見上げると天井を大きくくり抜いた天窓から淡い光が差し込んでいた。 サンジはぼんやりと辺りを見回し、ああ、そうか、ここは今宵の宿だと思い至った。 差し込んだ月あかりが儚い粒子で寝転んだ足元を照らしている。 朝になればそれは太陽に変わって顔に差込み、天然の目覚まし時計になるのだろう。体の脇でくしゃくしゃに丸まった 毛布を喉元まで引き上げ、少し凍えた指先を暖めた。 空気は眠る前より格段に冷えている。 サンジは小さく吐いた吐息が白く浮かぶのを見上げていた。 いつもと変わらずナミの指示の元、いくつかとった部屋を公平にくじで決めようとしていた矢先のことだった。 男どもが何の疑問も無くくじを引いている横で、仁王立ちでそれを見守るナミに宿屋の主人は声をかけた。 「お客さん、よければ屋根裏も空いてるよ」 最小限の出費で済まそうとするナミに、また雑魚寝かとウソップが文句を言った。ナミは瞬時にその言葉に反応し、君 臨する支配者のような威厳でもってそんなお金がどこにあるのかと逆にウソップに問いかけた。そうして終いには泣き そうな風になるまで追い詰めて、ようやくルフィが助け舟を出すという一幕を演じた後の事だった。 どうやらそれを見ていた宿屋の主人が、なるべく安い方が良かろうと声をかけてくれたのだ。 「でも、狭いんだよ。二人が寝転んでせいぜいだ」 それでもナミがそんな好機を逃すわけが無い。身を乗り出しておいくらになるのかしら?と抜け目の無い表情で聞き 返した。 「だって、ほとんどただなのよ」 仕方のなさそうな顔でナミは言った。いかにも自分は悪くないといった風情で。 そんなわけでサンジは屋根裏部屋に寝転んで、天窓から星を眺めている。 隣に眠るゾロの寝息を聞きながら。 頭の後ろで腕を組み、四角く切り取られた黒い穴のような夜空にはいくつかの星が瞬いている。しかし大抵は月の光 に負けて姿は薄くぼんやりとしていた。 よりによってクルーの中でも特に体の大きい二人が率先して屋根裏などに入るわけがない。結局くじ引きで赤い先の 紙縒りを引いたのがサンジとゾロだったのだ。 天井は屋根の形そのままに三角の円錐で、二人の身長では中央でしかまともに立ち上がれず、大抵は中腰で移動を 余儀なくされた。その上この部屋は元々客室ではないので、ベッドというものが無く、かろうじて部屋の隅に置かれたマ ットレスがその代用になった。 これでは船のソファで寝た方が良かろうと思うのだが、サンジは結局ナミには逆らえず、ゾロもそれ以上反論するのも 面倒といった風情で黙ってあくびをひとつした。 どうせ寝に入るだけの宿だ。どうでもいいと思っているのだろう。 サンジはそんなゾロのそぶりにあきれるよりは落胆し、なんとなく気分が暗くなった。 思えばゾロと二人きりなるのは本当に久しぶりだった。 大抵部屋が分かれる時は、ルフィかチョッパーがゾロに懐くので、なし崩し的にそのまま部屋割りは決まってしまう。 今回のように厳正にくじ引きをしたのは本当に久しぶりだった。 だが二人きりになったからといって、何か特別な事が二人の間に起こるわけでは決して無い。いつものように全員で 一階の食堂で夕飯をとり、そのまま軽い晩酌をしてからゾロは風呂に入って早々に屋根裏に上った。サンジの動向な ど見向きもしないし、そもそも興味も無い。ゾロにとっては同室が誰であろうと何人であろうと寝られる場所さえあれば それで不満は無いのだ。 しかしサンジはそうはいかない。どうしたって同じ部屋で二人きりになればいつもは目をそらしているゾロの素振りが 途端に気になるし、普段はどうでもいいような沈黙や小さな咳払いひとつに肝を冷やす。 現にこうして二人並んで寝ているという状況だけで、サンジは十分に意識してしまい、なんだか胃まで痛んでくるような 錯覚に囚われていた。 しかしこの場合、平素の反応をしているのはあくまでゾロの方で、サンジの方が特異なのだった。 そんな風に考えるようになったのは、いつ頃からだったろうか。 ほんの少しためらいながら、しかしサンジはそれさえも気づかれぬようにという細心で隣のゾロに視線を投げた途端、 心臓は言い訳など許さぬ強さで大きく波立った。 口元まで引き上げた毛布の中に半ば顔を隠し、マットレスの端の方に丸まって、思ったよりも近い位置でゾロはこちら に顔を向けて眠っていた。 やんわりと閉じられた目元には警戒心の欠片もなく、まるで無防備な様子でサンジにすべてを明け渡している。 闇の中で際立ったその白い頬に触れようと咄嗟に伸ばした手を、サンジはどうにか寸前で引きとめた。 海の上では比較的深い眠りも、陸に上がれば無意識の用心は眠りを表層だけに留めてしまうらしく、こういった時の ゾロはいつもより気配や物音、接触に敏感だ。 冷えた指先などで眠りに癒えた頬に触れれば、途端にゾロは目を覚ますだろう。そうすれば決まっていつものきつい 視線を投げかけられるのかと思うと、サンジは触れることなど出来るはずもなかった。 こうして珍しく、ゾロを間近に見ることが出来る。それだけで満足するしかないのだとサンジは息を詰めた。 本当はいつだって傍にいたいと思う。出来るならば触れる事だって。 しかしそういった意味での二人の距離は永遠のように遠く、偶然を装っての接触や、喧嘩腰の掴み合いが精精だ。そ れ以外の意味を持って触れることなど、サンジに許されるわけもない。 目の前にありながら、決して覆されることのないその距離に、サンジはただ静かに絶望するしかないのだった。 しかし今更のように気づいてしまった自分の感情に蓋をするなど到底無理だった。 そもそもがまったく間違いのような感情だ。それを認めるにも大変な勇気と努力が必要であったし、現に今でも半信 半疑の気持ちは捨てきれない。しかし日々確実に思いは募り、視線は無意識にゾロを探す。極自然な流れでもって訪 れたその恐ろしく劇的な変化に理由がなかったというのもおかしな話だが、ただ気づけばそうであったと言う他ない。い いわけじみた理由の羅列などまったく意味を成さないし、いつからこうなったかなど、それこそ今更であると思い直し た。 ただ、惹かれているだけだ。 右腕を枕の下に突っ込んで頭を少し高めに掲げた。天井から差し込んだ光がシーツに当たってうっすらと辺りを照ら している。 その中でただぼんやりとサンジはゾロを眺めていた。 |