そうしてそのまま後ろに倒れて、寝転がった。 いつも海風に曝されている甲板は、ともすれば直ぐに潮でべたべたと肌に纏わりついて不快であったが、どういうこと かこの船のクルー達は甲板やその他のあらゆる部位に関する手入れを怠らず、清掃や整頓を面倒がることはなかっ たおかげで、大抵の場合、日当たりの良いこの中央甲板は、肌にさらりと心地よく、程よい加減でゾロの眠りを悪戯に 誘った。今日も今日とて変わらない素振りで昼寝のひとつでもしようかと、こうしてそこへ身を投げた。 布越しの木の感触が心地よく、一層に眠気を引き出すはずであるのに、今日に限ってそれは中々に訪れず、珍しく手 こずって眉を顰めた。 平素であれば、背を投げ出した時点で半分眠りの世界に入ったも同然であるはずなのに、こんなにも気持ちのいい 日和に、終ぞ眠りが訪れない。 訝ってみても、事実ゾロの頭は夢を見るどころか、さまざまな雑事が浮かんでは消えて心を悩ませた。 そういった本当に珍しい自分の状態を少し面白いような気分で感じながら、ああそうか、やはり自分も少しばかりの寂 寥を感じているのだと合点がいった。 これではまるで、キッチンに引きこもるコックの様だ。 ゾロはその不貞腐れたような、困ったような笑顔を思い出しては、暗い気持ちも少しは晴れて、知らないうちに微笑ん だ。 朝から割合に天気がよく、小さな丸窓から入る日も心地よくちらちらと床を叩いた。 それを横目に、火に掛けていた鍋の頃合いを見計らって火を落とし、サンジは暫く吸っていなかったタバコに手を伸 ばした。 平素であればこんな風な陽気であれば、外の甲板からは、けたたましくも微笑ましい騒音でいっぱいであるはずなの に、今日はそれも聞かれない。 それもそのはずで、短い間とはいえ同じ航路を旅した仲間と遠く離れ、それを寂しく思っていないものなど居るはずも なかった。 いや、そうでもなさそうなのが、ひとり居たか。 思い直して、サンジは変わらない様子でうじうじと泣き言を言う自分たちを、横目で叱咤した男の顔を思い浮かべた。 あの男とて、寂しくない訳もなかろうに、そんな風に振舞っては自分たちを元気付けようとしているのが、サンジにはあ りありと分かって、なんだか余りにもストレートに寂しさを露にした自分が少し恥ずかしいような気がした。 本来であれば、自分も同じくあの隣に立っていなければいけなかったのではないだろうか。 それでも結局、そうは出来ない自分を知っている。 そうは出来ない自分を、あの男は知っている。 「甘やかされてんのかな、俺ぁ・・・」 足を投げ出し、ベンチに腰掛けながら、溜息を誤魔化すように大きく煙を吸い込んでは吐き出した。 「よお」 「・・・よお」 予め約束があったかのように近寄るサンジを、ゾロは特に厭う素振りも見せず、気軽い様子で返事を返した。 それに表面には出さないままほっとして、サンジは前甲板に続く階段の一番下の段に腰掛けるゾロのその隣に腰掛 けた。 「眠れねえのか」 晴天は夜になっても雲が掛からず、空は晴れて月が美しい。 その元では灯りがなくとも辺りはよく見え、サンジの浮かない顔までもよく見えた。 「まあな。そんな夜もあるさ」 言葉尻の大半を取り上げては騒ぎ立てる気にもなれず、サンジは指摘されたままを黙って受け止めては項垂れた。 それを見たゾロは戸惑って、こんな風にあからさまに弱って見せるサンジなど、露とも知らなかったと思った。 しかしゾロもまた、それを揶揄する気には到底なれず、黙って「そうか」とだけ答えてまた黙った。 吹き曝しの甲板は、肌に少し涼しげだ。、また近づきつつある次の島のせいだろうか。 ぼんやりと考えながら、少なくとも肌に感じる空気を熱いと感じなくなったのは、あの島をもう大分離れてしまったから なのだと思ってサンジは余計に滅入って臍を噛んだ。 失敗だ。こんな気分の時にゾロの傍へ寄るなどと、するべきではなかった。 今更ながらの後悔を感じ、サンジは気づかれない素早さでちらりとゾロを盗み見た。 膝の間に両腕をたらして、珍しく眠りの気配さえない。 相変わらず何を考えているのかは判断しかねたが、少なくともサンジを疎ましく思っていないようではあった。 仲間が減り、仲間が増えた。 厳密に言えば減ったわけではなく、進む道を別っても仲間であることには変わりなかったが、それでも共にあることが 出来ないという事実は少なからずサンジを打ちのめした。 楽しいことも辛いことも、嬉しいことも悔しいことも。短い間であっても、互いに共有した時間も意義も計り知れない。そ れが今日からパタンと途切れて、あの可愛らしい笑顔や声をもう聞けないなどと、こんな喪失感をどうするばいいのか、 サンジには分からない。 分からなくて、まるで光に這い寄る羽虫の様に、ゾロの傍へ近寄った。 余りにも強く、潔い男。 仲間との別離を寂しく思っていないはずもないのに、それを全く感じさせず、平然と自分たちを嘲る振りをした。 そうしてみんなを和ませて、それではこの男の寂しい気持ちや、切なさは一体どこへいってしまうのだろうか。 今度は盗み見るのではなく、その横顔をじっと見つめ、こちらを向けと祈ってみた。 するとゾロはその意図を感じたようにゆっくりと視線を正面からこちらへ寄越すと、少しだけ首を傾げては「どうした」と 目で問いかけた。 そんな普段であれば余り見せないような素振りに、サンジは知らないうちに自分の指が震えている事に気がついた。 「お前が」 危うく声までも震えそうになって、サンジはそうはならないように言葉に張りを持たせたが、それでも上手く舌が回らず に結局言葉は中途半端に詰まってしまった。 慌てて、唇を濡らして言い直す。 「お前が、泣いてるんじゃねえかと思って」 馬鹿だ。泣きそうなのは、俺の方だ。 誤魔化す気はなかったが、そんな風に茶化しでもしないと遣り切れなかった。 強く握り込んだ指先が、手のひらに傷を作りはしないかと思っても、そうでもしないと震えは止まらず、これが一体何に 対する動揺であるのか、サンジには最早よく分からなかった。 ひとりでただ耐えようとするゾロに対してか。 それを感じて覚束なくなる自分に対してか。 どちらにしろ自分に出来ることなどこの場では相当に限られて、せめて軽い調子で発したかった言葉も、酷く真摯に 響いてサンジを怯ませた。 「・・・そうかよ」 けれどゾロはそう言って、そっと笑った。サンジが、見たこともないような笑顔だった。 それだからサンジは、ああ、やはりこの聡い男を騙せる訳もなかったと息を飲んだ。 全部見透かされている。 自分がここに来た訳も。 その言葉の意味さえも。 「じゃあ、ちょっとだけ傍にいろよ」 笑いを含ませながら、ゾロはサンジの頭を撫ぜ、髪を梳いては引き寄せた。 「・・・あいつは、あいつの道を行く」 「分かってる」 「笑った顔だけ、覚えていろよ」 「分かってるっ」 引き寄せられるままに、ゾロの肩口に額を押し付けながら、サンジはゾロの体を抱きしめた。 それを甘んじて受けるゾロに今は感謝しながら、その確かな体温に目を閉じる。 たくさんの、たくさんの君を、悔し涙に濡れた瞳も、賢そうに傾げられた首筋も、叶わぬ夢に泣いて縋った儚い肩も、 ずっとずっと全て覚えているよ。 それでも今は、笑顔の君を道連れに、この航路を行こう。 あの国を、愛していると君が笑うなら、その笑顔を道連れに。 ビービちゃぁーん!! というわけで、やっとアラバスタ編を書けました。 ビビちゃん・・・達者でね。 |