手をつなぐ。 たとえば陽だまりの中





















 時々、どうしようもなく辛そうな顔をしている時がある。
 けれどもそれをどうにかしようなどと、理由も知らぬ自分が出来るはずもない。
 そう思えば結局手など出せないのだ。




 甲板から男部屋に降りるよりも厄介な、小さな出入り口からゾロはようやく天井裏へと這い入った。
 確かに物置にしては広い作りだ。しかしだからといって居住に向いているとは決して言えないその部屋が、ゾロの今
夜の眠りの住処だった。端の方へ寄せられたマットレスをぐいぐいと引き出し、中央に据える。一息ついてついでに隣
にも同じように寝床を整えた。
 想像していたよりも屋根裏のシーツはぱりっと糊が効いていて、鼻を押し付けると微かに太陽の匂いが残っていた。
これは如何にも良心的な宿だと思い、ゾロは満足げに大きく息を吐いてシーツの上に寝転んだ。どうやら明かり採りら
しい天窓が、あまりにも大きな面積で天井を有している。まるで夜空が目前に迫っているような錯覚に囚われ、ふと甲
板から見上げた夜の空を思い出した。
 こうして夜空を眺めて一夜を明かすのがゾロは好きだった。
 ナミなどに言わせれば、まったく野宿がお似合いだと嫌味を言われるところだが、本当は面倒な気分で男部屋に戻ら
ないのではなく、閉じられた空間で眠るよりも、こうして空が見える場所で眠るのが好きだからだ。
 そう思えばここはきちんと屋根の下にも関わらず夜空も堪能できるな、なかなかよい寝床と言えた。
 ゾロは風呂に浸かって温まった体を改めて毛布で包み、気持ちの良い気分のまま直滑降で眠りへと落ち込んでいっ
た。






 夢を見ていた。
 暖かな陽だまりの真ん中で、誰かと話をしている夢だ。
 二人で大きな木の幹に寄りかかり、膝を抱えて話をしている。
 穏やかな口調で言葉少なに話す声と、笑いながら言葉を交わす。
 あるときは軽い言葉を。
 あるときはやさしい言葉を。
 あるときは厳しい言葉を。
 またあるときは、切ない言葉を。
 会話の内容は覚えていない。
 ただもう少しだけこの時間が続けばいいと、ゾロは強くそう思った。






「眠れないのか」
 自分でも驚くほど声はすぐに出た。
 寝起きにも関わらず、声はかすれずにはっきりとしている。
 先ほどまで自分が居たはずの暖かな空気と異なり、部屋は耳が痛くなるような冷たさで満ちていた。
 しかし目の前の男は何も答えず、目覚めた途端にかち合った目は、ただじっとこちらを見るばかりだ。
「…どうした」
 名残のように残った胸の中の陽だまりが、ゾロに穏やかな言葉をつづらせる。夢の中からそのまま持ち帰ったよう
に、指先まで体は温かかった。
 引き寄せた毛布の波の中で、サンジは少し目を眇めた。
「別に…」
 ふいっとサンジが目をそらした。そのまま毛布の中に顔を埋めてしまう。
 すると途端に体が冷えたように感じて、ゾロを落ち着かない気分にさせた。
「寒いな」
 言葉がそのまま白い綿のように中空に浮かんだ。ひしひしと入り込む冷たい空気はまるで真冬のようだ。日中は小春
日和であったのに、これがこの島の風土なのかとゾロは思った。
 そこでふと、サンジの肩が細かに震えていることに気がついた。強張った輪郭には薄い毛布が巻きつけられているだ
けだ。
 どうやらそれが理由かと、ゾロは辺りを見回した。
 幸いにも天窓から入る月あかりだけで室内は見渡せた。しかし元々何もない部屋に探す場所も少なく、ゾロはすぐに
視線を目の前で丸まる毛布の塊に戻さざるを得なかった。
「おい」
 ぴくん、と毛布の肩が揺れた。眠っていないのは確かだ。震える肩が、まるで怯えているようにも見える。
「寒いのか?」
 日中に比べて格段に冷えた空気は、毛布からはみ出た肌を鋭く刺す。あまり頓着しない自分でさえそうなのだから、
目の前の男にとってもそれは堪えるに違いないとゾロは思った。現に体が小さく震えている。
 普段であればいっこうに気にならないそんな些細な変化が胸に触れるのは、きっと見慣れない部屋で、見慣れない暖
かい夢を見たせいだと思った。
 あるいは自分一人が暖かな感触を独占している事に罪悪感を感じているのか。
 どちらにしろ目の前で震えている人間が居るのを、放っては置けなかった。
 しかし声を掛けたところでサンジは何の返答もせず、こちらを見る気配さえない。ゾロは眠っているのだろうかと訝っ
て、巻き込むようにクシャクシャになった毛布の端を引いた。
「おい?」
 寒くないのならいい。それで眠る事が出来るのなら。 
 しかし触れた肩はやはり震えていて、いっそ痛々しい。
 何の反応も返さないサンジに、流石にゾロは苛立って肩を緩く揺すった。
「寝たふりしてんなよ。おい」
 一層びくりとサンジの肩が揺れる。触れれば余計にサンジの体の震えはゾロに正確に伝わった。見ていたよりもずっ
と細かな震えに、ゾロは急に不安が募って落ち着かない気分でサンジの毛布に埋もれた頭を見た。
「寒いのか?」
「……寒い」
 くぐもった声だった。しかし確かに返された声にゾロは安堵した。
 安心?
 ゾロは咄嗟に自分の胸に浮んだ気持ちを訝った。
 自分の問いに、サンジが答えただけの事ではないか。それの何に安堵する。
 しかし先程まで感じていた細々とした感情の波が凪いでいるのは確かだった。
「毛布、借りてくるか?」
 だからだろうか。平素であれば出るはずもないそんな気遣いの言葉が口をついて出た。
 しかしサンジは毛布に半分埋まったままの頭を横に小さく振るばかりだ。
「寒い。寒いんだ、ゾロ」
「ああ、だから毛布を・・・」
 まるでよるべない子供のような呟きは、安易にゾロの情けをかった。暖めるようにサンジの肩を擦る。サンジの普段と
は違う頼りない様子に、もしかして具合でも悪いのだろうかとゾロは急にまた不安になり、とりあえず自分の毛布を与
え、チョッパーを呼んできた方がいいのではないかと迷った瞬間だった。
 完全に気の反れたゾロの体は、簡単に体勢を崩した。引かれるまま、背中を布団の柔らかな感触が覆う。
 驚いた視界が安定した時には、既に目の前にサンジの顔が迫っていた。
「なあ…暖めてよ」
 ゾロ、とそのまま耳元で囁かれた。
 女を口説いている時でさえ、聞いた事のない声だった。動揺に体がびくりと跳ねる。
 しかし体はすっかりサンジの下に引き込まれていて、身動きは取れなかった。
 サンジは二人の体を覆い隠すように、すっぽりと頭から毛布をかけ、器用な様子でゾロの体を戒めている。胸の辺り
からは上手く体重を逃がしているのか苦しくはなかったが、こんな至近距離で見たこともないサンジの目にゾロは柄に
もなく射すくめられて両手はシーツの上にだらしなく投げ出されたままだった。
 サンジの指が、そっとゾロの頬の辺りを掠めそのまま顎へと滑らせる。その仕種に明確な意思を悟ってゾロは狼狽し
た。

 馬鹿な。自分の勘違いに違いない。

 しかしサンジの目の色を覗き込み、卑しくも剣士で名を馳せるゾロが、相手の真意を読み取れぬわけもなく、正しく自
分の思っている通りである事を確信せざるを得なかった。

 何故、急に。そんな馬鹿な。

 どこかに否定の窓口はないものかと必死で取り繕うゾロに構わず、サンジはなおもゾロに触れてくる。
 喉から鎖骨。二の腕、肘の裏、手首。いつの間にかぎゅっとシーツを握り締めているゾロのコブシの浮き上がる骨
格。
 そしてサンジの吐息はゾロの米神に触れ、前髪を揺らし、また耳の裏へ戻っていった。
 だが触れるサンジの指先は冷たく、酷く強張っていてゾロの抵抗を安易に退けた。その力があまりにも儚かったから
かも知れない。もっと強引な手口にはどうにでも対抗できるのに、こんな風ではどうしたらいいのか分からなくなってしま
うのだ。
 ゾロはこくりと息を飲み、いっこうに離れようとしないサンジの、シーツに透ける月の光にさえも鮮明な髪をただじっと
見ていた。
「抵抗、しねェの」
 されるがまま、じっと動かないゾロに先に焦れたのはサンジの方だった。目元がきつく歪んでいる。どうとっても酷い目
に合っているのはゾロの方なのに、これではゾロがサンジを苦しめているようではないか。謂れのない非難を受けてい
るような気がして、だがあながち間違っていないような気もして、ゾロは黙ってサンジを見上げていた。
「なあ、何で黙ってんの」
 重ねて問うサンジの口調はますます焦れ、責めるような目は段々と悲壮な色を含んで見下ろしている。
 理由も分からぬゾロはそうして夜毎の月のように姿を変えるサンジの感情に上手くついていくことが出来ず、ただ憮
然とするばかりだ。それをどう取ったのかサンジは一層に顔を歪め、シーツを握り締めているゾロのコブシをぎゅうっと
上から握った。
「なあ、ゾロ」
 名を語る唇は、そのまま素直にゾロの唇に触れた。それが普段のサンジに似合わぬ率直さでゾロを驚かせる。目を
瞠るゾロにサンジは弱々しい笑みを浮かべた。
「…なんも言わねェの?」
 触れたサンジの唇の冷たさに、そろりと背筋を撫でられたように寒気がした。表皮が一気に粟立つ。寄せる体に伝わ
った震えは、サンジの顔に苦笑を浮ばせた。
 それが何か良くない事を想像させて、ゾロは咄嗟に訝った。何を良くない事と思ったのか自分でも分からない。
 ただ、サンジのそういう顔は、あまり見たくない顔だった。
 きっと、自分ではどうしようもない顔だった。
「寒いのか」
 びくりと震えたサンジの肩はまだ寒々しい。細かな震えはなくなっていたが、触れている指は凍るように冷たかった。

 あんな風に笑えるのに、なんでこんなにこいつは凍えているのだろうか。

 考えは夢の延長だった。シーツに包まれた空間は薄ぼんやりとして、一度は冴えた頭がまた境界線の向こうを跨ごう
とする。だからゾロはあまりにも無造作に手を伸ばした。

「さっきはあんなに暖かかったのに」

 指の関節で頬に触れる。サンジはまたびくりと肩を揺らした。不可思議な視線はゾロの行動を理解していない。だが
ゾロにはどうでもいい事だった。
 ただ、不公平だと思ったのだ。おかしいと思った。
 
 陽だまりの中で笑い合ったのは、自分一人ではなかったはずなのに。

「寒いんだな…」
 
 沁み込みもせぬ自分の体温に焦れて、今度は掌で頬に触れた。大きな手にサンジの顔は余程小さく手にあまる。少
しは暖かくなるだろうかと思った。
 途端にサンジはぎゅうと目を閉じ、辛そうに顔を歪めた。

 その顔はやはり自分にはどうしようもない顔だ。

 ゾロは苛立ち、握られた拳を振り解いて両手でサンジの顔を掴んだ。
「そんな顔は気にいらねェ」

 どうせどうにも出来ないのに、どうしてお前はそんな顔ばかりを見せるんだ。

 無理難題をふっかけられて、解けない自分の不甲斐なさを半ば無視して腹を立てる。
「…俺の顔だ。文句いわれる筋合いはねェ」
 囁くような不平は中途半端に上擦っている。声を出すのが幾分辛そうだった。感情の吐露を正直に伝えまいと堪えて
いる。
 どうやっても隔てるものを越えられず、ゾロはいい加減投げやりな気分で「じゃあよ」と言った。
「あっためてやるよ」
 平素の素振りでそう言ったゾロに、サンジはぎょっとして息が止まったようだった。
 ゆらゆらとしていた視線が今はしっかりと定まり、ゾロを見ている。ゾロは少し満足して、ぎゅー、とサンジの頬を引っ
張った。
「いたたたたッ」
「ほら、こうしてな」
「うわ」
 見詰め合った瞬間、おかしな顔をしたサンジの頭をゾロは無理やり抱きこんだ。力ではとても敵わないサンジはなす
がまま、ゾロの腕の中に抱きとめられる。そのまま体重をかけてしまっても、ゾロにはまったく堪えなかった。ゾロにとっ
てはサンジの重さなどいかほどでもないのだ。
「こうすりゃ、ちっとは暖かい」
 苦しくないように力加減を調節しながら、ゾロはようやく少し安心して息をついた。

 どうしてかなんて、分からない。ただ気に入らなかっただけだ。

 陽だまりの中にいた心地よい夢から覚めれば、まるで凍える子供のような目をしたサンジがいて、それが気に入らな
かったのだ。
 そんな顔のサンジを、見ていたくなかったのだ。
 シャツを通してサンジの気配が酷く緊張しているのが分かる。女ならいざ知らず、男とこうして身を寄せて寝る事など
サンジには初めての経験なのかもしれない。それを思えばなるほど体を強張らせるサンジの気持ちも分からないでもな
い。しかし寒いよりはマシだろうと、ゾロはサンジの肩を抱いて腕の中から逃がそうとはしなかった。力を込めた瞬間、
サンジはその時だけ逃げたそうな素振りを見せたが、ゾロの力が存外強い事に諦めたのか、力は次第に抜けていっ
た。
「なあ…なんでこんな事するんだよ」
 抜け落ちた力はサンジの声からも張りを奪っていた。弱々しい口調は他人のもののようだ。暖かな呼気がゾロの胸元
をほんわりと暖めた。
「何でなんて…俺にも分からん」
「なんだよ、それ」
 きっぱりと主張するゾロに、サンジが観念したように苦笑を漏らした。重なり合った体の隙間が、暖かい空気で満たさ
れていくのがわかる。シーツは次第に体温と同化し、いつしか眠りの精がゾロの手を取った。
「そうしたいから、そうしただけだ…」

 お前が寒くないように。
 お前のどうしようもなく辛そうな顔が、どうしたって気に入らないから。

 ウトウトとまどろみ始めたゾロの手を、サンジがぎゅうっと、握った気がした。























(2003/10/31)




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