目の前でふらふらと揺れる髪をぼんやりと眺め、また洗いざらしで眠ってしまったのだろうかと思ってその髪を撫で た。一時はそうして撫でては整えられるのに、少しするとまたふわふらと立ち上がるのでその様が余りにもあどけなく、 坂井は声を殺して笑ったしまった。 夏も近い、梅雨時には珍しい晴れ間に開け放たれたままの窓際で、下村は気持ちよさそうに寝息を立てて眠ってい た。 どうもそこが一番お気に入りの場所であるようで、昼寝をする時は決まってそこに毛布やタオルケットを持ち出しては ごろりと転がっている。大抵は坂井が今日のように勝手に入り込んでも気づかないが、たまに目ざとく目を覚ましては寝 ぼけた頭で坂井の喜ぶようなことをぽろりと言ったりしたりするので、どこか下村の寝起きを狙っている気持ちがあるの も否めない。 だからといってそれは下村が自分から気づいて目を覚ました時に限っての事で、坂井は決してわざと下村を起こした りはしなかった。 眠っている下村の顔も、坂井は好きだったからだ。 目を閉じた穏やかな顔や、柔らかな寝息。陽に映える鮮やかな髪。時折ぴくりと動く手や肩が、夢を模って坂井を楽し ませる。 そんな風にそろってぼんやりとしては下村が風邪を引いたり、体調を崩さないように気遣うのが常だった。 初めは、こんな風に穏やかな感情で下村を見ることが出来なかった。 突然坂井の視界に飛び込んできた無鉄砲な男から、目を離せなくなっている事に気づくのにそう時間は掛からなかっ た。 全くの他人であるはずの自分に、まるで無防備に笑って見せた。 血まみれの手を差し伸べて、すまないと笑った顔に苛立った。 そんな風な気遣いなど。そう思った。 思えば初めからどこか胸に引っ掛り、焼かなくてもいいようなおせっかいを焼きまくった。そのまま放っておけばいいよ うな場面でも、手を出さずにおれなかった。 初めから、下村は特別だった。 その時の荒げた雰囲気など露とも感じさせない穏やかさで、今は眠る下村の顔を見る。口元まで引き上げた毛布にく ちびるが触れている。 それをじっと見、何度も同じ動きを繰り返す肩や胸の辺りを眺めた。 本当はどこへでも行ってしまう男だ。 下村がここへ残った理由が、なんとなくだが坂井には分かる。言葉には出来ないが、それは恐らく坂井と似ている。 それだけに、また下村がどこへなり風に紛れて飛んで行ってしまう可能性がないわけでもないのだ。 その時、自分はどうするのだろうか。 下村とはもう、離れられないところまで自分は来てしまった。 一度触れたその暖かな体温を、もう手放したりは出来るはずがない。 それでも。 またふわふわと気まぐれに戦ぐ髪を撫でながら、そっと頬の輪郭を辿り耳元を掠め、薄く開かれた唇に指先を当て た。暖かな吐息が、指先を掠めては冷えて行く。その儚い暖かさが、たとえば下村と自分とを繋ぐ全てなのだと思った。 その瞬間は確かに触れているはずなのに、次の瞬間にはもう遠くへ飛び退ってしまう。後に残るのは、暖かさの残骸 と昔以上に冷えた指先だけ。 それを引き止めるだけのものを、自分は持ち得ない。 そっと顔を寄せ、触れないくちづけを頬に落とす。密かに近づいた体温が坂井の頬を掠めた。 気まぐれに吹き込んだ風に、一段と髪が騒いで長く落ちた坂井の前髪が目元を覆った。 たとえばその時、泣くつもりはない。 多分引き止めもしないだろう。 ただ、忘れない。忘れないだけだ。 この暖かさを、自分が忘れないだけだ。 たとえ下村が、自分の前から消えたとしても。 終 窓際昼寝シリーズ(シリーズ?) |