ここで、確かに













  
冗談じゃない。
危うく呟きそうになった言葉を慌てて飲み込んで、誤魔化すように手元に留めていた酒を飲み込んだ。
 マストは不安定に吹き始めた風に揺らいでぎしぎしと不吉な音を鳴らし、まるでそれに煽られる様な気持ちでゾロはざ
わめく胸のうちを何とか読まれないように平静を保つのに苦労した。
 しかし目の前でだらりと手を横に垂らしたまま、言った言葉もすでにどうでも良い様子の男は何の動揺も見せず、俯い
たその口で煙草を暢気に燻らせるばかりだった。
 それがどうにも気に入らずに、舌打ちしそうになるのを堪えた。
 そんな風に自分一人があからさまに動揺して見せるなど、ゾロのプライドが許さない。
 第一、この状況で大抵の場合慌てるべきはその言葉を発したこの目の前の男の方であって、決して自分ではないは
ずだ。
 混乱で焼け付きそうになる気持ちをそう考えることで保とうとする時点で、なんだかもう負けているような気分にさせら
れて、一層不快になる気分をどうにも留めることができなかった。


 いつもと同じ夕暮れだった。


いや、どちらかと言えば吹き付けてくる風が幾分穏やかであったかもしれない。そういう意味では、非常に良い夕暮れ
であったはずだった。
ゾロはいつもと同じように夕飯を済ませた後、サンジと今夜の皿洗いの当番であるルフィを置いてキッチンを辞した。そ
うして手にブラブラとぶら下げた酒の微かな水音を聞きながら、今夜は天気が良いので月見には丁度好いのだと言っ
ていたナミの言葉を思い出し、それも悪くないと後部甲板へ陣取った。
 そうして実際に月の昇る様を見上げながら、こうして一人で静かに過ごすのも悪くない、と思っていた。
 予期せぬ来訪者が現れたのは、丁度そのタイミングだった。
「よお、一人で月見酒かい」 
 サンジは気安く掛けてきたその言葉とは裏腹に、何やら深刻めいた気配を漂わせて思わずゾロの顔を曇らせた。
 月明かりの中でさえはっきりと分かる淡い色の髪は、夕凪を過ぎて吹き始めた風に散らされ、いつもは漸く見えてい
るはずの左目さえも隠してしまっている。そのせいで一体サンジがどういった表情でもってそう発したのかは、ゾロには
分からなかった。
「ああ・・・」
 どうにも判断が出来ずに、随分とらしくない返事を返すゾロに、サンジは少し不思議そうに首をかしげ、それでもそう
いう事もあるのだろうと納得したようにスタスタとゾロの横まで歩いてくると習うように腰掛けた。
「俺にも一杯くれよ」
 と、言ってもゾロはグラスなど用意していなかったし、同様にサンジもグラスを持っている様子はない。つまりそのまま
瓶ごと寄越せといっているのだと理解して、ゾロは無言のまま手に持った酒瓶を突き出した。
サンジも黙ったまま、それを受け取りオーバーな仕草で一口呷った。
 キッチンの外壁にもたれながら、ぼんやりと二人月を眺めている。
 二人とも何も言わないし、いつもなら早々に始まる喧嘩も言い合いも、今日に限って出番はないようだった。
 それに感じる心地よさに、ゾロはなんだか不思議でたまらなかった。
実際、こんな風にサンジの方から一人でいるゾロに何がしかのアクションを起こすのはずいぶんと珍しいことだった。
 特に仲が悪いとかそりが合わないわけではなかったが、何かにつけて諍いが絶えないのに対して、あんた達、そんな
風でしかスキンシップが取れないのね、というのはナミの弁だ。それを聞いたとき、冗談じゃないあんな奴とスキンシッ
プだなんて鳥肌だ、と答えたが、その後一人になって客観的に捉えるとそう思えないこともないということにゾロは気が
ついていた。
 そうでなければ、無視を決めこめばいい相手に毎度毎度喧嘩を売ったり買ったりする必要などないのだから。
 つまり何にしても今までこんな風に黙り込んだままでいることは少なかったという事だけは確かだった。
「今夜は、ゆっくりだな」 
 再び酒を呷るサンジの横顔をチラと見て、月の高さを確かめながらゾロは呟いた。
サンジはいつも夕飯の片づけを済ませた後、軽く翌朝の準備を済ませて下に下りてしまうのが通例だった。もちろん誰
かに(それは主にナミだったが)頼まれれば茶を入れたり軽い夜食を作ったりはする。しかし今日の夕飯の席ではそう
いった話は出ていなかったように記憶している。そうであればこの時間はもう入浴を済ませている位の時間帯だ。どち
らかといえば決まった時間のサイクルで動いているサンジがこんな風に突発的に、しかもよりにもよって自分の隣に今
座っているなどと、不審がるなと言う方が無理な話だ。
「邪魔か」
 しかしサンジはゾロのそういった純粋な疑問とは違う意味でその言葉を取り上げて、半ばまで上げていた酒瓶を足元
に戻した。そうして今にも立って行ってしまいそうな雰囲気のサンジにゾロは慌てて静止の言葉を吐いた。
「や、そうじゃなくてよ。珍しいだろ・・・こんなの」
 押さえつけようとはせずに、視線だけで留まる様に訴えながら、ゾロは曖昧に微笑んで見せた。
 その、ちょっと戸惑ったようなゾロの笑い方に、どうやらサンジもゾロの言いたいことに察しがついたのか、今にも浮か
せそうにしていた腰を落ち着けて、ちょっと気まずそうに煙草を咥えた。
「ああ、そうだな。そうかも知れねぇ」
 そんな風にサンジが言うのに、どうやらよく分からずにここへ来たのだということがゾロには分かった。
 そこでゾロは初めに感じた奇妙な違和感を受けて、今度はしっかりとサンジを見据えた。
こちらに左側面を向けているせいでサンジの表情はさっぱり分からなかったが、唯一確認できる煙草を咥えた口元が、
何故か少し歪んでいる様に見えてそれがまた何かゾロの気持ちを落ち着かせなくさせていた。
「でも俺は、ずっとこうしたかった」
 口元だけを凝視していたゾロは、確かにその口がその言葉を綴るのを見ていたが、果たして本当にその言葉をサン
ジが発したものであるかはよく分からなかった。 
サンジが煙草で口元の動きを常に隠してしまうせいもあったが、何よりそのセリフがあまりにもサンジらしからぬものだ
ったせいだ。
 受け止めかねるゾロは、やはり返事もしかねて口を噤んでいた。今口を開けば何か余計なことを言ってしまいそうな
気がしたからだ。
 しかしサンジはそういったゾロの心中など慮る様子もなく、視線は床に落としたまま、言葉を続けた。
「俺は、お前が好きだ」
 ざわりとゾロは背中があわ立つのが分かった。
 危うく風に散りそうになった言葉は、しっかりとゾロの耳へと意味を伝えた。
 多分、他の誰かに言われたのなら、仲間だからな、とか、ありがとう、とか言えたと思う。
しかしゾロは何も言えなかった。サンジの心情がわかってしまったからだ。
いつもとは違う、ちぐはぐな違和感。
いつもとは違う、その態度。
全てはこの一言を言うためのものだ。
サンジの言葉を冗談で済ますのは簡単だ。「馬鹿なこと言ってんじゃねぇよ」と言えばいい。それでサンジはそのまま今
の言葉を冗談に茶化して、本心は永遠に隠されるだろう。
 ゾロが、そう望めば。
 しかし、幸か不幸かゾロにはその言葉が真実であることも、サンジが本気であることも、おそらくは・・・・恋情の意味で
そう言っているのだということも分かってしまった。
 だが、ゾロはそこへ行き着いたサンジの心情よりも、自分自身の今の気持ちの方が不思議で仕方がなかった。
 どうして自分は、どちらかといえば冗談で済ませてしまいそうなこんな男のこんな言葉を、真実であると信じきっている
のか。
 どうして何の疑問も感じずにいられるのか。 
 どうして、返答に困っているのか。
 そこかで考えて、ゾロは冗談じゃない。と、サンジが取り込んでいた酒を無言で奪い取り、ぐいと呷った。しかしサンジ
はそういったゾロの乱暴なしぐさにも一向に反応するでもなく、だらりと手を横に投げ出したまま、ゾロの返事を期待す
る気配さえない。
それに余計にイライラを増加させて、どうして自分一人がこんなにも気をもまなければならないのかとゾロは小さく唇を
噛んだ。
 そんな風にサンジのことを考えたことは一度もない。多分、他の誰かのことも、だ。
同じ船に乗る以上、信頼していないわけもないがこんな風に突然告白めいた(事実告白であったわけだが)ことを言わ
れるのも少し違う気もする。
 本当に、喧嘩ばかりしていたのだ。自分とサンジとは。
ナミに言わせれば確かに仲が良いからと言われればそれまでだが、少なくともゾロはそんなつもりでサンジに接したこ
とはない。
それなのにサンジは。
ゾロのことを好きだという。
「・・・本気か」
 ピクリと、微かに反応したサンジの肩に、どうやら知らぬ振りはポーカーフェイスらしいとゾロは少しホッとした。
 自分ばかりがこんなではどうにも居たたまれない。
 しかし予想に反してサンジはそれほどに冷静ではなかった。
「わっ?」
 突然掴まれた肩は、サンジの力に従順だった。されるままに壁に押し付けられて、微かに照らす月明かりに背を向け
たサンジの表情は良く分からなかった。
「・・・お前はっどうして俺がこんなこと冗談でっ・・・・」
 酷く掠れてしまったサンジの声にゾロはぎょっとして、ひょっとして無関心な振りは緊張のためか、と思い当たってゾロ
は危うく息を詰まらせた。
「こんなこと、冗談で言えるか!」
 襟首を掴まれて、上から凶暴な目で自分を見つめるサンジを見て、ゾロは呆然とした。
 その顔は、月明かりでさえ分かるほどに、真っ赤だった。
「・・・顔、真っ赤」
 言ってからしまった、とゾロは珍しく自分の言葉に後悔した。
 しかしそれも遅く、弾かれる様にサンジはゾロから手を離すと片手をかざす様に目元を残して顔を覆ってしまった。そ
れではあからさまに赤面しているのを白状しているに他ならなかったが、余裕のないサンジはそれどころではなかった
ようで、まさに殺気のこもった目でゾロを睨んだ。
「そうだなっ!俺が馬鹿だった!てめぇにこんなこと言ったって無駄だって分かってたさ!」
 そのまま、何か捨て台詞を二三言呟いていたが、ゾロには聞き取れなかった。
「クソッ」
 どうにか最後に残した下品なセリフは聞き取れたが、そのまま逃げてしまったサンジがいったいどんな顔でそれを言
ったのかまでは分からなかった。
「・・・言い逃げ、かよ・・・」
 一人残されたまま、ゾロは呆然と呟いた。どうやらそういうつもりはなくとも、サンジの言葉を本気で受け止めなかった
と判断されてしまったらしい。
「どうして、ああなんだ。あの男は・・・」
 呟いて、ゾロは疲労を隠すように両手で顔を覆って俯いた。
 しかし本当に隠したかったのは、真っ赤に染まったその顔だった。
「ックソ、俺としたことが」
 あんな情けねえ男の顔に、あろうことかうっかり恋に落ちてしまった。
「冗談じゃねぇ・・・」
 本当に冗談じゃないのだ、とゾロは放ったままに忘れていた酒を掴んで何時の間にかカラカラに乾いていた喉に流し
込んだ。















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