春のひとひら





















「ゾ〜ロ〜。えへへへへ」
「ホント、ごめんな、ゾロ。いきなり」
「…いいから入れよ」
 玄関口から聞こえてくる声に、サンジは心ならずもがくりと首を項垂れた。台所と居間を仕切るガラス戸の向うから
は、ぼしょぼしょと話す声がまだ聞こえてくる。だがどちらにしろそれがサンジの望む答えになる事などない事だけは確
かだった。
「あー、やっぱ客居るんじゃン。帰ろうぜ、ルフィ」
「いやだ!俺はゾロと飲む!」
「それ以上飲めるわけねーだろう」
 ガラス戸越しにチラチラと人影が交差する。向うからもこちらが確認できたのだろう。少しボリュームを落として招かれ
ざる客の一人はよい事を言った。だがもう一人は断固としてそれに従う気はないらしい。会話に続いてドスン、とかバタ
ン、という音が響き、続いて突然がらりとガラス戸が横に引かれた。
「夜分遅く失礼しますー…」
 呆れ顔で居間に入ってきたゾロの後ろから顔を出したのは、黒髪にそばかすを薄っすらと乗せた愛嬌のある男だっ
た。サンジの顔を見て一瞬きょとんとし、次いで本当に申し訳無さそうな顔をする。だがもう一人はサンジの存在などい
っこうに気にする様子もなく、なんとゾロの背中に引っ付いて、肩にアゴを乗せていた。
「ゾロー。めしー。めしー」
「うんなもんはねぇ」
「ゾロのケチんぼ。ゾロの馬鹿ー」 
 ボズン、とサンジがもぐりこんだコタツの横に投げ出されても、男はバカバカと繰り返している。ぐだぐだに酒に酔って
いるが顔を見れば案外幼くどう見ても年下だ。乱れた髪の隙間から、ちらりと目の下に深い傷痕が見えた。
「そっち、ルフィ。こっち、エース。兄弟」
 ゾロはそっち、こっちと指を指して簡潔に紹介した。エースと指し示されたそばかすの男が、はじめまして、エースで
す。夜分遅く失礼します。と礼儀正しく頭を下げるので、サンジも名乗って咄嗟に頭を下げた。
「近く通った時にうっかりルフィがゾロのこと思い出しちまってさ。すまねえ」
「いや」
 普段から余計な愛想などないゾロだが、それよりも憮然としているのは、果たして二人の時間を邪魔されたからだろう
か。こんな時だがサンジはこっそり嬉しく思う。だが状況としてはあまり嬉しいものではなかったが。
「ゾロー、めしぃー」
「お前はもう寝ろ」
「お?こんなところに晩白柚が」
「おわ!?」
 伏せてジタバタしていたルフィが突然むくりと起き上がると、いきなりサンジの頭をわし掴んだ。
「いててッ何すんだ!」
「あれ?お前誰だ?」
「おい、ルフィッ。何やってんだ」
 呆れたようにエースがルフィの襟首を掴んで後ろに引っ張った。おお?と間抜けな声を出してルフィが後ろに転がる
と、ゾロも呆れたようにその足を蹴った。
「お前、寝ろ」
「メシ。または酒」
「…分かったよ」
 頑固に言い続けるルフィに答えたのはサンジだった。ゾロが驚いて顔を上げる。エースはそのゾロを見ていた。
「おい」
「腹減ってるんだろ」
「おお!お前いいヤツだな!」
「ルフィ!」
 ドカッとかなり強くエースはルフィを叩くが、まったく応えた様子がない。やれやれと思い振り返ると、ゾロが奇妙な顔を
してこちらを見上げていた。
「?ゾ…」
「何作ってくれるんだ!?」
「おわッ」
 後ろからタックルを喰らわされ、慌てて柱に捕まった。何をしやがると怒鳴ろうと振り返ると、奇妙にキラキラと表情を
輝かせるルフィと目が合い、意気を削がれてサンジは肩を落とした。
 もう一度振り返っても、ゾロはエースと話をしていて、先ほどの表情の意味は結局聞けないままだった。















「おい、お前もあっち行ってもう寝ろよ」
「うー…」
「ほら」
 腕を掴まれ促されるまま、サンジはズルズルと居間と寝室を隔てる襖の桟を越えた。そこには先客のルフィが既に高
鼾で布団の上に転がっている。ゾロはそれを軽く蹴って端に寄せると、サンジを布団の上に放り出した。
「乱暴もんだあ」
「いいから、大人しく寝ろよ」
 昼から仕事だろう、と言われてサンジは素直に従った。このままでは二日酔のまま出勤する事になってしまう。どうや
ら大人しく寝る気になったらしいサンジにゾロは溜息を一つ落として踵を返し、そっと仕切りの襖を閉めた。
 最初に潰れたのはルフィだ。既に随分寄っていたルフィの限界はあっけないほど早かった。部屋を訪れてから一時間
も経っていなかった。始終ゾロにベタベタするルフィの行動に、ハラハラと気が気でなかったサンジはそれに随分とほっ
として、お陰で調子に乗ってゾロとエースのペースに合わせてしまったのだ。これは後から気づいた事だが、エースも相
当酒には強いらしい。ゾロと同じくらいの酒を飲み干しても、姿勢の崩れる事もない。大変情けない事だが、結局サンジ
も早々に脱落した。
 しかし人間酔いすぎるとすぐには眠れないものだ。サンジはぼんやりと布団に転がってはいたものの、だるい体に反
して頭ばかりがはっきりとしてしまい、子守唄代わりにゾロの声でも聞こうと襖ギリギリの位置に布団を持って移動し
た。ルフィがはみ出たようだが、それは放っておく。せっかくの二人だけの時間を邪魔した罰だ。
 襖の向こうでは、二人の酒宴が未だ粛々と進行している。
 ボソボソと聞こえてくる声は、酷く低くてハッキリせず、案外防音効果に富んだ襖に焦れて、サンジはそれを少しだけ
開いた。
「…っから、俺はてっきりそう思ってさあ、こりゃ随分悪い事したと思って」
 陽気だが落ち着いた雰囲気のエースの声が耳に入る。違う。俺はゾロの声が聞きたいのだと恨めしい気持ちで隙間
から漏れる光の向こうを睨むと、エースの横顔とゾロの背中がぼんやりと浮んで見えた。
「どっちにしろ、よくはねぇ」
「それにしても本当、珍しいよ…大学の友達?」
 不機嫌そうだが、それが普通なのだと知っているくらいにエースとゾロは親しいらしい。憮然としたゾロの声にもエース
が動じた様子はない。サンジだって最初はそれで随分と傷ついたのに、平然としているエースが面白くない気がしてサ
ンジは口を尖らせた。
 ゾロの顔を覗き込むような仕種を見せたエースに、あ、この野郎それ以上ゾロに近づくな、と思いつつ体はすっかり弛
緩して動かない。当然二人がそんな事をするわけもないのだが、酔った頭で冷静な判断はいっこうに出来ない。サンジ
はジタバタして体を起そうとした。
 なあ、ゾロ。なんでそんなヤツと二人でいるんだよ。何で隣に居るのが俺じゃないんだ。
 ゾロの広い背中は白いセーターで覆われている。去年のクリスマスにサンジがプレゼントしたものだ。二人が付き合う
ようになってすぐに訪れた初めてのイベントに、ひどく浮かれていた自分を思い出す。だがそれに反してゾロはそういっ
たものに興味がないらしく、クリスマスがどうした、と素気無くかわされてしまった。
 だからサンジは、言えなかった。だってあんな風にされてしまったら、哀しくなるのは目に見えていたから。

 なあ、ゾロ。今日、俺、誕生日なんだ。

 暗がりから見上げるゾロの背中は二人を隔てる壁の様に見えて、サンジはなんだか哀しくなった。
 言ったところで、どうでも良さそうにされたらいたたまれない。
 それならばせめて今日は二人でと思ったのに、結局こんな有様で、ささやかな望みさえも無下にされた事に腹立たし
い前に空しかった。
 これが男女の恋人同士なら、どんなにか堂々と相手を独り占めできるか知れないのに、自分は誕生日を知らせる事
さえ躊躇してままならない。
 サンジは歪んでしまいそうになる視界に力を入れてそれを防いだ。
 ここで泣いてしまっては、自分がますます哀れだと思った。
 その時。

「恋人」

「は?」

「サンジ。つきあってるから」

 いつもと変わらない声、変わらない口調だった。背中は悠然としていつも通り揺るぐ様子もない。
 だがそれは、サンジが今まで一度も聞いた事のない言葉だった。
「あー、そうなんだ…。やっぱりすげぇタイミング悪かったな。すまねぇ。この借りは絶対返す」
 あちゃあ、と空を仰いでエースが額を抑えた。それがあんまりにも自然だったので、サンジは更に驚いた。
 
 ゾロがサンジを恋人と言った。

 エースはそれが当然みたいにしている。

 もしかしてこれは夢だろうかとサンジは思いっきり頬を抓った。それはあまりにも容赦がなかったので、サンジは上げ
そうになた悲鳴を思い切り飲み込まなくてはならなかった。

 痛い。夢じゃねぇ。

 ゾロがサンジの事を恋人と言った。
 隠そうともせず、戸惑わずはっきりと。
 エースに「友達?」と聞かれて、当然ゾロが「そうだ」と答えると思った事をサンジは恥じた。

 冗談じゃねぇ。俺は、全然わかってなかった。ゾロの事。

 勝手に付きまとって、泣き落としみたいに付き合い始めたのは三ヶ月くらい前の事だった。
 サンジが勝手に惚れて、勝手に切羽詰って、勝手に絶望して。そんな事を繰り返し、自分の事ばかり必死だった。
 全然ゾロの事、見ようとしてなかった。
 ジワリと湧き上がった胸の暖かさは、たちまちぶわっと勝手に涙になった。ぼたぼたと頬を伝って畳みに落ちる。見る
見るシミになっていくそれに、サンジは情けなくて悔しくて、馬鹿な自分を思い切り殴りたかった。

 情けない。情けなくて恥かしい。

 押し付けるばっかりで、ちっとも俺はゾロの事わかってなかった。
 ゾロはこんなにも、サンジの事をきちんと考えていてくれていたのに。

「ゾロ」
 うーうー、と知らず漏れていた声に、気づいたエースがこちらを指差した。隙間から覗いたサンジの金髪が見えたのだ
ろう。それにゾロが振り返った。
「なんだ、起きたのか?」
 途端に増した光が目を刺した。光の中に襖に手を掛けたゾロが居る。
「何泣いてんだ、お前は」
 呆れたようにポン、と頭を叩かれた。そのままセーターの袖で頬を拭われる。サンジは目を閉じてそれを甘受するが、
涙はどうにも止まらなかった。
「変な夢でも見たのかよ」
 しょうがねぇなあ、とやっぱり呆れているのに、ゾロの手は優しい。
「お前、酔うと泣く癖、どうにかしろよ」
 涙で張り付いた前髪を梳いて、何度も頭をそっと撫でた。
「そうじゃねぇかなあ、とはちょっと思ったぜ。だってお前、らしくないからさ」
 後ろでエースがそんな事を言い、ゾロが振り返ってエースを見た。
「そうか?」
「お前が俺たち以外部屋に入れてる時点で、特別だって言っているようなもんだ」
「…そうか」
 やっぱり酔っているせいか、サンジの頭は上手く働かない。エースのセリフを理解する前に、言葉はスルスル落ちて
いく。いきなり泣きすぎたせいでますます体はだるく、サンジはぐったりとして布団に頭をつけた。
「もう、寝ろよ」
 頬に触れた優しい感触を最後に、サンジの意識はそこで途切れた。













「本当に夢オチって…そんなのアリかよ…」
 起きてサンジはしばし呆然とした。
 隣ではゾロがくうくうと健やかな寝息を立てて眠っている。
 布団の上には二人しか居ない。
 隣の居間を覗いても、誰も居ない。食べ散らかしたはずのテーブルも、きちんと片付けられている。
 あれもこれも、サンジが自分の誕生日にかこつけた妄想だったらしい。
「俺って案外乙女チックなのかなあ…」
 胸が詰まるほどの感動が、自分の願望によるものだと思い知るのは相当恥かしく、サンジは時間の許す限りをぼん
やりとゾロを眺める事で過ごした。














 それが夢などではなく実際の出来事で、エースの話しを聞いたゾロの幼馴染たちが、噂の恋人を一目見ようと大挙し
て真夜中になだれ込んでくるのはまた後のお話。






















(2004/03/02)

end



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サンジさん、誕生日おめでとうございます!
これかもいっぱいゾロを愛してくださいねv(やっぱりそれかい!)
 ※ 04/03/15に改題しました ※