ハートじかけの音楽


14


















「ゾロくんのォ〜、ちょっといいトコ見てみたいィ〜」
「ぅぅぅぅぅぅうるさい!」
「ーァ痛てェ!」
 がんっとナミご自慢の高速エルボーを間近から受けて、ウソップが仰け反る。それにルフィがゲラゲラと笑い、ゾロは
端から無視して酒をあおっている。それをげんなりとした顔で見ながら、サンジは自分に割り当てられた杯の中身を、ど
うにか減らそうと苦心していた。
「あら、サンジくん。減らないわね」
 サンジの酒量を十分理解した上で、ナミが意地悪くそんな事を言う。返答に窮しているサンジのグラスを、横から伸び
た手がひょいっと掴んだ。
「あ!ちょっと、それはサンジくんの分よッ」
「うえー。温い」
 全部飲み干してから言うゾロに、ナミは心底嫌そうに顔を歪め、なにやら差別用語を口にする。ゾロはべしっとナミの
頭を叩いた。
「いったぁぁぁい!ゾロの分際で、生意気だわ!」
「うるせえよ、ジャイアン」
「ちょっと!私の歌声を聞いて、吠え面かくといいわ!」
 そう言いながら、先ほどルフィが暴れて壊したテーブルの足をマイク代わりに歌い出す。早くも復活していたウソップ
がそれをやんややんやと囃し立て、ルフィが足を叩いて拍子を取った。一見素面で、しかし今夜に限っては大分酔って
いるらしいナミの歌声が部屋に響く。足元には訳の分からない部品や、ゲームの基盤が散らばり、その大半が壊され
ている。今はいいが酔いの醒めた時の、ウソップの蒼白面を安易に想像できて、サンジは気の毒半分、面倒半分で息
を吐いた。
 サンジが仕事からもどり、ウソップの部屋の前を通った時には既にもうこの惨状だった。
 この建物の中で、唯一クーラーがついているウソップの部屋に人が自然と集まるのはいつものことであったが、しかし
今日に限っては何故か全員揃っている上に、軒並み酒に浸かっている。いつもは節度を持って酒を楽しむ性質のナミ
でさえもこの有様だ。
「おー!ゾロ!ウィ〜、もう一杯ィ!」
「てめーで注げ!」
 肩にもたれかかるルフィの頭をビール瓶で強打しているゾロの顔は、この中にあっても異質に素面だが、首の辺りが
流石に少し赤くなっている。
 サンジは二人の漫才を横目に、ウーロン茶を二リットルのペットボトルごとあおって溜息を吐いた。
 サンジにとって、二度目の夏が訪れようとしていた。
 早いものだ。この街に流れ着いたのも、こんな夏の初めの季節だった。
 隣で水のように平然と度数の強い酒を飲み干すゾロをちらりと見る。
 それは同時に、ゾロと会って一年が経つという事だ。
「どうした?」
 視線に気づいたゾロが、振り返る。サンジの目の前に並べられたグラスを除けて、傍に寄った。
「飲み過ぎるなよ」
「こんなの、飲んだうちに入らねーよ」
 ニッとゾロが笑う。屈託のない笑顔にサンジは微笑んだ。
 戯れて騒ぐ三人を眺めながら、二人は壁に寄りかかった。
「で、何で皆こんなになってんの?」
 結局初めから聞けずじまいになっていた疑問を、サンジは呟いた。
 気分は何故か静かに凪いでいる。目の前で騒ぐにぎやかな友人たちが、可愛らしく見えた。
 それはゾロも同じだったようで、横を見ればゾロも同じように穏やかな目で三人を見ていた。
 時々グラスを持つその手がゆらゆらと左右に揺れている。
「なんだお前、聞いてなかったのか」
 やはりゾロは知っているのだ。サンジは三人がこちらを見ていないのを確認してから、そっと体の影に隠れて手を繋
いだ。
 ゾロは何も言わず、ただされるままになっている。酔いがゾロを大らかにしているのかも知れない。普段はあまり人前
で触れる事を許してはくれないのだ。
「なあ、なんで?」
 擦り寄るように頭を肩に擦り付ける。酔いに大らかになっているのは、どうやらサンジも同じようであった。
「・・・ルフィがさ」
 囁くような声は、肩から直接聞こえてくるような気がする。それが心地よくて、サンジは目を閉じた。
「なんか、なんとかっていうウソップの知り合いから、船を貰ったらしい」
「船?」
「ああ」
 ルフィはずっと、自分の船で外海に乗り出すのだと事あるごとに言っていた。
 つまり夢が叶うのだ。なるほど、それでこんな騒ぎなのか。
「いったいどんな知り合いだよ・・・船って、小さなボートじゃねェんだろ?」
「ちゃんとした帆船らしい」
「そりゃスゲェ。そうか・・・よかったな。ルフィ」
 本当にそう思う。初めはとんでもない奴だと呆れることばかりだったが、今では大切な仲間の一人であるには違いな
い。
 今まで騒がしさに辟易し、何度も蹴り倒した事を思い出しながら、それもなくなるのかと少し寂しいような気分だった。
 しかしそんなセンチメンタルな気分も、次のゾロの一言であっという間に意識の彼方に葬り去られた。

「それでよ、俺も一緒に行く事になったから」
「・・・・・・・・・・・・・・・はぁ!?」

 飛び起きた拍子に、一気に胃の底に溜まっていた酒が回ったようだ。くらりと世界が一転りする。平衡感覚がなくなっ
て、頭を壁に打ちつけた。
「痛てェ!」
「なんだよ、騒がしい奴だな」
 びっくりしてゾロが少し体を傾けてこちらを見た。手の中のグラスは何時の間にかなくなっている。
「お前っ・・・!ふ、ふざけんな!」
 がっと肩を掴んで揺さぶると、ゾロはガクガクと頭を揺らして顔を青くした。
「ば、馬鹿、お前ッ。そんなに振ったら中身が・・・」
「うるせェ!てめェ、俺から逃げようって言うのか!」
 冗談じゃねえ、こんな早くに。まだ一年しか。
 ゾロを引き止めたいと、ゾロの傍に居たいと願い、あらゆる努力を今まで払ってきたつもりだった。
 それなのにこんな、こんな簡単にルフィに奪われるのか。
 いとも容易く、あっさりと。
「・・・じゃぁ、お前も一緒に来いよ」
 ぴたりとサンジの手が止まった。
 真っ直ぐにこちらを見るゾロの目が、真摯な光でサンジを照らしている。
「嫌がられても、離れる気なんてないんだろ?」
 ニヤリ、とゾロの目にからかう色が途端に浮かんだ。サンジは一瞬目を瞬き、次いでハッとするとかあっと頬を赤らめ
た。
「お前・・・ッ、あの時の・・・」
 恥かしさを誤魔化すために言い募ろうとしたサンジの口を、ゾロは封じるようにふわりと微笑んだ。あっけに取られて
案の定黙ってしまったサンジの手にゾロはそっと触れた。
「それに・・・離す気もねェしな・・・」
「ゾ、ゾロ・・・」
 そのままゾロの手の中に包み込まれて感じたその体温に、サンジは今更のように本当に気持ちが通じ合っていたの
だと確かに感じる事が出来た。
 一方的だと悲観して、心もとなく立ち止まるサンジを、ゾロはきちんと振り返って見ていてくれたのだ。
「ゾロ・・・俺、今スッゲェお前に抱きつきたい・・・」
「・・・後にしろ」
 チラリと三人を見、ゾロは囁くように呟いた。きゅうっと握った手のひらが熱い。
 うずうずと体中が今にも飛びつきそうに浮ついて、サンジはぎゅうと目を瞑った。
「が、我慢できない、かも・・・」
 もじもじとして俯いてしまったサンジに、ゾロは暫し考えるようにそのつむじを眺めていたが、大きく瞬くと大げさに溜息
をついて立ち上がった。
「行くぞ」
「え?ゾ、ゾロ」
 つかまれたままだった腕をぐいっと引かれ、半ば腰を上げてサンジは戸惑ってゾロを見上げた。その間にもゾロはま
るでサンジを引きずるようにして出口へ向かおうとする。慌てて膝をついて立ち上がる頃には、もう戸口はすぐそこだっ
た。
「で、でも、ナミさん達・・・」
「放っておけ。俺たちが消えても気がつきゃしねェよ」
 確かに玄関の暗がりに忍び込んでしまった二人に気がついた様子もなく、いつの間にか歌い手はウソップに変わって
いる。もしかしたらナミは気がついているのかも知れないが、こちらに背を向けたままやんややんやとウソップを囃し立
てていた。
「ほら」
 膝を蹴って立ち上がらせ、サンダルを無理や履かせると、ゾロはまたサンジを引きずるように歩き出した。
「ゾロ・・・」
 パタン、と扉を閉じれば、廊下は静かなものだった。木造家屋の割りにしっかりとした造りのせいか、部屋の音が筒抜
けになるようなこともない。
 あたりが静かになった事で、サンジはやっと許されたような気分で息をつき、ゾロの背中に抱きついた。後ろから腰に
腕を絡ませ、首筋に顔を埋める。シャツに染み付いた酒の匂いと薄いゾロの匂いが、サンジを酷く安心させた。
「・・・俺、行ってもいいの?」
 ぎゅうっと掴んだ手の中で、ゾロのシャツが硬く皺を寄せている。思わず震えそうになった指先に、そっとゾロの手が
重ねられた。
 その指が、少しだけ揺れている。サンジは驚いてゾロの横顔を見た。
「・・・それはお前が決める事だ」
 そんな風に表情は素っ気無いのに、いつでもゾロの手は暖かくて、そして今は怯える様に指先は微かに震えていた。
 腕の中でゾロを大切に包み込みたいと思うのはいつもサンジの方なのに、結局こうして最後に気持ちを包み込んでく
れるのはゾロなのだ。
 きっとこうしていつまで経っても、自分はゾロに敵わなくて、でも一生懸命追いつこうとする事に意味があるのだとサン
ジは思う。
 ゾロはいつでもそこに居てくれる。ちゃんとサンジがいることを気づいている。
 ますます愛しさが募り、サンジはしがみつく様に伸ばした腕に力を込める。ぴったりと寄り添ったゾロの体の奥から、
規則正しい呼吸と鼓動が力強く暖かくサンジの体を満たした。
 何よりも確かに、ゾロが今ここにいる証。
 儚くも確かに、限りなく尊いゾロの音。
 それだけでサンジは言葉もなく安堵し、こうして寄り添っているだけでまるで赤子の心地で安らぐのだ。
 激しい感情も安らぎの一時も。そうした一切をサンジに与えるのはゾロなのだ。
「じゃあ、離れない。お前が嫌がったって、離れない」
 首筋に額をすりつけ、甘える仕種で目を閉じる。ゾロはただじっとして、サンジのするに任せている。
「だからお前も、離さないでいてくれよ」

 ずっと、この手を離さずに。

 ずっと、その隣を俺のために空けておいてくれ。

 ぽんっと、体に回した手を叩かれた。そのまま、優しく撫でる仕種に胸が詰まる。
「ああ・・・」
 体から直接に響く声は、静かな空気を優しく震わせた。その心地よさに目じりが緩む。その気配を感じ取ったのか、ゾ
ロはゆっくりとサンジの腕を解かせると、そのまま腕の中でサンジに向き合った。
「嫌がったって、離さねェよ」
 そっと触れたくちづけは、まるで誓いのようにサンジの胸に深く触れた。




























end
top


2003/05/16






ご清聴、ありがとうございました。