星の川を渡って



















 風に攫われた髪が、忙しなく夜空に舞った。
 それをぼんやりと座った姿勢から見上げながら、ゾロはずっと遠くの方から聞こえてくるにぎやかな音楽を聞いた。
 サンジは何も言わない。背後から受ける風のせいで騒ぐ金の髪はその顔を巧みに隠し、覚束ない港の明かりと月だ
けが漸くその輪郭だけを露にした。
 空を見上げれば、満天の星空。
 小さいけれど美しい街は、その荘厳な星達を称える宴が開かれている。









 メリー号が目的の島に入港した時、港は既に夕闇を向かえ、色とりどりの美しい照明や飾りが星空の中煌々と映し出
されていた。
 そこで初めて今夜がこの島国において大切な宴の夜であると知った。道理で観光島というわけでも、特別大きな港と
いうわけでもないのに大小入り混じる華やかな船が接岸していると思った。皆今夜の祭り目当てに見物に来た客達だ
った。







 七夕祭。
 今夜、空には星が敷き詰められる。







 先程までその七夕の由来を話していたのはゾロだった。
 サンジはその説話を知らない言う。ゾロ自身、まさか故郷を遠く離れたこんな小さな島国で、同じような由来に基づく
祭りがあるなどとは驚きだった。そのせいなのか、何時になく饒舌になる自分を不思議に思いながら、ゾロは織姫と彦
星の説話を聞かせてやった。
 サンジはそれを珍しく興味深そうに聞きながら、それでもいつもの軽口はそのままに小さなツッコミやチャチャをいれ
ながら話は穏やかに進んでいた。何かといえば言い争いや殴り合いに発展しやすい二人が珍しく何事もなく時を過ごし
た。
「でもよ、そのテンテイ?とか言うおっさんも随分勝手なヤツだよな」
 サンジはだらしなく足を伸ばして柵に背を預けてタバコをふかした。島の中心から吹き降ろす風に煽られ、煙はすぐに
掻き消える。リラックスした崩れた格好は、ナミが他の者達を連れ立って船を降りてしまったせいだろう。船番を仰せつ
かったサンジは暇を持て余したのか、こちらは船番でもないのに寝ていて置いてきぼりを喰らったゾロの元へ自然に引
き寄せられて来ていた。
「天帝。まあ、権力者ってのは何時の時代も自分勝手なもんなんだろうよ」
 よく分からないが、兎に角祝いの夜なのだろうと、サンジは本当に珍しく数本の酒瓶をゾロに提供してくれた。島で食
料の補給が出来るからということもあったが、サンジはその辺に関してはかなりシビアで、幾ら陸に付けていても食料
管理は怠らず無駄遣いは許さない。ゾロとしてはそういったサンジの料理人のプライドみたいなものが、嫌いではなか
った。
「でもなあ、好きな相手と年に一度しか会えねぇっつーのは、かなり寂しいよな」
「まあ、そうだろうな」
 習うようにサンジと似た様な格好で壁にもたれてだらりと手足を投げ出しながら、ゾロはなんとなくゆっくりとしたペース
で酒を飲んだ。山の風は海風と違って塩気がなく、さらりと頬に心地よい。流石に眠くはないがただ心地よくてゾロは目
を細めた。
「でもよ、彦星も意気地がねぇから悪い」
「意気地?」
「そ。そんな一年に一度の逢瀬を待ち望んでるくらいだったら、川なんか泳いで渡って会いに行けばいいのによ」
「・・・・・・」
 同意にしろ反発にしろ何かしらの反応があって然るべきだと思っていたサンジから何の反応も返らず、ゾロは訝って
横を見ると、サンジはあんぐりと口をあけてこちらを見ていた。
「?なんだよ」
 平素色々な表情を見てはいたが、そのどれとも違うような表情だった。おかしなことでも言っただろうかと自分のセリ
フを反芻するが、よく分からない。
「いや・・・お前がそんこというなんて一寸意外っつーか・・・」
「ああ。なるほど」
 確かに、どちらかというとそれはサンジの領分だ。しかし子供の頃からその話を聞く度にそう思っていたのは事実だっ
た。
「・・・でも、その通りかもな」
 反発を見せることが多いといっても、そういつもサンジがゾロに突っかかってくるばかりではない。こうして同意を示す
ことだってある。しかし何故か消極的な返答はゾロの思っていたサンジ像とは幾分違って見えた。
「へえ。恋愛沙汰には積極的なお前が、随分と大人しいこと言うんだな」
 ゾロとしてはどうしたってサンジはそんな風に映る。からかいと言うよりはそれこそ意外でそう言うと、サンジは不服そ
うに口を尖らせた。
「一体どんなんだよ俺は・・・それに消極的にならざるえない時もあるのが恋愛ってもんじゃねぇの?」 
 こういう話題でサンジがゾロに問いかけるなど、まさに青天の霹靂だった。ゾロはぱちくりと目を瞬かせてサンジを見
た。しかしそこはかとなくこちらの反応を窺っているのに気づいてどうやらこちらもからかっている訳でないのが分かっ
た。見返された目は、どこか真剣ささえ漂わせている。
「・・・俺にはよく分からないが、消極的に出てもいいことなんてないんじゃねぇのか?たとえば川とか・・・そういう障害っつ
ーのはそう思うから足枷になるんであって・・・って、何言ってんだおりゃ」
「そう思うから・・・?」
 こんなこと、柄じゃない。大体なんでサンジとこんな話をしているだ。段々と恥ずかしくなって顔が赤くなってはいないか
と頬を擦った。しかし当のサンジはそんなことなど気にする様子もなく、ブツブツと何事か繰り返している。それを横目に
ゾロは誤魔化すように酒瓶を引き寄せた。
 しかし、伸ばした腕を横から突然掴まれ引き止められて、ゾロは驚いてサンジを振り返った。
「おい・・・?」
「ゾロ」
 ゾロの顰めた顔などものともせず、サンジはますます強く腕を掴んでは名を呼ぶ。どうしたのだろうかとゾロは渋々伸
ばしかけていた腕から力を抜いてサンジの次の言葉を待った。しかしサンジはじっとこちらを見るばかりで何も言おうと
しない。ゾロは焦れて余計に眉を顰めた。 
「おい。手ぇはな・・・」
「今の、本当か?」
 遮るように言うサンジの様子がおかしい事にゾロは漸く気づいた。掴んでいる指先が細かに震えている。
「今のって・・・何が」
「恋愛に足枷はねぇって」
「あ?ああ。つまり気の持ちようだろ?」
 一体どうしてサンジがこんな風になっているのかさっぱり分からず、ゾロは取りあえずサンジの質問に答えた。
 何かとんでもないことでも自分は言っているのだろうか。ますます様子のおかしくなり始めたサンジに不安が募る。チ
ョッパーはみんなと出かけてしまって居ないし、どこに居るかも分からないのに探し出すのは不可能だ。第一こんな状
態のサンジを一人で放って行くのも忍びない。
 目の前のサンジの顔は段々と色を失くし夜目にはっきり分かるほどに蒼白だった。
「おい、お前どっか具合悪いのか?顔色が・・・」
 悪い、と言おうとして、ゾロはそれを断念しなければならなかった。
 言おうとした口を、塞がれたから。
 サンジの唇で。
 驚いて咄嗟に力を込めた腕は思うように動かず、それがサンジに既に掴まれているのだということに漸く気づく。思う
以上に混乱している自身に余計に混乱を深めてゾロは咄嗟に目を瞑った。サンジの目を見ていられない。どうしてそう
思うかは分からなかったが、兎に角見ては居られなかったのだ。
 闇の中でさえ鮮やかな光を放つ、海の青。深い光沢を持つ光の集まりが余りにも強くゾロを貫いて瞑らずには居れな
かった。
「ゾロ・・・」
 サンジの声に、ゾロは初めて開放された事に気が付いた。途端に開いた目の先には、余りにも間近にサンジが居て
驚く。しかし戸惑いながらもゾロは視線を逸らせずその目を見返した。
 咄嗟の糾弾も非難の言葉も喉に詰まった。
 サンジの目に心ならずも見惚れてしまった。
「俺はもう、消極的になるのは止めた」
「・・・は?」
 視線をしっかりとあわせたまま、サンジは至極真剣な表情を崩さずそう言い切った。
 意味が分からず間抜けな返事を返すが、サンジが怯んだ様子は微塵もない。
 それどころかますます顔色は死人に近いのに、目ばかりがぎらぎらとそれを裏切っている。
 掴まれた指先は何かの発作のように震えが激しい。
「お前が、そう言ったんだからな」
「何が・・・」
 問いかけ様にもサンジは突然立ち上がり、ゾロとの間に距離を置いた。お陰で漸く見えていた表情も顔色も闇に紛れ
て輪郭が漸く分かる程度になってしまった。
 それを自分がされたことも忘れてぼんやりと見上げる。風に紛れた祭りの賑わいが耳を打ったが、それ以上に大きな
自分の鼓動に邪魔されてそれどころではなかった。
「俺は、お前が、好きだ」
 ・・・そのセリフは、どこかで聞き覚えがあった。
 同じ声、同じセリフ。
 しかしどこで聞いたのかをゾロは上手く思い出せなかった。
「てめぇの為なら、星の川でも渡ってやるよ」
 そんなことを言うのに、サンジの声は酷く頼りない。何故かゾロはサンジが今にも倒れるのではないかとそればかりが
気がかりで、事実とんでもないことを言われているのに、それどころではなかった。
 しかし少しの間を置いて漸く言葉が脳に届く。ゾロはぽかんと口を開けてサンジを見上げた。
「・・・俺は織姫じゃねぇぞ」
「当たり前だ。そんなゴツイ姫が居るか」
 ケッとタバコを船外に投げ捨ててサンジが憎まれ口を叩いてくる。それにゾロはほっとして、だから、それどころじゃね
ぇだろうと自分を叱咤した。
「気は確かか?」
「これ以上ないくらい、確かだ」
「・・・ノリか」
「ふざけんな。ノリで男に告れるなら、首吊って死んだほうがましだ」
「・・・なんで」
「さぁ?そんな事、知るか」
 理屈じゃねぇな。とサンジは自分勝手に頷いて納得している。
 ゾロはゾロで、本当は色々言いたいことはあるのだが、何しろ想像を絶する事態に遭遇して、考える頭が完全にスト
を起こしていた。
 一寸待て、こいつは女好きのはずじゃぁ・・・
 酔ってる?って訳でもねぇ。
 そもそも俺は殴るくらいの権利はあるんじゃ・・・
 いや、その前に何か言わないとダメなのか?
 ぐるぐると頭の中を駆け巡っては難題を吹っ掛けてくる小さな思考の断片が浮かんでは消えていく。どこから処理を始
めていいのから分からず、ゾロは迷路に入り込む一方の回路を打ち切る事に決定した。
「・・・分かった」
「は?」
 きっぱりと言い切ったゾロのセリフに、サンジは気の抜けたような声を出した。しかし気配は緊張に包まれている。思
うほどサンジに余裕がない事に気づいたが、しかし自分の方こそ余裕などありはしないのだと咄嗟にキレそうになるの
をぐっと堪えた。
 今何事か言い募る場面になったら、恐らく自分はとんでもないことを口走る自信がある。
「祭りに行こう」
「はぁ?!」
「ほら、行くぞ!」
「ちょっ待てよ、船番は・・・」
「下を見ろ」
「え?」
 立ち上がって柵に手を掛けたゾロの視線の先に、サンジが習って視線を投げた。そこには両手にとんでもなく大量の
荷物を持たされた人影三つと、軽やかな足取りで先頭を歩く人影がこちらに向かっているのが見えた。
「・・・ナミさん」
「御役御免だな」
 ほら、と笑いながら振り返る。サンジは驚いたようにゾロを見返し、直ぐに嬉しそうに目元を緩めた。
「それは、デートの誘いか?」
「あほか」
「あっ待てよ!」
 言い捨てて、ゾロはさっさと縁を乗り越えそのまま港に飛び降りた。慌ててサンジも付いてくる。
 それをちらりと横目で見る。
 言いたいことは山ほどある。でも、言わないで居ようと決めたこともあった。










 たとえば空の煌く星よりも、お前の目に見惚れたことを。




























end


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七夕サンゾロ。
イベントは萌え心を的確にくすぐります。
そんでもって何気に「seed」の続きでした。