「あー頼むからルフィは引くんじゃねーぞ!」 「なんだよ、ウソップ!俺の何が気に入らないんだ!」 「あんたは作ったそばから食べちゃうでしょ!」 「上手く作れるかしら・・・」 「肉はナマでも食べられるぞ」 喧々囂々と言い合いながら、しかしその手は大人しくナミの手元からこよりを引いていく。 皆自分の手の中に残ったこよりの先をじっと見ながら、そこに赤い印がない事を確かめ一様にほっと息を吐いた。 「ゾロはどっち?」 こよりを作った本人であるナミは殊勝にも最後に引くと決めたらしい。手の中に残った二本のこよりの先を、ゾロの目 の前に差し出した。 それまでうるさい小鳥たちのざわめきにも、いっこうに開く事のなかった目がゆっくりと開く。 狸寝入りと分かっていたナミは当然の如く「はい」と先を急かした。 「・・・俺の料理なんて、喰えたもんじゃねーだろ」 「そんな事ねーぞ、ゾロ。昨日の塩焼き、美味かったぞー!」 今まで一度も当たったことのないルフィが、暢気にシシシと笑っている。ゾロはそれをジロリと睨んだが、ルフィに応え た様子もない。続けて何か言おうとした隣のウソップを黙らせるのが精々だった。 「ほーら、ゾロ。公平にくじ引きにしてるんだから、文句はないでしょー」 ぐっと詰まってゾロは顎を引いた。ナミの言い分には一分の隙もない。どうにか言い逃れようと目を泳がすが、既に自 分の分を引いた者達はいたって暢気にこちらを見るばかりだ。 まだ誰も、先の赤いこよりを引いていない。 ゾロはもう一度、大げさに溜息をつき、手を伸ばす。 命運はナミの手の中だ。 「はい!きーまり!」 風邪で寝込んだサンジの三日目のピンチヒッターは、今夜もゾロに決まった瞬間だった。 カツン 不意にサンジは目を覚ました。 眼前は真っ暗に沈んでいる。しかし視界の端にぼんやりと浮かぶ灯りに気づき、硬く凝った首をめぐらせた。 「・・・・・・ゾロ・・・?」 自分でもぎょっとするような擦れた声が、呼吸と共に口から漏れる。まるで変声期の様な酷い声に、サンジは軽く咳き 込んだ。 「メシ・・・喰えるか?」 すべらかな動作でゾロが枕元に立った。片手に盆を持ち、もう片方に極限まで光を絞ったランプを持っている。先ほど 耳に残った小さな足音は、ゾロが手放しで甲板から船室に飛び降りた時の音だったようだ。 「ん・・・サンキュ」 ランプを床に置き、片手で起き上がろうとするサンジを手伝うようにゾロが手を差し伸べた。 「起きれるのか?」 いつもは素っ気無いゾロも、サンジが酷く風邪をこじらせた今回ばかりは幾分心配そうだった。 そんな小さな気遣いにもサンジは嬉しくなる。 自分がいつも通りでないと、ゾロがイヤだと言ってくれているようだと思った。 しかし背中に手を添えて、起そうとしてくれるゾロに、サンジは上手く答えることが出来なかった。 熱を帯びた体は力を失いぐったりと心もとなく、平衡感覚の崩れた視界がぐらぐらと揺れて吐き気を誘う。 目の前のゾロの顔さえ、輪郭がはっきりと取れない有様だ。 それでもどうにか力を入れようとするサンジの頬を、ゾロはやわらかく指先で撫でた。 「無理すんなよ・・・」 そのまま額にかかった髪をかきあげてからその手は去った。離れがたい気持ちでその手を目で追う。 しかし不意に視界の端を掠めた白い色がサンジの胸をさっと刺した。 咄嗟に顔をそちらに向ける。 ゾロの腕には、真っ白な包帯が巻かれていた。 「・・・どしたの、それ」 少し頭を起しただけでも眩暈が酷い。頭の中のバランスが崩れて視界が余計にグラグラ揺れた。 まるで時化た海で泳いでいるようだ。 「切った」 「切ったって・・・まさか、これ作るのにか」 「まあな」 思わぬ慎重さでサンジの枕元に盆を置き、そこで初めてゾロはほっと息を吐き出した。 「いいから、早く食って早く寝ろ」 「でもお前、血」 白い包帯の下から、影の様に黒いシミが浮かび上がっている。ゆらゆらと揺れるランプの焔に、それが刻々と広がっ ているような錯覚を覚え、サンジは思わずゾッと背筋を凍らせた。 「いいから」 諌めるように、しかし無頓着に言うゾロの声は上の空だ。己を顧みないのはいつもの事だが、熱のせいで自制が破 れ、瞬時にサンジはカッとなった。 「よくねェだろ!」 突然激昂したサンジに、ゾロがびっくりしたように目を瞠る。しかしすぐにむっとしたように目を吊り上げた。 「いいから、メシ喰え!」 むきになって言い返す。 サンジは余計に頭に血が上り、頭を起しただけでも吐き気を感じる体を無理やり起してしゃがみ込んだゾロと向き合 った。 「お前、怪我するとすぐ熱出すだろ!」 いっそ泣きそうなサンジの剣幕に、ゾロはうっと顎を引いた。 「そ、そんな風にお前は、そうやって、どうでもいいかもしれねェけど、俺は平気じゃいられないんだよっ!また、またあ ん時みたいに・・・っ」 切羽詰ったサンジの声は、そこで不意に途切れた。口元を抑えて下を向く。嫌な汗が背中を流れた。 ゾロがたくさんの血を流す時、サンジは決まってあの海原を思い出す。 真っ青な空と海の間には、点々と大帆船の残骸が浮かび、その崩れかけた甲板には向かい合う二つの人影。 二人との距離は近い。 けれどその後に起こった全てに、サンジはそこが永遠に自分には手の届かない場所なのだと思い知らされた。 そんなどうしようもない自分に出来る事は、精々無様に罵る事だけだった。 「おい・・・大丈夫かよ」 そっとサンジの肩に触れたゾロの手は、あくまでも優しくさり気ない。 そんな仕種の一つでもって、どれほどサンジの胸を揺さぶるか、いつまでもゾロは知らぬままだ。 屈んだせいで目の前に迫ったゾロの胸の辺りに手を伸ばす。そのままシャツをぎゅうっと掴んだ。 「こんな目に合うのは、俺だけで十分だ」 震えて定まらない指先で懸命に引き寄せれば、ゾロは大人しく従った。 そのままゾロの胸に額を擦りつける。 甘えるサンジに、それでもゾロはされるがままでいた。 「・・・悪ィ。俺が熱なんか出すからいけねェだよな。うわ言だと思って、忘れてくれ」 言いたい事はたくさんある。 怪我などするなと、止めてくれと、所構わずわめきたくなる。 それでも、それがゾロだから。 だから、サンジは。 「熱にうなされた、たわ言だ・・・」 魚人との戦いの後、血まみれのゾロの顔色は白に近く、強がってはいても呼吸もままならない様子だった。そのまま 村へ戻る道行きで、ゾロは突然前のめりに倒れこんだ。途端に場は騒然となり、村医者の指示で急いで診療所に運び こまれ、鼻先で匂わせた気付け薬でゾロはようやく目を覚ました。 その後の治療中にはそのまま意識はあったようだが、それも激痛のせいでしかない。 術後は死んだように眠っていた。 サンジはその蝋のような寝顔をずっと見ていた。 なんて馬鹿な男だと、心の中で罵りながら。 なんて凄い男だと、心の中で認めながら。 「何考えてる・・・」 そっと、汗に濡れた髪を梳かれる。何度も何度も、慰めるような仕種はいたわりを含んで硬い指先をそっと滑らせる。 サンジは息をつき、もたれかかるようにゾロを抱きしめた。 「何も・・・何も。何もねェよ・・・」 唇がゾロのシャツに触れるたび、熱い吐息が零れた。呼吸の苦しさや頭を揺らす眩暈は相変わらずだが、そうしてい るだけで、ゾロに触れているだけで心の真ん中がほっと安らぐの分かる。 ゾロは変わらず何も言わないまま、けれども無言のうちに答えるように、サンジの頭を抱え込んだ。 「早く、早く良くなれよ・・・。お前がそんなんじゃ、俺だってちっとも調子がでねェ」 「ん・・・」 「メシ、喰えるか?」 「ああ・・・。お前が作ってくれたんだよな」 「どうせ味分かんねェだろうけど、・・・味、期待するなよ」 きゅうっと長い両腕で肩口まで包み込まれる。照れ隠しのゾロの仕種に、サンジは可笑しくて、でも愛しくて、ぎゅうッと ゾロの背中を抱き返した。 「バッカ・・・。料理は愛情だろ。それさえ入ってりゃぁ文句はねーよ」 「・・・・・・じゃ、黙って喰いやがれ」 本当は放してくれなくては食べられないと思ったけれど、これも料理のうちだとサンジはゾロの腕の中で、うっとりと目 を閉じた。 |