春、夏、秋、冬。季節はあっという間に過ぎ去って。 そしてまた、アイツのいない春が来た。 春も半ばを過ぎ、たわわに咲いた桜の花弁が風に揺すられ散っている。桜並木の路地はまるで一面布を広げたよう に白く霞んでいた。 この道を辿る度、ゾロがいた時の事をよく思い出す。 サンジの仕事が終わるのを、ゾロはいつもこの桜並木の入口で待っていた。 待っていろと言った事は一度もない。 それでもゾロは必ずそこで待っていて、帰り途中のスーパーで夕飯の食料を買い、肩を並べてサンジの家へ二人で 帰った。 桜並木の入口は、サンジが行き倒れているゾロを拾った場所だった。 その時はなんとも思わなかった日常が、今では幸せだったのだと思う。 定職にも就かず、時々ふらりと姿を消しては大金を携え、薄汚れて帰ってくる胡散臭い男だったが、それでもサンジ は汚いと文句を言い、湯船に浸からせ、食事の支度をしてやるのが好きだった。 ちょっと風変わりなペットのつもりだったのかもしれない。ゾロは気まぐれな猫のような男だったから。 そうやってずっと、何も変わらずいるのだと思っていた。思い込んでいた。 春には桜並木を二人で歩き 夏には海でくらげに刺されて大騒ぎをした 秋には落ち葉で焚き火をしてボヤを出し 冬にはコタツで丸くなって足を蹴り合った 男二人共通の話題もなく、お互いの名前以外何も知らなかった。 喧嘩したり、殴りあったり、くだらない事で笑いあったり、ナンパした女の子をうっかり飲みすぎて店に忘れて帰ってし まったり、時々ふざけてキスもした。 ゾロといれば、それだけで楽しかった。 そんな風にずっと、何も変わらずにいるのだと思っていた。 思い込んでいた。 けれども春、開花宣言の前日にアイツはいつものようにふらりと出かけ。 桜が散って雨の日が続くような日和になっても、サンジの家には戻らなかった。 突然一人になった帰り道にも、もうすっかり慣れてしまった。 いつもゾロと寄ったスーパーには、あれから一度も行っていない。 どちらにしろ年々仕事が忙しくなり、帰宅時間はいつのまにかスーパーの閉店には間に合わなくなっていた。 家に居ついたつもりでも、野良のような男だった。 首に鈴でもつけておけばよかったと、後になってサンジは思った。 風に乗って吹き付けて来る桜の花弁は時として凶器になる。見事にそれが目に入り、サンジはふらふらとして立ち止 まった。 「痛ってぇ…」 夜気を含んだ花弁は少しばかり湿っていて、丁度良く目に張り付いた。 休日には人出の多い場所だったが平日の真夜中では流石に人影もなく、そんな失態を見咎められる事もなかった。 それに恥ずかしながらもほっとし、サンジは花弁の張り付いた髪を払った。 盛りを過ぎた桜だが、その壮観さはまだ失われていなかった。いや、満開の時分より散り際こそ荘厳だ。 散るからこそ美しいとは誰が言ったか。酷な言葉ではあったが、これを見れば誰もがそれに共感するだろう。 桜並木の入口に差し掛かかると、道路を両側から挟んで垂れ込めた桜の木々が、一際吹き付けた風にいっせいにざ わめいた。 「すげぇな」 そうなれば先ほどの花弁の雨などまるで比べるべくもない、桜吹雪が視界をすべて埋め尽くした。 白、白、白。まるで光の洪水だ。 外灯に照らされた桜が、闇の中にいっそう鮮やかに浮かび上がる。巻き上がる風が上下の別なく花弁を躍らせ、あま りの激しさに目を開けていられずサンジは顔を庇って腕を翳した。 先ほど花弁が目に入ったせいか、染みて瞑った目じりに涙が溜まった。瞬けばそれがたちまち零れて、それきり止ま らずポロポロと涙は頬を転げ落ち、伝って風に吹き消された。 ああ、そうだ。そうだったよ。好きだったさ。ゾロが好きだった。 鬼みたいな顔で実は可愛いものが好きなところも、馬鹿みたいに大口開けて笑う顔も、時々浮かべる沈んだ目も。腹 が減ると動きが鈍くなるのも、暴力に躊躇いのない獣みたいに乱暴なところも。 全部、全部、生意気で気に入らなくて、疎ましくて羨ましくて大好きだった。 本当はずっと前に零れるはずだった涙を止めていたのは、ゾロが帰ってくるかも知れないと思ったからだ。 悲しめば本当にもう二度と戻らない気がして、あえてサンジはいつものように毎日を過ごした。 夜には戻るかもしれない。朝には戻るかも。週末には。来週には。天気が良くなれば。 もう戻らないって、とっくの昔にわかっていた。 「っう…ぅ。うう……」 認めてしまえば涙はもう止め処なく、サンジは顔を腕で覆って声を出して思い切り泣いた。 もう誰に見られても、どうでもいいと開き直ると突然心は幼く戻り、泣く事にためらいなど覚えず、わあわあと声を出し て泣いてやった。 笑うんなら勝手に笑えといつもの自分を放棄した。 「すげぇな…」 だからって、感心されてもちっとも嬉しくない。小さな見物客の呟きが聞こえたが、今更どう思われようとどうでもよく て、サンジは勝手にしやがれと顔を腕で覆ったまま無視をした。 それなのに通りすがりの観客は、面白がってそばに寄ってくる気配を見せた。 「なあ、なんで泣いてんだ?」 興味津々といった風で男が聞いてくるので、なんて無神経だとサンジは流石にイラついて、蹴ってやろうと振り向い た。 「……恋人に捨てられたからだよ」 嗚咽のせいで声が引きつり、喉は潰れて声はかすれた。サンジは精一杯強がって、力のすべてを視線に注いだ。 「ふーん…。可哀想になあ…」 面白そうにからかわれているのに、サンジは膝が震えてどうしようもない。足元がふにゃふにゃして上手く立っていら れない。 「じゃあよ、俺が拾ってやろうか?」 ニヤニヤと笑う男の言葉に、サンジは顔を真っ赤に染めた。 「……可愛がってくれんの」 「可愛くしてりゃあな」 ブチブチと額で血管が切れる音がする。 サンジは一気に腹の底で怒りとも苛立ちともつかない、激しい感情の爆発を感じて激昂した。 「てめぇ、何様のつもりだ!このマリモ!腹巻親父!」 「泣きながら言っても、迫力ねぇなあ」 「うるせぇ!どっか行け!いや、もうどこも行くな!馬鹿!アホ!単細胞生物!」 「はいはい」 胸の中が焼けるように熱い。目頭は熟れて前がよく見えなかった。 それでも目の前で笑う男の顔からは、食い入るように目が離せなかった。 一等好きな、一年ぶりのゾロの笑顔だった。 |