うその日



















「おめでとう。」
 ゾロはにっこりと微笑み、もう一度繰り返した。
「誕生日おめでとう。」
 後にナミは記述する、その時のサンジの顔は、盆と正月と暮れが世界の終わりに来た時のような表情であった、と。
 しかし後から読み返し、言葉尻のおかしさに当時の自分も随分と動揺していたのがうかがえる。
 とりもなおさず、その日の航海日誌は以下の出だしで綴られたていた。





天候 概ね晴 
 航路は春島の影響を受けいているのか、気温は穏やかで風は順風、追い風を受けた帆が風を孕んで前進を続け
る。
本日は恒例の宴会があり、その準備で朝から騒がしい。幸いにして天候が良いため準備は滞りなく進行。
 本日の主役はウソップ。
 今日は彼の誕生日だ。






「ありがとう!諸君の心遣いに感謝する!」
 掲げた祝杯を振り回し、悦に入って演説をしているウソップは、感極まって今にも泣きそうな具合だったが、それを聞
いている者は皆無に近かった。それというのも彼の本日の祝辞は両手でも数え切れないほどの回数を数えており、そ
れに酔いも手伝って既に本人も何を言っているのか分かったものではなかったからだ。その上周りの者の様子たるや
ウソップの生誕祝いにかこつけて、肉を詰め込んだ口を無理やりふさいで飲み込む者、ここぞとばかりに酒を流し込む
もの、酔いをダシに賭けを持ちかけて身包みはがそうとするもの等、有象無象で溢れていた。と、言っても少数精鋭の
海賊船である。騒ぎにも限度があったが、それでもその中で際立って騒がしい人物の不在で、少なくとも今のところは
誰も蹴り飛ばされていない点で幾分宴は上品であったかも知れない。
「おーい、サンジ。そんな隅っこで何してんだー?」
 両手に骨のついた肉を抱え、その上テーブル上の皿に盛られた肉を誰にも取られないように貪欲にガードしながら叫
んだルフィに、しかし返される言葉はなかった。ただ無言の抗議を続ける背中に、「なんだ?どうした?」と隣のチョッパ
ーに問いかけながらも咀嚼の口は止まらない。それに習ってこちらも負けじと咀嚼を繰り返しながら、「さあ?」と首を傾
げる姿は愛らしい。とにかく心の機微に未熟な二人が検討しあっても行き着けない(他の者に言わせればアホの)高み
にいるサンジの心情が分かるわけもなかった。
 このコックがこの様な状態になる事の発端は、ほんの数時間前のほんの一言から始まった。







「それでは、我らが偉大なる狙撃主殿の生誕を祝って!」
『かんぱーい!』
 掛け声とともに、木で出来たカップのぶつかる音が声高に重なって祝宴は始まった。
 この船に乗るようになってから、生誕祝いの宴は初めてのことではなく、勝手知ったるなんとやらといった具合でいつ
も素っ気無く整えられたキッチンも、赤や黄色、何やらヒラヒラとしたレースでここぞとばかりに飾り立てられていた。そ
れを尻目に連なる祝福の声を聞きながら、ちょっと照れたように返事を返してウソップは嬉しそうに笑っている。それを
また楽しそうに皆でからかいながら眺めては、笑って誰もが心から彼の生誕を祝った。
 その様にして宴は笑いと暖かな空気とで中盤へとなだれ込んだ。
 酔いは後から後から継ぎ足される酒に促されるままに進み、酒にはめっぽう強いはずのナミでさえ発熱したかのよう
な赤ら顔で楽しそうに笑っている。その隣では彼女と唯一酒量で張り合うことの出来るゾロが、やはりこちらも楽しそう
に皆と酒を飲み交わしていた。
「ね、ね、ゾロ!ちゃんとウソップにおめでとう言ったの?!」
 酒の力を借りると(自称)か弱い乙女の腕力にも力がこもるというものだ。その勢いのままに背中をバシバシと叩きな
がら、隣でルフィの手元から何とか枝豆を引き摺り出して口にほうりこもうとしていたゾロに問いかけた。
「あっ…ああ?」
 危うく口から転げ落ちそうになった豆を手で受け止めて、どうにも間抜けな格好のまま、ゾロはナミを振り仰いだ。そ
の声の調子といい、不機嫌そうな目許といい、素人さんなら速攻そのまま海へ飛び込んででも逃げそうな顔にもびくとも
せず、ナミはまるで女友達にでもするかの様に、ゾロの肩を抱え込んでは秘密の話でもするように顔を近づけた。
「はいはい、お兄さん。祝い事に言葉はつき物でしょー?大切なクルーの一大事?に言葉の一つや二つ投げてやって
も、腕は鈍りはしなくってよ?」
 まるで嫌な勧誘員の様な口ぶりに、ゾロは眉を顰めるものの確かにそれも一理あるのかと黙っていた。
「それにしても4月1日なんて、出来すぎで笑っちゃうわよね!」
「…出来すぎって?」
 そのまま沈黙を守って早く開放されたいと思うものの、疑問をそのままにはしておけず、ゾロはナミに問い返した。言
っている意味が良く分からない。
「だから、今日はエイプリールフールでしょ?…って、もしかして、知らないの?」
 途中まで答えて、どうやらゾロの聞きたい方向性を理解したナミが、確かめるようにゾロを振り仰いだ。どうやら誰でも
知っていることを自分が知らないらしいことに気がついて、バツが悪いとは思うものの、矢張り分からないものは仕方が
ない。ゾロはきっぱりと頷いた。
「えーとね、エイプリールフールって言うのは、4月ばかって言われてて、一般的にウソをついてもいい日ってことで知ら
れてるの。」
 しかしてっきり笑うかと思っていたナミはごく自然な様子でそう返した。
「…ウソついてもいい日…。」
「まー、ホントにウソつく人はいないけどね!」
「…。」
 朗らかにそう言ってナミは楽しそうに笑ったが、ゾロはその後半部分を見事に聞いていないようだった。しかし相当に
酔っているナミがそれに気がつくことはなかった。
「まあ、それはいいとして、とにかくちゃんと言わないとね!」
 言葉って大切よ、とナミはゾロに笑った。
 ゾロがあまり自分の思っていることを言葉にするのが得意でないのは、ナミにもよく分かっていた。それでもこんな日く
らいは言葉に出してもいい思うのだ。
 だって、一年に一度の特別な日なのだから。
 楽しそうに言い募るナミの言葉が不意にゾロの耳に入ってきた。確かに自分の生誕祝いの席ではなんだか長々と祝
辞を述べていたのはウソップだった。彼にとって言葉とは非常に重要な役割を持っている。それはゾロにも分かってい
た。
「ウソーップ!」
 沈黙を守ったゾロに気をよくしたのか、飛び跳ねるようにナミは立ち上がると、その勢いでぶんぶんとすぐ近くにいる
ウソップに手を振り上げた。
「なんだー?」
 つい今ほどまで祝辞を述べていたのも忘れて、ウソップが振り返った。こちらも負けず劣らずサルのような赤ら顔だ。
「ちょっとこっち、来なさいって!」
 うっしゃっしゃ、と不穏な笑いを漏らすナミに、多少警戒したのかウソップは中々近づこうとはしなかったが、しかしそ
れも持続せずやや千鳥足で座る二人の真ん中へ背後から近づいた。
「なんだよー?」
 今一呂律の回っていない口調で、再度問い返す。ナミはまーまー、と言ってウソップの手持ちの杯へ酒を注ぎ足し、ゾ
ロをちらりと見やった。そこまでお膳立てされては流石のゾロも今更抵抗も出来ず、そういえば確かにきちんと言ってい
なかったのだしと、自分の時に彼からもらった言葉をそのまま返すように斜め左の後ろに立ったウソップの顔を見上
げ、笑った。
「おめでとう。」
 ゾロはにっこりと微笑み、もう一度繰り返した。
「誕生日おめでとう。」
 そのウソップの背後に、サンジが居たことに気づいたのは、ナミだけだった。
 ナミだけが、サンジの「この世の終わり」を見た。
 そしてその様子は、前述の通りである。













「だから、なんでお前は拗ねてるわけ?」
「……。」
「おい、何とか言えよ。」
 一向に返らない返事にゾロはため息を漏らした。
 辺りには宴の後の惨憺たる惨状が広がり、普段のサンジであればそんな状態のキッチンを放っておくわけもなかった
が、どういう訳か当のサンジは膝を抱えて椅子に座り込み、向かいに座るゾロには体の左側面を向け、その上俯いて
顔を隠してしまっている。その様子にゾロはもう一度ため息をついて頬杖をついた。
「……じゃあ、俺は寝るぞ?」
 宴会が山場を超え、酔いに潰されたウソップやルフィ、チョッパーを部屋へ投げ込み、流石にへたり込みそうになって
いるナミを部屋まで送って、さてあの惨状の後始末の手伝いをしようとキッチンに戻ってきたゾロを待ち構えていたの
は、今と寸分たがわぬ格好でこうして座っているサンジだった。その時からサンジはゾロが何を問いかけてもうんともす
んとも言わず、どうかしたのだろうかと最初は心配していたゾロも、どうやらサンジが何か自分に訴える為にこうしてい
るのだということが分かり、だからと言って矢張り何も言わないサンジ相手に口下手のゾロが何かを器用に聞きだせる
わけもなく今に至っていた。
 そうして何を言っても反応を返そうとしないサンジに、ゾロはもう一度確かめるようにため息をついて席を立とうとテー
ブルに両手を付いた。その時。
「―――…だよ?」
「え?」
 小さく呟かれたサンジの言葉は上手くゾロに届かない。聞き取ろうとゾロはテーブルに身を乗り出すように顔を近づけ
た。
 すると突然、サンジはゾロを振り返った。
「なんで!簡単にウソップには言うんだよ?!」
「……は?」
 サンジの言葉はゾロに届いた。しかし今度はその意味が上手く届かない。
 目を丸くして驚いているゾロに、サンジは椅子を蹴倒す勢いで立ち上がり、畳み掛ける様に言い募った。
「俺ん時は全然!そんな事一言も言ってくんねぇくせに、どうしてウソップには簡単に言うんだよ?? 俺は、お前がっ」
 息を詰らせる勢いでサンジは言葉を切って、また突然に力が抜けたように椅子にすとんと座りこんだ。
「…俺はお前が、そういうの言ったりすんの苦手だから、無理に言わせようとしなかったし…しょうがねぇと思ってたけど
…あんな風にすんなり言われたら…」
 何にも言ってもらえねぇ俺は、どんなに嫌われてんのかと思うだろ。
 最後の方は、儚く消える泡のように小さな言葉になってしまった。言っている途中で、なんだか虚しくなってしまったの
だ。こんな事を言っても、ゾロには呆れられるだけなのだ。そんな事は分かってた。それでも言ってしまう自分が馬鹿ら
しくて、情けなくて、いちいちこんな事で傷ついているのが嫌だった。
 いくら自分がこんな風にヘコんでいても、ゾロにはどうでもいいことなのだ。
 テーブルに額が付く勢いで俯いてしまったサンジの旋毛を見ながら、なんとなくサンジの言いたいことが分かって、ゾ
ロは今度はサンジには気づかれないように小さく息を吐いた。その口元を微笑みに模りながら。
「サンジ。」
 ビクンッとサンジの肩が揺れた。
「こっち向けよ、おい。」
 ポンっと頭をたたかれる。その手が優しくて、サンジは引かれるように顔を上げた。
 そこには、頭の中に思い描いていた馬鹿にした呆れ顔ではなく、目許を柔らかく微笑みに模った優しい顔だった。
「俺は、お前が欲しがってる様な言葉は上手く出てこねぇ。それはお前にも分かっていると思ってた。」
 目の前に座って、正面からまっすぐに見つめてくるゾロの目が、小さく細められた。それがなんだか哀しそうに見え
て、サンジはずきんと胸が痛むのが分かった。
「…すまなかった。」
 ゾロは、素直に頭を下げた。まさかゾロがそんな風な態度を取ると思っていなかったサンジは慌てふためいた。
「ゾ、ゾロ!もう、イイよ!俺、馬鹿みたいに…嫉妬して…。俺はどうしたってお前の特別にはなれねぇんだなって…。特
別難しくもない言葉一つもらえねぇんかなと思って…」
「なっ!」
 だんだんと弱くなる言葉と共にうな垂れるサンジに、ゾロは驚いたように声を荒げた。
「何言ってんだよ!特別なヤツの、特別な日に言う言葉が、特別じゃないわけねぇだろ!だから俺は言えなくてっ」
 そこまで言って、ゾロはハッとしたように口を噤んだ。それでも、それだけでサンジはゾロの言いたい事が分かって、
段々と緩んでくる頬を止められなかった。
「ゾロ…それって…」
 俺が特別だっていうこと?
 真っ赤になって黙ってしまったゾロは横を向いてしまったけれど、サンジにはそれがただの照れ隠しと分かっているか
ら嬉しくて、ますますゾロが愛しくて堪らなくなってしまた。
「・・・今日、何の日か知ってるか?」
「え?」
 その、そっぽを向いてしまった可愛い人に手を伸ばそうとして、思いがけず言葉を発したゾロに手を止めた。いつもで
あればこんな風になってしまったゾロが自分から話を始める事は今まで一度もなかったのだ。
「ウソップの誕生日?」
「違う。そうだけど、違う。」
 思いつくことを言っても、ゾロに即座に否定されてしまった。
 何かあっただろうか?今日?…4月1日。4月…?
「あ、もしかして…」
 イベントごとや年中行事にはとことん鈍いゾロである。まさかと思いながらゾロに問いかける。 驚いた事に、ゾロは素
直に頷いた。
「俺は、上手く言葉にできねぇ。ずるいのは分かってる。でも、どうしても言えねぇんだ。でも、今日みたいな日なら…そう
いう風になら、言えると思う。だから…」
 今度は下を向いたまま話すゾロの声は小さい上に、テーブルにこもって酷く聞き取り難かったけれど。
 ゾロが、ゆっくりと顔を上げた。その顔は真っ赤で、多分見られたくないに違いないのに、それでもその目をまっすぐ
にサンジへ向けて、怯むことなく手を伸ばした。
「俺はてめぇが、世界で一番大嫌いだ。」
 その手はそのままサンジの肩を巡り、優しい仕種で引き寄せられた。吐息の触れる先にある目は柔らかく潤み、零れ
落ちそうなほどに雫を湛えている。それに胸を詰らせながら、サンジは愛しさに目が眩みそうだった。
「お前だけが、俺の特別なんかじゃねぇ…」
 ゆっくりと重ねられた唇から紡がれる言葉は、これ以上ないほどに甘やかに口の中に溶けた。




























end


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ウソプーの誕生日に書いたメルマガでした。
ウソは本当にいい男だよな。