そういうふうに。










「そいうふうに、出来ているって」
「・・・何が?」
 海岸線の岸壁には、夜中を過ぎた辺りから人の気配もぱたりと途絶え、ありがちな犬の散歩をする人影や、カップル
を乗せた車もない。
 そんなところにポツンとしゃがみこんで、下村はぼんやりと煙草をふかしているようだった。
 その背中にどうしても声を掛けられずに、まるで習うように煙草に火を点けた。
 海から吹き抜ける風は冷たく、月は雲に隠れた。
アスファルトはいつの間にか昼間の熱を無くし、直に座りこむには幾分硬すぎた。
ゆっくりと時間を掛けて吸い込んだ煙草の先はいつの間にか灰に変わって、危うく焼け付きそうになった指先だけが微
かに暖かかった。
 そうやって下村の背中をただ黙って眺め続けているのは、初めての事ではなかった。
―――あの時も、背中ばっかり見てたっけな・・・。
 右に左にゆらゆらと揺れながら、シャツ一枚で寒がりもせず、岸壁を歩き続けていたあの日。その背中から何も読み
取る事は出来なかった。諦めの悪い自分は、もしかしたらとその後を付いてまわってみたけれど、結局何も分からなか
った。
 そう、分からないのだ。あの時も、そして今も。
 人の心など、分かるわけがない。分かったような気になっても、それは所詮まやかしだ。ただそうやって、答えのない
問いに、闇雲に何かを探しているだけだと分かっていた。
 それでも。
 それが、こんなにもやりきれないのだ。
 それが下村であるからだと、いい加減腹を括らない訳にはいかなかった。
 頬杖をつく仕種、薄く笑う口元、少し沈んだ声。
 フトした瞬間に触れた指先のシビレに。
「何してんだ?そんな所で」
 いつの間にか振り返り、ジッとこちらを見ている下村の声で我に返った。気づくと下村の手にも自分の手にも既に煙
草はなく、眺めていたはずの下村の背中は隠されてしまった。
そうして少し不思議そうに、こっちへ来いよ、と手招く声に素直に従った。
 隣に座ると、少し笑った。
「寒くねぇの?」
 それはこっちのセリフだと言いかけて、そこで初めて自分が上手く話が出来ないほどに凍えていたことに気が付い
た。
「変なヤツ」
 笑って、またボンヤリとした様子で下村は海の方へ視線を投げてしまった。
「そういうふうに、出来ているって」
「・・・何が」
 凍えた舌ではそう答えるのが精一杯だった。
「―――あの人らしい」
「何が」
 繰り返しても、下村の返事はない。
 元々、そんなつもりではなかったのだろう。ただの独り言なのだ。
 下村は結構よく話す。頭の回転も悪くないし、話のポイントを心得ているので自分よりずっと気の利いたセリフも滑ら
かだし、人を楽しませる術も知っている。それだけに、こんな風にサッとシャッターを降ろした様にこちらへの関心を断ち
切られると、途端にこちらからのアプローチの術が無くなってしまうのだ。
「・・・なあ、おい」
 月が雲の切れ間から顔を覗かせ、光がユラリと水面を揺らす。どう切り出すべきかと迷いながらの問いかけは、途絶
えたままの空気にまるで他人事の様に響いた。その声にこれといった表情もなく振り返るその顔は、一時の月光のせ
いで深く陰影を刻んでいる。何もかも締め出したようなその顔に、どうしようもなく胸を突かれた。
 不意に、先ほど下村が漏らした言葉が蘇る。
―――ああ、そうなのか。そういう風に出来ているのか」
 下村は良く笑う。スカーフは気障な感じで気に障るし、刹那的な考え方は今でも賛同出来ない。
 でも、それが下村敬という男なのだ。
 何も残したくないのだと言った。あれはいつだったろうか。この街に居ついて、間もなくのことだったろうか。普段はザ
ルの様に酔いを知らないこの男が、珍しく酔いつぶれた夜のことだった。あまり酒を飲まない自分が必然的に家まで送
る羽目になり、後部座席に投げ込んだまま走り出した運転席の自分の耳に、まるで自分でない誰かに言い聞かせる様
なささやかな呟きでそう言った。
 何も残したくないんだ。何も残させたくないんだ。
 呟いたきり、下村は黙ったしまった。それきり動かなくなった下村は寝てしまったのかそれとも面倒で寝た振りをして
いたのかは分からなかったが、自分にそれを言ったのではないことは分かった。
もう、ここには居ない、もう、言っても届かない誰かに言いたかったのだろう。
「寒い」
 愚痴るように呟いて、下村は小さく肩を震わせた。そんなことは分かっているだろうに今更だと思いながらも頷く。自分
でも今更だと思ったのだろう。少し恥ずかしそうに笑うと、帰ろう、と言った。
「風邪でも引かれたら、俺のせいにされちまう」
 そう言って笑いを深めた目元の柔らかさに、不覚にも見惚れてしまってああ、と思う。
 戸惑って様な、困ったような。でも、嬉しそうな。
 そして、哀しそうな。
 そんな目を見ていたくなくて、でも知りたくて、どうしようもなく愛しくてなんて性質の悪い男だと目を閉じた。
 そうして前触れもなく引かれた手は驚くほどに冷たくて、そのあまりの冷たさに分からないはずの先ほどの言葉の主
を思い描いて、手を握り返した。
 
















 もう居ない、おしゃべりな殺し屋の笑顔を。