night and day










 そっと触れた指先が無様な程細かに震えた。
 それを知っていながら下村の指は戸惑うことを知らず、そのまま柔らかく手を手を握ってそっとくちづけた。
「自分を責める桜内さんなんて、見たくない。あんたはいつも不遜な顔でそっくり返って笑っていてくれよ」
 そんな風な触れ合いや、優しい眼差し、飾り気のない言葉一つ。全てが労わり、慰め、勇気付けるのだった。
 そして、それは残酷なまでに注がれ、しかし特別ではありえなかった。
「残酷だ。お前は」
 俺のものにはなりえない。空しいだけの温もりだ。
 握られたままの指を握り返し、ぎゅうっと力を込めた。
 下村はそれを黙って見つめている。多少なりとも痛みを感じていないわけもないのに、その目は穏やかだった。
「残酷だ」
 目を閉じ、苦笑した。

 後に思う。

 この瞬間から全ての痛みを負った傷は全て癒され、遠ざけられた。
 それは今まで誰一人として成しえず、また自身もそれを望んではいないことだった。
 ――――そう思っていた、だけなのだと。
 
 いつでも癒され、慰められ、ただ救われること、満たされることを渇望していた。
 けれど自身の内にあるいわれのない罪悪感や恐れ、陰鬱な自己への陶酔がそれを許さず、それは結果として湾曲し
た近親者への憎悪や嫌悪、果ては自身への否定へ繋がった。
 
 それが、こんな微かな温もりや拙い言葉、飾り気のない眼差しで驚くほど従順に解かされた。

 これは、途方もない「救済」であったと。
 
「下村。俺と寝ないか?」
 逆に、かしずくようにその指先にくちづける。
 往生際の悪い軽い口調で言ったところで、真意は容易に知れただろう。
 見上げた先の下村の目は、静謐に満ちていた。
 入り込む余地のはいほど緊張され尽くした心臓が痛い。
 耳元の鼓動は驚くべき速さで鐘を打ち鳴らした。

 ゆっくりと、その瞳が瞬かれる。

 余りの静けさにその音さえも響くようだ。
 そうして淡い仕種で打ち振るわれた下村の首は、無言のままの否定を返した。
「どうしても?」
 こんな縋る言葉などあり得ない。
 下村が困ったように微笑んだ。
「・・・そうか」
 下村の中に既に根付いた感情は知れていた。
 本人の自覚も怪しいことではあったが、それでもそれは確実に己のものではなかった。
「―――残念だ」
 本当はどうしても体を繋げたいわけではない。 
 ただ、この心地よさをもう少し強く確かに感じたかっただけだった。
「グラスを」
 溶けた氷に憐れに濡れそぼったグラスに手を伸ばされた。
 言われるままに差し出すと、下村は救い上げるようにグラスを攫った。
「俺は、そういう風にはなれないけれど」
 グラスにスコッチを注ぎながら、下村はじっと手元を見たまま呟いた。
「あんたが苦しいというのなら、傍に居てやりたいと思わない訳じゃないんだ」
 差し出されたグラスを受け取り、顔を見上げると真っ直ぐに下村がこちらを見ていた。
「それだけだよ」
「・・・そうか」
 それが、下村の精一杯の気持ちならば。
 今はそれで、構わない。
「じゃあ、傍に居てくれよ」
 







 それだけで、構わないから。














end