ベットの下を見ると水を吸って重くなった黒いズボンの下に、半月前に袖を通したばかりのシャツが落ちていてうんざ りする。わざわざ手を伸ばすまでもなく色移りしいるのだろうが、今更慌てたところでどうにもならない。サンジは沈鬱な 面持ちで溜息を落とした。 薄いカーテン越しの向こうではとっくの昔に朝が来ているのか、かなり近い位置で小鳥がチュンと鳴いている。しかし 部屋の中はまだ薄暗く、昨夜の安穏とした空気が満ちている。窓際に寄せたベットの上でぼんやりと辺りを見回しなが ら、しかしそれも隣に眠る男の顔を見れば何もかもどうでも良くなった。 薄い毛布を、頬の半ばまで引き上げて、向こうを向いて眠っている。肩から腰までのラインが、布の向こうでうつくしい 線を描いているのが手に取るように分かった。 「・・・おはよ」 返事を期待しない呟きは小さく、サンジは自然と口元に笑いを浮かべて微笑んだ。そのまま立てた膝に頬杖をつき黙 って眠るゾロの顔を眺める。ぞんざいに引かれたカーテンの隙間から差し込んだ光が頭の上のほうを照らし、映える緑 が白に近い。その辺りにそっと触れ、そのまま耳の後ろまで指を滑らせると、ゾロの呼吸が不規則になる。くすぐったい のだろうと思うのだが、しかしゾロは目を覚まさない。それを少し残念に思う気持ちと、同時にもう少しこのまま見ていた いという気持ちが胸の中で僅かに競り合う。結局耳から手を離し、じっと瞑られたままの目元を眺めた。 酔ったあげくに護岸から落ちたのはサンジだった。そのまま気持ちよさそうにスイスイと泳いでいると、ゾロが生意気 だと訳の分からない難癖をつけて飛び込んできた。そのまま酔いに任せてふざけあった後、転がり込むようにナミがと っていた宿に入ったはずなのだが、正直あまりよく憶えていない。酔いは痛覚も上手に奪うが快楽も奪う。そのまま縺 れ合ったベットの上で、いつもよりゆっくりと抱き合った。大概サンジばかりが焦ってゾロの顰蹙を買う事が多いのだ が、昨晩は何となくいつもより互いに触れ合ったり見つめあったりする間が多かった。その度にサンジは気持ちばかり が高ぶってついてこない体に焦れて騒ぎたてたのだが、ゾロはたまにはゆっくりするのもいいと言って笑った。そう言っ たゾロの目は深く穏やかに潤んでいて、そういう時のゾロはいつもより積極的になる事を知っていたサンジは、嬉しくな って即物的な開放よりもいつもは報われない気持ちの充足を慮って体中にくちづけた。そんな風にゾロは一方的にされ るのは好まないから、もちろんゾロもサンジの体中に触れてはくちづけ、サンジが声を漏らせば珍しく優しい目でサンジ を見た。結局朝方までそれは続き、眠ったのは外が白み始めた頃。先に眠ってしまったゾロに毛布をかけてやってか ら、サンジもカーテンを閉めて隣にもぐりこんだのだった。 チラリと時計を見る、やはり眠ってからそれほど時間は経っておらず、日頃の習慣は恐ろしいと思ってサンジは両手 で顔をこすった。 朝から晩まで働く事が多い日常は、短時間で十分な睡眠を取る合理性を体に刻み込んでしまっていて、どうやっても 朝が来ると体内時計は勝手にサンジの目を覚まさせる。昨日のナミの話では、この島への滞在は船の整備もあってど う短く見積もっても三日はかかるとの事だった。いくら日持ちの良いものばかりを選ぶと言っても新しい方が良いのはも ちろんで、そうなればどうしたって買出しは最後の一日で済ます事になる。そう思えばますます今日はやる事もなく、サ ンジは出入り口の扉から道標のように点々と落ちている衣服を意識の外へ放ってもう一度ゾロの隣へもぐりこんだ。 裸のままの背中を抱いて、緩く曲げて伸ばされたゾロの腕へ手を滑らせる。そのまま指の先までぴたりと合わせ、重 ね合わせて指を絡めた。普段はサンジよりずっと暖かいはずのゾロの指は、毛布からはみ出ていた分だけ冷えてい て、サンジはそれが嫌で暖めるように何度か指先を擦った。雪の降りしきる甲板で、目覚めもしない男の事である。室 内であるだけましなこの状態でナンボのものかと思わなくもなかったが、ゾロ云々というよりはサンジが嫌だという理由 だけなので、サンジは無防備に眠ったままの剣士の指を擦り続けた。どうせ目が覚めればウザいとか余計なお世話だ と言うに決まっている。眠っている間だけでも素直に甘えて欲しかった。 するとまるでサンジの願いが聞き届けられたかのようにゾロがきゅうっとサンジの指を握り返してきた。 「ゾロ・・・?」 しかし目覚めている素振りはない。指先はピクリと動くのに、呼吸は穏やかで変わりなかった。無意識のうちに体温を 求めているのだろう。 本当は普段からこんな風に少しでもその心の内を見せて欲しいと思う。しかしどうやったってゾロには無理だから、仕 方がなくいつだってサンジはこちらから甘えるしか手がなくなってしまうのだ。 「たまには俺にも甘えろよな・・・」 意識がなければこんなにも体は素直なのに、目覚めれば途端に離れてしまう。それをどんなにもどかしく思っている か、きっとゾロは知らないだろう。 「?」 ふいにゾロが大きく息を吸った。目覚めたのだろうかと覗き込む。しかしやはりその目はやんわりと閉じられたままだ った。しかしすぐにゴソッとゾロが動いた。どうやら寝返りをうとうとしているらしく、頭を枕に押しつけて目元が少し顰め られた。サンジは離れてしまった腕を名残惜しく眺めながら、しかしゾロの邪魔にならないように仕方なく体を後ろに引 いた。ゾロは開いたスペースで緩慢に体を動かすと、最後には反動をつけるようにしてゴロリと体を反転させた。 わっ。 そうすれば調度そこはサンジの胸の中。ゾロはまるでサンジの肩口に額を押し付けるような恰好で満足がいったのか 動きを止めてしまった。腕は勢いサンジの体に回っていて、これではしがみついているようにしか見えない。 うーわ。返ってこりゃあ・・・。 嬉しいのだがしかし、これで何もするなと言われれば拷問に等しい。 ゾロの髪に鼻先をこすりつけると、微かに石鹸の匂いがした。そうすれば自動的に一晩かけて何度も確かめた体の 隅々の感触を思い出し、サンジはかあっと頬に血を上らせた。 参ったなあ。 抱き合って穏やかでいられたのは、体が酔いに負けていた昨夜だからこそだ。 今は暫しとはいえ休息をとって体は健やかに整えられている。その上今は朝でいうなれば準備は万全なのだった。 「ゾロ〜。起きねえと悪戯しちゃうぞ〜」 耳元へ吹き込むように囁いても、深く惰眠を貪る剣士に起きる気配は微塵もない。 いいのか悪いのか微妙な顔で、サンジは今度は肩を掴んで揺すり起した。 「ゾロ。おい、いい加減にしないと――」 「・・・んぅ」 漸く反応が返り、サンジは幾分ほっとしてゾロの体を引き剥がしにかかった。しかしゾロは離れない。離れないどころ か、ますます腕の力を強くして、サンジにしがみついてきた。 「お、おい。ゾロ。起きてるんだろ」 「・・・・・・ぅ」 ごそごそと動いているのに返事はない。寝ぼけた様子でゾロは上手く形が収まるところを探しているのか、体を押しつ けながらずり上がってくる。そんな事をされればあらぬところが刺激されてたまったものではないサンジは、慌ててゾロ から離れようとするのにゾロの力は半端ではないのだ。 「っこの!襲うぞっ馬鹿っ」 意識のないのにそんな事をしようものなら、目覚めたゾロが鬼の如き形相で切りかかってくるに違いないから、サンジ はどうしたって手が出せない。そうでなければこんな美味しい状況はないのにとサンジは珍しく生き残っている自分の理 性を褒め称えた。 ゾロは尚もごそごそと動いて寝床探しに余念がない。観念してその様子を黙って見下ろしながら、サンジは体の中の 熱を逃すように吐息を吐いた。 「ん?」 サンジの喉元辺りまで這い上がってくると、ゾロは急にくんっと犬の様に鼻を鳴らすような仕種を見せた。常にはない 仕種に興味をそそられてサンジが見ていると、ゾロは鼻先をサンジの裸の喉元から顎の下辺りまでに押しつけ、またく んっと鼻を鳴らした。 「ゾロ?」 目覚めないと分かっていても、不審な態度につい声をかけた。 すると。 うっわっ。 ほにゃ、とゾロが笑ったのだ。安心しきった子供の様に。 微笑んだ目元はもちろん瞑られたままだ。しかし力を抜いた頬の辺りがほんのり赤くなってびっくりするほど幼い表情 を作っている。 いつもの落ち着いた男の顔はそこにはなく、春先の花が綻ぶようなやわらかな微笑だけが眠る顔を彩っている。 サンジは驚いて声もなく、いったいどんな夢がゾロにそんな顔をさせているのかと嫉妬した。 ゾロのこんな顔は見たことがない。 どんなに傍に居てもどうしたってサンジとゾロとは対等な立場の男であり、寄り添い支えあうような殊勝な関係ではな かった。だからこそ二人は肩を並べて立つ事も出来るし、同じ高さだからこそ見える様々な尊い気持ちを分かち合える のだと思う。しかしその一方、ゾロが時折見せる瞬く間に消えてしまうそんな素の感情を、もっと見たいと思うのもサンジ の素直な心情なのだった。 「ちぇっ・・・俺をさしおいて、いったいどんな夢見てんだよ」 ぎゅうっと鼻を摘まむ。暫く経っても何の変化も起こらず、つまらないので口も塞いだ。それでも何の変化も起さないゾ ロに勘ぐって、もしかしてやっぱりこいつは光合成で・・・二酸化炭素が・・・と思ったところでいきなりゾロががばりと起き 上がった。 「っあー!なんだ?!・・・・・・あ?」 ぶんぶんと頭を振り回してから、漸く隣で寝ているサンジに気がついたらしいゾロは、不審そうにサンジの姿勢を見、 自分の姿を見てから不思議そうな顔をした。 「・・・言っておくが、俺はなんにもしてねぇからな」 「・・・・・・そうか」 半信半疑な視線を避けて、サンジはバフンッと枕に顔を埋めた。 首の辺りに視線を感じて振り返ると、ゾロが真っ直ぐにこちらを見ていた。 「・・・なに」 「いや」 今度はまじまじとサンジの顔を見てから、ゾロは首を捻って暫し考えるように顎の辺りを指で擦った。 「なんだよ」 かんばしくないゾロの反応に焦れて追求すると、ゾロはああ、と小さく返答しそのままサンジの隣に体を横たえサンジ を少しばかり慌てさせた。 「いや、なんか夢見が悪いような、いいような・・・」 「夢?」 サンジはドキリとしながらも動揺など露とも感じさせずに相槌をうった。ゾロはサンジと同じように枕に顔を埋め、どう やら思い出そうとしているのだろう。眼を瞑って息を吐いた。 「どっかの浜辺で昼寝してるような夢だったかな・・・」 「・・・昼寝?」 ああ、それであんな顔をしていたのか。固有の名前を出されなかった事にほっとする。ここで船長やその他の人間の 名前など出された日には流石にいたたまれない。たかが夢とはいえ夢は願望の現われだという。なんとなく面白くない 気分になっても致し方あるまい。 しかしゾロはああ、それから、と付け足した。 「ああ・・・そうだ。そんでお前も出てきてた」 「お、俺・・・?」 驚いて目を瞠る。ゾロは目を開いてこちらを見ていた。 「二人で昼寝してる夢だ。そんで起きたらまた同じようだったから、変な感じだと思ってよ」 「俺と・・・昼寝・・・って。おい、だったら素直にいい夢だったと言えよ」 悪い夢はねえだろう、と言い募りながら、しかし内心浮き立つ気持ちは抑え切れなかった。 先ほどのゾロの笑った顔を思い出す。安心しきった子供の顔。やわらかく撓んだやさしい顔。 あれ、俺に見せてくれたものだって思ってもいいのかな・・・。 きっとゾロは意識などしていないだろうから(元々ゾロは本能で生きているような男なのだ)聞いたところでどうせ分か らないに違いない。それよりも勝手に思い込んで幸福な夢を見させてもらった方が割がいい。 「・・・なに、ニタニタしてんだ?」 頭沸いてんのか?と本気で心配そうな顔する、冷静気取りの可愛いまりもをひっぱたいてから、サンジはそのまま緑 の頭を抱え込んで嫌がるくらいに、途中から怒るくらいに、終いには止めてくれと頼まれるくらいに撫で回してから、ほに ゃりと笑って見せてゾロの度肝を抜いてやった。 対等な相手に素の自分を見せるのって、勇気がいりますよね。 信用してないとかじゃ、ないんだけれども。 |