だって、泣きそうなんだよ。 そう言ったら目の前で盛大に困惑された。 当然だ。 いきなり何の前触れもなしに、目の前で「泣くぞ」と宣言されたら誰だって驚く。 その上、言った方が男なら、言われ方も同じく男。 どちらかが女ならまだ話は分かるが、これでは合点がいかない。 困惑は道理だ。 しかし理性はそう言うのに、どうしたって気持ちは哀しいのだ。 危うく項垂れそうになって、でも流石にそこまでは出来なくてどうにか顔を上げることには成功した。 それでも目が潤む。鼻の奥は痛い。良くない前兆だ。 「なんで・・・」 絶句気味に問われて、それこそこちらが絶句したい。 今更「なんで」なんて、こっちが言いたい。 でもやっぱり、こちらがどうにも押し付けた負い目がある分、言えるわけもなく、それ以上何を言われても最早泣きそ うにしかならないので、こちらも黙ってじっと目を見た。 そうすると相手は居心地が悪いらしくて、瞬く振りで目を逸らした。それが余計に哀しさを煽って、鼻の奥の痛みはもう どうにも限界を超えそうで、恐ろしい。 本当に泣いたりしたら、逃げられる。それくらいの自覚はあった。 でも、だって、泣きそうなんだよ。 胸の中だけで呟いて、思わず零れそうになった言葉は唇を噛んで誤魔化した。 もう一度言っても逃げられそうだ。 だってもう、ほら、手がソワソワと落ち着かず、足は今にも跳ね起きそうだ。 そんな一々の動作さえもう分かっているのに、それなのに今更なのに。 ゾロのすげない一言で、馬鹿みたいに泣きそうになってる自分が居る。 サンジはもう俯いたら終わりだと思う反面、これ以上向かい合っているとそれこそ終わりだと思って煩悶する。 相反して相容れない思考は、闇だ。 ついでに辺りはもっと闇だ。 自分の思考に呆れて、サンジは危うく噴出しそうになり、だってこんなことでも考えていないと、切羽詰った金切り声で も上げそうでもう限界だった。 ゾロは相変わらず絶句したままだ。 ゾロから甘い言葉を引き出そうとしたわけじゃない。そうじゃなくて、ただちょっとした、愛の再確認のようなものを酔っ た勢いでしたくなっただけだ。 それなのにゾロときたらトンと疎い。疎いというか鈍い。鈍いというかずるい。 結局全部をサンジに言わせようとするのだ。 それを天然とか無意識とか、無邪気とか可愛いとか。思うことは簡単なのだけれど、同じ歳の男なのだからちょっとは 同じような気の利かせ方を望んで何が悪い?いや悪くない。 どうにか言い訳の方向性を正当化しようと懸命に自分を叱咤する。 頭の中でグルグルと考え込むのは結構得意だ。 それが良くないという自覚も多分にあったが。 「あんたが冷てぇから。あんたに冷たくされると、俺ぁ泣きたくなるんだよ」 今度もし「なんで?」なんて言ったら蹴り飛ばす。涙の代わりに鼻の奥に水が溜まる感触がして気持ち悪い。今下を向 いたら、泣くより始末が悪いことになりそうだった。 「・・・俺がお前を泣かすのか」 ちょっと呆然とした感じでゾロが呟いた。 それ以外に何がある。やっぱり分かっていないゾロに、がっくりと肩は落ちた。 「あんただけが俺を泣かすんだ。他のヤツなら、蹴り殺す」 ダメだった。今度こそ顔は下を向いてしまった。 これ以上上を向いている気力が無い。 両手を突いた甲板に、月明かりにはっきりと自分の姿が映るのを見た。少し前方には胡坐をかいたゾロの影と膝が 見える。 もうここまで来たら、その膝にでも泣いて縋って鼻水でもつけてやろうか。 頭を掠めたやけっぱちな考えに、いや待て、それではそれこそ引かれてしまうと改める。 それだけは嫌だ。ゾロが居なくなるなんて。 グルグルと考え込むのは悪い癖だが、大得意だ。 ゾロの動かない膝や十五夜にくっきりとした影だけを慰みに鼻をすする。これではもう泣いているのと同義だ。 やっぱり俯いたら終わりだった。そろそろ折り合いをつけて、ゾロを安心させないと。 好きだ好きだ。お前が好きだ。何度だって言ってやる。俺はお前が好きなんだ。 ・・・だから、仕方が無いから、お前の分まで俺が言っておいてやるよ。 それを聞いたゾロは、きっと傲慢だと怒るだろう。でも本当はほっとするだろう。 そんなゾロを見るのは辛いけど、でもやっぱりゾロが居なくなる位なら、そんな痛みは大した痛みではないんだと思っ とけ。 決心して、さあ、顔を上げようかと肩に力を込めた時。 不意に、頭をゾロに掴まれた。 「ゾ、ゾロ・・・?」 「俺はな、サンジ」 掴むというより、押さえつけられているというのが正しいかもしれない。お陰で顔が上げられない。 出鼻を挫かれて、サンジは大人しくゾロの言葉を待った。 「月見酒が好きだ」 「・・・ああ。知ってる」 月の綺麗な夜は、必ずゾロは甲板で酒を飲む。もちろんサンジは隣でゾロを眺めて酒を飲む。 「キラキラしててよ、なんかふんわりしてて。体になんか粉でも掛けたみてぇになっててよ」 頭に押さえていたゾロの手が、柔らかく力を抜いたのが分かった。でもそのままその手は離れず、ゆっくりと髪を撫で て、遊ぶように時々梳いた。それがあんまり気持ちよく、サンジはうっとりと目を細めた。 「お前みてぇだなって、何時も思う」 俺・・・? びっくりして、顔を上げる。途端にゾロと目が合った。 「月は空に、お前は隣に。申し分ねぇな」 「ゾロ・・・」 柔らかく髪を撫でていた手が、ゆっくりと耳元を辿って、頬に触れた。そのまま包み込むように留められたゾロの手が 暖かい。 「なんだよ・・・結局泣くんじゃねぇか」 「うるせぇ、泣いてなんかねぇよ」 拭われて、初めて自分が何時の間に泣いている事に気が付いた。 ゾロはやっぱり盛大に困惑して、でも離れたりなんかせずに、ちゃんとこちらの方を見た。 「お前、さっぱり分からん」 「俺だってお前のこと、分からねーよ」 でも、好きだ。お前が馬鹿でも天然でもずるくても。 だって、こんな風に急に言ったりするから。 急に喜ばすようなこと、言ったりするから。 「だからさ」 ゾロが、困惑したままの顔で、ちょっと言いよどむ。 何か言いづらいことかと、咄嗟に過去の経験からサンジは身構えた。 「分かんねーのに、一緒に居るには意味があるってことだろ」 そう言って、ふわりとゾロが微笑んだ。自嘲気味な笑みだった。 それがどうしようもなくゾロの気持ちを真っ直ぐに伝えて、サンジは途端に感極まってゾロに抱きついた。 「ゾロっ!」 「わあっ?」 勢いとサンジの体重に任せて、ゾロが後ろに倒れこんだ。当然サンジはその上に伸し掛かる恰好になったが、サンジ は本当にもう感極まっていたので、それ所ではなかった。 「嬉しい。すっげー嬉しい」 泣きそうに顔をくしゃくしゃにして、サンジはゾロを見下ろした。揺れた目の縁からは、今にも零れ落ちそうな雫が満ち ている。 「じゃあなんで・・・なんでそんな顔、するんだよ・・・?」 そっと、ゾロが手を伸ばす。サンジは猫のように目を細め、途端に嬉しそうに微笑んだ。 そんな分かりきったこと、どうして聞くんだと言う様に。 「だって、泣きそうなんだよ」 今度は困惑した顔なんて、しないでくれよな。 ゾロはサンジをすぐ泣かす〜すぐ泣かす〜。 ゾロは何時でも男前〜。 泣くのは何時も、サンジの仕事〜。 |