hands up





















 すごく、すごく大好きだよ、と言った。

 いつもの顔だった。
 食事の合間に見せるような、皆で雑談をする時のような、ちょっと小憎たらしいような、でもやっぱり男らしい、いい顔
でサンジは言ったのだ。

 すごく、すごくゾロが大好きだよ、と。

 ゾロはとても驚いて、次いで激しく混乱した。
 聞き違いにしては言葉ははっきりとしていて風もない室内であるし、夢にしてはあまりにもサンジの目は鮮やかだっ
た。では何か自分のとり違いだろうと思うのだが、しかしまるでゾロの物思いを打ち壊すようにサンジはもう一度同じ言
葉を繰り返した。

 すごく、すごくゾロが好きだ、と。

「ど、どうしたんだ?お前。まさかなんか悪いもんでも・・・」
「アホか。誰に物言ってやがる」
 プカリと煙草の煙を浮かべて、サンジは嫌そうに眉を顰めた。
 それはそうだ。食べ物に関しては並々ならぬ知識と目を持つサンジが、滅多なものを口に入れるはずがない。
 だが、では、どうしてそんな事を。
 少しあっけに取られたような気分で、ゾロはしばしサンジの顔を凝視していた。
 サンジも同じようにこちらを黙って見ている。
 見つめ合う二人の間に気まずい沈黙が降りても、しばらくそうして二人はキッチンに突っ立っていた。
 普段は短気を絵に描いたような男が、今日に限って随分と我慢強く、いつもはあきれるくらいに鷹揚なゾロの方が落
ち着かない。そわそわと足先があちらこちらと向いている。慣れぬ沈黙は手に冷や汗を浮ばせた。
「じゃあ・・・」
 何で。問おうとした言葉は途中で空に千切れた。じっとこちらを見据えるサンジの目がその先を許さなかったのだ。問
いかけなど必要ない。あからさまな意思表示は、果たしてゾロの独りよがりだったろうか。言い出しあぐねてゾロは俯い
た。
 それにサンジが小さく吐息を吐いた。本当に小さかったと思う。
 けれどもゾロはびくりとして、思わず顔を上げていた。
 するとサンジは困った顔でちょっと笑ってそんなゾロを眺めていた。
「びっくりした?」
「……あたりまえだ」
 からかうような物言いに、ゾロはいつもの気配を感じてほっとする。それでも心中はずっと複雑だった。
 そうか、と言ってもう一度はっきり笑ったけれど、どう取り繕ってもサンジのその目は、態度よりずっとずっと雄弁だっ
た。
「でも、冗談でもないし、嘘でもない。…もちろん、取り消すつもりも」
 そんな風に念を押すような言い方は随分とらしくないと思う。何事もスマートに物事を運びたいタイプの男だ。言い訳
のようにも聞こえるが、しかしやはりその目は雄弁で、あまりにも真摯だ。こちらがちょっと見返すのを躊躇うほどだか
ら、取り違えようもない。
 困って眉を顰めれば、サンジは喉の奥で低く笑った。
「否定とか、しねェの?」
 自嘲というよりは、本当に不思議そうな感じだった。
 それに少し考え直して、ゾロはじっと虚空を睨んだ。
「否定されたいのか」
「まさか!」
 そういった機微に疎いゾロには精々そのようにしか理解できない。だがサンジは如何にも心外そうに、珍しく焦った風
でそれこそゾロの言葉を否定した。
「じゃあ、いいじゃねェか」
 ゾロの結論はあっさりしたものだった。
 サンジの言葉は嘘ではない。取り消すつもりもない。真剣だし疑いようもない。
 それをゾロが否定するのはお門違いだ。対象は確かにゾロかも知れないが、気持ちはあくまでサンジのものだ。ゾロ
は素直にそうか、と思っただけだ。
 だがサンジは何か違う反応を期待していたかのように焦っている。
 ではどう答えればと顎を摘まんで思案するゾロに、サンジはあっけにとられたような顔でしばしぼんやりとして見せた。
「なあ、俺が言っている意味分かってるか?」
「ああ」
 あまりにも短絡的なゾロの思考に恐れを感じたのか、サンジは幾分か心配気だ。はっきり言ったにも関わらず、どうも
上手く伝わっていないと思っても確かに無理はなく、実際ゾロの中で当初の混乱はあっさりと解決されてしまっている。
だがどう思おうと取り違えるほど馬鹿ではない。ゾロは即座に頷いた。
 だが疑わしげなサンジの表情が晴れることはなかった。どう取ってもゾロの態度に期待など出来ないと、サンジは思
い込んでいるようだった。
 否定されるか、手酷く罵られるか。あるいは無視か。
 そんな事ばかりを予想していたのが、疎いゾロにも良く分かった。
 いつもは無駄なほど自信に溢れた態度が、今は跡形もない。先ほどから指先で忘れられたままの煙草の先から、ぽ
つりと灰が床に散った。
 なんで。
 サンジの唇が微かにかたどったのをゾロは見た。声にはならないサンジの困惑の声だった。
 だがゾロとてそんな事は分からない。
 ただ、まるで世間話をするようでありながらも、本当は精一杯装うサンジを否定する気にはなれなかっただけだ。
 何かを思う気持ちを否定する事など、誰であっても許される事ではないのだから。
「サンジ」
 びく、とサンジの肩が跳ね上がった。それが何となく憐れで、ゾロは眉を下げてサンジを見やった。
 サンジはゾロの視線に複雑そうな顔をし、しかし光に誘われる羽虫の様に、張り付いていたシンクの縁からフラフラと
ゾロの傍に近寄った。
「好きなんだ。すごく、あんたの事が」
 何処までも真摯なその目を、ゾロは見返すことを半舜躊躇った。
 いけない。見てはいけない。
 まるで警告の様に頭の裏で誰かが言った。だが心はずっと穏やかで、ゾロはサンジを見つめ返した。
「答えてはくれねーの」
 しばらくして息苦しそうにサンジが呟いた。ひゅうっと喉の奥が鳴る。
 それに胸を締めつけられたような気がして、ゾロは少し混乱した。
「何を」
「だから、嫌い、とか。気持ち悪ィ、とか」
 否定ばかりの言葉を並べて俯いたサンジの前髪の辺りが萎れて、ゾロは余計に胸が痛んで驚いた。
 そんな風に見えた事にではない。そんな感情があった事に、だ。
 傲慢な物言いがよく似合う男だ。それなのに今はしゅんとしてまるで日陰の草の様になっている。
 ゾロは少しオロオロして、そっとサンジの前髪を引っ張った。
「なあ、何だよ。何でそんな風なんだよ」
 世間話の様に持ち出したのはサンジの方なのに、今ではいっこうに覇気がない。これでは自分が酷い責め苦を与え
ているようではないかとゾロは罪悪感で眉を顰めた。
「あんたが好きだからだよ。それ以外、理由なんてないだろう?」
 そう言ってサンジは不意に顔を上げた。ゾロの手の中から金糸がするりと逃げていく。それをゾロは惜しんでそう思う
事を不思議に思った。
 サンジは慎重に、ゾロの行動を待つようにゆっくりとした動作でスルリとゾロの頬を撫でた。
「あんたが俺を嫌いでも、俺はあんたを好きなんだよ」
 一方的に決め付けて、サンジは深く哀しい顔で微笑んだ。
 こちらの言葉を一つも聴かず、それこそ傲慢なサンジにゾロは途端に苛立った。
「…勝手に決めるんじゃねェよ」
「え?」
「勝手に決めるなっつってんだよ!」
「だっ」
 がんっとサンジの脛を蹴る。幾ら鍛えているとはいっても、ブーツの先で蹴られれば堪らない。片足を押さえて思わず
蹲ったサンジの頭をがっと片手で掴んで力任せに上向かせた。
「てめっ何する…」
「お前がッ」
 思わぬ近さでどなったゾロに、サンジがびくりと肩を竦ませた。しかしゾロはそんな事など気にも留めずぐいっと、なお
もサンジの頭を引き寄せた。
「嫌いとか、気持ち悪いとか、勝手に俺の気持ちを決めつけるんじゃねェよ!」
「…な」
「そんな事は俺が決める。お前が決める事じゃねェ!」
 劈くような怒鳴り声にサンジは目を白黒させ、しかし近しい距離に体は強張ったままだ。ゾロはそんなサンジの頭をぽ
いっと無造作に投げ出した。萎えた足では体を支えきれず、サンジはヨロリと後ろに尻餅を付いた。
「いいか?」
「……」
「いいか!」
「はいっ」
 呆けていたサンジにゾロは獣の様に詰め寄った。びくりと体を跳ね上げてサンジが答えると、ゾロはようやく満足気に
にっこりと笑った。
「分かりゃあ、いい」
 じゃあな。そう言って、ゾロは悠々とラウンジを後にした。背後でサンジは呆けたままだったが、この際どうでもいいと
放っておく。後ろ手に丁寧に扉を閉めて、ゾロはそこで初めて詰めていた息を吐き出した。

 すごく、すごく大好きだよ、と言った。
 いつもの顔だった。
 
 それなのに、自分ばかりが驚かされて、いつもの顔など出来なかった。

「クソッ」

 勝手に一歩先へ行かれた様な、奇妙な敗北感が胸を覆った。重苦しい感情が不意に喉の辺りをぐうっと押す。何に
苛立っているのかわからぬまま、ただ悔しげに踵を返した。























(2003/11/29)

end



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