「あんたの事、すごく、すごーく、可愛いとか思ってんのよ。本当は」 知ってた?と言うと、きょとんとした目が見返してきたので、ナミはこれ見よがしに溜息をついた。 「おお、嫌だ。まったく鈍感だわ。これで剣士だなんて」 何処の海のお話よ。罵りは半分眠りに満たされているので毒がない。そのせいか見返す目にも棘はなかった。 「言ってる意味がわかんねーよ」 責めるよりはまるで拗ねたような言い草にナミは笑い、それにほっとしたようにパラソルの影の下、甲板に胡坐をかい たゾロも笑った。 「あんたが思っているより、敵は厄介だって話し」 むき出しの肩に触れたデッキチェアの金具の部分が、暖かい陽気に照らされ温まっている。いつも冷たいそれに触っ ては、こっそりビクリとしているゾロの姿を不意に思い出し、ナミが笑うとゾロはまた不思議そうな顔をした。 時々ゾロはとても素直だ。 いつもはつんと澄ましていたり、ぼんやりしていたり、寝ていたり、みんなと一緒にふざけている時でも、胸の中のやわ らかい部分はそっと隠している。警戒しているわけでも取り繕っているわけでもなく、ただ普通に日常生活を過ごす程度 の秘密を手の中に隠して居る。 けれどもこんな時、ゾロはとても率直だ。 それがナミと居る時だけなので、くやしいけれどちょっと嬉しかった。 「デコちゃん」 つん、と額をつつくと、流石に嫌な顔をした。今度は眉間に出来た皺をつん、と突く。ゾロは少し顎を引いた。 「デコ言うな」 「まりもちゃん」 「まりもじゃねェ」 「じゃあ、なあに?」 頬杖をついて優しく問えば、ゾロは黙ってしまった。難しい顔が困惑に摩り替わっている。ナミの言いたい事が上手く 理解できずに困っているのだ。そうやって自分の感情を誤魔化さない、誤魔化されない事に気を良くし、ナミはチェアか ら降りるとゾロの横にちょこりと座った。 「ロロノア・ゾロ」 素っ気無く答えて、でも案外目は笑っている。つられて笑うとまたゾロはほっとしたような顔をした。 「じゃあ、そのロロノア・ゾロが可愛くて仕方がないんだわ」 「だから、なんの」 「ウチの可愛いコックさん」 複雑な表情がこちらをじっと見ている。真意を探ろうとする視線の深さは伺い知れないが、案外分かっていたのかもし れないと思い、ナミは少し驚いた。当てが外れて溜息が漏れた。 「知ってたの」 「だから、何を」 「今更とぼけたって可愛くないわ」 「元々可愛くねーよ」 ふんっと鼻を鳴らしてゾロは頭の後ろで手を組んだ。そのまま目を瞑って眠ってしまうかと思ったが、空を見上げただ けで目は開いている。安定した青空にはぷっかりと白い雲が一つ浮んで太陽を上手に遮っていた。 「ナミ」 呼ばれるまま、無心で振り返った。ゾロは空を見たままだ。眩しそうに眇めた目がじっと何かを睨んでいる。 「お前の事、本当はすごく、すごーく、可愛いと思ってるぜ」 「は、はぁ?」 素っ頓狂な声を出したナミに、ゾロはこれ見よがしににやりと笑い、引っ掛けられたと気づいてナミはすぐに顔を赤ら めた。 「もう!バカ!!」 「あっは!」 額に向かってストレートをお見舞いしても、石並に硬いゾロの額にはいっこうに効き目もなく、愉快そうに大きく口を開 けて笑っている。返って指を痛めたナミはべえっと舌を出した。 「まあ、そういう事もあるさ」 しばらくして、糸が切れたように笑いの途切れた時、ゾロがそう呟いた。 「……そうね」 突然姿を現した太陽の光は満面に甲板を照らし、反射した残光が鋭く虹彩を切り裂いた。目の奥が強く痛む。ナミは 咄嗟に目を瞑った。 「ほら、お前の『可愛いコックさん』のお出ましだぜ」 「あんたの、の間違いでしょ」 目の奥の痛みはそのまま視界に暗い点を幾つも作った。ゾロが指した先を見る。黒く切り取られた視界の中で、金の 髪はなおうつくしく光に映えた。ナミとゾロはただ黙ってその姿をじっと見る。視線に気づいたのか、サンジがふわっと顔 を上げた。 「ナーミさん。おやつだよ」 隣に居るゾロなど見えもしないという素振りで、サンジは盆を片手に手を振った。眩しそうに目を眇めている。自分が 光の塊のような頭をしているのに眩しいなんて。ナミはなんだか不思議に思った。 「今日はなあに?」 前甲板に集っていた二人の元へ、サンジが階段を上ってやってくる。暖かい陽気でも、サンジはきっちりとジャケットを 着込んでいたので、ナミはなんだか腹立たしくて近づいたサンジの袖をぐいと引いた。 「ナ、ナミさん?どうしたの?」 盆を持っている方を引かれたせいで、危うく傾いたそれが手から滑り落ちそうになり、サンジは慌てて腰を折った。そ のままでは正面のナミが中身を被る事になる。隣ではゾロが黙ってそんなナミの手元を見ていた。 「上着。あっつくないの?」 「えーと?ああ、うん。大丈夫だよ」 突然の話題に上手くついていけないのか、珍しくサンジは口ごもった。いつもならナミさんに心配してもらえるなんて俺 は幸せ者だ、くらい言いそうなものだ。ナミは何となく違和感を感じてゾロを振り返ると、どうやらゾロも同じ事を考えて いたらしく、ナミの目を同じ様に見返してきた。 「そう?」 だがどこがどうおかしいかは分からず、判断に迷ってナミは素直に手を離した。サンジがほっとしように盆を持ち直 す。そうして一度きちんと姿勢を正してからサンジはナミにフルーツカクテルを差し出した。 「わあ、綺麗ね」 「今日はちょっと暑いからね。はい、召し上がれ」 スプーンを渡しながら、サンジはやわらかく微笑んだ。そういった瞬間のサンジの顔が、ナミは一番好きだった。相手 に料理を差し出す時、サンジはとてもいい顔をする。 やさしくて、嬉しそうな、とってもサンジらしい、素敵な顔だ。 ナミはサンジににっこりと笑い返し、いただきます、と言ってスプーンをつけた。 「ほら、おめーにはこれ」 ナミが一口、口に運ぶ様を満足げに確かめてから、サンジは途端に不機嫌な顔でゾロに手を差し出した。盆の上に はナミのグラスと似た足の長いグラスが乗っている。しかし中身が違うのか、鮮やかなオレンジが目立つナミのグラスと は打って変わって深いブラウンだ。ゾロは一瞬手を伸ばしてよいものかどうか決めかね、自然サンジを窺うようにすっと その顔を見上げた。 「…いらねーのか」 「いる」 今度こそ間髪入れずに手を伸ばせば、サンジはひっそりと嬉しそうに口元を綻ばせた。 それにナミがピクリとする。ゾロはただあーあ、と思っただけだ。 「ね、サンジくん」 「はい?」 振り向いた時にもういつもの顔だ。 どうにかならないかしらと思い、ナミの気分は浮ついた。 「私もそれ、食べたいな」 「え?」 「それ」 そう言って、サンジの背後を指す。そこでは今まさに一口目を口に入れようとしているゾロが居た。 「あ?」 「で、でもナミさん。アレはゾロのだからちょっと酒が入ってるし…」 「私はお酒平気よ」 知ってるでしょ?そう言ったナミの目は随分と意地悪だったとゾロは思う。ゾロは事の成り行きを見ようと、グラスの中 身を掬い上げていたスプーンを元に戻した。それを見たサンジの目を、ナミは見逃したりはしなかった。 「ゾロ。一口頂戴?」 「ん」 ゾロは素直にグラスを差し出した。勝手に食えという事だろう。 しかしナミはにこりと笑って身を乗り出した。 「あーん」 「ナ、ナミさんッ?」 「ゾロ。あーん」 雛鳥よろしく口を開け、ゾロに強請るナミにサンジは悲鳴のような声を上げる。随分な意地悪をすると思いつつ、ゾロ は乗り気でスプーンでグラスの中身を掬った。 「ゾロッてめェ、ずりィぞ!」 咄嗟に遮ろうとしたが、しかしあっという間にナミはパクンと口を閉じた。そうしてゆっくりと噛み砕く。 サンジは複雑そうな顔で二人の顔を交互に見た。 「美味しい」 「そうか」 「はい。ゾロもどうぞ」 そう言って今度はナミが自分のグラスから掬い取り、ゾロの口元へ突き出した。しばし考えたゾロだが、黙ってパクン と噛み付いた。 「どう?」 「…美味い」 びくんとサンジの肩が跳ねた。そういう事かとゾロは思う。うっかりナミの手に引っ掛った。 「だって。サンジくん」 「は、は?え?」 「ごちそうさま」 そう言ってナミは乗り出した体を元に戻し、チェアに戻るとゆっくりと自分の分を食べ始めた。 そんなナミを一瞬睨んだゾロだが、すぐに諦めて自分も黙って食べ始める。 そんな二人の間で、何が起こったのか良く分からないサンジだけがオロオロとしていた。 だが素知らぬ二人は黙々と食べ続ける。 そんな姿を、ひっそり可愛いと思いながら。 |