしています。


それらの神々の中で最高神として称えられているのがインドラ神と呼ばれる神です。リグ・ヴェーダの四分の一に相当する部分がインドラ神に捧げられた賛歌になっているのです。 その中でインドラ神とは究極の武勇神と見られています。彼は砂漠化するのではないかと思われるほど際限なく日照りが続いた際に人々が渇望して止まなかった豪雨を大地にもたらします。 そして乾いた河川を水で一杯に満たしてインドの大地に住む人々が命を繋ぐ事が出来るようにしてくれるのです。つまりインドラ神は大雨をもたらす雷神と見られているのです。


インドラ神は英雄神ですが決して聖人君子などではありません。暴飲暴食、さらには粗野な面を多く持つ極めて人間的な欠点をもつ神なのです。 しかし道徳的ではなくとも彼の信者に対しては慈悲深い救済者でありかつ保護者でもあるのです。 この神の特徴とは絶大な肉体的威力をもっていることに尽きると思います。 インドラ神はその能力からしてギリシア神話におけるゼウスに比較しうると言われています。インドラ神はバラモン教における最高神ですがさらにヒンズー教や仏教にも彼の名を見つけることが出来ます。ヒンズー教では東方を守護する武勇神として祭られています。さらに仏教では帝釈天としてやはり東方守護の神とされています。


インドラ神は暴風神であるマルト神を従えて水を塞き止めていた悪竜ヴリトラ、つまり蛇型の悪魔を退治する英雄神としてリグ・ヴェーダに描かれています。これによってインドラ神は「ヴリトラを殺す者」とも呼ばれています。 工技神トゥヴァシュトリが作ったヴァジュラを投げつけてヴリドラを殺すインドラ神の武勲は繰り返し称えられているとの事です。このヴァジュラとは金剛と訳されていて地球上で最も堅い物質の事であるとされています。 この物語が遙か西方に伝わってプラトンの耳にまで届いた可能性も十分にあるのではないかと思っています。彼がアトランティスの物語を語ったときに出てくる地球上で最も堅い物質オリハルコンとはひょっとしたらヴァジュラの事なのかも知れません。


またマルト神とは常に一群をなして行動する武勇に優れた神です。彼らは猛獣のように荒々しく進軍しライオンのように大地を揺るがすほど怒号するのです。さらには砂塵を巻き上げ山を震わせ木々を裂くほどの力を保持しています。


空中に輝く稲妻の嵐とはまさに竜に見えるのではないでしょうか。私には銀色に輝く竜が黒雲の中で蠢くように見えたのです。


黒雲の中で竜(もしくは悪しき蛇)が暴れているかのように見える時に、まるで大空からばら蒔かれたように頭上に降り注ぐ無数の雹は最高神が悪竜ヴリトラを退治するために投げつけたヴァジュラをイメージさせるのに十分だったのかも知れません。 大空から降ってくるダイヤモンドのイメージこそがヴァジュラのような気がしています。何故ならダイヤモンドこそが地球上で一番硬く美しい物質だからです。極めて堅固でどんなものにもこわされないにもかかわらず人を魅了して止まない光を放つダイヤモンドこそが金剛に相応しいと思います。


インドでは神や悪魔とは善悪の差こそあれ人間の力の遠く及ばない存在として捉えられたのではないかと思います。稲妻と雨雲は表裏一体のものであり同等以上の力を持っていなければ退治=対峙する事など出来るはずがないのですから。


古事記における英雄神スサノオの活躍とは色々ありますが、その中でも出雲においてヤマタノオロチを退治する物語はあまりにも有名です。またスサノオは嵐を巻き起こすほどの絶大な力がある神として描かれています。 スサノオがヤマタノオロチを退治してその体内から取り出したと言われるアメノムラクモノ剣(草薙の剣)もまた金剛と同様の意味を持っていたものと考えた方が自然です。 このスサノオの話とインドラ神の話は驚くほど似ているように思います。彼らはともに自然現象を操る神として描かれておりその能力とはほとんど等しいようなイメージを受けるのです。


スサノオに対して雷神と言うよりも風神のイメージが強いのは天地創造を感じるような稲妻の嵐がこの日本ではほとんど起こる事が無かったからに違いありません。 インドラ神は雷神でありマルト神は風神ですが両者の能力とはなかなか分離するのが難しいように思います。おそらくこの伝説が遙か南方から稲作とともに日本にまで伝えられた時にはかなり融合したものになっていたのではないかと思っています。 これはつまり稲作と同時に伝わった人類の古い記憶のかけらの一つではないかと思うのです。日本の文明の源流と言われている中国よりもさらに古い歴史を持つインダス文明こそが日本神話における英雄神スサノオの一番古い故郷なのだと思われて来るのです。神々への賛歌の歌であるリグ・ヴェーダで称えられている最高神インドラ神が日本に降臨した姿こそがスサノオなのでははなでしょうか??


このように考えて来るとヤマタノオロチを退治した場所が何故「いずも」と呼ばれた、あるいは「いずも」と呼ばれたところに「出雲」という字が当てられたのかという理由もはっきりしてくると思うのです。つまりスサノオ(インドラ神=雷神であり風神)が降臨した場所だからこそ名付けられたものではないでしょうか?? また出雲において蛇が決してマイナスイメージではなかった点については自然現象の厳しさの程度の差によるものだと思っています。


日本における稲作の起源は出雲こそが発祥の地なのかも知れません。何故ならば大国主(オオナムチ)がスクナヒコナとともに国造りをしながら全国各地に稲作を広めていったのではないかと見られているからです。


さらに「出雲の国譲り」において現れたタケミカヅチノミコトはアメノトリフネとともに主役を演じていますがこれにも理由があるのだと思っています。つまり最強の出雲を征することが出来るのはやはり最強であるという論理なのです。つまりインドラ神の資質をより正確に受け継いでいるタケミカヅチノミコトがアメノトリフネに乗ってこそその能力を十分に発揮する事が出来るのです。 そしてこの超絶した力の前には抗する事など誰も出来ないのだのメッセージが含まれているのだと思われ来るのです。 自らをインドラ神になぞらえると相手が悪竜ヴリドラになるのもまた必然だったのかも知れません。


遠く離れたインドの伝説が時空を遙か越えて伝わったものが日本の神話の中に数多く散りばめられていると考えるのは無謀かも知れません?? しかし武力の象徴とはやはりヴァジュラだと私には思われるのです。金剛で作られたそれは最強の名を欲しいままにして日本に伝わりついにはタケミカヅチノミコトとして人格化されたのではないでしょうか?? つまりタケミカヅチノミコトを祭る事とはこの国最強の武力を保持している事を高らかに宣言するものだったのかも知れないのです。


そして最強の武神は鹿島神宮に祭られているのです。