「星座なんて分かんねェよ」 「お前なあ、海に出て何年経ってるんだよ」 「忘れた」 甲板に二人並んで寝転がり、あれは何座、あれは何座とサンジが言うが、ゾロにはさっぱり分からない。 「じゃあ、アレは?」 船の右斜め後方にある、一際大きく輝く星を指す。瞬きもしないはっきりとした白い点は、燦々としていっそ月より強い 光を放っている。 それは確かに何処の空にも見覚えのある星だったが、やはり名前などゾロに分かるはずもなく、無言で首を横に振っ た。 「あれくらい覚えておけよ」 溜息混じりのサンジの声は、しかし幾分甘えるような雰囲気がある。 二人きりの夜中の甲板で、何を憚る事がある。 普段は何かと忙しい身の上のサンジである。それでなくとも昼間は人の目が多くて思うに任せず、わざとらしくゾロに 近づく事も出来ないのだ。だからこんな時こそ甘えさせろと無言のプレシャーをサンジは発するのだ。 しかしそれは決して不快ではなく、ゾロは黙って好きなようにさせている。 するとサンジは許された事にまた興を覚えて喜ぶのだ。 「導きの星。いつの時もあれだけは位置を変えねェから、船乗りはアレを目印に海を渡るんだぜ」 サンジとて特別航海術を身につけている訳ではなかったが、ゾロのそれよりは幾分マシだ。ゾロと来たら雲を動かな いものと思っているふしがある。これで今までよく海の上で生きてこれたものだ。 だが当の本人は至って暢気に「星は位置が変わるもんなのか」などと言っている。 サンジは少なからず不安になり、眉を顰めて隣を見た。 「お前ねェ…。そんなんでもし、一人で漂流したらどうするんだよ」 呆れよりは心配が勝った。訝しげな声はもしかしたらゾロを不快にさせたかも知れないと思ったが、予想に反してゾロ は幼い顔できょとんとし、それにサンジもきょとんとした。 「なに」 じっとこちらを見るばかりでいつもの反論もないゾロに、流石に居心地の悪さを感じてサンジは身じろいだ。甲板に投 げ出していた腕を手持ち無沙汰に持ち上げて腹に乗せる。ゾロは頭の下に両腕をひいたままの体勢で、顔だけをサン ジの方へ向けていた。 「なんで俺が一人で漂流するんだ?」 「は?」 いや、だからもしっていう話で。続けようとしたサンジだが、言葉はそこでぷちんと途切れた。ふざけているのかと思っ たゾロの目が、本当に不思議そうだったからだ。 「いや…そういう意味じゃなくて」 なんだか酷い罪悪感に苛まれ、弁解もしどろもどろでどうしようもない。だがゾロは大して気にした風もなく、ただただ 不思議そうに首を傾げただけでサンジを開放した。 「ふうん?」 それきりまたゾロは空に視線を戻した。 片手を上げて光跡を指差し、星の数を数えている。 だが見上げれば夜空は明るい星の海に埋め尽くされ、数える前に瞬きは朝日に消されてしまいそうだ。 なんで俺が一人で漂流するんだ? 先ほどのゾロの言葉を反芻し、サンジはじっとゾロの横顔を見つめた。 それは言い換えればもう一人になるつもりはない、という事なのだろうか。 ぼんやりとそう思い、それだから尚更に、自分の言った言葉の意味の重さが急に重く伸し掛かった。 「どうした」 急に黙ったサンジに、ゾロは訝しげに振り返った。星の数を数えるのは、あっさり飽きてしまったらしい。 ごろんと転がり、サンジの方へ体を向けた。 「眠いなら、部屋へ行けよ」 そう言って、サンジの額の辺りを軽くなでる。いつもはサンジがゾロへ言っている言葉だが、時々ゾロは好んでサンジ のまねをした。 「ゾロ」 その手を取り、引き寄せる。指先にくちづけて、きゅうと握った。 「どうした」 先程より少し低い声は、ゾロがサンジを本当に心配している時の声だった。なんとなくそれがやりきれなくなり、サンジ は微笑んで誤魔化した。 「またなんか考えてるな、お前」 捉まれた手を、もう少し伸ばしてゾロはサンジの頬に触れた。 風邪を引く気候ではないが、それでも夜半は幾分冷える。ゾロの手の暖かさに、サンジは目を閉じた。 ゾロが一人で漂流するという事は、即ち自分達の別れの時だ。 あまりにも安易に使ったその言葉の本意に肝が冷える。たとえその場限りの揶揄だとしても、使うべきではなかった と、ひどくサンジは後悔した。 発した意思は言葉になり、言葉は意味を得て言霊になる。望まぬ現実を揶揄するべきではないのだ。 「お前はさあ、航海術なんて、覚える必要ねェよ」 ごろりとゾロの方へ転がり、身を寄せる。空気を介して僅かに伝わる体温を愛しんだ。 「星の名前も、どうでもいい。導きの星なんて、お前には必要ねェよ」 二人を隔てる隙間を埋めるため、腕を伸ばしてゾロの体を引き寄せる。大人しく収まる体温に、サンジはぎゅう、と抱 きついた。 「ずっと俺と居ればいいよ。漂流する時も、俺が一緒に行ってやる。お前、すぐ迷子になるしな」 「…迷子にはならねェが」 まあ、一緒にいてやらねェ事もない。答えるゾロの声が、耳を押し付けたゾロの体から直接響いてくるようだ。 顔を見る事は出来ないが、おそらくまた不思議そうな顔をしているだろう。だが、それでもゾロの答えは的を射る。本 能とは怖ろしいものだと思い、サンジは苦笑した。 サンジの髪にやわらかくゾロが触れる。何度も、何度も。まるで慰めるかのようなその仕種にサンジは胸が苦しくな り、次いでそっと顔を上げた。 「ゾロ」 こちらを見るゾロの目の中に、僅かな灯りが灯っている。柵に括りつけたランプが、波に揺れてきい、と鳴った。 穏やかなゾロの吐息を、そっと受け取るようにくちづける。ゾロは少しだけ目を伏せて、それでもじっとサンジを見つめ ていた。 サンジもまた、その目の中にあるものの形を確かめるように、視線を合わせたままそっと離れた。 「お前は色々考えすぎる」 「お前は色々考えなさ過ぎる」 ぴん、と額を弾かれたお返しに言い返すとゾロは、ははっと声を上げて笑った。 「じゃあ、丁度いいじゃねェか」 そう言ってゾロは触れるだけのくちづけをサンジの額に落とし、くしゃりと顔を笑いに染めた。 そのあまりにも晴れがましい笑顔にサンジは見惚れ、しかしすぐにたまらなくなり体を起すとゾロの上に覆いかぶさっ た。 「その意見には俺も賛成だ」 珍しく意見が合ったな、と笑うゾロの吐息を、今度は深く吸い込んだ。 |