dance with me again . ⅱ 酒場を出るとサンジはすぐにゾロの手を取り、そのまま指を深く絡めて手を繋いだ。 中規模に属する港町の盛り場は、夜が更けても人通りが多く、そんな二人を奇異の目で見る者もいた。そんな様子にゾロも流石に辟易し、手を 離そうという提案はしかしサンジの真剣な横顔に立ち消える。 ゾロは結局引かれるまま黙って少し後ろを歩いた。 長年潮風に曝され続けた体は自然と海を求めるのか、二人は無言のまま海辺へと辿り着いていた。 船番を残して係留された船に活気はない。先ほどまでの乱痴気騒ぎとはまったく対照的に、辺りは低くさざめく波音だけが満ちていた。真夜中の 桟橋を徘徊する酔狂な者もおらず、風は静かで心地よい。酔いのせいで少し火照った頬に爽やかな海風はやさしく触れた。 いつの間にか手は解かれている。手のひらに残る体温を反芻し、その先を求める指先に心もとなさを感じゾロはぎゅうと拳を握る事でそれを誤魔 化した。 「満月だな」 煌々と照らす月明かりは足元を確かにするほど明るいのに、太陽のような焼けつく強さはなく、ただやさしげに姿を映す。面映いような顔でゾロは 空を見上げ、そうだな、と返したサンジを振り返った。月明かりに色素の抜け落ちた顔が互いに青白い。サンジは少し指先を彷徨わせ、戸惑うよう にそっとゾロの頬へ触れてきた。日に焼けた肌はサラリと指先をすべり、暖かく体温を分け与える。夜になって少しは気温が下がったものの、夏島 の気候では到底いつのものようにスーツを着込んでいることが出来なかったサンジは、それでも最低限の意地でもって皺一つないシャツを纏って いる。そういうところは昔と変わっておらず、ゾロは心持歪めていた眉間を緩めて微笑んだ。 「なに？」 子供のようなサンジの問いかけにゾロは目を細め、何度も確かめるように頬を撫でる手を取り、緩やかに指を絡めて握り締めた。 「いや、あれから随分経っちまった、と思ってな」 繋いだままの手は、互いの体の間に置かれてそのままゾロは静かに水平線を見渡した。 空から真っ直ぐに降りてくる月光が、ちらちらと波間に踊って眩く輝き、金色の粉を振り撒いたようにうつくしい。そのさまがまるでサンジのようだと 思い、そうしていつもこういった光景を目にする度にその姿を重ねていた自分を思い出していた。 鮮やかな空の雲間、荒ぶる波間、陸に上がった時の雑踏の中に。ゾロは何度でも仲間たちの姿を思った。 今、例えばお前たちが居たならば。 「そうだな･･･随分経った」 同じように水平線へと目をやったサンジが呟いた。繋いだ手に、少しだけ力が込められる。 「あの頃は、こんなこと想像もしなかった」 「まあ、な。俺もだ」 上手く言葉を紡げないサンジが可笑しい。こんなことは今までなかった。サンジが言いよどむ事など、ゾロが押し黙る事に比べたら皆無に等しい。 ゾロは真っ直ぐに海を見たまま口元を少し歪めて笑いを模った。 「だってなあ、アレから何年経った？初めてお前が店に来た時からだと･･･十年は経ってるゼ」 「ああ･･･そんなに経ってるか･･･」 遠くを見るサンジの目は、何かを思い出すようにゆっくりと瞑り、また開かれた。瞬きにしては繊細な仕種に胸が騒ぐ。 お前の中の俺は、いったいどんな顔をしているのだろうか。 ゾロは見えるはずもないその胸の内を思った。 昔のゾロからしてみれば、そんな事など思いもしなかった。サンジの中に自分が居るなどという事さえ、思考の範疇外だったに違いない。とにかく 何かと言い合いになっては、気が合わないと怒鳴りあった。その度にナミに拳で諌められ、仲間たちに笑われた。 ああ、本当に懐かしい日々。 しかしそれはまた新たな記憶を刻んでいく日々でもあるのだった。 ゾロは細く小さく息を吐き、喉元まで競りあがってきていた感情を飲み込んだ。 「どうだ？･･･惚れ直した？」 笑いながらそんな傲慢な我がままを言うサンジを振り返る。自然と少し眉根に皺が寄った。何言ってやがると口が開きかけるのに、けれどそれも 途中で打ち消された。 サンジがこちらをじっと見ていた。降りかかる月の光にまるで金色の粉をかけたよう繊細に髪が風に流される。 ああ、これはただの波が見せる戯れではなく、月の光でもなく、違わずサンジそのものなのだ。 不意に胸に落ちた現実は、再会した時よりも余程強く心を揺らした。 どこまでも広がる海に、記憶の中のサンジを重ねていた。有り得ない現実は儚い空想になって、子守唄の様に闇夜のゾロを安らかに眠らせた。 「ああ･･･惚れ直したよ」 ずっと惚れていたのだろうと思う。 船を飛び出した時分に自覚があったかどうかは定かでない。しかし仲間たちを思う時、皆は笑う顔ばかりなのに、何故かサンジだけは別だった。 サンジだけは一人で立つ後姿ばかりが思い浮かんだ。それは多分言い争いにならずにサンジを眺めることが出来たのは、サンジが料理に執心し ている間だけだったからだ。そんな時にしか憎まれ口を叩かず、黙ってサンジを見ることが出来なかった。目を合わせれば面白くない言い分のぶつ かり合いになり、そこで収まらなければ焦れてキレて手が出て大乱闘だ。そんな合間に落ち着いて相手を見る暇などありはしなかった。だからゾロ はキッチンに居るのが好きだった。仕込みをしているサンジの後ろで、それを肴によく酒を飲んだ。多分サンジはあまりもの目当てと思っていただろ うが、ゾロにとっては一日の内で唯一サンジを真っ直ぐに好きなだけ見ていられる時間だったからだ。 ゾロはサンジを、決して嫌いではなかったから。 そんな面映い事を思い出す。 いつの間にか俯いていた顔を戻すと、サンジが口を開けてこちらを見ていた。 「すんげぇ、アホ面」 思わぬ反応にどうにも恥かしくなって赤い顔を誤魔化すようにゾロが罵っても、サンジは堪えた様子もなく、だからといって驚きを隠そうともしな い。まじまじと横顔を見られてゾロは再び俯いた。 「な、なんだよ」 逃げようにも手は繋がったままで逃げ場はない。月は明るく鮮明に表情を暴く。ゾロはいたたまれなくなって首を竦めた。 「いや･･････本当に、俺、お前のこと好きだわ」 「なっ」 顔を上げれば真っ直ぐにサンジと目が合った。からかっているのかと思ったがその目の中の真剣さは見間違いようもなく、ゾロはどう答えたもの かと逡巡した。 「ずっとお前のこと好きで、よかった」 吐息の様に呟いてサンジは静かに笑った。目元が泣きそうに歪んでいる。その様がどうしようもなく切なくて、ゾロは咄嗟に繋いだ手をぎゅうと握 っていた。 一つ一つが知らない顔ばかりなのに、それがどうしようもなく懐かしくて仕方がない。 ずっと胸の中で何度も繰り返していたあの笑顔。晴れやかな青空と、眩しいくらいに光る海が良く似合うサンジの笑顔。 思い出の中の笑顔とこんなに違う笑顔であるのに、それがサンジであるというだけで、こんなにも愛しくて仕方がない。 ゾロは本当に今度こそ感情が高ぶって、胸が苦しいくらいだった。 「ゾロ？」 急につらそうな顔をするゾロに驚いて、サンジが声を上げる。まごつく感情は上手く手の中には納まらず、持て余してゾロの胸を酷く痛ませた。 「ゾロ？どうした」 もう片方の手でそっと頬を包む。親指で頬を撫でると、ゾロは黙って目を閉じ、サンジの手のひらに頬を預けるように少し首を傾げた。長い指の先 は少しかさついているのは変わっていない。毎日の水仕事が欠かせないサンジの手は、見た目の白さからは想像できないくらいに荒れていたの をゾロは憶えている。本来であればあっという間に忘れてしまいそうな、そういった些細な事をゾロは残らず全部憶えていた。サンジと馴れ合わな いふりを演じながら、きっとずっとサンジを見ていたからなのだろうと今なら素直にそう思えた。 「俺も･･･」 「ゾロ？」 ゆっくりと目蓋を上げる。サンジはじっと瞬きもせずにこちらを見ていた。 「俺もずっと、ずっとお前を好きでよかった」 ふうっと苦しそうな吐息を漏らして、きちんと言えた事に安堵し再び目を閉じた。 サンジが五年間、ずっと好きでいてくれたように、ゾロもずっとサンジを忘れた事などなかった。懐かしく思う仲間たちの顔の中で、サンジだけが 特別だった。諍いが絶えなくて、一番そりの合わない男の顔が何故か一番鮮明に脳裏に浮かんだ。いつだって間が悪いことばかりで言い合いに なり、相手を皮肉る言葉や馬鹿にしたような呼び名で呼び合って、まともな話など普段はした事もなかった。それなのに胸の中で一番に思い出さ れるのは、その中で数少なく交わした穏やかな会話や、黙って隣に座ったサンジの横顔ばかりだった。 そうやって会えない間の隔たりを、記憶の中から一つ一つ掘り起こし、一つ一つを埋め合わせた。驚いた事に、サンジは予想もしなかったほどの 数多くの表情をゾロに見せていたことに思い至った。 表層に浮かぶサンジの顔は、今にも縊らんとする凶悪で不機嫌なものばかりなのに、暗い船底で寝床に入ってから眠りにつく前にふと思い出さ れる表情や目はいつでも穏やかに笑っていた。 繋いだままの手をぎゅっと握る。そうすればサンジも返事をするように握り返してきた。 こうして何度でも確かめたい。サンジが目の前にいるということ。帰り着いた故郷の事を。ゾロは吐息を漏らし、そっと目を開いた。目の前ではサ ンジがまんじりともせずこちらを見据えている。その目のあまりの辛辣さと正直さに胸が甘く痺れた。 サンジは無言のままゾロの頬から手を引き、代わりにそっと頬へ唇を触れさせた。まるで慰めるような仕種に頬が熱い。これ以上情けない姿を見 せたくはないと思う以上に、こうして触れていたいとゾロは思った。この手を振り払う事も拒む事もゾロであれば容易にできる。 しかしそれをしない のは、あくまでゾロの意思なのだ。 サンジに触れていたいと思う。何者にも憚らず、ただ気持ちに正直に。ただこうして触れていたいと。 「なぁ」 「ん？」 頬を滑りこめかみの辺りまでサンジの唇は繰り返し触れる。その心地よさに目を閉じ、ゾロの声は溜息のように零れた。 「見つかったのか？」 ピクンと触れている唇が震えた。そのままそれは動きを止め、ややあってからそっと離れた。 「お前の探す青い海は、見つかったのか？」 視界がぼやけない程度の近さで見つめあった。吐息が触れそうなほどに近い。意識してしまうと途端に心臓が恥かしさに締め付けられるような 気がする。しかしゾロはあえて視線を外さず、じっとサンジの目を覗き込んだ。 サンジは深い目を何度か瞬き、ゾロの言葉を反芻するよう小さく口の中で呟いた。 「オールブルー･･･？」 「そうだ」 サンジの探す、すべての海。 いつだってその事を話す時だけは、ゾロでも全開の笑顔を見ることが出来たから、それがサンジにとってどれほど大切な海かは十分に分かって いたし、サンジの笑顔を見ることが出来るという点で、ゾロにとっても特別な海だった。 聞けば随分と探すのに難儀であるとの事である。仲間達からはぐれて一人放浪を続ける中、その奇跡の海の話には何度か出くわした。初めの 内は勝手に耳に入ってくるから聞いている程度であったが、最後の方では必死になって情報を集めようとしている自分がいて、途中でなんだか笑 ってしまった。サンジがいる時は気にもしなかった一つ一つの奇跡の欠片を、一生懸命拾い集めてはそれを聞いて喜ぶサンジの顔を想像した。こ れを端から聞かせてやったら、また笑ってくれるだろうか？そんな風に想像するのは楽しかった。いつ届くかも分からない手紙のようなその切れ端 を、心の中に大切に仕舞いこんで。いつ果たせるかわからないそんな小さな望みを胸に抱いて。 気がつけば、まるで奇跡の海は目の前に広がっているような気さえしたものだ。 目の前のもう一つの海――サンジの目はじっとこちらを見据えたまま、ゆらりとその表面を揺らしている。その様が儚い色を浮かべていて、ゾロは 戸惑った。 「おい･･･？」 「あ･･･いや、いや。見つかってねぇよ。だけどな、グランドラインはまだ未開の航路が山とある。･･･諦めたわけじゃねぇんだ」 最後のサンジの言葉にぎょっとして、ゾロは瞠目した。「諦める」などという言葉がサンジから出た事以前に、自分の言葉がサンジを傷つけた事に 気がついたからだ。ゾロは慌てて手を握り、一歩後退ろうとしたサンジを引き止めた。 「馬鹿、違う。そういう意味で言ったじゃねぇよ。そうじゃなくて俺は」 こくん、と息を飲む。目の前で悲しそうに目を細めるサンジに違わず届けと願いながら。 「そうじゃなくて･･･ただ、見逃しちまったかと思って･･･それで」 言いにくそうに言葉を詰まらすゾロを、サンジは不思議そうに見ている。それが余計にゾロを焦らせて、上手く言葉が繋げない。そうすればますま すゾロは慌てて喉を詰まらせた。 「お前も、オールブルー見たかったのか？」 そうだけど、そうなんだけど、そうじゃなくて。 自分の至らなさは据え置いて、キョトンとした顔をするサンジの鈍感をこんな時ばかりは憎く思う。 ゾロの目にチラリと浮かんだ苛立ちを、サンジはまた不思議そうに見ている。言いたい事がちっとも伝わらない。会えなかった五年間、自分は全く 成長していない、あの頃のままだとゾロは呆れる前に憤慨しそうだった。 「ち、違くて！俺が見たかったのは･･･その･･････お前だ」 今にも耳から火が出そうだ。顔から耳の辺りまでが酷く熱い。青白い月明かりで誤魔化せているだろうが、きっと真っ赤に違いない。 「･･･見つけた時のお前の顔が･･････見たかったんだよ」 最後の方は消え入りそうになって、しかしその前に言葉はサンジの唇に奪われた。 突然抱き寄せられ、深くくちづけられた。拘束された腰にサンジの腕が強く巻きついている。咄嗟に離れようとしても、体は全く動かなかった。 「サ･･･っん」 酷く乱暴な余裕などないサンジの所業に驚いて、ゾロはぎゅっと目を瞑った。何度でも角度を変えて深くもぐりこもうとするサンジの熱い舌が口内 に触れる度にビクリと肩が跳ねる。何時の間にか抱え込まれるように頬を両側から包まれ、顔を離す事も出来ずただ懸命に呼吸を合わせようとす ることしかできなかった。 「あんま可愛い事言うなよ･･･我慢がきかなくなっちまう･･･」 くちづけの合間にサンジは切羽詰った呼吸を隠しもせずに呟いた。先ほどまでの落ち着いた素振りから、突然この暴挙はどういうことだと視線で 問う。サンジは最後にもう一度深くくちづけてからようやくゾロを開放した。 「ずっと惚れてた相手を目の前にして、冷静でいられるわけねぇだろうが･･･」 そう言ってゾロの耳の辺りを指先で撫でる。その目はうっとりとしているのに焦りが余裕を打ち消している。 サンジと再会を果たしたのはほんの数時間前、日が沈む時刻のことだった。今は夜半を過ぎている。確かに再会した時こそサンジは感情を高ぶ らせて涙を見せたものの、その後仲間たちの待つ船へ帰る間も、少々過激な再会の挨拶をしている間もただ黙って傍に寄り添い、少し赤くなった 目元を和ませて見守るように笑っているだけだった。 ゾロの記憶にあるサンジは普段は大人びた態度で煙草をふかしているくせに、いざ冒険ともなれば率先して船長たちと馬鹿騒ぎを始める子供っ ぽい一面を持つとらえどころのない男だった。しかしそうしてただこちらを穏やかな目で見ているサンジは、本当の意味での成長を果たし、完全に 体に心が追いついている一人前の男振りを見せていた。初めて出会ってから時が経ち、その間に起こった嵐の日々は、ゾロの知らぬ間にサンジを そこまで育て上げたのだ。 しかし自愛に満ちた微笑を浮かべる男の顔を見るにつけ、ゾロは幾分かの違和感と一抹の寂しさを感じないわけにはいかなかった。 傍にいられなかったからこそ、気づいた気持ちはたくさんある。 目の前にあっても尚見逃していた未熟な自分に腹も立ったし、恥かしさに悶絶もした。今であればきっと違う言葉を使えただろうという場面の反省 会も繰り返したし、理解を超える馬鹿さ加減に顔を青ざめさせたりもした。しかしそうする事によって生まれたたくさんの気持ちと、それを表現するた めの言葉は別離という遣る瀬無い状況への餞別のように胸の中に降り積もった。だからこそ離れていた時間をただ一概に恨む事はしなかったが、 合間を見ることも叶わず、そこへ至るまでの道を共に出来なかった事は悔やまれる。 一つ飛ばしに楽をしてしまったような後ろめたさに無念が勝っている分、余計に気持ちの座り心地は悪かった。 しかしどうだ。今目の前で自分を抱き寄せる男の目の色は。 ゾロはじっとこちらの反応を窺うように黙ったままの男の目を覗き込んだ。 先ほどまでは落ち着いた様子で、穏やかに話をしていたはずの男は既にそこには居らず、獲物を射程距離に収め、今にもすべてを奪いつくさん と、油断なく目を走らせる濡れた目をした男が代わりに立っている。 サンジとてゾロへの気持ちに思い至るまでの間、悩まなかったわけがないだろう。 気の合わない男、気に入らない男、まともな会話などしたことがない、無愛想な男。 最終的に行き着いた結果に、サンジが反論しなかった訳がない。元々女好きが祟って損ばかりしているような男だ。相手がゾロだから云々より も、ゾロが男である事で感情は齟齬を起したことだろう。常々常識に欠けるといわれているゾロでさえ気づいた時には戸惑った。間違いだろうと何 度も笑い飛ばそうとした。諦めて覚悟して、手紙を書くまで相当の時間を要したのだから。 だからきっとサンジもそうなのだろう。ゾロがサンジの覚悟を感じるように、サンジもゾロの覚悟を感じているに違いない。けれども決してそれを説 明し合うような間柄ではないから、細かな意思の疎通などあるはずもなく、そうすれば後に残るのは相手を慮って臆病になる自分ばかりだ。 自分の中で勝手に大きくなった感情を、相手にどこまで見せてもいいのか。 もし見せて嫌われたら。 ゾロだって考えた。サンジにとってゾロは仲間の範疇で特別かもしれないが、代わりにそれ以上にもなりえない。たとえ再会出来たとしても、それ がいったい何になる。言えない言葉を溜め込んで、自爆するのが関の山だ。そんな風に考えて、でもきっとサンジを目の前にしてしまえばたとえ嘲 られたとしても、全部残らず白状してしまうに違いない。気持ちを伝えてしまうに違いないとも思った。 自分の気持ちは曲げられない。自分の心は偽れない。 それでも嫌悪に歪んだサンジの顔を、はたして自分は正視していられるだろうか？ 久しぶりのサンジの顔を認めた時、力が抜けて跪いてしまいそうだった。喜びに指先はあからさまに震えた。それでもそんな様を見せるわけにも いかず、ただ精一杯視線に愛しさを込めてサンジを見た。恐ればかりが先に立って、内情を悟られるのではと言葉を発することさえ躊躇した。 心の中で幾つか数を数え、ゾロは覚悟を決めて大きく息を吐いた。先ほどから出してよいものかどうか迷いに迷い、ついにははらまきの中で皺く ちゃになってしまっている紙の束を取り出した。 「これ」 「？なに」 バサッとサンジの腕の中に押し付けた。サンジが慌てて両腕で受け止める。茶色く変色した紙は重ねてあるだけで束ねてはいないので、落とし てしまわないように抱え込まなければならなかった。 ゾロは今にも逃げ出したいような気分で下唇を噛んだ。 それは何年もかけて集めた、オールブルーに関する記述だった。 それはずっとサンジのために用意されたものだった。いつか渡して、喜ぶ顔が見たいと思ってかき集めた。しかしいざ本人を目の前にし、ゾロは 初めて気がついたのだ。 それがそのまま、サンジに対する執着の証であると。 そう思ってかっと頬は赤くなり、ついでゾロは青ざめた。 口先だけで伝え合う言葉は心地よく胸に響くけれど、思いがけないほどの長年の集積を見て、はたしてサンジが喜ぶだろうか？ 目の前の色あせた紙面に綴られた不恰好な言葉の数は、そのままゾロの心の化石だ。耳にするたび聞こえるたび、一生懸命紙面に綴った。 これではまるで、今までの思いのたけをサンジに押し付ける事になりはしないか。 これほどの執着を見て、サンジは呆れてもう二度と元には戻れないのではないか。 不安は途端に臆病風を吹かし、ようやく伝えた気持ちを今更ながらに隠そうとした。 それなのにサンジは、そんなゾロの物思いなど蹴飛ばして、ゾロの事を好きだと言った。 思いの言葉をその目に託して、恥かしげもなく曝して見せた。 落ち着いた素振りなど、無用な事だと蹴飛ばした。 「ゾロ、これ･･･」 「無駄にならなくて、済んだ」 サンジがばさばさと忙しなく紙を捲る。どこを見てもきっとオールブルーの事しか書かれていないだろう。初めは内容を確かめていたサンジの手 は、段々と速さを増し終いにはぺらぺらと捲って最後まで行き着いた。 「･･･いらなければ、捨ててくれ」 これが俺の中の全部だ。お前のために出来る、俺の全部。 ゾロはサンジの手の中でグッタリと役目を終えた紙くずを見た。両手で紙の端を掴んでいる。指先を起点にして細かな皺が生まれていた。覚書の 中には端が折れて破れているものもあったが、サンジが受け取った時点で役目はとうに終えている。たとえそのまま破られても、サンジの手による ものならばそれでいいと思った。 「サンジ？」 サンジは動かず、じっと顔を伏せている。ゾロも自然とそのまま手元を見つめた。薄暗い月明かりの中で目を瞬かせゾロは驚いた。 サンジの指が震えている。顔を上げて表情を確かめようとしても、サンジは顔を伏せたままだ。 指先の細かな震えはすぐにサンジの肩の揺れに変わり、終いには頭の先まで揺れ出した。 どうしたことだろうとその肩に触れる。 ぽつんと、小さな音にもう一度視線を戻すと、一番上の紙に小さなシミが出来ていた。 「ゾロ」 ゆっくりとサンジが顔を上げた。斜めから差し込む月光が頬を照らす。 ゾロは見惚れて、返事も出来なかった。 「･･･あんたを好きで良かった。ゾロ。一緒にあの海を見に行こう」 闇の中に浮かんだサンジの顔を、きっと一生忘れない。 あんなにもうつくしい涙を、笑顔をずっと。 |