どうでもよさそうな振りをして、でも本当は気になって仕方がない。どう見てもソワソワと落ち着かないのに、やはり知 らぬ振りを通そうとしている様が余りにも滑稽で、思わず噴出しそうになる口元をタバコで塞いだ。それでも痙攣の様に 治まらない笑いの予兆が口元を引きつらせるので、それは鷹揚な仕種で口元を覆って誤魔化した。 しかしそんなことなどしなくとも、切羽詰った二人の間には必要がないのかもしれないと思いながら、ちらりと片方の顔 を見やる。半分酔った頬の辺りが赤くなって艶かしい。そう思う時点で自分も随分と酔ったものだと思いながら、桜内は ソファに深く腰掛けた。 下村と夜更けの合間を縫うようにして酔いに興ずるのは珍しいことではなかった。 下らない昔話や世間話をしては夜を明かすのがこのところの慣わしで、そんな関係を下村も気に入っているのか 度々桜内の元を訪れた。 そんな風に懐かれれば悪い気がする訳もなく、狭い診療所でそのまま酔い潰れることもあれば、自宅に上がって同じ ような格好で酔い潰れることもある。どちらにしろ何か深刻な話をするようなことは滅多になく、お互いに深刻になりたく ない時にこそお互いを好んでいるようなところがあるのは否めなかった。 その夜も変わることなく注しつ注されつで酒を飲み交わしていた。澄んだ辛口の清酒をマグカップに適当に注いでは 飲み干し、段々と斜めに傾ぐ体などどうでも良い気持ちで心地よく回る酔いに身を浸した。 診療所よりは僅かに居心地の良いフローリングに二人で直に座り込み、持ち出したわずかばかりのつまみを二人で 口の放り込んだりした。平素であれば絶対にするわけもない、まるで恋人同士にでも近い悪戯も酔いに任せれば他愛 もなく二人を楽しませ、暖房もろくに効いていない室内では互いの近づく体温さえ心地よかった。そういった微かに見え 隠れする誘うような仕種に、途中から自制を要するような具合になってきた頃、坂井は現れた。 乱暴にドアを叩く音に、ぼんやりとしていた桜内と下村は流石に驚き、それがどうやら夜中の訪問者によるものだと思 い至り、ここまで酔っていては流石に急患は受け入れられないですね、と珍しく呂律の怪しくなった下村が揶揄するのを 後ろに聞き似ながら、近所から苦情でも出る勢いで鳴り続けるドアを開けると、そこには坂井がすごい形相で仁王立ち していた。 「よお、坂井。何事だ」 流石に尋常でない様子の坂井に、酔いが半分は吹き飛んだ。眉を潜めて坂井の顔を凝視すると、じっと見返してく る。訳も分からずそれに応戦していると、今度はじろじろと上から下まで眺め回された。 「おい、なんだ?」 坂井が突然に来るのは、決して珍しいことではなかったが、こんな風に桜内に対して不穏な空気を撒き散らす事はそ うないことだ。戸惑いを隠せず理由を急かすと、ややあって坂井は詰めていた息を大きく吐き出した。 「中、入れてもらってもいいですか?」 断りもなく入り込むことなど日常茶飯事の男の思いがけない承諾を求める言葉に、桜内はなんだか嫌な感じを受けて ますます眉を顰める。それを拒否の意と取ったのか、負けずに盛大な仕種で坂井も眉を顰めた。 「誰か来てるんですか」 伺うような言葉はこの表情では脅迫にしか受け取れない。何がなんだか分からずに、桜内は無言で体を退けて入る ように促した。 坂井もそれを無言で受け、素早い動作で桜内の横をすり抜け室内に入り込んだ。ばたんと閉じた扉が、桜内の溜息 をかき消した。 よお、坂井。リビングから、密かな下村の声が聞こえた。坂井も何か言葉を返しているらしいのだが、低く呟かれてい る声は意味までは良く分からない。合間を置いてリビングに戻ると、へたりと座り込んだ下村を坂井が突っ立ったまま 見下ろしている後姿が見えた。 「今日の急患は、坂井ですか?」 眩しさを嫌って下村が灯りを灯すのを嫌がるので、室内はカーテンを全開に開いた窓から入る月明かりと、白いネオ ンの反射光だけ。その中で下村は目隠しのように立つ坂井の足の横から桜内の方へ顔を覗かせると、酔いに潤んだ 目で笑った。坂井のどこにも怪我など見受けられないことを知ったうえでの戯れだ。それに無言で頷くと、下村は満足そ うに坂井の膝の辺りの布を引いた。坂井を見上げる顔は、幼い様子に見えた。 「ほら、座れよ。それとも、もう用はすんだのか?」 こちらに背を向けたままの坂井の表情は、桜内には分からなかったが、坂井は無言のままで大人しく腰を落とした。 「桜内さん」 リビングの口でぼんやりとしていた桜内を咎める様に、下村が名を呼ぶ。それがどこか甘えを含んだものであった事 に驚いて、何時の間にか俯き加減になっていた顔を上げると、その下村をじっと見つめる坂井の横顔が目に飛び込ん だ。 驚愕。 そうとしか言いようのない表情が、そこにはあった。 それで、気づいてしまった。と、同時に危うく声を出して笑い出しそうになって、桜内は慌ててその光景から目を逸らし た。 「どうしたんです?」 それを不審に思ってか、子供の仕種で下村が膝を付いたままこちらに這い寄ろうとするので、桜内はまた咄嗟に坂井 を見た。するとまたしてもそこに有り得ないような感情の表出を発見して、どうやらこれは自分の勘違いではないようだ と思うと同時に、妙に納得してしまった。 ああ、坂井は下村が欲しいのだ。 自分の前では有り得ない仕種に、驚愕し、嫉妬している坂井の横顔に桜内はそう結論付けた。 その証拠に、そのまま桜内の元まで這い寄ろうとする下村の腕を、坂井ががちりと引きとめた。 「?なんだ?」 四足の姿勢のまま、下村は不思議そうに振り返った。坂井の顔に、ちらりと複雑な表情が浮かんでは消える。 「・・・お前、飲みすぎじゃねえの?」 桜内の元まで来るのを諦めた下村が、姿勢を戻して胡坐をかくのに、坂井が足元に転がっている四合瓶のラベルを 見ながら呟いた。不機嫌な声が、低く掠れている。 「そんなには、飲んでねえよ」 拗ねたような下村は、桜内から見ても確かにいつもより酔っている。坂井は大分タイミングの悪い時に来たとしか言い 様がなかった。 いや、ある意味よかったのか。 「嘘付け。酔ってる」 「酔ってねえよ」 「酔ってるだろ」 「・・・下らねえ事を言う口は、この口か」 「あたた」 「まあまあ、お二人さん」 憤慨して坂井の頬を引っ張るのを後ろから諌めて、桜内は笑いたいのを必死で堪えながら坂井の頭をぽんっと叩い た。 「折角の酒が台無しになるぜ?無粋な言い争いは後にしろよ」 下村がそれに頷き、坂井は憮然とした表情を浮かべた。その横のソファに腰を落として、正面の少し見下ろす格好に なった下村のカップに酒を注いでやった。 「ドク、あんまり飲ませちゃ・・・」 「うっさいぞ。お前」 「下村」 咎める様に坂井が呼ばわった。下村は疎ましそうに眉を顰めてぷいと顔を逸らす。 「・・・もう、知らねえぞ」 暫くそうしてじっと下村を見つめていたが、坂井も呆れたようにぷいっと目を逸らした。 下村はそれに顔を戻して不可解そうな表情を浮かべたが、それも一瞬で直ぐに手元のカップに視線を落としていた。 それだけで二人の今の関係が十分に理解出来て、もう可笑しくて可笑しくて桜内は堪える腹筋が今にも弾けるのでは ないかと要らぬ心配で心を病みながら、これはいい酒の肴が向こうから飛び込んで来たものだと喜んだ。 終 ドクのサカシモ観察日記風。 ぜひ観察記録を見せていただきたい。 |