はた迷惑な日常会話 「なあ、まだ怒ってんの?」 「・・・」 「まだ怒ってんの?」 「・・・・・・」 「まだ怒ってんのかよ?」 「・・・・・・怒ってねーよ」 ふうっと溜息と共に吐き出すと、途端に坂井はぎゅうっと下村の背中に飛びついた。 「怒って、ない?」 「・・・ああ」 「怒ってない?」 「ああ」 「怒って――」 「うるさい!」 体をねじって、顔を寄せようとする坂井の顔をぎゅうっと押し返す。しかし強靭な背筋でそれを堪え、坂井はますます ぎゅうっと下村の首筋にしがみついた。そのかき抱くような仕種に下村の手元から、読みかけの雑誌がばさりと落ち た。 「おい・・・」 呆れ半分の声を漏らして、下村がどうにか振り返ろうとするのに、やはりしがみつく坂井に邪魔されてどうにもならな い。下村はもう一度大きく溜息をつくと、その頭をぽんぽんと叩いた。 「怒ってねーよ。もう」 呆れを含みつつも、険のないその声に坂井はようやくそろそろと頭を上げた。 そうして嬉しそうに笑うので、下村は本当にもう溜息を付くしかなかった。 こんな風に些細な諍いは日常茶飯事になりつつあり、そうして大概の場合坂井が折れて終わる事が多い。そもそも事 の始まりが坂井の理不尽な言及から始める事が多いせいなのだが、分かっていながら坂井は懲りもせず結局こうなる のだった。 「ほら、いいから離せよ」 「いやだ」 「坂井・・・」 「もう少しだけ・・・な?」 「・・・しょーがねーな・・・・・・」 だがそれを許しているのは、他でもない、下村本人だ。 その証拠に、結局今も強引には振りほどけず、腰に回った腕を優しく撫でいている。 男同士とはいえ、所謂恋人として互いに相手を認知している間柄だ。 そうしていることになんら不自然はないだろう。 しかし。 「おい、お前ら」 覚えず額に青筋が立つ。ここまで我慢したのだから、それくらいは許されるだろうという表情で、宇野は手元の本をば たんっと閉じた。 「お前らが何しようと勝手だが、ここは真昼間の法律事務所だという事を忘れるな」 震えそうになる肩を何とか諌めたが、間違いなく声は怒りに震えている。こめかみの辺りを指で押し、殊更に平静を保 つと宇野は大きく息を吐いた。 「分かってますよ、そんなこと」 何言ってるんですか、とカラカラ笑う坂井の声に、流石の宇野もブチリと紐を切らないわけには行かなかった。 「お前らは、二人同時にここへ来るのは禁止だ!用件がある時は一人づつ来い!いいか、必ず別々にだぞ!」 「えー、なんでですか」 「問答無用だ!ちなみに今日はもう帰れ!」 しっしっと手を振られて、坂井は渋々と下村から手を離す。下村といえばこちらも不思議そうに宇野を見ていた。 「・・・お邪魔しました」 「失礼します」 二人とも納得のいかない顔で出て行くのに、宇野は「ああ」とだけ答え、こちらに背を向けたまま手を振った。 「俺たち、なんか気に障ること、言ったか?」 「さあ・・・」 坂井に問いかけられても、下村にも理由は分からなかった。 「お前ら馬鹿か?」 「は?」 桜内は今まで口にしていた紙コップをポイッとゴミ箱に投げ入れると、引き出しから二人のために紙コップを新に出し た。 「桜内さん、コップは?」 「あ?なくなった」 いつもはきちんとカップやグラスを使っているのにと、下村が不思議そうに問うと、そんな返事が返る。 「・・・こんなにあるじゃないですか」 しかしシンクを覗くと、山のように積まれたカップやグラスがあるので、坂井はやはり不思議そうに問うた。 「あー、洗うの面倒で」 「・・・・・・」 本当は何でも一人で出来るくせに、面倒だからとこうして放っておくところは下村とをそっくりだ。坂井は仕方がないと シャツの袖を捲って蛇口を捻った。 「しかしキドニーも気の毒に」 プカプカと煙草を吹かして、ソファに深く座り込んだ桜内が呟いた。意味が分からず下村がじっと見返すと、ふーと煙 を頭上に吐いた。 「何がですか?」 布巾で手を拭きながら、キッチンから坂井が顔を出す。きちんと畳んだ布巾を棚にかけ、坂井は桜内の向かいに座っ た下村のすぐ隣に腰掛けた。 「だから・・・それだよ」 「それ?」 「それ」 分からない、と下村が首を傾げる。坂井も同じようにキョトンとして桜内の顔を見返していた。 なんでこいつらは、揃いも揃って天然なんだ? 桜内は言葉にならない諦めを煙に乗せ、無言で二人の間の手を指した。 しっかりと、繋がれている手を。 「仲良く手繋いだり、頬を寄せ合ってるなんてのはな、周りから見れば気持ちのいいもんじゃないんだよ」 なんでこんな事を一々説明しなくちゃならん、と桜内は段々自分が悲しくなる。 「はあ・・・」 「そうですか」 やっぱり良く分かっていない二人に、桜内はとってもぴったりな言葉を進呈した。 「そういうのを、世間じゃ『バカップル』っていうんだぜ」 なるほどな、なんて帰り際まで感心していた二人に、やっぱり馬鹿だと桜内は呆れを通り越して、なんだか感心してし まった。 終 |