命の糧





















 もし、誰かが消えたなら。

 暗い海の表面を風がすべらかに流れて小さな漣を作って行過ぎていく。
 ゾロは船尾の柵に腕を預け、ずっと後ろへ流れてゆく波の動きに目を馳せた。
 
 常にはない思考である。
 
 物事を深く考えない性質である。
 必要であれば咄嗟の判断を的確に下し、状況を冷静に見極める力はあると思う。しかし日常の日々で常にそういった
神経を尖らせる必要背は感じない。周りが気のおける仲間だけであると判じれば眠りは自然に深くなり、警戒心はギリ
ギリの線まで落とされる。それを皆は寝汚いだの無防備すぎるだのというが、誰が他の場所でそんな馬鹿な真似をす
るかと思う。
 
 お前だからだ。お前たちだからだ。

 思いながらも実際に言ったことはない。言ったところで何かの冗談だと顰蹙を買うか失笑を招くかのどちらかに決まっ
ている。
 昔はそんな風に思う事などなかったな、と思う。

 ヨサクやジョニーといたときはどうだったろうか。
 二人を信頼していなかったわけではないと思う。しかし信頼しているからといって命を預けるに値するかというと、それ
は如何にも早計だ。その心根に無心の好意を感じても、いざというときに己の命さえ包むに苦労する二人の手に、それ
以上の重みを背負わせる訳には行かず、そうすれば自然と外界へ向けられる警戒は警告の度合いを深め、いつ如何
なる時も気配には敏感であれ、殺気には容赦をするなと本能がいい、経験がそれを素早く裏付けた。
 そうすることによって生きながらえてきた自分の生き方を否定する気は毛頭ない。生命の根源はその命の継続にこそ
意義を認める。ならばそこには相手に対する信頼や信用や、ましてそうする事で示す愛情を認め、安易に自らの命を
危険に曝す愚考は憚れる。

 そうしてゾロはこの海を生きてきた。

 それがこの船に乗ってからは一転した。

 どんなに天候が荒れようが、多少の危険が迫ろうが眠りは深く容赦ない。初めはカンが鈍ったのだろうかと本気でわ
が身を疑ったが、仲間たちと過ごすうち、事の次第は徐々に明らかにされていた。
 
 信頼し、その力を認め、己の背を預けるに値する人間であると受け入れている。
 そうしてよしんば信頼が裏切られたとしても、それは自分がそこまでの命だったのだとあっさり納得できる相手。
 そんな相手は、初めてだった。

 だからこそ、考える。
 初めて手に入れた、稀有な仲間たちとの楽しい日々を送るうち、ふと頭の片隅に間隙をぬって入り込む。

 もし、誰かが消えたなら。

 ぼたりと甲板の木目が色を変えた。続いてぼたぼたと足元の木目は色を変えていった。




 溢れ出した涙の数だけ。


























2003/04/16



end